Memento -4ページ目

進化論的な科学

以前友人と話していた事柄がしばしば頭を過ることがある。自然科学が進化論的に記述され得るのに対して、人文科学は進化論的には記述できないという考えだ。哲学を専攻している友人にこの話をすると、(彼は焦点を哲学に絞っていたように思われるが)人文科学も進化論的に記述され得ると主張した。僕が、例えば哲学にあっては現代思想がフーコーやレヴィナスを生み出した後でも、カントが再解釈されることすらあれ全面的に否定されたりすることはあまりないように思われるし、プラトンだって然りではないか、と主張すると、彼はカントはプラトンよりもずっと高級なことを言っているし、ヴィトゲンシュタインとカントにおいてもそうだ、つまり、哲学も発展論的な文脈にある、というようなことを言っていた。別に彼がそう思うならそれでいいのであまり議論もしなかったが、後になってみると、やはり人文科学が進化論的であるということは自己論駁的であると思うことがある。哲学がどれほど進化論的な文脈で進行しているのかよく知らないが(少なくとも僕の知っている限りでは、哲学的な形式は進化論的ではないと思うけれど)、例えば芸術や歴史学などの分野を考えてみるとそれがより明示的に理解される。進化論的であるということは、以前の体系が淘汰されて新しい体系が取って代わるということであるが、例えば絵画の領域において、新しい技法が確率されたからと言って過去の作品の価値がなくなるということがあり得るのだろうか。もっと言えば、コンピューターグラフィックスでより精細な絵を描くことができるようになれば、過去の精細さに欠く絵は用なしになるのだろうか。そうは思われない。絵画という芸術の価値体系は別のところにあるし、だからこそダヴィンチの絵が21世紀でも25世紀でも価値があり続けるのだ。自然科学が世界に対する一つの記述形式であり、その形式が改良されていくのに対して、芸術作品はそれ自体で一つの世界像を持っている(あるいは創造している)。つまり、少なくとも進化論という文脈で否定されることも淘汰されることもあり得ない。哲学に関しては、哲学的命題そのもの、思想そのものは置き換わっていくものかもしれないが、哲学の本質はそれらの命題それ自体ではなく、その命題の形式であり、考え方の体系であるはずだ。「りんごが赤い」という命題そのものに価値があるのではなく、「りんごが赤く見えるのは私がりんごに赤という感覚を付与しているからだ」とか、「赤という属性の認識をりんごに当て嵌めている」などという過程が哲学なのだ。だから、哲学も進化論的に置き換わっていくわけではない。哲学は何か特別な命題を主張するわけではなく、真であると思われる形式を考察していくだけだからだ。ある誤謬が見つかれば、それはまた新しいやり方で考え直されるかもしれないが、「論理」そのものが否定されるということはあり得ない(それは哲学の崩壊に繋がる)。よって、少なくともその形式的な内実において、哲学が進化論的だと言うことはできない。

これに対して、自然科学は現実に対してある一つの「体系」を形成し、その中で自然を記述しようと試みる(というのも、何かの体系なしには何も記述することができない)。その「体系」そのものが置き換わり、以前の体系が淘汰される「パラダイムシフト」が自然科学においては重要な発展となってきた、という事実に鑑みて、自然科学は進化論的であると言い得る。現代自然科学者の誰も、(哲学者とは異なり)アルキメデスのプリンキピアなど読まないし、それを用いて自然を記述しようなどとは思っていない。数学だけは一部例外で、ピタゴラスの定理が否定されることは未来永劫ないわけだが、それでもユークリッド幾何学をリーマン幾何学が補完し、それが実際に世界の記述に当て嵌まり得る(太陽系の中を進行する光でさえ、重力レンズ効果によって非ユークリッド的な振る舞いをする)。僕はトーマス・クーンやファイヤーアーベントの熱狂的な支持者ではないが、自然科学の進化論的な発展という意味合いにおいて彼らの主張は正しいと思っている(ただし、パラダイムシフトによって科学が共役不可能になるという点は理解に苦しむ。実際に、ニュートン力学と量子力学の中間的な位置にある科学というのはあるし、量子力学でニュートン力学が記述できない「わけではない」)。自然科学が進化論的なのは、自然科学のダイナミズムの根幹にあたることであり、だからテクノロジーが発展を止めることはあり得ない。この点において、自然科学が発展的に人類に貢献しうる(増加関数的な価値を生み出す)のに対して、人文科学は定常的な価値を創造しているに過ぎないと思った(これは多分言い過ぎだろう)。まあ、僕は科学者を志す訳でもないし、元来そんなことはどうだっていいのだが。

