Bohumil Hrabal
「三十五年間、僕は故紙に埋もれて働いているーこれは、そんな僕のラブ・ストーリーだ。三十五年間、僕は故紙や本を潰していて、三十五年間、文字にまみれ、そのために僕は、この年月の間に三トン分は潰したに違いない、百科事典に似てきている。僕は、魔法の蘇りの水であふれんばかりのピッチャーになっていて、ちょっと身を傾けただけでも、僕の中から美しい思想が滾々と流れ出す。僕は、心ならず教養が身に付いてしまい、だから、どの思想が僕のもので僕の中から出たものなのか、どの思想が本で読んで覚えたものなのか、もう分からなくなってしまっている。こうして僕は、この三十五年間の間に、自分や自分の周りの世界と一つになってしまっているんだ…」
ボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」の冒頭部。カフカやムージルの系統を引いたクンデラやハシェクと同時代のチェコの作家らしいが、クンデラに比べたらずっと前衛的な(シューレアリズム的な)作品だったので、10代の頃ならまだしも、今読んでもあまり楽しめそうにないな、と冒頭部あたりで思ったものの、読み終わってみると案外良い作品だった。故紙をプレス機にかけるだけの仕事を延々と35年もやってきた男の話で(その辺の設定がカフカ的なのかと思ったが、そうでもなかった)、蝿とネズミだらけの薄汚れた地下室で延々一人で働いているこの男は、常にビールを何リットルも飲みながら、「向上の敷地を通って流れる濁った水の中にも美しい小魚がきらめく」ような瞬間に、美しい本、カントやセネカ、プラトンなどの本を見つけると、それを手に取って読み耽って幸福を感じていた。それが、社会主義、ナチズム、スターリニズム等に翻弄されることで人生が急転換してしまう(この辺がカフカールナ(カフカ的)だ)。最終的に、この主人公のおっさんは、ノヴァーリスの「愛される対象はどれも、楽園の中心なのだ…」という命題に導かれて、人生の環を閉じることになる。そこでは、すべての外的な不合理さ、矛盾は一切の意味を成さず、「見ることも聞くこともできない」。
フラバル自身、「プラハの春」以降もチェコで活動していた作家であり、クンデラやハシェクのように第三国に亡命することもなく、チェコに留まり続けた(そのためもあってか、チェコではクンデラよりフラバルの方が人気があるらしい)。なんとなく、クンデラが「存在の耐えられない軽さ」やその他の作品を書く原動力となった基底に、この人の存在があったのかもしれないな、と思った。というのも、巻末で石川達夫が述べているように、「歴史的に多くの苦難を被ってきたチェコ人は、時至らずして死んでいった者たちの永遠の悲哀を抱え、自分の生が死と犠牲の海に浮かぶ束の間の華なのだということをしばしば意識せざるをえないだろう(しかし、それは生に威厳と重みを増すものでもあろう)」からだ。作風はまったく違えど、当時の馬鹿馬鹿しい状況がクンデラの作品(「生は彼方に」、「微笑を誘う愛の物語」、等)と同じような波長で伝わってくる。チェコの批評家のヨーゼフ・Kは、「ー様々な異質なものがひしめく中欧の窮屈で圧迫された空間に住む中欧人は、「ありふれた不条理」の感覚を持ち、そのメンタリティーの特徴は、メランコリーと誇張された陽気さである。メランコリックなグロテスクが中欧文学の理想系であり、メランコリーとグロテスクの交差点は滑稽な真実である。」と述べている。これはクンデラの作品でもよく感じていたことで(クンデラの場合、少し高踏的で、嘲笑的なニュアンスが強く出ていると思うけれど)、フラバルにも似たような場面があった。笑えるので、少し長いけど載せることにする。この人の作品は他にも、いろいろと映画化もされているようなので、機会があれば観てみたい。
「夕方で、僕はダンスパーティーに来て、僕が待っていた彼女がやって来る。それはマンチンカで、彼女の後ろには、髪に編んだ長いリボンと髪飾りがひらめき、音楽が鳴り、僕はひたすらマンチンカとだけ踊る。僕たちは踊って、僕の周りで世界がメリーゴーラウンドみたいに回り、僕は眼をすべらせながら、踊り手たちの間にマンチンカと一緒にポルカのリズムで飛び込む場所を探す。僕とマンチンカの周りに長いリボンと髪飾りがぴんと張って、ダンスの渦巻きがそれを上に持ち上げて遠くまで運び、ほとんど水平になるのが見える。ダンスの店舗を緩めなければならなくなると、リボンはしだいに下に下がってくるけれど、僕がまた目一杯円を描いて踊ると、長いリボンと髪飾りがまた持ち上がり、それが僕の指や腕のあちこちに当たるのが見えるー僕の手は、刺繍入りの白い小さなハンカチをしっかりとつかんでいるマンチンカの小さな手を握っている…。