Memento -3ページ目

Would you like you, if you met you?

2014年。時間は軸を失ったかのように揺らめきながら過ぎていく。もう最後の更新から1年半が経つというのに、気が付けばこのブログの訪問者は最も頻繁に更新していた時よりも増えているから不思議だ。

気が付けば、忙しなく働く日々が積み重なり、年単位で時間が過ぎている。仕事はどちらかと言えば、好きな方だと思う。仕事そのものが面白い訳ではないが、仕事がないときの苦痛に比べると忙しいのは良いことだ。しかし、僕は本当にこんなことをやりたかったのだろうか。こんな普通の人生を、俗世的な小さな成功を追い求めて生きてきたのだろうか。

ここしばらくは、仕事しかしていない。旅行に行くことも、写真を撮ることも、音楽を聴くことも、本を読むこともなくなった。新聞を読んだりニュースを追ったり、日々の会議や作業でそんな精神的余裕はない。だからと言って、自分が限界まで働いているとは思わないし、この状態を今すぐに変えようとも思っていない。これ以上働けないとも思わない。ただ、あと何年かはこういった生活が続くだろうと思うと鬱蒼とした気分になる。

不思議なことに、自分の過去のエントリーを読んでいると、本を読んだり音楽を聴きたくなってくる。それらの文章は、もはや自分が書いたものとは思えなくなってきている。以前は、過去のエントリーを読んでも程度が低いとか馬鹿らしいとしか思えなかった。今は、自分はこんなことを考えていたのかと興味深く読んでいる。そのくらい僕は変わったのだろうし、過去の文章を興味深く読むくらいに自分は詰まらない人間になったということだろう。以前仲良かった友達とも、段々と話が合わなくなってきている。元々友達らしい友達も数えるほどしかいなかった僕は、また孤独な存在となった。孤独になりたかったのかもしれないし、自分を変えなければ今の環境に適応できなかったのかもしれない。いずれにせよ、僕は今の自分を歓迎していない。けれど、僕に何ができるだろう。少なくともあと数年は今の状況が続くのだ。

"Would you like you, if you met you?"という言葉がふと目にとまる。第三者として見たときに、今の自分を好きになるようなことはないだろうなと思う。また、今の自分を好きになるような人を、僕は好きにならないだろう。それもこれも仕方のないことだし、分かっていたことなのだが、時々過去を思い出すと、あの頃の延長線上に今があるのが信じられないような気分になる。軸を失った時間は非連続となり、キッチュな自分を再生産していくだろう。

暑中につれづれと

時間ができたので久々の更新。僕は今銀座の外れの公園の前のマンションに住んでいるが、今日はその公園で盆踊りが催されている。そんなに大きな公園ではないのだが、人がみっしり押し寄せ、太鼓を囲んで踊っている。改めて部屋から見ると(こんなことを書くと特定されそうだが、僕の部屋は10階で、窓が公園に面している)、日本の文化って興味深いなと思う。踊りの主題もよくわからないし、みんなでぐるぐる回りながら、水槽の金魚のように一様に踊る、それがしかも仏教に根ざしていて、死者の供養のためにやっていると思うとなんとも異様な風景だ。しばらく見ていると、スリランカに行った時、悪魔祓いのファイヤーダンスを見たのを思い出した。その時も、今と同じような神妙な心境になった。悪魔祓いは、文化人類学では原初的な文明として捉えられているが、仏教国である日本の文化にも深く根ざしているのだろう。普段家の周りを歩いていても高級ブランドショップや小洒落たレストランなどしかないので、こういう地域密着的な催しがあると、なんとも新鮮で、癒される心地がする。

