One way or another,
"ああ、しかし、いつしか砂時計が、時間性の砂時計がめぐり終わるときがきたら、俗世の喧騒が沈黙し、休む間もない、無益なせわしなさが終わりを告げるときがきたら、君の周囲にあるすべてのものが永遠のうちにあるかのように静まりかえるときがきたらーそのときには、君が男であったか女であったか、金持ちであったか貧乏であったか、他人の従属者であったか、独立人であったか、幸福であったか不幸であったか、また、君が王位にあって王冠の光輝をおびていたか、それとも、一目につかぬ卑しい身分としてその日その日の労苦と暑さとを忍んでいたか、君の名がこの世のつづくかぎり人の記憶に残るものか、事実またこの世のつづいたかぎり記憶に残ってきたか、それとも君は名前もなく、無名人として、数知れぬ大衆にまじっていっしょに駆けずりまわっていたか、また君を取り巻く栄光はあらゆる人間的な描写を凌駕していたか、それともこのうえなく苛酷で不名誉きわまる判決が君にくだされたか、このようなことにかかわりなく、永遠は君に向かって、そしてこれらの幾百万、幾千万の人間のひとりひとりに向かって、ただひとつ、次のように訪ねるのだ、君は絶望して生きていたかどうか、君は君が絶望していたことを知らなかったような絶望の仕方をしていたのか、それとも、君はこの病を、責めさいなむ秘密として、あたかも罪深い愛の果実を君の胸のなかに隠すように、君の心の奥底に隠し持っていたような絶望の仕方をしていたのか、それともまた、君は、他の人々の恐怖でありながら、実は絶望のうちに荒れ狂っていたというような絶望の仕方をしていたのか、と。
そしてもしそうだとしたら、もし君が絶望して生きてきたのだとしたら、たとえそのほかの何を君が手に入れ何を失ったとしても、君にとっては一切が失われているのだ、永遠は君の味方をしはしない、永遠は君をかつて知らなかったのだ、それならまだしも、もっと恐ろしいことに、永遠は知られているとおりの君を知っているのだ、永遠は君を君の自己もろとも絶望のうちにかたく縛りつけてしまうのだ。"
-Seren Kierkegaard-

そしてもしそうだとしたら、もし君が絶望して生きてきたのだとしたら、たとえそのほかの何を君が手に入れ何を失ったとしても、君にとっては一切が失われているのだ、永遠は君の味方をしはしない、永遠は君をかつて知らなかったのだ、それならまだしも、もっと恐ろしいことに、永遠は知られているとおりの君を知っているのだ、永遠は君を君の自己もろとも絶望のうちにかたく縛りつけてしまうのだ。"
-Seren Kierkegaard-

Shape of my heart
色んなことがやっと一段落した。大切な決断に迫られる機会が何度かあったが、こういうとき将来の不確実性について検証したり懸念して考えるのはいかにも無駄なことだ(ということが分かっているにも関わらず、人はそれに対してあれこれ考えたりしてしまうものだが)。将来は霧に包まれて先が見えないから、現在の情報からAよりもB、BよりもCなどと考えても、それぞれの道にはそれぞれのストーリーがあり、結局、一度しかない人生の中でどのストーリーがベストだったかを後発的に検証することなど出来ないし、できたとしたって無駄なことだ。結局、その時々の自分の性向や直感に任せるのが一番なのかもしれない。重要なのは、何を選んだかではなくて、自分がそれを「選択した」という事実そのものであるからだ。「何々を選択した」ことそのものが重要なのではなく、他でもない「自分が」それを選択したという自律性でもって物事に取り組まなければ意味がない。何と言っても、自分の人生なのだから。とは言いつつも、やはり実際には難しい選択もあった。というか、ほとんどの決断が、考えれば考えるほど難しいものだ。しかし、いかに考えた末決めた決断でも、時間が経てばなぜそれを選択したのかわからなくなっているようなことはよくある。どんなに自分が悩んでいると思っても、そのときに考えていたことなんて大したものではなかったりする。「決断力」などという言葉があるように、迅速な意思決定がポジティブな評価を受けるのは、結局、慎重な意思決定も早計な意思決定も、結果的にはそんなに変わらないからかもしれない。
