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料理の記憶 41 「焼鳥編」 誕生

私にとって澄店の一日はとても重要な一日を終える。

失敗、挫折、困惑、緊張、希望を目一杯に味わった。

 

多少焼けるようになったのだと勘違いしていた私が撃沈という挫折を味わい、美味しくないという現実を突きつけられて、本当の焼き方とは何なのかを教えてもらった。多分この事は焼き鳥を最初に教えてくれたタックハーシーさんやオカサン、ヤマさん、テーラーさんなどからも言われていた言葉だったのかもしれない。しかし今回、現実と向き合うことができて、困惑していた時にガミさんから聞いた言葉は私の体の中に入り込んだのだ。

 

 

再三、先輩方から聞いていた「焼ける人、焼けない人」の基準はこういう事だったのか。

そして焼き場の仕事は私が考えているよりも遥かに濃厚で、もっと広い視野が必要なんだとも気づかされた。

焼き場に立つ人がどんな焼き方をするかによって、それは周りで働くアルバイトや店長にまで影響してくる。そしてそれはお店全体の流れに影響してお客さんに伝わる。

それをお客さんが感じ取り、良いお店、悪いお店と判断して次の来店へと繋がる。

 

 

そんな事を考えて、その後先輩たちに相談したり、自分で模索したりを繰り返す。

先輩たちはそれを聞いてこう言った。

「お前がガミさんに言われたことは大切なことだよ。もちろんもっと頑張れ。だけどなコンドウ。お前ごときが失敗したからといって澄店や本店、そして一の店はつぶれないよ。甘く見るな。俺たちが働く焼き鳥屋はな、もっと深い。お前が見えてない事が山のようにあるんだ。それをこれから学んでいけ。ってか早く焼けるようになれ。まずはそこからだ。」

 

 

私はこの日から焼き鳥と真剣に向き合うようになった。

最初は「撃沈しないようにしよう。」なんてことを考えていたがそれもやめた。

それよりも自分流の焼き方を見つけられるように模索した。

どんなに忙しい状態でも必ずルーティンを崩さない。

焼くリズムが乱れたら全てがガタガタと崩れていくのだと、ガミさんから言われたことを意識して焼いた。

 

 

そして次の澄店ヘルプでは18万の売上を上げたが私は撃沈しなかった。

急にレベルが上がったわけでもないし、まだ自分流を見つけたわけでもない。もしかするとクドテンさんが交代するのを我慢していたのかもしれない。お客さんに多少迷惑をかけたとしてもクドテンさん流のフォローがあったのかもしれない。ネタ出しをしてくれているアルバイトも色々と考えてくれたのかもしれない。

 

こんな話がある。

前回私の撃沈を知った翌日、テーラーさんは私に直接指導することはせずに、ネタ出しのアルバイトに指導したと聞いた。お前がフォローしなきゃダメなんだと、ネタ出しに注意した。ネタ出しのアルバイトは次回コンドウさんが来た時はどうしたらいいのかとテーラーさんに聞いたともいう。その事を含めて、澄店で撃沈しなかったことをみんなが喜んだ。喜んだというよりホッとした感じだった。

 

 

こうして私は色んな人の助けがあって自分は焼いているのだと知った。

 

 

この後私は澄店、本店以外にも様々なお店のヘルプに行くようになる。この各店周りは、社員同士の交流も含めて大変有意義のある経験だった。4店、中店、元店、平店、24店、郷店などほぼ全てのお店で働かしてもらった。

唯一行かなかったのは新しくできた栄店くらいなもので、それ以外は最低でも一回はヘルプに行ったことになる。しかし、唯一ヘルプに行かなかった栄店が今後、私の人生にとって最も重要で大切な時間を過ごしたお店になることはこの時は知る由もなかった。

 

 

新しいお店、チェーン店12店舗目の白店がもうすぐできるという頃、私は21歳になっていた。

 

 

そんなある日、私が働くお店で朝の仕込みをしている時に私宛に電話が鳴る。

 

もうすぐ産まれそう。

 

その次の日、娘の凪紗が誕生した。

2000年5月7日の出来事だった。

 

つづく