逢坂越えの手前で旧東海道を逸れ、少し寄り道をします。
逢坂山とんねる
(4)の最後の画像に少しだけ手を加え、再掲します。
「↓」を追記しているのですが、そこにあるものを見学します。
そこにはお墓にも似た、記念碑が立っています。
表面には
旧東海道線
逢坂山とんねる跡
と記されています。
「跡」なので、「お墓」だと認識しても合っているように思います。
向かって右側の側面には、特に文字などは刻まれていません。
裏手に回り込むと、いろいろと記されています。
見辛いので、下に書き出しておきます。
明治十三年 日本の技術で初めてつくった
旧東海道線逢坂山トンネルの西口は
名神高速道路建設に当たり この地下
十八米の位置に埋没した ここに時代の
推移を思い 碑を建てて記念する
地図で振り返りましょう。
記念碑が立っているのが地図上の★部分で、ここからグレーのライン(推測)で旧国鉄東海道線の逢坂山トンネルが通っていました。
トンネルより西側が名神高速建設の土地として流用され、逢坂山トンネルもやむを得ず埋没されてしまった。その記念碑・・・ということです。
東海道線の変遷については、下の記事でも触れています。
さて、ぐるりと記念碑を回り込み、残す側面を確認します。
昭和三十七年 日本道路公団
名神高速の開通が昭和38年7月なので、時間軸的には合っています。記念碑がその時に設置されたのかどうかは別として・・・
直接には見えていませんが、記念碑の右奥には、旧東海道線から置き換えられた名神高速が通っています。
記念碑から離れ、名神高速道路を眺めます。
かつてここを旧東海道線が通り、「大谷駅」があったそうです。
遥か昔の風景を想像しつつ、旧東海道の散策へ戻ることにします。