映画「LEON」を観た。シンプルで、何度観ても良い。この時代のニューヨークはいいなと思う。最近はアメリカにも少し興味を持ち始めてきた。街も、国も、人も、成熟に向かって邁進する割には、成熟してしまうとつまらなくなるから不思議だ。
最期にStingの”Shape of my heart”という曲が流れるがこれまた良い。映画の全てがこのラストの、この曲の冒頭部分のためにあるかのような素晴らしいラストだ。植えた木の緑とウォールストリートとのコントラスト。シンプルな人生というのはストーリー性を持ち、いいストーリーというものは永続性のあるものだ。自分も、ストーリーのある人生を歩みたいと思う。陳腐な昼ドラっぽいシナリオや低俗な上昇信仰にはさらさらうんざりで、自分らしいストーリーを綴っていきたい。
映画「LEON」を観た。シンプルで、何度観ても良い。この時代のニューヨークはいいなと思う。最近はアメリカにも少し興味を持ち始めてきた。街も、国も、人も、成熟に向かって邁進する割には、成熟してしまうとつまらなくなるから不思議だ。
最期にStingの”Shape of my heart”という曲が流れるがこれまた良い。映画の全てがこのラストの、この曲の冒頭部分のためにあるかのような素晴らしいラストだ。植えた木の緑とウォールストリートとのコントラスト。シンプルな人生というのはストーリー性を持ち、いいストーリーというものは永続性のあるものだ。自分も、ストーリーのある人生を歩みたいと思う。陳腐な昼ドラっぽいシナリオや低俗な上昇信仰にはさらさらうんざりで、自分らしいストーリーを綴っていきたい。
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1. 常に前を向いて、前傾姿勢で進んでいこう。今の場所で、立ち止まったところで何もならない。
2. 以前の柵を忘れよう。過去の価値観に捕われていても仕方がない。
3. できることを全てやろう。中途半端は意味がない。
4. 自分を規定するのはやめよう。僕は何にだってなれる。
5. 徹底的に追求しよう。誰にも負けない圧倒的な力を身に付けるために。
2. 以前の柵を忘れよう。過去の価値観に捕われていても仕方がない。
3. できることを全てやろう。中途半端は意味がない。
4. 自分を規定するのはやめよう。僕は何にだってなれる。
5. 徹底的に追求しよう。誰にも負けない圧倒的な力を身に付けるために。
QUAKE
久しぶりに更新。最近のことを書こうかと思ったが、自分の近況などをぶっ飛ばすほどの地震が起きたので、そんなことはどうでもよくなった。
最初に地震の報道を聞いたとき、マグニチュード8.8と聞いて、とうとう危惧されていた大地震が起きたのだと思った(海外メディアのCMT解では当初から9.0と報道されていた)。当日は、死者数20数名ほどしか報道されていなかったが、これが間違いないなく歴史的な規模の地震であることは明らかだったので、総被害の1%にも満たない状況把握であることは容易に想像された。歴史上最大規模の地震は1960年のチリ地震でマグニチュード9.5と言われているが、去年のチリ地震ではマグニチュード8.8で、地球の自転速度が変わったり、地殻の隆起からチリの国土面積が増えたりしていた。チリだからこそ、被害者は1000人に満たなかったが、その規模の地震が日本で起これば被害者数は確実に万単位になることは必須だった。そこまで冷静に考えてから、緊急事態的なニュース報道を見ていると、なんだか妙な気分に陥った。