2012

2012年になった。今年はどんな年になるのだろうか。
色んな意味で自分にとっても変化の大きな年になるだろう。ただ、どんな環境にいても、自分の芯を曲げたくはないと思う。

20世紀をまとめたような動画があった。
これを見ると、いかに20世紀が西欧によって引導されてきたかが分かる。

21世紀になってから10年ちょっと、今や世界地図が大きく変わってきている。
ヨーロッパやアメリカも停滞・沈降し始めて、これからはアジアや中東の時代になるだろう。
20年後、30年後の世界を考えると面白いだろうなと思う。そんな中で自分はどんな生き方をしていけるだろうか。

世情に惑わされずに生きたいものだ。

2011

今日は晴天。冬の晴れの日は気分がいい。
こういう日はフランスにいた頃が思い出される。冬から春にかけてはとても気分が良かった。
(逆に、ヨーロッパの秋から冬は日本のような情緒がなく、ただひたすら寂しいだけだった)


もうすぐ2011年も終わる。今年は長い一年だったし、色々なことが起こった一年でもあった。
ヨーロッパが金融危機に陥っている中、チュニジアから始まった北アフリカー中東のデモは<アラブの春>と呼ばれるアラブ圏の自由化に繋がったし、ロシアでもプーチン以降初めての長期に亘る抗議運動が行われ、アメリカのウォールストリートでも長い間デモが行われた。ビンラディンがCIAに殺害され、カダフィ、金正日も死んだ。歴史が大きく動いたと同時に、(スティーブ・ジョブズの死が暗喩しているように)一つの時代が終わった年だったと思う。(南米だけは世界から切り離されたように相変わらず呑気で、チャベスが癌を摘出したくらいしか知らない)

そしてもちろん日本では、巨大地震で言葉通り日本中が震撼した。
(ただ、今となって思えば(被災者には申し訳ないが)、今回の地震はこのタイミングで起こってよかったのだと思う。このくらいのことでもない限り、堅牢な我が家に鎮座しているだけの日本の企業や機関は動き出さないだろうから。今回の災害が10年以上続く低迷感に対する節目となったのであればそれは良いことだと思う)

僕はと言えば、京都に来てから6度目の引っ越しをし(よく考えれば、一年に一度くらい引っ越しをして、その度毎に大きく環境や心境が変わっている)、就職活動に奔走し研究に終始した一年だった。結果的として残ったのは10社程の内定と、2つの学会と研究ワークショップでの発表、2つのサマースクールとインターンシップへの参加だけだ。それでも、良い一年だったと思う。残った結果というよりも、自分の内部での変化の大きい一年だったから(2010年は、あまりに内的変化の乏しい年で、故に全く成長の感じられない一年だった)。