最近、人間の魅力とは何なのだろうかと思うときがある。東京に来てから、金の臭いがぷんぷんして、むしろそれ以外何も連想させるものがないような、俗っぽい人間が理想とするであろう金持ちに日々出会っている。ビジネスで成功した人間の志向性は皆一様で、趣味といえばゴルフ、暇があれば会食、ときどきキャバクラや風俗など、皆同じ事を繰り返しており、その路線に乗れない人間は失敗者として舞台から引きずり降ろされる。よくよく考えると(よくよく考えるまでもなく)、僕は別に金持ちになりたいわけでも、エリートビジネスマンになりたいわけでもないのだと思う。金を持っていると容易に、綺麗に着飾ることや美容に金を投資することができるが、いわゆるLouis VuittonやCartierの店内にいるような人間に魅力を感じたことはほとんどないし、そういったものを身に纏った男になりたいと思ったこともない。金をかけた美というものは、一つの完成した統一へと向かう競歩であるが、人間の魅力というものはその画一性や統一性というよりは、その垢抜けなさ、完成からの偏りであるのではないかと思うようになった。人の顔を取ってみても、完璧に整合のとれた顔立ちというのはまったく魅力がないばかりか、非人間的な特徴を呈するだろう。同時に、態度や立ち振舞にしても、一つの理想とされる型があって、そこからの逸脱が、逸脱による恥じらいや不遜さなどの特徴が、人の魅力を形作る(逆に完璧に理想と同一の所作というものは、機械然としており人間的な魅力に欠けるものとなるであろう)。会社でゴミのように働かされつつも、クンデラやプルーストを読む、その逸脱こそに僕の自分らしさがあり、僕としての人生を生きる意味があるのかもしれない、と思うようになった。僕は金持ちになりたいのではなく、本質的な意味で魅力的な人間になりたいのだ。

また、仕事の内容には満足しているし、待遇や環境も悪くはないと思っているが、同時にずっと今のままでいることもないのだろうなと思い始めた。色々なことを知れば知るほど、仕事というものは何らかの特別な才能や能力が必要なものではなく、ある程度の頭脳と才覚の持ち主が、機を辨えて経験を積めば当たり前に一人前にできるようになるものだと思う。一通り学んで、一人前になったと思ったら、僕がこの仕事を続けることも、今の環境に身を置いていることも、何の意味もなくなるだろう。僕はいつからか、今の自分の境遇を当然の前提として想定することを辞め、ある種の蓋然性の中で自身の現在を捉えるようになった。つまり、僕が今こんな人生を歩んでいるのも、こういった境遇にいるのも、この時代のこの世界(場所・環境)に生まれ育ったからであって、そうでなければまったく別の生き方をしただろうと思っている。そして僕は、今の条件の中で、なるべく多くの世界を見て、経験して、意味のある人生を送りたいと思っている。以前物理の世界が未知だったように、ビジネスの世界は、僕には完全な新世界だった。最初に新しい世界に飛び込んだときは、初めて訪れる異国の地に赴くときのように何もかもが目新しく、興味深い。しかし、その国でしばらく滞在していると、すべてが日常と化してしまい、何の目新しさも、新しい発見も、興味深さもなくなってしまう。そうなったときは、次の目的地に出発するときだ。次にどこに行くのかはわからないし、いつ今の場所が形骸化してしまうかも分からないが、先がわからないからこそ旅行というのは楽しいものである。結局、僕はずっと旅行していたいのだ。ある場所に定着するということができない、遊牧民的性格の持ち主なのかもしれない(それを良いとも悪いとも思わないのは、自分で変えれる部分でもないからである)。

3ヶ月

久々の更新。東京に来て、約3ヶ月が経過した。今や、京都での幸福な生活が何年も前のことのように思われる。そう、僕は幸福だったのだ。京都での暖かい空気に抱擁され、時代の流れに左右されないやんわりとした時間の中で、大切な人に囲まれていた。こちらでの生活は、今までの学生時代に比べ随分華やかになったし、生活水準もずっと良くなっているが、そんなことは僕に取ってはどうだっていいことだろう。東京に来て思うことは、あまりに多くの人間が標準化され、一般化され、同じ価値観の中で競い合っているということだ。偏狭で小さな価値観の中であまりに多くの人が犇めき合っているので、多くの人は似たり寄ったりで、心から面白いと思えたり、尊敬できるようなような人がほとんどいない。得にサラリーマンという部類の人間はみんな同じ類型に属しており、金が好きで、頭が悪く、感性が乏しいために暇があればカラオケや合コンや風俗に行っている。カラオケも合コンも風俗も全く興味がない僕としては、ゴミのように働いて稼いだ金をそんな無為のために湯水のように使う感覚が理解できない。ほとんどのサラリーマンなんて、短絡思考で異性にモテることしか眼中になく、そのために金を稼ぎ、昇給を目指し、少しでもいい服を着ようと躍起になっている。そういった虚しい闘争の果てには、たとえ勝者となったとしても、結局何も残らない(ほとんどの人間は敗者として固唾を飲んでいる、ルサンチマンの塊であるのだが)。考えも、信念も、固有性も何もないそういった人間に囲まれながら、僕はセコセコと仕事をしている。軍隊のように、従順で脳味噌を使わない人間が重宝されるのがビジネスの世界だ(少し思いを巡らせて生きる意味なんかを瞑想し始める奴は敗北者なのだ)。僕は、それでも吸収できるものを最大限に吸収して、早く東京なんかから出ていきたいと思う。こんなところで偉くなってのさばっていても、何の意味もないからだ。