今まで、スマトラやチリ、ハイチやアイスランドで自然災害が起こったときも、客観的に自然災害について思いを馳せる以上の心境の変化は自分の中で起こらなかった。自然災害は不可避のものだし、誰の責任でもない。起こってしまえば、それがその人の寿命だと、そんな風に思っていた。実際、自然災害で死ぬことと、交通事故で死ぬことの間に、大きな差異を見いだすことなどできなかった。
しかし、今回の災害で陥った妙な気分をどう説明すれば良いだろうか。僕の中では、今までのように、客観的に処理できる事象のはずだった。僕の周りでは被害はなかったし、関東の知り合いに関しても、コンタクトを取った人は全員無事だった。東京や横浜の直接被害は大きなものではないし、放射線による二次災害もメディアで騒がれているほどのものではないだろう(基本的に今回のことに関しては、英米メディアの報道はセンセーショナルすぎるように感じる。それに牽引されて、日本の政府や当該者が何か重要事実を隠蔽しているかのような疑惑を呈しているが、あの程度の放射線量で被曝したところで身体的な影響や癌との因果関係は科学的に実証されていないし、彼らが"Worst scenario"と呼ぶメルトダウンが起こったとしても、半径30kmのevacuation zoneに入らない限り基本的に問題ない。チェルノブイリの時も、爆発が起こり放射性物質が上空500kmくらいまで拡散したらしいが、実害が出たのは30kmゾーンだけだった。本当に危険なのは数百Svからで、ミリとかマイクロの単位では身体的に対する影響のいかなる証拠もない。汚染された物質を摂取するなどの内部被曝を避ければ、都市圏での被害はほとんど皆無だと言えるだろう。アメリカやフランスのように、日本在住の外国人に避難勧告を出すなどやりすぎの対応だ、アイスランドが噴火して硫黄や一酸化炭素をヨーロッパ中にまき散らしたときでさえ、誰もヨーロッパの終焉だなどと騒がなかったにもかかわらず。そんなことより、東北地域の直接被害の方がよっぽど深刻であり、SF的なGE製の老朽化した原発施設(それも、最新のものに変えようとしていたところ、原発反対団体に阻害され、なかなか施設を建て替えられなかったらしい)の後処理よりも、人的救助のほうがずっと重要であり、報道すべき内容ではないだろうか)。
このように状況を俯瞰しながらも、僕は妙に悲しく、妙にいたたまれない心境に陥り、地震について軽率なことを言っている連中に妙に腹が立っていた。今まで、日本という国に対して帰属意識を持ったことなどなかったし、東北の人間に対する思い入れが南米の人間に対するそれに比べて大きく異なっているとは思っていなかったにも関わらず、妙に主体的に今回の事件をとらえている自分がいた。この一週間、この気持ちを説明することは極めて難しかった。むずがゆいような、かゆくていたいような心境が続いた。自分がそのことに関して無関係でいることに罪悪感のようなものを感じ、まるで自分の境遇を案じるかのように、最新の動向をチェックし続けた。
この感情は、災害そのものというより、ここ数ヶ月の僕の心境の変化に起因する。ここ数ヶ月の間、様々な変化が自分の内外であり、心臓にプロボクサーのストレートを何度も入れられるような思いがした。鉄の心臓だと思っていた自分の心臓も、一発一発殴られるたびにひどく弱まり、ぼこぼこの奇形になっていった。揺るぎないと思っていたものの融解、堅牢だと思っていた基盤の瓦解、大切にしていたもの喪失。ここ数ヶ月の間に、自分の内部的環境が変わっただけではなく、外部的環境も同時に大きく変わってしまった(そして、そのすべては僕自らが引き起こしたものだ)。僕から見える世界はまた一層色彩を変えて表れ、それは以前のように夢見がちな青年の美しいだけの桃源郷でも、怜悧なニヒリストの頽廃とした世界でもなく、極めて現実的で、凡庸なものとなった。自分はいかにもありふれた人間であり、ただ人より少し優秀であるに過ぎないと、妙な納得感を持って感じるようになった。自分が立脚していたものがなくなれば、自分は何者でもなくなるのだ。