時間は流れていく一方で、成熟して色々なものが見えてくるようになると、以前は輝かしく思えていたものが色褪せるというのはよくあることだ。宵闇では幻想的に見えていたものでも、朝の光が差し込む頃には魅力が失われているように。数年前まで、世界は僕にとって広大で、未知の領域で溢れていた。今や、どこに行って何をしても人間の生というものは実質的に変わり得ない(というより、僕という人間は僕であり続ける、良い意味でも悪い意味でも)ということを知り、狭い地球の中でどこに行こうか考え倦ねているくらいだ(例えば、南米を陸路でぐるっと回りたいなどと思うが、今行ってしまうと後の人生で行き詰まった際にどこにも行く場所がなくなってしまうと思うと行く気がしない、インドや中東もそうだ)。映画や小説の中も実質的な何かを見出すことはなくなり、ただの物語としか思えなくなった。そして、思想や哲学さえも何かしら人生において本質的な役割を果たすとは思えなくなった。人間は(というか、僕は)、もっと単純な欲求や思考で時間を消費している。僕は死ぬまでヴィトゲンシュタインのようには考えられないだろう、あるいはパースやカントのようにも。科学も、厳密な意味で真実を映し出すことは決してないし、物理学や化学は世界に対して一つの像を提示しているに過ぎない(何故かはよく分からないが、最も科学的な研究に従事した時間が長かったこの一年に、急速に僕のサイエンスに対する関心は薄れていった。実際には科学的な言辞における行間の意味ようなものを期待していたが、科学はそういった曖昧な行間を排除することに終始しており、ただの新事実の羅列にしか感じられなくなったからだ)。幻想は消え失せ、期待は失われる。しかし、それでいいのだと思う。それが生きるということだからだ。もう、数年前のような高揚感や感動は一生味わうことがないだろう。それでも最低でも僕に残っているものは、残された世界の景色と、色褪せた思い出たちだ。そうして2011年が終わっていく。今や何も驚くべきことはないし、畏れるものもない。

Dynamism

ときどき、どうしようもない虚無が襲ってくることがある。世の中の一切のものは虚無であり、不快な音楽と不快な文章、不快な声からなる不快な顔で溢れている。美は、刹那的な瞬間にしか存在せず、それ以外はキッチュで塗れている、泥にまみれて穢された世界。ここは空気が悪いのだ。人は、白いキャンバスを見ると、黒や青やらを塗りたくってしまいたくなるものだ。

いろんな物事がどうでもよくなることがある。それは、いろんな物事は実際にどうでも良いからだ。それでも人が精神を保っていられるのは、多くの人はほとんどの時間何も感じず、何も考えていないからだ。だからといって、何も考えていない人々を以前のように蔑む気持ちはなくなった。むしろ、しばしば何も考えてない人を羨ましく感じることがある。結局、何か考えたところで格別何になるわけでもなく、僕の思考は観覧車のように延々と堂々巡りを繰り返し、それも実際的・物理的な多くの制約に晒されている。例えば、僕が気分が悪いのは脳内のエンドルフィンが枯渇しているとか、内臓器官の健全な機能が抑制されているとか、脳内の血管が収縮しているとか、そんなありふれた身体の機能的な側面に依存している。または、目に見えないような細菌やウイルスのせいで、日常生活を送ることすらできなくなる。自分は考える主体ではなく、ただの一個体、腐りゆく一つの有機体でしかないと思うと、全くどうしようもない気分になる。何かを必死に学んでも、結局脳内の神経の伝達経路が増えるだけであり、そんなミクロな変化など、宇宙に何の影響も与えないだろう。もっと抽象的な実存があると思っていたのは青年らしい錯覚で、あるのはただの微弱な電気信号だけだからだ。

僕は、植物のようには生きられない。ただそこに在ることに充足し、ただ継続が続いていくだけの生というのは僕には考えられない。伝承されるDNA、家庭的な幸福、感動的な生の連鎖などには全く興味がないし、ましてや生前・死後の世界なんて考えるだけ時間の無駄だ。情熱を持って、何かに向かっていない人生というのは無為だ。どこかで止まってしまったら、運動をやめてしまった地球のように、朝もなく、夜もなくなるだろう。夏も冬もこなくなる。それでは、死んでいるのと一緒だ。限界まで走って、次の地平が見えるからこそ生きている甲斐がある。眺めに見とれて、自分が来た道を振り返り、達観したような気分になっていても何の意味もない。また動き始めなければならない。それが客観的な価値などなくても、動的な状態そのものが、生きるに値する唯一のものだからだ。


ヘーゲルが一文で簡潔にまとめている。

ー世界で唯一恐れるに足るのは、硬化したもの、硬直して死につつある形態だけであり、唯一喜ぶに足るのは、新たな形態によって新たな生への権利を勝ち取りうることだけであるー