引っ越し・ベビーシッター・権力主義

京都から東京に引っ越しをした。日本にいるとどうしてこんなに忙しいのかと思うくらいやるべきことが山積みだ。荷物をまとめて送り、電気・ガス・水道・ネットの契約を解除して京都の家を引き払い、東京の家の賃貸契約を済ませ、京都の役所に転出届けを出し、東京の役所に転入届を出し、郵便局に転送届けを出し、東京の役所で印鑑登録を作成し、電気・ガス・水道・ネットの契約を済ませ、荷物を搬入し、ベッド・机・本棚を購入し組み立て、生活用品を買い直し、銀行で口座を開設し、既存の口座の住所変更をし、会社指定のTOEICを受け、国民年金手帳を作成する、というのを3日くらいでやった。ようやく住みはじめることができるようになって、また今度は京都に戻ってきて研究室の片付けをしながら今に至るという具合である(これから投稿論文を書くなんて思うと頭が重い。今やそんなものどうでもよくなってしまった)。

最近、というかここ1年半くらいベビーシッターのアルバイトをしていて、今日最後の訪問をしてきた。アルバイトと言っても子供と遊ぶだけの簡単なものだが、フランス人の男の子2人(10歳と5歳)なのでなかなかやんちゃで一筋縄ではいかなかった。大体、月に2回くらい行っていたのだが、僕は子供が好きでもないのになぜか非常に懐かれるようになり、夫妻にも非常に良くしてもらった。そこの旦那さんはいかにもフランス上流階級といった雰囲気のジェントルマンで、フランスの領事館で働いているのだが、なぜか副業でピアニストとソムリエもやっていて、京都の文化振興のためにしょっちゅうフランスから著名なピアニストやらヴァイオリニストを招待してコンサートをしていた。その度毎に接待で奥さんも外出しなければならないので、その折に僕が呼ばれるといった感じだった(奥さんも、一応プロのピアニストだった。二人はパリ国立音大で出会い、主席で卒業したらしい。今はDUOで活動していて、何枚かCDも出していた)。下鴨の一等地にある、トイレが4つ、風呂が2つ、リビングが30帖くらいある大きな家に家族4人で住んでいたが、家にはグランドピアノとアップライトピアノ、ヴァイオリンやらアンプやら楽器がたくさんあった。旦那さんは非常に華奢で、名前から推測するにロシア系かポーランド系のフランス人だが、身長は175cmくらいあるのに体重は46kgという骸骨のような男だった。僕がぶん殴ったら顎が粉砕しそうだったが、性格的には我が強く、意思も屈強な印象だ。一応プロのソムリエなので、よくベビーシッター後にはフランスから持ち帰ってきた美味しいワインを御馳走してくれた(「このワインはラングドック地方の石灰岩の香りが豊穣でうんたらかんたら‥」などと毎回解説されたが、僕は石灰岩なんてどうでもよくただ「美味しいですね」とひたすらがぶがぶ飲んでいた)。日本には1年半くらい前に来て、あと半年くらいでパリに帰るらしい(パリにはこれまた大きな家があるとか)。下の子は最初はフランス語しか話せなかったのに、今では漢字の練習をしているくらいだから驚きだ。時折勉強も見たりしたが、5歳くらいでも既に才能の有無が明瞭に見て取れた(大体、大人でも子供でも、集中力のない人間は何をやっても駄目だ)。上流階級のブルジョワの割には変に気兼ねすることもなく、僕にも非常に良くしてくれたので、気持ち良く最後の訪問も終えた(「またパリでお会いしましょう」と、パリが関西圏にあるかのような言い方をしていた)。