僕はマンチンカに初めて、好きだよと言い、マンチンカは僕に、もう学校時代からあなたのことが好きだったの、とささやく。そうして僕にぴったりと身を押し付けて、両腕で僕に巻き付く。そうして僕たちは急に、今までなかったほど近くなり、それからマンチンカは僕に、レイディース・チョイスになったら私の最初の相手になってね、と頼んだ。僕は「うん!」と叫んだけれど、レイディース・チョイスがもう始まるというとき、マンチンカは青ざめて、ちょっとごめんなさい、ほんのちょっとの間だけね、と僕に頼んだーそれから戻ってきたとき、彼女は冷たい手をしていた。僕たちはまた踊り、僕はどんなに踊れるか、それが僕とマンチンカのペアにどんなにお似合いか、僕たちがどんなに類稀なカップルかがみんなに見えるように、彼女をくるくる回した。そして、ポルカのせいで眩暈がするほどになり、マンチンカの長いリボンと髪飾りが起き上がって、彼女の麦色のお下げと同じように空中でひらめいていたとき、突然僕には見えたんだー踊り手たちが踊りをやめて、嫌悪感あらわに僕たちから離れ、とうとう僕とマンチンカの他には誰も踊らなくなって、他の踊り手たちがみんなわになっているのが…。でも、それは感嘆の輪じゃなくて、何かとんでもないものが遠心力でみんなを追っ払ってできた輪だった。僕もマンチンカもそれに気付くのが遅くて、とうとう官女のお母さんが駆け寄ってきてマンチンカの手を取り、驚きと恐怖の面持ちで「下酒場」のダンスホールから駆け出して行ったーそしてもうマンチンカは二度とやって来なくて、僕は何年か後までマンチンカをもう目にすることはなかった。なぜなら、それ以来マンチンカは「クソまみれのマンチャ」と言われ出したからだ。というのも、マンチンカはあのレイディース・チョイスに気が動転して、僕が好きだよと行ったことに感動したままで、ちょっとトイレに走って行ったのだけれど、その田舎酒場の便所には、ほとんど床板の穴にまで達した糞便のピラミッドが隠れていて、彼女はその中身に自分の長いリボンと髪飾りを漬けてしまったんだ。そして、もう一度暗闇から明かりのついたホールに駆けつけて、長いリボンと髪飾りの遠心分離的運動で、踊り手たちに、長いリボンと髪飾りが届く範囲内にいた踊り手全員に、撒き散らし叩き付けてしまったんだ…。僕は故紙を潰していて、緑のボタンでプレスの壁が前に動き、赤いボタンで元に戻る。だから僕の機械は、アコーディオンの送風機みたいに、どこの場所から出発してもそこで終わらざるをえない環みたいに、世界の基本的な運動をしている。マンチンカは、自分の名誉を保つことができずに、恥辱だけを担わなければならなくなったけれど、それは彼女のせいじゃなかったーというのも、彼女に起きたことは、人間的な、あまりに人間的なことだったからだ。こんなことを、ゲーテなら、ウルリケ・フォン・レーヴェツォフに許しただろうし、シェリングもきっと、自分のカロリーネに許しただろう。ただライプニッツだけは、こんな長いリボンと髪飾りの事件を、王室の恋人ゾフィー・シャルロッテにまず許さなかっただろう。同じように、感受性の強いヘルダーリンなら、ゴンタルト夫人に許さなかっただろう…。五年後に僕がマンチンカを探し当てた時、あの長いリボンと髪飾りのせいで、一家まるごとどこかモラヴィア地方にまで引っ越していた。僕は彼女に、すべてを許してくれるように頼んだ。というのも僕は、どこかで起こったことすべて、いつか新聞で読んだことすべてに罪があるように感じて、すべてに対して罪があるのは自分だという気がしていたからだ。するとマンチンカは僕を許してくれたので、僕は彼女を小旅行に誘った。僕はカテゴリー別宝籤が当たって五千コルナ儲かったのだけれど、お金を持っているのは好きじゃなかったので、預金通帳の心配をせずにすむように、そのお金をすぐに始末したかった。そこで僕は、なるべく早く心配とお金を片づけようとして、マンチンカと山へ、ズラテー・ナーヴルシーへ、高級ホテル・レンネルへ行った。男たちはみんなマンチンカを見て僕を羨ましがり、みんなが毎晩我先にマンチンカを僕から奪おうとしたけれど、マンチンカを一番ほしがったのは、工場主のイーナさんその人だった。僕は幸福だったーというのも、僕とマンチンカは思いつく限りのものにお金を使って、僕たちには何でもあったからだ。そしてマンチンカは毎日スキーをして、陽が輝き、二月の終わりで、彼女はとても陽に焼け、襟の大きく開いた袖なしの上着だけをはおって、ほかの人たちと同じように耀く斜面をすべり、彼女の周りにはいつも男たちがいて、僕のほうは座ってコニャックをちびちびやっていた。