始まりと終わり
人にとって、何かの終わりというのはドラマが起こり易くできている。
人生の終わり、旅の終わり、別れ、卒業など、
その時の人との絆というのはとても印象深くなる。
逆に、始まり、というのは人とのつながりを考える上で、
忘れやすくできているようでならない。
ロンドンでは、人との出会いと別れを繰り返していくのだが、
人とのつながり方は刻々と変わっていく。
案外、来たばかりに仲良くなった人とは、今は違ったりする。
自分が生まれたとき、何かを始めたとき、
それはどんな恩を受けたとしても忘れやすい。
逆に最後を飾る時にいた人間というのは記憶に残りやすい。
なので、友達、彼女、そういう相手を求める場合、
生活をスタートしたばかりの人間に対して求めることはあまり得がないように思う。
期待するだけ損なのである。
何か最後に近づく人間に対してどれだけ厚く振舞うか、むしろその方が効果を期待できる。
だからこそ、逆を言えば、自分が何かを始めたときに助けてくれた人間、
仲良くしてくれた人間に対し、自分が思う以上に感謝する気持ちは大事だと思っている。
生まれたときにいた、母と父に感謝するように。
人生の終わり、旅の終わり、別れ、卒業など、
その時の人との絆というのはとても印象深くなる。
逆に、始まり、というのは人とのつながりを考える上で、
忘れやすくできているようでならない。
ロンドンでは、人との出会いと別れを繰り返していくのだが、
人とのつながり方は刻々と変わっていく。
案外、来たばかりに仲良くなった人とは、今は違ったりする。
自分が生まれたとき、何かを始めたとき、
それはどんな恩を受けたとしても忘れやすい。
逆に最後を飾る時にいた人間というのは記憶に残りやすい。
なので、友達、彼女、そういう相手を求める場合、
生活をスタートしたばかりの人間に対して求めることはあまり得がないように思う。
期待するだけ損なのである。
何か最後に近づく人間に対してどれだけ厚く振舞うか、むしろその方が効果を期待できる。
だからこそ、逆を言えば、自分が何かを始めたときに助けてくれた人間、
仲良くしてくれた人間に対し、自分が思う以上に感謝する気持ちは大事だと思っている。
生まれたときにいた、母と父に感謝するように。
器用をすてる
司馬遼太郎氏の天明の絵師の文面に、
「いっそ、自分の器用をすてればよろしゅうございましょうか」
与謝蕪村の弟子であった呉春の言葉である。
弟子入りしてまもなく絵を描くことを早々にマスターし、
蕪村から天才と言われた呉春である。
蕪村はこう答えた。
「人間、持ってうまれたものを捨てられるわけでもなく、また捨てる必要もない。
死ぬまで持ちこしゆくものさ」
器用すぎた呉春は最期まで写生主義に終わり、
富を得る代わりに師であった蕪村を超えることはできなかった。
器用をすてる、ふと、そんな言葉になんとなくパブロ・ピカソを想像した。
彼の幼少期の作品は、今の代表作とは全く違うものを産み出していた。
そんな彼はきっと一度自分の器用をすてさり、
自らの内面、精神から描く手法を再構築したのではないか、そんな気がするのである。
ピカソは生存中、そして未来に渡って評価された稀有な
アーティストであることは間違いない。
それは、器用をすてることをできたからではないか、と。
「いっそ、自分の器用をすてればよろしゅうございましょうか」
与謝蕪村の弟子であった呉春の言葉である。
弟子入りしてまもなく絵を描くことを早々にマスターし、
蕪村から天才と言われた呉春である。
蕪村はこう答えた。
「人間、持ってうまれたものを捨てられるわけでもなく、また捨てる必要もない。
死ぬまで持ちこしゆくものさ」
器用すぎた呉春は最期まで写生主義に終わり、
富を得る代わりに師であった蕪村を超えることはできなかった。
器用をすてる、ふと、そんな言葉になんとなくパブロ・ピカソを想像した。
彼の幼少期の作品は、今の代表作とは全く違うものを産み出していた。
そんな彼はきっと一度自分の器用をすてさり、
自らの内面、精神から描く手法を再構築したのではないか、そんな気がするのである。
ピカソは生存中、そして未来に渡って評価された稀有な
アーティストであることは間違いない。
それは、器用をすてることをできたからではないか、と。
三つの実
明治時代の日露戦争時、
海軍司令官は東郷平八郎だった。
彼は戦争の条約に通じていたということもあるが、
最終的に「運が強いから」、という理由で選ばれた。
司馬遼太郎は書いている。
トップに立つ場合、運の強さというのも大事らしい。
ただし、たとえばそんな理由で会社のトップにさせる、
そんな勇気を持っている人間が本当にいるのだろうか・・・
でもきっと、時折周りにいる運の強い人間。
俺も地元で一人だけ身近にいる。
常に麻雀などのゲームに勝つ強運の人間を(笑)
将来会社のトップに立つ日が来るのを楽しみではある。
ただ、それまでに、
篤実、堅実、誠実そんな三つの実をいずれか備えているか見ておきたい。
と、自分が将来何よりも重んじたいもの。
海軍司令官は東郷平八郎だった。