家が広いので、何度かホームパーティーやホームコンサートもしていたが、偉い人が来るからとかいうことでそういう時も僕が呼ばれて子供の面倒を見ていた。著名らしいヴァイオリニストやチェリストなどが何人か来ていたが、そういう機会に何度か立ち会ってみて思ったことは、結局音楽の世界も政治的な臭いがぷんぷんするということだった。才能があっても、プロモーションしてもらって有名になるためには結局コネクションが必要であり、そのコネクションのために毎晩毎夜接待したりパーティーやコンサートに参加したりと政治家のような生活をしていた。会社勤めの人間に対して、上司に頭を下げ、ビジネスコネクションのために躍起になっているみじめな存在という印象を持っていたが、それは芸術家でも同じなのだと思うと少し虚しい気分になった。権力構造はどのような世界にも存在しているし、その中での力学原理は極めて単純なものだ。そして、そういう外部環境に一喜一憂したり、左右される人生というのは最期までみじめなものだろう。自分一人でも生きていけるだけの力を身につけないと意味がないのだ。他人に頼ったり、組織に頼っていても始まらない。自分の人生を、自分の力で生きていかなければならないのだろうという、当たり前のことを、帰りながら思った。権力は、行使するためのものであって、そのために何かを犠牲にするとすれば本末転倒だからだ。少なくとも僕は、そういった卑小な生き方はしたくないなと思う。ゴミみたいな奴にヘコヘコするなんて、真っ平御免だ。

Cien años de soledad

ガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んだ。マコンドで繰り返される万華鏡のようなおとぎ話。常軌を逸したブエンディア一家を軸に、百年における栄衰を描いた物語。こんな小説があるのか、というのが率直な感想だ。ブエンディアの子孫たちが傍若無人ぶりがものの見事に世間を騒がしていくのだが、どんな栄華にもどこか無常感が漂っており、人間存在の根本的孤独を感じさせる。「百年の孤独」はまた、恋愛小説であり、それ故に恋愛の本質である孤独が浮き彫りにされている。人間はどんなに人を愛したり一緒に過ごしたりしても、畢竟孤独な存在なのだということが印象づけられる。ヒマラヤをトレッキング中に読んだので、マコンドでの悲惨な生活にもその孤独感にも感情移入しやすかったのかもしれない。ガルシア・マルケスの小説は、得てして常識では考えられない常軌を逸した事態が度々起こるのだが、それらの奇怪な出来事一つ一つに何の違和感も感じず読み進めていけるあたりにその妙があると思う。支離滅裂な出来事の連鎖は、いわゆるよくできた小説のように一つの出来事と次の出来事の因果関係なんて全くないのだが、だからこそガルシア・マルケスの内部から自発的に湧き出てくる物語を噛み締めているような気分になる。そして、そのように紡がれた物語を通して感じられる孤独感・無常感といったものは、人間の生の本質的なものだ。こういう本を読むと、現代のビジネス書やライト・ノベルがいかに無価値であるかがよく分かる(そういう類の本はハリウッド映画と同じで、ただの娯楽や時間潰しでしかなく、人生のいかなる本質も突いていない)。訳が悪いと言われているが、長編の割にはすっと読めた。これも、旅行中の環境だったからかもしれない。10年後くらいに人生をリセットする機会があれば、また読み返してみたい本である。