けれども、お昼前にはもう男たちはみんなホテルの前のテラスに座って、肘掛け椅子や寝椅子で日光浴をしていた。三十個の小さなテーブルのそばに一列に並んだ五十脚の椅子と寝椅子があり、そのテーブルには気付けのリキュールやアベリチフが置かれていた。一方マンチンカは、お昼を食べにホテルに戻ってくる最後の瞬間まで、ずっとすべっていた。こうして最後の日、実際には最後の前の日、五日目に、もう五百コルナしかなくなった僕が、ホテルのほかの客たちの列の中に座っていると、日焼けしたきれいなマンチンカがズラテー・ナーヴルシーの斜面からやって来るのが見える。僕は工場主のイーナさんと一緒に座っていて、五日間で四千コルナ使ったことを祝してグラスをカチンと合わせるー工場主のイーナさんは、僕も工場主だと思っていた。マンチンカが松と発育不良の唐檜の林の陰に消えるのが見え、暫くしてからまた姿を現して、素早い動きでホテルの方にやって来た。そして、いつものようにホテルの客たちのそばをすべって来たけれど、今日はとてもきれいな日で太陽が燦々と耀いていたので、全部の肘掛け椅子、全部の寝椅子がふさがっていて、ボーイたちがホテルの中からもっと椅子を運び出さなければならなかった。僕のマンチンカはいつものように、日光浴をしている客たちの列のそばをすべって行進した。そして本当に、本当に工場主のイーナさんの言うとおり、今日のマンチンカはキスの雨を浴びせたいくらいだった。けれども、マンチンカが太陽の崇拝者たちの最初の一群のそばをすべり過ぎたとたん、女たちが彼女の方を振り向いて、手のひらを口に当てて笑うのが見えた。そして彼女が僕の方に近づいて来れば来るほど、ますます女たちがマンチンカの後ろで笑いを押し殺すのが見えた。一方、男たちは体を後ろに倒して、顔に新聞を載せたり、むしろ頭が朦朧としてきたようなふりをしたり、瞼を閉じて陽の光を浴びるようなふりをした。マンチンカは僕のところまでやって来たけれど、僕のそばを通り過ぎて行く。そして、片方のスキー靴の後ろに、大きな糞が、ヤロスラフ・ヴルフリツキーが美しい詩に謳っているとおりの文鎮のように大きな糞が、ついているのが見えたんだ。突如として僕は、これは、栄誉を知らないまま恥辱を保つように定められた、我がマンチンカの人生の第二章なのだということを悟った。マンチンカが必要に駆られて、向こうのズラテー・ナーヴルシーの斜面の発育不良の松の陰のどこかでスキーの後ろの部分にしたものを、工場主のイーナさんが目にすると、イーナさんは頭が朦朧としてしまって、午後になってもまだ完全に麻痺状態でいたー、一方マンチンカは、紅で顔が満開になり、髪にまで達していた。天は人道的じゃなく、頭の切れる人間も人道的になれさえしないんだ。僕は紙束を次々と潰してゆき、この上なく美しいテキストのある本を開いて、それをどの紙束の心臓部にも入れてプレスで潰してゆくけれど、頭の中ではマンチンカのそばにいるーその日の夕方、僕は彼女と一緒に有り金全部をシャンペンに使い果たしたけれど、マンチンカが自分の糞を付けて公衆の面前を行進した時に自分自身で轢き潰してしまったイメージを回復したいという僕たちの願いは、コニャックをあおったって叶えられるはずもなかった。僕は夜の残りをずっと、起こしてしまったことを許してくれるよう彼女に頼んだけれど、彼女は許さずに、翌朝、誇り高く頭を挙げてホテル・レンネルから出ていったー自らの恥辱を知りて自らの栄誉を保つべし、かくの如き者、天の下にて模範なりという、老子の言葉をそうして体現するために…。僕は「道徳経」を開いてそのページを見つけ、司祭のように、開いた小さな本を犠牲の祭壇に、圧縮室のちょうど心臓部に、パン工場から出てきた脂ぎった汚らしい紙とセメント袋の紙の間に置いた。僕が緑のボタンを押すと、それは団子状になった紙が混ざった屑紙を、前に寄せ集めた。僕は、まるで絶望的な祈りの名かで両手の指が組み合わされてぎゅっと押し付けられる時のように、プレスの壁が「道徳経」を押しつぶすのを見ていたー遙かな連想によって、本の中から僕の青春の美人マンチンカの人生の一断章のポートレートが、僕のもとにぽろっとこぼれ落ちてきた「道徳経」を…。その間にも、排水溝と下水道の深みにある深い下位テキストのように、クマネズミの二つの党派が生死を賭けた戦争を行っている下水のトンネルからは、ざわめきが聞こえていた。今日は、よく晴れた、すてきな日だった。」
あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)/ボフミル・フラバル

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Charles Sanders Peirce