彼は戦争の条約に通じていたということもあるが、
最終的に「運が強いから」、という理由で選ばれた。
司馬遼太郎は書いている。
トップに立つ場合、運の強さというのも大事らしい。
ただし、たとえばそんな理由で会社のトップにさせる、
そんな勇気を持っている人間が本当にいるのだろうか・・・
でもきっと、時折周りにいる運の強い人間。
俺も地元で一人だけ身近にいる。
常に麻雀などのゲームに勝つ強運の人間を(笑)
将来会社のトップに立つ日が来るのを楽しみではある。
ただ、それまでに、
篤実、堅実、誠実そんな三つの実をいずれか備えているか見ておきたい。
と、自分が将来何よりも重んじたいもの。
発展と維持
―二代目は守りの人であればよい。
家主は初代が攻めの人であれば、二代目が守り、三代目は攻めに転じればよい。
家が長く続く秘訣はそこにある。
攻めの人がつづくと家は疲労し、守りの人が続くと家は沈滞する。
と、宮城谷昌光は三国志で言っている。
余談だが、彼の過去の文面でも、人の相性は一方が明で一方が陰であると書いている。
ここでの攻めとは、創造を推進する、いわば「発展」。
守りとは、伝統を重んじ、「維持」する。
または、「明」と「陰」。
と自分は解釈する。
日本の近代歴史を振り返ってみると、
日本人は外国人という攻めの人間を間に入れて発展してきた。
身近な話題でサッカーが分かりやすい典型例であるような気がする。
トルシエ→ジーコ→オシム→岡田
次元を変えて、ローマ帝国の場合、
(カエサル)→アウグストゥス→ティベリウス→(カリグラ)→クラウディウス
歴史での特に評価の低いティベリウスが新しいことを創造せず、
維持に徹したことでローマ帝国の強い基盤を作ったと、塩野七生は書いている。
日本の江戸時代の場合、
徳川家康→家忠→家光
ただし、家忠の場合、家康がバックで支えていたという事実もあるが、
戦場での経験のなかった家光でようやく江戸時代が本格的に始まった。
過去に働いた会社も視る。
似たようなことがいえるのかもしれない。
さて、話題を変えて、
今更ながら国際会計基準について勉強中。
ふと思ったのが、会社についても今後二極化の方向に行くのではないか、ということ。
海外から資金調達をする上で、会計の国際標準化というのは重要で、
優秀な監査法人の元、世界の企業と比較可能な状態にする。
それには、優秀な人材、そして資金力、会社規模、何よりも世界視野が必要になってくる。
世界への視野を持たない国内上場企業というのは、淘汰されてしまうのではないか、と思う。
海外から得た資金力を武器に、世界への視野を持つ会社によって。
そういう世界基準に合わせること事態にナンセンスな会社は、
株式上場などせずに小回りのよい状態で進んでいくことがもう一つの選択である。
資本主義というのは何でも二極化させる力を持っているようだ。
それにしても、発展と維持は大変だなあ。
家主は初代が攻めの人であれば、二代目が守り、三代目は攻めに転じればよい。
家が長く続く秘訣はそこにある。
攻めの人がつづくと家は疲労し、守りの人が続くと家は沈滞する。
と、宮城谷昌光は三国志で言っている。
余談だが、彼の過去の文面でも、人の相性は一方が明で一方が陰であると書いている。
ここでの攻めとは、創造を推進する、いわば「発展」。
守りとは、伝統を重んじ、「維持」する。
または、「明」と「陰」。
と自分は解釈する。
日本の近代歴史を振り返ってみると、
日本人は外国人という攻めの人間を間に入れて発展してきた。
身近な話題でサッカーが分かりやすい典型例であるような気がする。
トルシエ→ジーコ→オシム→岡田
次元を変えて、ローマ帝国の場合、
(カエサル)→アウグストゥス→ティベリウス→(カリグラ)→クラウディウス
歴史での特に評価の低いティベリウスが新しいことを創造せず、
維持に徹したことでローマ帝国の強い基盤を作ったと、塩野七生は書いている。
日本の江戸時代の場合、
徳川家康→家忠→家光
ただし、家忠の場合、家康がバックで支えていたという事実もあるが、
戦場での経験のなかった家光でようやく江戸時代が本格的に始まった。
過去に働いた会社も視る。
似たようなことがいえるのかもしれない。
さて、話題を変えて、
今更ながら国際会計基準について勉強中。
ふと思ったのが、会社についても今後二極化の方向に行くのではないか、ということ。
海外から資金調達をする上で、会計の国際標準化というのは重要で、
優秀な監査法人の元、世界の企業と比較可能な状態にする。
それには、優秀な人材、そして資金力、会社規模、何よりも世界視野が必要になってくる。
世界への視野を持たない国内上場企業というのは、淘汰されてしまうのではないか、と思う。
海外から得た資金力を武器に、世界への視野を持つ会社によって。
そういう世界基準に合わせること事態にナンセンスな会社は、
株式上場などせずに小回りのよい状態で進んでいくことがもう一つの選択である。
資本主義というのは何でも二極化させる力を持っているようだ。
それにしても、発展と維持は大変だなあ。