「怒りこそ正しい」という甘えヅラ | 新労社 おりおりの記

「怒りこそ正しい」という甘えヅラ

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政治家から、若い両親に至るまで、この「怒りこそ正しい」という甘えヅラが流行っていますね。何か他人の欠点を見つけ、それを糾弾することで、自分のオソマツなところをごまかそうという、なんともやりきれない感情表現です。子どもや、中高生までは許されても、社会人以上は許されないところまで来ているかと思います。


東京都知事の交代、タレントの不倫、乳幼児虐待など、昨今の時事問題、社会問題の一群は、関係なさそうなことが同じ根っこのような気がします。


人間そりゃ怒るべき時はあります。しかしそういうのはハッキリ言って、1000に1つくらいです。それを誤って、つまらんことで怒っても、あまりトクすることがないのです。


なぜかというと、自分にとっては発散になっても、他の人間にとっては迷惑以外の何物でもないからです。1人で怒っているのはイイのですが、たいていの場合は相手がいますからね。世の中怒りが忌避されるのは、そういう相手を選ぶ、計算づくの怒りです。それがそれこそ、世の中の怒りの1000に999を占めますね。


コワイお兄さん相手に怒る人は少ないでしょう。相手が弱いから、また強いとしても不特定多数だった匿名で、自分が被害を被らない立場ならば怒るのです。例えば以下の通りです。


政治家のカネの問題・・・大勢が言っていれば、「安全」だから怒る。

タレントの不倫・・・美貌、才能のあるヒトを、けなすのは快感。しかし理由が欲しい。

乳幼児虐待・・・小さな立場。しかし「いうコト」を聞かないから暴力。


部下・女性いじめ・・・弱い立場。「教える」コトの対価としての有形無形の暴力。

学級のいじめ・・・特定の「仲間はずれ」で、集団の団結を保つ。

不器用なヒトの仲間はずれ・・・何か物理的なもので図って、足りない人をいじめる。


マアマア多いこと。かくいう私だってやっていたかもしれません。ネットの時代でもこういう特質は、人間の原始人からのもので、成長がなく、なくならないでしょう。しかし・・・


せめて自分だけは・・・というイイ意味での個人主義を、ここでこそ発揮してほしいと思いますね。ヒト一般に対してだけでなく、自分自身にも。集団に対する個人主義より、自分に対する個人主義を貫ければ、世の中平和になるかかと思います。


半面、集団に対する「自分以外はすべてバカ」という、集団に対する個人主義が、この世を住みにくくし、理不尽なテロを生む温床になります。そのイイ意味、ワルイ意味の個人主義の分かりにくさが、「怒りこそ正しい」勘違いを生む温床です。


具体的には、ヒトのアラ探しより、自分のアラを探す方が良いんじゃないの?ということです。それが1人残らずできれば、世の中の淀んだような「やり場のない自分勝手な怒り」はなくなるものかと思います。ただそれって、カンタンなようで、スゴクムツカシイことも確かです。