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久しぶりに更新。最近のことを書こうかと思ったが、自分の近況などをぶっ飛ばすほどの地震が起きたので、そんなことはどうでもよくなった。

最初に地震の報道を聞いたとき、マグニチュード8.8と聞いて、とうとう危惧されていた大地震が起きたのだと思った(海外メディアのCMT解では当初から9.0と報道されていた)。当日は、死者数20数名ほどしか報道されていなかったが、これが間違いないなく歴史的な規模の地震であることは明らかだったので、総被害の1%にも満たない状況把握であることは容易に想像された。歴史上最大規模の地震は1960年のチリ地震でマグニチュード9.5と言われているが、去年のチリ地震ではマグニチュード8.8で、地球の自転速度が変わったり、地殻の隆起からチリの国土面積が増えたりしていた。チリだからこそ、被害者は1000人に満たなかったが、その規模の地震が日本で起これば被害者数は確実に万単位になることは必須だった。そこまで冷静に考えてから、緊急事態的なニュース報道を見ていると、なんだか妙な気分に陥った。

今まで、スマトラやチリ、ハイチやアイスランドで自然災害が起こったときも、客観的に自然災害について思いを馳せる以上の心境の変化は自分の中で起こらなかった。自然災害は不可避のものだし、誰の責任でもない。起こってしまえば、それがその人の寿命だと、そんな風に思っていた。実際、自然災害で死ぬことと、交通事故で死ぬことの間に、大きな差異を見いだすことなどできなかった。

しかし、今回の災害で陥った妙な気分をどう説明すれば良いだろうか。僕の中では、今までのように、客観的に処理できる事象のはずだった。僕の周りでは被害はなかったし、関東の知り合いに関しても、コンタクトを取った人は全員無事だった。東京や横浜の直接被害は大きなものではないし、放射線による二次災害もメディアで騒がれているほどのものではないだろう(基本的に今回のことに関しては、英米メディアの報道はセンセーショナルすぎるように感じる。それに牽引されて、日本の政府や当該者が何か重要事実を隠蔽しているかのような疑惑を呈しているが、あの程度の放射線量で被曝したところで身体的な影響や癌との因果関係は科学的に実証されていないし、彼らが"Worst scenario"と呼ぶメルトダウンが起こったとしても、半径30kmのevacuation zoneに入らない限り基本的に問題ない。チェルノブイリの時も、爆発が起こり放射性物質が上空500kmくらいまで拡散したらしいが、実害が出たのは30kmゾーンだけだった。本当に危険なのは数百Svからで、ミリとかマイクロの単位では身体的に対する影響のいかなる証拠もない。汚染された物質を摂取するなどの内部被曝を避ければ、都市圏での被害はほとんど皆無だと言えるだろう。アメリカやフランスのように、日本在住の外国人に避難勧告を出すなどやりすぎの対応だ、アイスランドが噴火して硫黄や一酸化炭素をヨーロッパ中にまき散らしたときでさえ、誰もヨーロッパの終焉だなどと騒がなかったにもかかわらず。そんなことより、東北地域の直接被害の方がよっぽど深刻であり、SF的なGE製の老朽化した原発施設(それも、最新のものに変えようとしていたところ、原発反対団体に阻害され、なかなか施設を建て替えられなかったらしい)の後処理よりも、人的救助のほうがずっと重要であり、報道すべき内容ではないだろうか)。

このように状況を俯瞰しながらも、僕は妙に悲しく、妙にいたたまれない心境に陥り、地震について軽率なことを言っている連中に妙に腹が立っていた。今まで、日本という国に対して帰属意識を持ったことなどなかったし、東北の人間に対する思い入れが南米の人間に対するそれに比べて大きく異なっているとは思っていなかったにも関わらず、妙に主体的に今回の事件をとらえている自分がいた。この一週間、この気持ちを説明することは極めて難しかった。むずがゆいような、かゆくていたいような心境が続いた。自分がそのことに関して無関係でいることに罪悪感のようなものを感じ、まるで自分の境遇を案じるかのように、最新の動向をチェックし続けた。

この感情は、災害そのものというより、ここ数ヶ月の僕の心境の変化に起因する。ここ数ヶ月の間、様々な変化が自分の内外であり、心臓にプロボクサーのストレートを何度も入れられるような思いがした。鉄の心臓だと思っていた自分の心臓も、一発一発殴られるたびにひどく弱まり、ぼこぼこの奇形になっていった。揺るぎないと思っていたものの融解、堅牢だと思っていた基盤の瓦解、大切にしていたもの喪失。ここ数ヶ月の間に、自分の内部的環境が変わっただけではなく、外部的環境も同時に大きく変わってしまった(そして、そのすべては僕自らが引き起こしたものだ)。僕から見える世界はまた一層色彩を変えて表れ、それは以前のように夢見がちな青年の美しいだけの桃源郷でも、怜悧なニヒリストの頽廃とした世界でもなく、極めて現実的で、凡庸なものとなった。自分はいかにもありふれた人間であり、ただ人より少し優秀であるに過ぎないと、妙な納得感を持って感じるようになった。自分が立脚していたものがなくなれば、自分は何者でもなくなるのだ。

これからのことを考える。これから僕はますます凡庸になり、ますます誰もが歩むことのできる道を歩んでいくだろう。自分の脳みそを某かの為に効率的に使い、そのためだけために使い、現状の世界や存在そのものに懐疑的な思いなど持たなくなってゆくだろう。存分に苦しんだと思っていたし、苦しみこそが人間の人格を形成するといった考えは、ただの驕りに過ぎなかった。苦しみに悲しみの主題が混ざり込み、音のない嗚咽、実体のない涙、消え失せつつある自我とともに僕は生きていくだろう。そこにも、一陣の希望はある。しかし、期待は失望の元であり、希望は喪失されるものであることを、幾度となく実証されてきた今、そのような希望に縋って生きていくことは出来ない。冷然と生きていくしかないのだ。