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料理の記憶 43 「焼鳥編」 4店

元店に続き当時の店舗を書いていきます。

次のお店は「4店」です。すすきの駅の近くにあった4店は本店とほど近い距離にあった。ススキノ交差点の道路を挟んでススキノ側にあるのが本店。大通り側にあるのが4店でした。

 

当時、ケンタッキー・フライド・チキンの横の階段を降りるとお店はあり、知る人ぞ知るといったようなチェーン店です。席数も少なくカウンターが15席程度、4人掛けのテーブル席が3つくらいなもので、満席になったとしても30人が限界です。しかも本店同様に通路という通路はほとんどなく、以上に狭い店内は連日すし詰め状態といった形でした。

 

4店は歴史が古く、チェーン店3店舗目で昭和58年にオープンしています。私が4歳ですからね。こりゃ古い。

現在は閉店しているらしいので、4店を記録に残すことはとても重要なのではないかと思っております。私の記憶の範囲ですが当時の4店を紹介しましょう。

 

 

私がヘルプに行った二十数年前の話。

4店の店長はたしか、ナカチャンだった。ナカチャンは後に店長代行として各店周りをするようになるが、この当時は店長としてお店を切り盛りしていた。店長のほかに社員がおらず、残りはアルバイト2人だけ。3人体制でお店をまわしている。つまり焼ける社員は店長だけで事実上、店長兼焼き場という形で、チェーン店ながらも個人店のような雰囲気だった。

 

実際、お店の雰囲気もほかの店とは異なり、個人店の装いをみせ、接客も独特。お客さんとの距離感が近くてどこでだれが呼びかけても聞こえるような店内。場所的に本店と近い距離にあったにもかかわらず本店とは大きく異なったのが客層だった。人生の先輩たちで埋め尽くされた渋い本店とは違い、4店は若いお客さんが中心となっており、営業中にテーブル席が空くことはほとんどない。さらに営業時間もすべての店舗の中で最も遅く、深夜1時30分まで営業。安くて美味くて他のチェーン店と同様の焼き鳥が食べられるお店として大変にぎわっていた。

 

しかし、会社が大きくなり、中型、大型のチェーン店が増えるにつれて本店や4店は大きな影響を受けていく。

まずはメニューの多さ。4店の焼き場はとても狭く、人が対面ですれ違えないような狭さ。従業員は焼き場に1人、洗い場に1人、レジ兼接客に1人、見積もっても畳1畳分くらいのスペースしかないような狭さで、ほかの店舗同様のメニューをこなすことは困難であり、すべてのネタが冷蔵庫に入らない問題が勃発していた。しかしながら当時は何とかそれを続けていて店長のナカチャンは大きくぼやいていたのを思い出す。

 

「あー、めんどくせー。」

「あー、早く帰れよ。マジでうぜー。」

 

ナカチャンの口癖である。

この当時、私は衝撃を受ける。店長であり焼き場の花形である人物のやる気のなさ。ナカチャンは会社一やる気のない社員だったのではないか。「やりたくない。帰りたい。」と口癖のようにしゃべりながら、ヘルプに来る私にさぼりを教えてくれて、こんな店長がいるんだな。と私は面を食らった。一の店の課長も中々やる気のない人だったが、ナカチャンも結構な人だったと思う。

 

しかし、同時にナカチャンの人柄はいろいろな人に受け入れられていて、私にとっては悪い事を教えてくれる兄貴的な存在であった。事あるごとに「コンドウ、ちょっと休んだら?コンドウ、タバコ吸ったら?」と言ってくれる。最初は、あぁこの人は私を気にしてくれて、声をかけてくれているんだなと思ったのだが、付き合いが長くなるとナカチャン自身が休みたいタイミングで言っていることがわかってきて、「あ、僕やりますんで休んでていていいですよ。」と言うと、「あ、ほんと?」と嬉しそうにしゃがんでタバコを吸い始め、「頑張るね。なんでそんなに頑張るの?どうしたの?」と言い始める。まさにサボロー君の誘惑である。

 

当時、会社にとってナカチャンがどうゆう存在だったのかはわからないが、少なくとも私にとっては大切な存在であり、ツチテンさんガミさん、タックハーシーさんなどバリバリ仕事をこなす存在がいてこそだと思うが、ナカチャンのような人物はとても貴重で息抜きのような存在で、ほかの社員からすればはっきり好みが分かれていたが私は好きだった。

 

そして4店の中で特徴的なのが当時のアルバイトである。

個人店のようなお店であり、お客さんとの距離も近かったため、接客は独特でアルバイトとお客さんとのタメ口、ナンパは日常的で、なんならサービスで出していた大根おろしやスープをカウンター席に座っているお客さんに頼んで、テーブル席まで運ぶという技まで存在した。ほかの店舗では通用しない接客術だったと思うが、4店のお客さんはそれを楽しんできているように感じ、中年男性のたまり場というイメージが強い中、4店は男女問わず若い客層が焼き鳥屋で楽しむという事の先駆け的な存在だったのではないかと思う。

 

本当に閉店してしまったことが残念でしかたがない。

 

4店のあの狭さ。焼き場と近いあの熱さ。あの雑多な雰囲気。ここだけが違うルールで動いているような異国感。バブルが崩壊していないんじゃないかと思うような時代錯誤。たぶんあの店だけ時間軸が違ったように思い出す。

 

 

今思えば、私自身が4店のヘルプに行った事は数回しかありませんでしたが、プライベートでもよく食べに行ったお店として、とても印象に残る店舗の一つです。この先この会社に4店のような店舗ができると思いませんが、個人店でやるなら最高のお店だと思う。

 

 

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