「このときほどアウレリャノがてきぱきと行動したことはなかった。死人たちやその死にたいする悲しみを忘れて、外からの誘惑にまどわされないように、ふたたび例のフェルナンダの板切れを戸や窓に十字に打ち付けた。メルキアデスの羊皮紙には自分の運命が書き記されていることを知ったのだ。羊皮紙は手つかずのまま、有史以前からはびこる草木や、水蒸気の立ちのぼる水たまりや、人間達が地上に残した跡をことごとく部屋から消し去った光る昆虫などのあいだに見つかったが、明るい場所まで持ちだすような余裕は彼にはなかった。その場で、立ったまま声に出して読み始めた。少しもよどみがなかった。まるで、スペイン語で書かれているものを、真昼の目くらむ光線の下で読んでいるようだった。それはごく些細なことまでふくめて、百年前にメルキアデスによって編まれた一族の歴史だった。その母国語であるサンスクリット語によって記され、偶数行はアウグストゥス帝が私人として用いた暗号で、奇数行はスパルタの軍隊が用いた暗号で組まれていた。アマランタ・ウルスラへの恋に心を乱されだしたころのアウレリャノが、ぼんやりと理解し始めながら最後まで解ききれなかったのは、メルキアデスが人間のありきたりの時間のなかに事実を配列しないで、百年にわたる日々の出来事を圧縮し、すべて一瞬のうちに閉じ込めたためだった。この発見に有頂天になったアウレリャノは、メルキアデス自身がアルカディオに読んで聞かせたことのある教皇回状めいた詠誦―それは実は、アルカディオの銃殺を予言したものだった―を大声で、一字一句もおろそかにせず読んだ。文字どおり昇天することになる世界一の美女の誕生が、そこに予言されているのを見た。無能と移り気だけが理由ではなく、その試みが時期尚早であったために羊皮紙の解読を中途で放棄せざるをえなかった、今は亡きふたごの兄弟の生まれについて知った。ここまで読み進んだとき、自分自身の出生の秘密が知りたくて辛抱できなかったアウレリャノは、いっきに数ページをとばした。すると、過去のさまざまな声や昔のベゴニアのさざめき、激しい郷愁につながる幻滅の吐息などにみちた、生暖かい、かすかな風が吹き起こった。しかし、彼は気づかなかった。折りから彼は、自分の存在の最初のきざしを、結局は幸福になしえなかったが、ひとりの美しい娘を追って目くらむような荒野をさまよう好色な祖父のうちに認めたのだった。アウレリャノはそれをもう一度確かめた上で、隠された血筋をたどっていった。そして、ひとりの職工が反抗のために身をまかせる女を相手に欲望をみたした、ほの暗い浴室に群れる蠍と黄色い蛾のなかでの彼自身の受胎の瞬間に行きあたった。夢中になっていた彼は、二度めに吹き起こった風のすさまじい勢いで、かまちから戸や窓がさらわれ、東側の廊下の天井が落ち、土台が崩れたことにも気づかなかった。彼はそのとき初めて、アマランタ・ウルスラが姉ではなく叔母であることを知った。また、フランシス・ドレイクがリオアチャを襲撃したのは、結局、いりくんだ血筋の迷路のなかでふたりがたがいを探りあて、家系を絶やす運命をになう怪物を産むためだったと悟った。マコンドはすでに、聖書にもあるが怒り狂う暴風のために土埃やがれきがつむじを巻く、廃墟と化していた。知りぬいている事実に時間をついやすのをやめて、アウレリャノは十一ページ分飛ばし、げんに生きている瞬間の解読にかかった。羊皮紙の最後のページを解読しつつある自分を予想しながら、口がきける鏡をのぞいているように、刻々と謎を解いていった。予言の先回りをして、自分が死ぬ日とそのときの様子を調べるために、さらにページをとばした。しかし、最後の行に達するまでもなく、もはやこの部屋から出るときのないことを彼を知っていた。なぜならば、アウレリャノ・バビロニアが羊皮紙の解読を終えたまさにその瞬間に、この鏡の(すなわち蜃気楼の)町は風によってなぎ倒され、人間の記憶から消えることは明らかだったからだ。また、百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機会を持ちえないため、羊皮紙に記されている事柄のいっさいは、過去と未来を問わず、反復の可能性のないことが予想されたからである。」


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帰国

帰国した。何を思ったか突然ヒマラヤに登ろうと思って航空券を取ったのが3週間前。航空券の発券ギリギリのタイミングでネパール行きのチケットを確保した。その後の2週間は死ぬ思いをしながら山を登る日々だった。24年間の人生の中で、それなりに無茶もしてきたが、あそこまで死に近づいたのは始めてだろうと思う。本当に死ぬかもしれないと思ったとき、いつ死んでもいいなんて普段から思っていたにもかかわらず、「こんなところで死にたくない」と本気で思った。そして、日本での普段の何気ない生活がいかに幸福だったかを思い知った。高度のせいで身体が思うように動かず、吐き気と悪寒と下痢と発熱に打ち拉がれたとき、心から泣きたい気持ちになった。それでも僕は登った。ガイドにもう無理だと言われながらも、最後まで登った。5550mからの景色は圧巻だった。登りきったときは、「これでやっと、死んだとしても惨めな死ではないだろう」などと考えていた。下山はあっという間に終わり、高度が下がるにつれ僕の体調も回復していった。今は日本に帰ってきて、熱いシャワーや暖かい食事、綺麗なシーツのベッドにただ感動するばかりである。時間があれば、細かい旅の内容も書きたいが、これからまた少し忙しくなるので時間が取れるかわからない。現地で出会ったガイドはもはや命の恩人レベルで、感謝してもしきれないくらいだが、ヒマラヤのシェルバ族の人々は素朴で良い人たちばかりだった。ある意味、現代の日本とは真逆の純朴さを持っていた。僕は、欺瞞的でも快適な日本の暮らしに馴れてしまった自分を意識せざるを得なかった。それでも、生きて帰って来れたのは良いことだと思う。しばらくは何もやる気が起きないが、4月までにやるべきことはたくさんあるので、少しずつ動き始めなければならない。