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秋空

学会、シンポジウム等色々と終わりやっと一段落した。地球の重力場、質量変動、地殻変動、地球内部変化など、個人的には全く興味などないし、そんなことが僕の人生の本質的な何かを占めることも、何かそれに近いことを示唆することもあり得ないことなど自明のことだが、学会発表など公の場の発表となると、ろくな成果も示せないと自分の知性が否定されたような気がして、自分の低能ぶりを公表するのがいかにも屈辱的に思われ、妙な精神的負荷を感じながらここ一ヶ月くらい現実との憤懣と闘っていた。そんなことすら、発表が終わってみるといかにもどうでもいいことだ。やっと頭の片隅に常駐していた不安要素が払拭されたので、これからは落ち着いて修論に取り組めそうだ。

最近になって、漸く肌寒くなってきた。寒いのは好きなので嬉しい限りだ。秋は一番美しい季節だと思う。空気が澄んでいて綺麗だ。朝の爽やかな空など、見ているだけで気分が良くなり、散歩でもしたくなる。梅雨や夏場のじめじめした空気とは打って変わって、壮快な空気と青い空。ずっとこんな天気なら、精神潑溂と生きていけそうなものだ。雑味のない光の透明性が、精神を浄化してくれるに任せていたい。

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spiegel im spiegel

10月を通り越して11月。最近は忙しさに感けてやりたいことが何もできていない。学会発表の準備などに随分気を取られていたが、こんな芥ほどの興味もない物事に時間も精力も奪われ挙句の果てに疲弊させられ、一体何のための人生なのかと思う。しばしば、俗世の忙事など置き去りにして、メフィストフェレスに連れ去って行ってもらいたいような気分になるが、それでも、やらなければならないことはやらなければならず、残りの人生はやるべきことの予定表でぎっしり埋まっている。こんなことの一切は、自分がやりたいことでもやりたかったことでもないのだと思うと、鬱蒼とした気分が黒い雨のように降り注いでくるが、それでも、やりたいことだけをやって生きている人を格別羨ましいとは思わないし、そんな「やりたいこと」の積み重ねなど、即興的な快楽主義か自己満足という名の自己慰安でしかないのは自明のように思われる。畢竟、人の一生など自分が正しいと思ったこと、楽しいと感じたこと、やるべきと思ったことなど、その時々の志向性に任せて過ぎ去って行くに過ぎないが、そんな中で、どれだけ満足感や充足感を感じられるか、どれだけ美しい時間を持てるか、ということが大切なのだと思うようになった。他人や世間の評価というものは結局相対的だし、ほとんどの場合、真実を表していない。真の自分を知っているのは自分だけだし、それを正当に評価できるのも自分だけだ(独我論的に聞こえるが、神のような存在を仮定しない限り、結局そうなのだと思う)。世間の賞賛を浴びなくても、自分で満足のいく生き方ができれば、それでいい。少なくとも、僕の場合は。


‥ 風邪をひいて3日くらい連続で寝込んでいたら、数年前の印象的な心境が蘇ってきた。エストニアで買ったArvo Partという音楽家のCDを何年ぶりかに聞いた。旅先で感じていた当時の思いや印象が心に沁み渡るような気がした。また、どこかに行きたいと思うようになった。

秋風

頬を撫でる風がだんだん秋めいてきた。今日は中秋の名月だ。

いつも思うが、やはり秋が一番いい。特に満月の夜は気分がいい。月の潮汐による重力変化、それは地球上の重力の絶対値に対して1000万分の1に満たない。それを感じられるほど僕の身体が精密にできているとは思わないが、単純に月明かりが太陽光や電球の光よりも心地よく、夜を散歩したいような心持ちになる。夏の蒸し蒸ししたぬめり状態や、春の能天気な陽気、冬の乾燥した厳しさに比べると、秋のために季節があるようなものだとすら思える。それでも、京都を離れると京都のねっとりとした生暖かさが懐かしく思われるのだろう。