これからのことを考える。これから僕はますます凡庸になり、ますます誰もが歩むことのできる道を歩んでいくだろう。自分の脳みそを某かの為に効率的に使い、そのためだけために使い、現状の世界や存在そのものに懐疑的な思いなど持たなくなってゆくだろう。存分に苦しんだと思っていたし、苦しみこそが人間の人格を形成するといった考えは、ただの驕りに過ぎなかった。苦しみに悲しみの主題が混ざり込み、音のない嗚咽、実体のない涙、消え失せつつある自我とともに僕は生きていくだろう。そこにも、一陣の希望はある。しかし、期待は失望の元であり、希望は喪失されるものであることを、幾度となく実証されてきた今、そのような希望に縋って生きていくことは出来ない。冷然と生きていくしかないのだ。
最初に地震の報道を聞いたとき、マグニチュード8.8と聞いて、とうとう危惧されていた大地震が起きたのだと思った(海外メディアのCMT解では当初から9.0と報道されていた)。当日は、死者数20数名ほどしか報道されていなかったが、これが間違いないなく歴史的な規模の地震であることは明らかだったので、総被害の1%にも満たない状況把握であることは容易に想像された。歴史上最大規模の地震は1960年のチリ地震でマグニチュード9.5と言われているが、去年のチリ地震ではマグニチュード8.8で、地球の自転速度が変わったり、地殻の隆起からチリの国土面積が増えたりしていた。チリだからこそ、被害者は1000人に満たなかったが、その規模の地震が日本で起これば被害者数は確実に万単位になることは必須だった。そこまで冷静に考えてから、緊急事態的なニュース報道を見ていると、なんだか妙な気分に陥った。
今まで、スマトラやチリ、ハイチやアイスランドで自然災害が起こったときも、客観的に自然災害について思いを馳せる以上の心境の変化は自分の中で起こらなかった。自然災害は不可避のものだし、誰の責任でもない。起こってしまえば、それがその人の寿命だと、そんな風に思っていた。実際、自然災害で死ぬことと、交通事故で死ぬことの間に、大きな差異を見いだすことなどできなかった。
しかし、今回の災害で陥った妙な気分をどう説明すれば良いだろうか。僕の中では、今までのように、客観的に処理できる事象のはずだった。僕の周りでは被害はなかったし、関東の知り合いに関しても、コンタクトを取った人は全員無事だった。東京や横浜の直接被害は大きなものではないし、放射線による二次災害もメディアで騒がれているほどのものではないだろう(基本的に今回のことに関しては、英米メディアの報道はセンセーショナルすぎるように感じる。それに牽引されて、日本の政府や当該者が何か重要事実を隠蔽しているかのような疑惑を呈しているが、あの程度の放射線量で被曝したところで身体的な影響や癌との因果関係は科学的に実証されていないし、彼らが"Worst scenario"と呼ぶメルトダウンが起こったとしても、半径30kmのevacuation zoneに入らない限り基本的に問題ない。チェルノブイリの時も、爆発が起こり放射性物質が上空500kmくらいまで拡散したらしいが、実害が出たのは30kmゾーンだけだった。本当に危険なのは数百Svからで、ミリとかマイクロの単位では身体的に対する影響のいかなる証拠もない。汚染された物質を摂取するなどの内部被曝を避ければ、都市圏での被害はほとんど皆無だと言えるだろう。