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終わり

色々なことが終わりつつある。何かが終わって何か新しい萌芽が感じられるときは、期待感で満たされたような気分になる。今までの僕の人生を鑑みると、一つの場所には固定されず、常に新しい場所・新しい分野・新しい環境を求めているように思う。自分が慣れている領域で偉そうにしているよりは、未知の領域に踏み込んだ方がずっと得られるものは多いし、刺激的で愉しい(その分、みじめな思いをすることも多い)。大学院で地球物理の研究をするなんて、3年くらい前には全く考えていなかった。本当に何も知らないところから始めて苦労したし、今後の人生で必ずしも役に立つものばかりではなかったが、それでもやってよかったと思う。社会人になることに関しても、個人的に特に拘りはない。エリートコースを駆け上がることなんて全く興味はないし(というか、もはやそんな時代ではないだろう)、単純に僕はビジネスのことなんて何も知らないからやってみようと思っただけだ(そして、もちろん働くからにはちゃんと稼がなければ意味がない)。いつも思うことだが、慢性的にだらだらと生きていても何の意味もない。挑戦し続けるものがなければ、人生はいかにも無味乾燥したものになるだろう。僕は元来勤勉でも真面目でも全くないが、真摯に何かを冀求することができなくなったら自分に存在価値が感じられなくなる。そんな惨めな人生なら、早く死んだ方がましだ。どうせ腐りゆく有機体でしかない自分の大して長くもない人生の中で、やれることを全力でやっていかなければ意味がない。

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一段落

色々なことがようやく一段落した。忙しい時は早く終わって欲しいと思うが、終わってみると意外にあっけない。「なんだ、終わったのか」といった態だ。厳密には2月いっぱいまでは修論やら論文の編集やらが続くが、最忙期は終わったので後は惰性に任せるだけで終わるだろう。もう二度とやることはないであろう複雑な数値計算やプログラミングも、今となっては少し名残惜しい感すらある(だからといってあと3年間そんなことを博士課程で続けるのだと想像すると、そんな名残惜しさは吹き飛んで嫌悪感で一杯になるが)。

修論発表をしていて思ったのが、やはり大学の教授陣は得てして頭がいいということだ。僕の学科の発表は学科全体の教授40人くらいを相手に発表して質疑応答があるのだが、自分とは違う分野の研究や初めて聞く内容であるはずのことでも、いかにも質問が的を射ているのである。自分がまさに問題だと思っていることを、外さずついてくる。もちろんそれに対するディフェンスはできているのだけれど、それでも改めて感心した。まあ、普通こんなことは当たり前なのかもしれないが、学部生の頃は大学の教授や研究者なんて偏狭な学際的ドグマに染まったアホばかりだと思っていた。みみっちい研究を日夜シコシコやってる可哀想な連中だとも思っていた。実際に自分も研究に携わってみると、いかに有能な人がいるのかと感心した。もちろんそんな人は一部だけであるが、それでも僕が今まで出会ったことのないような知性の閃きのようなものに出会うことができたのは、非常に良い経験になったと思う。僕は地球物理学を専攻したが、本当に頭の良い教授には、地球という一つの壮大なおもちゃで遊んでいるような印象を受けた。もちろん、メカニズムの解明や現象予知などの大義名分はあるわけだが、シミュレーションをしている人なんて現象をモデルに当て嵌めて計算機で再現する<知的遊び>のような行為を繰り返しており、彼らにとってはそれがいかにも面白そうだった。モデルの正当性を巡って熱い議論が交わされたりしているのを見ると、政治やら社会情勢やらの実質的には何の意味もないことは彼らにとっては本質的に無価値なんだろうなと思った。そして、それはそれでいいのだろうと思う。