改めて自分を振り返ると、以前の自分から全く違った人間になったように感じることがある。以前は、青年らしく乾坤一擲の人生を夢見ていた。物事はシンプルで、自分もまっすぐであるように思っていた。それは、物事の内部に雑味を感じても、フィルターにかけて自分の思考に残るものは純粋なものばかりにしていたからだった。実際はそうではない。実際はそうではないことを受け入れることは容易ではなかったが、一度それを受け入れてしまうと今はそれが当たり前のことのように思えるから不思議だ。以前の体系から見て、そのような変化に対しても自分に一貫した何かがあると考えるのは、ストーリー性の誤謬によるものだ、という考えが、月を眺めているとふと頭の中に浮かんできた。

人はいつもストーリーを大切にする。就職活動をしていて思ったのが、うまく面接をパスしていくためにはいかに面接官に対して僕の今までの人生をストーリーづけるか、そしてそれをどれだけその会社で働くことに結びつけるか、ということだった。僕が留学したことや、世界一周旅行をしていたこと、理系に進んだこと、京都に来たこと、大学院に進学したこと、そういったことすべてを、一つのストーリーにして語る必要があった。そして、うまく一貫したストーリーを紡ぎあげることができたときは、相手はいかにも僕のことを理解したような態になり、面接も首尾よく行った。しかし、僕の人生がそのような線形的なラインを描いていると思ったことはこれまで一度もなかったし、実際にそうではなかった。僕が理系に進んだことや、京都に来たこと、留学したこと、またはその時その場で面接を受けていることなどは、互いにまったく無関係だった。僕は、他のほとんどの人たちと同様、何かしらの一貫した動機付けがあって人生を歩んできた訳ではなかった。今から思うと、その場その場で最良と思われる道(その判断も極めて曖昧なものだったし、判断にこれといった理由などなかった)を選択してきたに過ぎなかった。クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読んで、初めてそういった一貫性、ストーリー性の表面性に気がついた。人生は一度しかないために、別の道を歩んでいたらどのような人生になったかを知ることは決してできない。人生の単一性、時間の不可逆性から、何が最良の選択かなど永遠に誰も知ることができないのだ。日々の生活の中であらゆる選択をしているが(というのも、人生を歩むということは複雑に分岐した道を一つ一つ選択していくことだからだ)、それらが正しいであろうと考えるいかなる正当な根拠もない。ただ、その場その場で、思ったように選択しているに過ぎない。そして、それでいいのだと思う。結局、社会的・歴史的な文脈を超えて、一つの人生の中でどこかに到達したり、何かを成し遂げるなどということなど本質的に不可能なのだから、その時その時を楽しむことが大切なのだと思うようになった。結局、人生を語ることは常に事後的な問題であり、将来を一つのモデルに当て嵌めることなど不可能なのだから。

ストーリー性の誤謬は、大衆的なあらゆるものに当て嵌まる。芸術家がこれこれの経験からこの作品を創った、恵まれない子供たちのために音楽家がコンサートを開いた、災害を経験した科学者が日々基礎研究に励んだ、など、一つの「文脈」を構成するストーリーがあると人はいかにも心を動かされやすい。しかし、どんなに立派な大義があったとしても、芸術家の作品が「それ故に」崇高になることなどないし、科学研究で世界的な成果を出すことができるようになるわけではない。むしろ、何事かに真剣に取り組んでいるときには当人はそういった「文脈」から乖離しており、何も考えずにただそれに取り組んでいる(そして、それはしばしばそうすることが快かったり、そうせずにはいられない心的状況がある)。そういった時空間的な脱文脈性こそが、何かしらの意義を成すのに必要なものだ。後から付けたような「文脈」、「ストーリー」などいらない。それらは物事の本質には成り得ないのだから。

時間は日々の無気力なやわらかさを取り戻す。

最近は何も実質的なことを書いていない。実質的なことを書いていないのは、何も実質的なことを考えていないからだ。考えていないし、感じていない。ただ日々が過ぎるままに任せている。失われた高揚感、失われた充足。ゲーテの「ファウスト」の中の老学者のような精神状態になっている。