アメリカやフランスのように、日本在住の外国人に避難勧告を出すなどやりすぎの対応だ、アイスランドが噴火して硫黄や一酸化炭素をヨーロッパ中にまき散らしたときでさえ、誰もヨーロッパの終焉だなどと騒がなかったにもかかわらず。そんなことより、東北地域の直接被害の方がよっぽど深刻であり、SF的なGE製の老朽化した原発施設(それも、最新のものに変えようとしていたところ、原発反対団体に阻害され、なかなか施設を建て替えられなかったらしい)の後処理よりも、人的救助のほうがずっと重要であり、報道すべき内容ではないだろうか)。
このように状況を俯瞰しながらも、僕は妙に悲しく、妙にいたたまれない心境に陥り、地震について軽率なことを言っている連中に妙に腹が立っていた。今まで、日本という国に対して帰属意識を持ったことなどなかったし、東北の人間に対する思い入れが南米の人間に対するそれに比べて大きく異なっているとは思っていなかったにも関わらず、妙に主体的に今回の事件をとらえている自分がいた。この一週間、この気持ちを説明することは極めて難しかった。むずがゆいような、かゆくていたいような心境が続いた。自分がそのことに関して無関係でいることに罪悪感のようなものを感じ、まるで自分の境遇を案じるかのように、最新の動向をチェックし続けた。
この感情は、災害そのものというより、ここ数ヶ月の僕の心境の変化に起因する。ここ数ヶ月の間、様々な変化が自分の内外であり、心臓にプロボクサーのストレートを何度も入れられるような思いがした。鉄の心臓だと思っていた自分の心臓も、一発一発殴られるたびにひどく弱まり、ぼこぼこの奇形になっていった。揺るぎないと思っていたものの融解、堅牢だと思っていた基盤の瓦解、大切にしていたもの喪失。ここ数ヶ月の間に、自分の内部的環境が変わっただけではなく、外部的環境も同時に大きく変わってしまった(そして、そのすべては僕自らが引き起こしたものだ)。僕から見える世界はまた一層色彩を変えて表れ、それは以前のように夢見がちな青年の美しいだけの桃源郷でも、怜悧なニヒリストの頽廃とした世界でもなく、極めて現実的で、凡庸なものとなった。自分はいかにもありふれた人間であり、ただ人より少し優秀であるに過ぎないと、妙な納得感を持って感じるようになった。自分が立脚していたものがなくなれば、自分は何者でもなくなるのだ。
これからのことを考える。これから僕はますます凡庸になり、ますます誰もが歩むことのできる道を歩んでいくだろう。自分の脳みそを某かの為に効率的に使い、そのためだけために使い、現状の世界や存在そのものに懐疑的な思いなど持たなくなってゆくだろう。存分に苦しんだと思っていたし、苦しみこそが人間の人格を形成するといった考えは、ただの驕りに過ぎなかった。苦しみに悲しみの主題が混ざり込み、音のない嗚咽、実体のない涙、消え失せつつある自我とともに僕は生きていくだろう。そこにも、一陣の希望はある。しかし、期待は失望の元であり、希望は喪失されるものであることを、幾度となく実証されてきた今、そのような希望に縋って生きていくことは出来ない。冷然と生きていくしかないのだ。
本
また引っ越すことになった。大学に入ってから、数えてみるともう7回くらい引越しをしているが、相変わらず荷物がに多くて困る。中でも本が一番重くて運びづらいのだが、僕の場合どんなにつまらない本でも捨てる気にはなれず、どうやって処分すればいいのかわからない。パソコン等の電気製品と違って、売ったところで微々たるものにしかならないことは分かっているし、人にあげるものでもないし、かと言ってゴミ箱に入れるのはなんだか本と、その中に入っている思想や感情を殺しているような気分になる。というわけで、僕の部屋には本が溜まる一方だ。ボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」の中で、主人公は本をプレスにかけて廃棄する仕事に従事しているが、気に入った本があれば家に持ち帰り、ひたすら本を溜めていると、ベットの横に積み上げられた本は天井にまで達し、いつかこの本の塔が崩壊して寝ている自分を埋め殺すのだ、と夢想しているシーンがある。プレスする表面に並べる本のレイアウトを考えたり、この主人公の本という媒体に持つ愛着には共感を覚えるところがある。僕の所有している本も、せいぜい1000冊くらいのものであり、デジタル化すればそれこそ数百円のSDカードにすっぽり収まってしまうものなのだろうけど、そうしたくない自分がいる。本は自分にとって、一元的な生からの逃避であり、解放である。本を開けばいつでも現実から開放される。そして、ロマン主義的な18世紀小説の世界は、現代化された目前の世界よりもずっと美しく、素晴らしい。
Shift
最近、いろいろとあった。また環境ががらっと変わる。人生は時に予期せぬパラダイムシフトが突発的に起こるが、ここ2ヶ月くらいそれが立て続けに起こった。自分の内部で起こったその転換過程を、妙なことに客観的に感じることができた。以前の世界観が色褪せていくのを、枯葉が散るように眺めることができた。哀愁や懐古、悔恨を感じたが、同時に新しい世界の色彩に期待を感じたりもした。どのみち以前の価値観も、生活も、変えていかなければならない時期にある。また、一からやり直しだ。
Soren Kierkegaard
「夜は静まりかえっているー時刻は十一時四十五分だー市門にたむろする憲兵が市外に向かって祝福のラッパを吹き鳴らす、ブライダムからその反響が返ってくるー憲兵は門から市内へはいるーもう一度ラッパを吹く、するとはるかな遠方から反響が返ってくる。ーすべてが平安のなかに眠っているが、愛だけは眠っていない。では起きあがれ、愛のひめられた威力よ、この胸のなかに集まれ! 夜は沈黙しているーたった一羽の鳥が、霧のおりた野をかすめて斜堤に沿って下っていきながら、鳴き声と羽ばたきによってこの沈黙を破る。この鳥もきっとあいびきに急いでいくのだーアクキピオ・オメン!(私はそれを前兆だと思う)ーなんと全自然が前兆に満ちていることか!ぼくにとっては鳥の飛翔も、その鳴き声も、魚がはしゃいで水面を打つのも、深みへもぐっていくのも、犬の遠吠えも、遠くで馬車の走る音も、遠くから反響する足音も、すべて前兆に満ちている。僕はこの夜の時刻に亡霊を見ない、かつてあったものを見ない、ただ来るべきものを見るのだ、湖の胸のなかにも、霧の接吻のなかにも、大地の上にひろがって、大地の実りをもたらす抱擁を覆い隠す霧の中にも。いっさいが象徴なのだ、ぼく自身が自分自身の神話なのだ。ぼくがこの出会いのために急いでいくということは、神話のようではないか? ぼくがだれであるかは、どうでもいいことだ。有限で時間的ないっさいのものは忘れられ、残っているのはただ永遠のもの、愛の威力、愛のあこがれ、愛の至福だ。ーなんとぼくの魂は弦を張られた弓のように緊張していることか、なんともろもろの思想は矢のように用意よくぼくのえびらに並んでいることか。それは毒こそぬられてはいないが、血ぬられるにはまことに適した矢なのだ。ぼくの魂はなんと力強く、すこやかで、楽しく、神のように現前的であることか。ー彼女は自然のままで美しかった。ぼくは感謝する、驚嘆にあたいする自然よ!あなたは母親のように彼女を見守った。あなたの注意深さに感謝しよう!彼女は天性をそこなわれてはいない。ぼくは、彼女にそういう恩恵を与えた人間たち諸君に感謝する。彼女の発達は僕の業だったーまもなくぼくは自分の報酬を享受するのだ。ーどれだけ多くのものをぼくは、いま迫っているこの一瞬間のなかに集めたことだろう。この一瞬間を逃すなどとは、とんでもない!