僕はと言えば、自他の研究を興味深くは感じたし、研究をしていると今までの無意味な人生の中で唯一何か意味のあることをやっているような感覚にもなったが、それを生涯の生業にしたいとはどうも思えなかった。自分の人生が研究室で終始するのは嫌だったし、研究室で想像を働かせるよりも広い世界が外には広がっており、自分でそこに行ってみなければ意味がないと思えた。ニュースや論文を読んで物事を把握するのは簡単だ。しかし、そうすることと実際に自分で世界を見て感じることは全く別物であろう。金融危機がうんたらとか震災がなんたらとか、物質の分子構造がどうなっていたり大気や海洋の循環がどういうメカニズムで働いているかを理解することとは別の次元で、世界を知覚する自分がいる。僕は、後者を大切にしたいと思った。それが、僕にとってのリアルだったからだ。


4月から社会人になる。サラリーマンなんて、最も自分がならないだろうと思っていた職種だ。まったく馬鹿馬鹿しいと思っていたビジネスの世界に対しても、今は少しだけ面白そうだと思える。今まで全く興味がなかったので、これだけ現代人を支配しているシステムがどういったメカニズムで成り立っているのか、好奇心を感じていると言った方がいいかもしれない。とは言え、その好奇心もいつまで続くか分からない。周りには、医者や弁護士になったり、国際機関で働く人もいれば、公務員になる人もいる。別段自分の選択を後悔してはいないし、これからもしないだろう。肩書きで語られる人間にはなりたくはないし、何歳になっても自由でいたいものだ。僕は別段長生きしたいとは思っていないので、あと半世紀ほど自分らしく信念を持って生きていければそれでいい。問題は、何になるかではなくて、どう生きるかということだからだ。

Sigur Rós

旅行中に聴いていた曲を聴くと当時の風景が脳裏に蘇ってくる。僕にとっての旅行というのは一人孤独で、寒くて、お金がなく、常に不安を感じながら、それでも時折目が醒めるような美しい風景美に感動するといったものだ。感動を誘うのはほとんどが自然風景であって、世界遺産とか美術館にはほとんど関心をそそられなかった(あったらついでに行くくらいのものだ)。北欧の大きな空や、スロベニアの太陽に照らされた湖、スイスの静かな渓谷など、ガイドブックには載っていないふとした景色ばかりが印象に残っている。僕が写真を撮りたいと思うのも、こういった瞬間だ(僕は、ポートレートというものはあまり好きではない。綺麗なポートレートというのは作為的・人工的すぎるし、本来ほとんどの人間は写真に耐えられるほど美しくはない。どちらかと言えば、人も景色の一部となっているような写真が好きだ)。そして、そうした瞬間に聴いていた音楽というのは一つの完結した世界像として頭の片隅に残っている。旅行中は、あまり人と一緒にいることもなく基本的に音楽と本くらいしか慰めはないからだ(そして、だからこそ僕は旅行が好きだ)。

Sigur Rósというアイスランドのバンドの音楽を聴いていると、スコットランドに行っていたときのことを思い出した。スカイ島というまだゲール語の名残が残っている辺鄙な島へ行ったとき、まさにこんなこんな景色が広がっていた。僕は、何もせず、ただ歩いていた。周りには何もなかった。しかし、できるだけそこにいたいと思ったので、暗くなるまでずっと歩いていた。またいつか、再訪したいと思った。



Alexander Schrödinger

シュレディンガーの「生命とは何か」を読んだ。どうも僕は忙しい時に限って本が読みたくなるようで、たまたま入った本屋でそのまま買って読んでしまった。Amazonなどのオンラインで買う本と違って自分で手に取ってから買う本はすぐに読む気になるから不思議だ(どうでもいいが、先日Amazonでの購入履歴を見ていたら去年だけで20万円以上も買い物していた。パソコンのパーツなども一部買ったは買ったが、ほとんどは半分くらいしか読んでいない積読本である。まあ、いつか読むつもりだからいいのだけれど)。