どこかに行きたい、何かをしたいと思うときもあるが、結局のところ、どこに行って何をしても同じだと思い至る。その失念感。その諦念。この状況を、サルトルが「嘔吐」の中で見事に表現している。主人公のロカンタンは、世界の様々な都市で人生を過ごしたが、結局どこにいて何をしていても同じ「吐き気」を感じている。僕は吐き気の変わりに頽廃感、全身に亘る倦怠感で溢れている。以前の高揚感、明るい将来の見通し、夢、希望、それらのものがもう戻ることがないと確信するのは、何と絶望的だろうか。キルケゴールは絶望を人間存在の根底に位置づける。クンデラは自我を、その苦しみによって規定する。世界がいかなる期待を持つにも値しないと思い至ったとき、日々はただ、単調に過ぎて行くだけだ。


<何かが始まるのは終わるためだ。冒険は引き延ばされるものではない。冒険は自らの死によってのみ意味を持つ。それはおそらく私の死でもあるのだろうが、その死に向かって、私は戻ることもできずに引きずられて行く。各々の瞬間は、それに続く瞬間を導くためにのみあらわれる。その各々の瞬間に、私は心から執着する。私はそれがユニークなものであり、取り替えのきかないものであることを知っているーにもかかわらず、私はその消滅を妨げるような行為はいっさいしないだろう。私が前々日に出会ったこの女の腕のなかでーベルリンで、またロンドンでー過ごす最後の短い時間ー私はその時間を熱烈に愛し、その女をほとんど愛しかけているのだがーそれも今や終わるだろう。そのことを私は知っている。もうすぐ私は別の国に出発するだろう。この女に再会することはないだろうし、この夜をふたたび見いだすことも絶対にあり得ないだろう。私は一刻一刻の上に屈み込んで、それを汲み尽くそうとする。何物も、私がそれをとらえて永遠に私の内部に定着させることなしには、過ぎ去るべきでない。何物もだ、この美しい目の束の間の優しさも、通りの物音も、明け方の微かな光も。にもかかわらず時は流れ、私はそれを引き留めない。私は時が過ぎて行くのを愛しているのだ。

ついで一気に何かが壊れる。冒険は終わった。時間は日々の無気力なやわらかさを取り戻す。私は振り返る。背後ではこの旋律的な美しい形のものが、すっかり過去のなかにのめりこんでいる。それは徐々に小さくなり、衰えながら縮小していく。今では、結末と発端が一体になっている。この貴重な黄金の点を目で追いながら、私は考えるーとたえ死に損なおうとも、財産や友人を失おうともー私は同じ状況で、一方の端から他方の端まですべてをふたたび生きることを受け入れるだろう、と。しかし冒険はふたたび始まることもなく、引き延ばされることもない。>


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Rideau

ミラン・クンデラの「カーテンー7部構成の小説論」を読んだ。クンデラの文学講義を聞いているような内容。書かれたのは2005年で、このときのクンデラは76歳くらい。既存のクンデラによる小説によってモチーフにされていた主題が、(クンデラにしてはどうもまるく)纏まっている。最初にこの本を読んでもインパクトはなかっただろうが、他の小説を読んだ後に読むと馴染みの内容が多い。「不滅」の中でポールが代弁しているような<イマゴローグ>という観念が、もう少し一般化され、<カーテン>として社会に存在すること、そしてそれを引き裂く媒体としての「小説」の役割を、近代小説を歴史的に俯瞰することで確認する。社会的カーテンはあらゆる美的概念、イデオロギー、世俗的価値を形成し、多くの人々はそのカーテンから外を見ようとはしない。


<どんな美的概念(そして嫌笑症もその一つ)も終わりのない諸問題に道を開く。かつてラブレーにイデオロギー的(神学的)な呪詛を投げつけていた者たちは、一つの抽象的な教義への信仰よりも更に深い何かに唆されてそうしたのだった。その何かとは、彼らを超える美的な不和、つまり非=真面目なものとの不和、場違いな笑いというスキャンダルへの憤慨だった。というのも、アジェラストたちがどんな諧謔にもいちいち冒涜を見るのは、じっさいどんな諧謔も一つの冒涜「である」からだ。喜劇的なものと聖なるものとのあいだには決定的な非両立性があるので、ひとはただ、どこで聖なるものが始まり、どこで終わるのか自問することができるだけだ。それは<神殿>だけに閉じ込められているのか?それともその領域はさらに遠くにまで広がっていて、母性、愛、祖国愛、人間の尊厳といった、偉大な世俗的価値と呼ばれているものまでをも引き入れてしまうものなのか?人生が全面的かつ無制限に聖なるものだと思う者たちはどんな冗談にも苛立ち、公然たる、もしくは陰険な苛立ちをもって反応する。なぜなら、どんな冗談のうちにも喜劇的なものが明らかにされるのであり、そしてこの喜劇的なものが、それ自体として人生の聖なる性格への侮辱になるのだから。>