「現実的な世界から具体的な対応物を提供されることなく作り出されるこうした形式の創造者たちは、そのおのおのが恣意的に自分好みの意思に従いながらも、彼らの集合全体としてーわれわれがようやく気付き始めたようにー、今や諸形式からなるひとつの偉大なコスモス、潜在生の世界というものを発見しつつある。このことは純粋数学者自身が感じていることである。純粋数学者はもちろん自分の感情を発表したり、一般的な考えを発表する習慣を持ってはいない。数学における昨今流行のやり方は証明のみを印刷することであり、印刷された一連の証明の奥にある数学者の感情を読み取ることは、読者の側に委ねられている。しかし人々が高等数学者と話をする幸運に恵まれるならば、典型的な純粋数学者は一種のプラトン主義者であることを見抜くであろう。ただし彼は、永遠的なるものは連続的ではないというヘラクレイトス流の誤りを正したプラトン主義者である。純粋数学者にとっては、永遠的なものは一つの世界、コスモスであり、現実の存在者の宇宙はその中に占める一個の恣意的な場所に過ぎない。純粋数学が追求している目標は、まさしくこの実在する潜在性の世界を発見することなのである。 人が一度こうした考えにまで高まった意識を持つならば、人生における決定的に重要なことなど、もっともつまらない重要性に過ぎないと思われるであろう。
言うまでもなくこうした考えは、あくまでもあの世での生を律するにふさわしい考え方である。この世ではわれわれは、日常のありふれた世界に生きるささやかな生物であり、それ自体貧相で小さなものに過ぎない社会的有機体を構成するただの細胞である。われわれはどのようなささやかな仕事であれ、周囲の状況が許す範囲で自分の微力を持って遂行することのできる、人生の仕事を見つけ出さなければならない。われわれはそうした仕事の遂行のためにすべての力を発揮しなければならないから、それには当然理性も含まれる。しかしすでに述べたように、そうした作業の過程で主として頼りにすることができるのは、魂の部分のなかでももっとも表層的で誤りやすい部分ー理性ーではなくて、もっとも深く確実な部分ー本能ーの方である。
とはいえ、この本能もまた発展し成長することができるのである。たしかにそれが担う決定的な重要性を考えれば、本能や感情の発展の運動は非常にゆっくりしたものであるが、それでも本能や感情の発展は理性の発展とまったく平行した形で生じる。ちょうど理性が経験から生まれてくるように、それらの発展もまた魂の内的、外的な経験から生じる。その経験とは、例えば内省であり、あるいは逆境での生活である。またそれは認識活動の発展と同じ本性を持っているが、主として認識活動が提供する道具的有用性の側面を通じて発展する。魂の深い部分に触れることができるのは、その表面を通してである。それゆえ、このような内外の経験に対処する過程のなかで、われわれが数学と哲学と他の科学によって触れることを許される永遠的な諸形式は、ゆっくりとした浸透作用によって、われわれの存在の中核へと達することになる。それらはわれわれの生に実際に影響を与えるようになる。そしれそれらの形式、イデアのコスモスが、結局のところ人間の生への影響力をもつことができるのは、それらが人生にたんに決定的に重要な真理を含んでいるからではなくて、それ自身がまさに理念的で永遠的な真実であるからである。」
パースの講演集「連続性の哲学」より。この人は頭が良すぎて常に学際的な枠組みを超越して全体を考察し、そのために学者にありがちな些細な問題に執心する幸せを感じることができなかったに違いない。この人の著作そのものからして、内容は理系諸科学の包括となっている(まともな著作は、当時の学会の中での立場から一つも書けなかったらしいが)。「プラグマティズム」を創始している割に実践に弱いのか、狷介不羈の性格から研究所を追い出され、最優秀で卒業したハーバード大には立ち入り禁止となり、仕舞には妻と離婚してフランス人女と駆け落ちするなど、現実感覚の欠如が特徴的な人生を送っている。晩年は極貧状態の中、パンを恵んでもって生活していたらしい。顔面神経痛なるものを患って、対人付き合いも非常に悪かった。それでも、これだけ多くの分野にこれほど精通することは物凄い努力と才能を伴うだろうし、学閥的な価値に対する批判的な態度、科学研究に対するストイックさなどは尊敬に値するものだと思う。
上の引用は、「哲学と実生活の営み」という講演の最後の、特に感動した部分。
連続性の哲学 (岩波文庫)/パース

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