本の内容は1943年に行われた講演を元に編集されたものであり、ニュートン力学から量子力学への遷移期に物理学から見た生物の構造的な特性(後に分子生物学として確立する)を取り出しているあたりが非常に先見の明があるというか、古典物理学者に終始しないシュレディンガーの視野の広さが見て取れる。古典物理学から出発する本書は物理法則は原子に関する統計に基づくことをブラウン運動や不確定性原理等から解説し、その後原子のスケールに対して生命体(動物など)のスケールがあまりにも巨大であることなどを指摘する。一方で遺伝子や染色体は大きさとして比較的少数の原子から成っており、統計物理学の適用できるスケールではないが、それにも関わらず不均一な振る舞いをせず自己再生産を繰り返すプログラムとなっている点が他のいかなる物質とも異なり(この辺りの発見が天才的だ)、非周期性結晶を形成しているとする。議論の終焉はエントロピー論でまとめられていて、熱力学第2法則から物質のエントロピーは増加していく方向にあるにもかかわらず、生命体はエントロピーを減少させる(負のエントロピーを生成する)機構であるとして結論づけられている。全体的に非常に分かり易く論理的に書かれていて、面白かったが、なぜかエピローグでは物理学の圏内から一気に飛び出してインド哲学思想で自身の根底思想を物語っている(「私」が「私」であると感じたあらゆる意識的な心は原子の運動を自然法則に従って制御する人間であり、その意識は私個人の唯一のものである。さらに、人間の自我は普遍的な全宇宙を包括する永遠性それ自体に等しい(アートマン=ブラーフマン)等等)。

どうして古典物理学から突然こんなに飛躍したのか分からないが、シュレディンガーはショーペンハウエルらの影響で若いときからかなり東洋思想(ヒンドゥー教のヴェーダーンタ哲学など)に傾倒していたらしい。まあ、それはそれで本稿の物理学的考察がちゃんとしているから別に良いのだが、なぜか巻末の訳者あとがきで鎮目恭夫とかいう訳者が「21世紀前半の読者にとっての本書の意義」と題してこのエピローグの一文を抜き出し、さらにどういうわけかシュレディンガーのプレイボーイっぷりを告発した後、「シュレディンガーがそのような性愛にしばしば陥ったことは、人間の性行動と性反応(その絶頂はオルガズム)の生理学的・心理学的特徴に深く根ざすことである。人間でも多くの動物でも、二つの配偶子(精子と卵子)は接合すれば文字通り一つ(受精卵)になるが、二つの個体(互いに異性であれ同性であれ)が接合して一つの個体になる現象は起こらない。だが、ある特殊な場合に特殊な意味では、二人が文字通りに一つになると呼べることが起こり得る。それについて、話がやや長くなるが、清々簡潔に説明しよう」などと全く支離滅裂なことを言い始めている。人間のオルガズム反応時における意識状態に関する生理学・脳科学・心理学的な叙述を始め、あとがきがそれで終始している始末だから驚いた。岩波の編集長がよくこんなあとがき許したものだと思って訳者を調べたら、東大理学部物理学科を卒業してるはいいが「性科学論」とか「愛と生の倫理学序説」とか物理とは全く関係のない著作が並んでいた。本文で感銘を受けた内容がエピローグとあとがきで全てかき消されてしまったので、訓辞としてこのエロ爺のあとがきを引用することとしよう。このおっさんの変態的逸脱ぶりときたらもはや、シュレディンガーに謝罪しなければならないレベルではないだろうか。


「生殖行動とは、人間の場合も他の動物の場合も、生殖の達成を終局目的とすると見なせる行動をさす言葉だが、「性行動」のほうは少なくとも人間の場合には、オルガズムと呼ばれる心身反応の達成をあたかも終局目的とするかのような行動だと言えよう‥ この心身反応は昔から多くの人々が性的な絶頂感とかエクスタシーとか恍惚感とか呼んできた種類の忘我感を伴う心身反応であり、その忘我は、失神と違い意識の喪失を伴いはせず‥ その反応持続時間は、女性の特別の場合以外は、男性でも女性でもせいぜい数秒間だ。

‥ さて、たいていの人のオルガズム反応時における本人の意識状態および脳内状態は上記のような悟りの場合のそれらと(座禅やヨーガによって意識を無我状態にすること、十字架のイエスを心に鵜かげてそれに意識を集中すること)、かなり共通性をもつのではないか。ただし、異性愛の場合であれ同性愛の場合であれ、オルガズムの持続時間は短く、二人のそれぞれのそれが同時に発生することはかなり稀だ。もし高度のオルガズムが同時に起これば、その短時間内では二人のどちらも自我意識が高度にぼやけ、いわば全宇宙に拡がってしまうから、「二人の思想や二人の歓喜が文字通り一つになる」と言えなくもない。だが、そんな一致はごく稀にしか起こらず、起こっても精々数秒しか続かない。」


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