まだぼくの馬車は見えない。ー鞭の音が聞こえる、あれはぼくの御者だ。ー生死をかけてつっ走れ、たとえ馬が倒れてもかまわない、一秒でも目的地に着く前でさえなければ。」
まだぼくの馬車は見えない。ー鞭の音が聞こえる、あれはぼくの御者だ。ー生死をかけてつっ走れ、たとえ馬が倒れてもかまわない、一秒でも目的地に着く前でさえなければ。」
525600
「RENT」という映画を観た。"Season of love"という曲が入っているミュージカル映画。ボヘミアンなニューヨークのアーティストたちが繰り広げる一年。内容は下らなかったが、曲はやはり良かった。
この一年、自分はほとんど成長しなかったと思う。大きな困難や苦労があるわけではなく、ほとんどが慣性的な日常の中に埋没していた日々だった。僕は、幸福なだけの人生を歩みたいわけではないし、楽しければそれでいいとも思っていない。出世主義の渦中にいて充足感が得られるわけでもなければ、学者として名を残すことに格別の意味を感じるわけでもない。自分は自分として生きていきたいが、そんな単純なことすら肩書きなしには達成できない。他人の当てこすりの価値ではなく、自分の価値観で生きていくだけのことなのに、そんな簡単なことすら容易にできない。
ときどき、自分がどうしようもない破壊精神の持ち主だと思うことがある。自分に満足したことがなく、社会に満足したことがなく、世界に満足したことがない。平穏な日常をぶち壊して、自分自身をぶん殴ってレイプしたくなるときがある。僕の人生は、内在する破壊主義者との内なる闘争がほとんどの葛藤の根底を表している。排除したと思ったら、気づいたらまた支配され、誰も到達できない深い闇の中にいる自分を発見する。それは僕自信の闇であり、誰も到達することのできない虚無だ。虚無を知っているからこそ、現実世界の何事をも畏れることはない、僕が一番畏れているのは、僕自身の内部だからだ。自分から自由を奪うのは自分自身だし、自分を殺すのも自分だ。病気、事故、寿命、こういったありふれた事由から死んでいく人たちは、なんて幸福なんだろうと思う。物語のようなありふれた人生を夢見ても、僕はそれを歩んでいけるような人間ではない。
この一年、自分はほとんど成長しなかったと思う。大きな困難や苦労があるわけではなく、ほとんどが慣性的な日常の中に埋没していた日々だった。僕は、幸福なだけの人生を歩みたいわけではないし、楽しければそれでいいとも思っていない。出世主義の渦中にいて充足感が得られるわけでもなければ、学者として名を残すことに格別の意味を感じるわけでもない。自分は自分として生きていきたいが、そんな単純なことすら肩書きなしには達成できない。他人の当てこすりの価値ではなく、自分の価値観で生きていくだけのことなのに、そんな簡単なことすら容易にできない。
ときどき、自分がどうしようもない破壊精神の持ち主だと思うことがある。自分に満足したことがなく、社会に満足したことがなく、世界に満足したことがない。平穏な日常をぶち壊して、自分自身をぶん殴ってレイプしたくなるときがある。僕の人生は、内在する破壊主義者との内なる闘争がほとんどの葛藤の根底を表している。排除したと思ったら、気づいたらまた支配され、誰も到達できない深い闇の中にいる自分を発見する。それは僕自信の闇であり、誰も到達することのできない虚無だ。虚無を知っているからこそ、現実世界の何事をも畏れることはない、僕が一番畏れているのは、僕自身の内部だからだ。自分から自由を奪うのは自分自身だし、自分を殺すのも自分だ。病気、事故、寿命、こういったありふれた事由から死んでいく人たちは、なんて幸福なんだろうと思う。物語のようなありふれた人生を夢見ても、僕はそれを歩んでいけるような人間ではない。
12月
もう12月。年末だと考えると去年からもう一年が過ぎたのだと感じる。この一年で、自分はほとんど成長しなかった、というかほとんど変わらなかったように思う。日本にいるのも疲れてきた。どこか中央アジアのような何もないところに行きたい(というか、人がいないところに行きたい)。
10代くらいの頃までは、自分の人生で金も権力もいらないと思っていた。実際に、自分の人生だけを
10代くらいの頃までは、自分の人生で金も権力もいらないと思っていた。実際に、自分の人生だけを