ヨーロッパ近代小説を創始したセルバンテス、ラブレーへの強い憧憬や、ドストエフスキー、トルストイ、フロベール、カフカを中心とした<世界文学>というジャンルを、そしてそれらの小説としての機構を、クンデラ節で興味深く説明しているあたりは読み飽きない。テーマは極めてシンプルで、小説芸術のあり方、社会との関わり方、小説家とは、などといった内容をクンデラなりに(しばしば音楽的な比較を用いながら)説明しているが、それらがクンデラによる既存の小説で体現されているのは確認するまでもない。
どうでもいいが、比較的最近のクンデラの写真を見たら、当たり前だがじいさんになっていた。僕の知っている、「別れのワルツ」や「存在の耐えられない軽さ」の頃のクンデラはもういないのだと思うと少し悲しくなった。老いに関しても「カーテン」の中では少し記述があるが、キューブリックが最後に「Eyes wide shut」でやってくれたように、クンデラにももはや怖いものなしといった態で最後に思いっきりクンデラ節を爆発させたような作品を書いてほしいものだ。他の小説でも表現されているように、小説家は歴史の舞台に自ら登る者ではなければ、そこで舞踏するものでもない。舞台を舞踏者としてでも観客としてでもなく、舞台横から怜悧に眺め、舞踏者と観客とを批判的(クンデラの場合しばしば皮肉的)に記述する者である。それは、「カーテン」では脱走兵という隠喩を持って語られる。クンデラが「芸術まがいの幼稚な駄弁」と批判する同時代的な小説家とは異なり、本来的な小説家は孤独であり、傍観者であるが故に人類への絶対的な同盟に耐えられないというクンデラ自身の人生観には、どこかひどく同意する何かがある(そしてそれは、晩年の漱石の作品に見られるような頼りないものではなく、しっかりと根を持った強い何かなのである)。


<<歴史>、その大きな原因、その英雄たちが馬鹿臭く、喜劇的とさえ見える時があるが、<歴史>をそんなふうに見ることは困難、非人間的、さらには超人的でさえある。たぶん脱走兵たちにはそうできるのかもしれない。シュヴェイクは脱走兵である。といっても、言葉の法律的な意味(非合法に軍隊を離れる者)ではなく、大きな集団的紛争にたいする全面的な無関心という意味においてだ。政治的、法律的、道徳的といったあらゆる観点からして、脱走兵は不愉快きわまりなく、断罪に値し、卑怯者や裏切り者に近い者と思われる。小説家の目にはそれが別様に見える。脱走兵とは自分の同時代人たちの争いに意味を与えることを拒む者なのだ。大量虐殺に悲劇的な偉大さを見ることを拒む者。<歴史>という喜劇に道化として参加することに嫌悪を覚える者。彼の大局観はしばしば明晰、きわめて明晰だが、この大局観のために、彼の立場はもちこたえるのが困難なものになる。それはみずからの同輩たちとの縁を切らせ、彼を人類から遠ざけるのである。>

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写真

最近また写真が撮りたくなってきた。中盤フィルムでよく撮る。6×7の絵を一度見てしまったら35mmにもデジタルにももはや戻れない。PENTAX 67Ⅱ、PENTAX K7、PENTAX ME、Nikon F100、Fujifilm FinePix S3 Pro、BESSA L、BESSA R3Mなど気づいたらフィルムカメラばかりになっている。やはりフィルムで撮っているときの方が楽しいからだ。ジャーナリストのように、デジタルでパシャパシャとフラッシュを炊きながら大量に撮ることが野暮に思えてきた。一枚だけ、本当に美しいものがあればそれでいい。

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