旧東海道逢坂越え(6)より

 

7回目の掲載にて、やっと逢坂を越えるところまでやって来ました。関所跡地の建屋にあった案内板を確認して、先へ進むことにします。

 

蝉丸神社

 

案内板には逢坂越え周辺の地図と共に、逢坂越えや車石、大津算盤などを紹介しています。後者はこれまでも触れてますので、地図を見ておくことにします。

 

 

画像では、地図上の現在地(赤い吹き出しが示す所)周辺を拡大し左下に掲載しています。「蝉丸神社」「関蝉丸神社上社」「関蝉丸神社下社」と、“蝉丸”の名が多く登場しています

 

案内板によると、「蝉丸神社」が歌人である蝉丸を音曲芸道の祖神として信仰したもの、「関蝉丸神社上社・下社」が、旅の平安を祈る関の明神を祀るとともに蝉丸の例を合祀するようになったとのことです。

 

以前に何も知らずここを通った時は、蝉丸を名乗る神社が複数あって少々混乱していたことを思い出しましたが、説明で頭も整理ができました

 

今回の散策では「蝉丸神社」「関蝉丸神社上社」には立寄っておらず、「関蝉丸神社下社」に立ち寄っています。これはまた別途取り上げます。

 

峠の国道法面

 

そして、国道1号に合流します。

 

 

なお、ここからしばらく2022年訪問時の画像と共に、2015年訪問時の画像も織り交ぜながら紹介を進めます。早速登場した上の画像も、2015年のものです。

 

現在歩いている道路が国道1号で、その上を跨いでいるのが東海自然歩道の歩道橋になります。残念ながら、国道から歩道橋に上がる階段などはありません。歩道橋からの逢坂越え画像を撮りたかった。。。

 

画像右側に見えている法面(のりめん)には

 

 

逢坂越えという事で、ここでも登場。

 

これやこの 行くも帰るも 別れては

知るも知らぬも 逢坂の関

 

というわけで逢坂越えに別れを告げて大津市街地へ下ることになりますが、国土地理院の地図でルートを確認しておきましょう。

 

 

現在地より逢坂越えし、国道1号を地図上で上を目指して進みます。国道はこの後名神高速の下をくぐり、京阪電鉄京津線と並走していきます。

 

またしても“鉄”話題

 

名神高速の下を潜ります。下の画像の上部に黒い影が見えるのが名神の橋のアーチ下部で、2015年当時は工事のため安全用のシートに囲われてました。

 

 

画像右の線路が京阪電鉄京津線になりますが、国道と同じ勾配で頑張っています。

 

この少し先で、線路側での勾配を示す標識を見かけました。

 

 

「41.3」と書かれています。単位は「‰(パーミル)」となり、(4)で大谷駅を紹介した時も40パーミルの値が出ましたが、41.3‰は「1000m進むごとに41.3m上る」という値だそうです。

 

 

同じく並走する国道で同じ勾配をトラックなどもガンガン上がっているのに、なぜに鉄道だけ勾配の大きさが挙げられるのかというと、鉄道は滑りやすい鉄レール&鉄輪の組み合わせなので、上り坂に強くないからなんです。

 

その代わり平地では滑りやすさが有利(車で言うところの燃費が良くなる)となるので、やむを得ないのかもしれません。

 

電車も滑らないよう、頑張ってるよと。

 

今は見ることができない、懐かしいカラーリングだ!

 

君も頑張れよという事で・・・

 

 

最近ニュースで見かけてないような気がします。コロナで自粛されてる?

 

また寄り道も鉄の匂いが

 

更に大津市街地側へ下り、下の画像奥に見える信号機のある交差点で国道1号より分岐し、浜大津方面へ進みます。

 

 

画像は浜大津側から振り返った構図になってますが、右側へ少し寄り道します

 

地図にも追記しているので答えは分かっているのですが

 

 

旧逢坂山ずい道(旧国鉄東海道線逢坂山トンネル)の東口を拝みに行きます。

 

もちろん、(5)で紹介した「お墓風」ではありません。他のサイト等でも多く取り上げ紹介されている、有名な“ホンモノ”です。ただ、チョットダケですが。。。

 

旧東海道逢坂越え(8)

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