京都三条通を山科へ(2)より

 

荷車オブジェに見送られ、三条通より外れ旧東海道を進みます。

 

“ろか探”してる?

 

(1)で「ろかたりあん出現は無いだろう」と書いてますが、山科の住宅街では少し期待をしてしました。なぜかというと、過去に「異空間?山科」でレポートした通り出現事例があったからです。

 

というわけで期待を込めつつ不審者と思われない程度に路肩部分も注視して歩を進めます…が、結果としては市販の飛び出し坊やが普通に立っているのを数体見るだけで終わりました。普通にされてたら、レポートネタにし難いんです(ホンネ)。

 

 

例えば上の画像のような感じ。赤矢印の先に写ってますね。もともと今回は期待はしてなかったので、がっかりはしてません。なんだか、中島みゆきさんの「あした天気になれ」の歌詞のようですが。絶望的観測やったん?

 

旧東海道について

 

今でこそ住宅街の細い道になってしまった旧東海道ですが、もしかすると明治時代頃であればまだメインの通りだったのではと想像し、お馴染み「今昔マップ」で同地を確認してみました。

 

 

明治末期の地図を確認してますが、既に主役は現・三条通となっていたようです。いろいろ事情があって、早い時期にメインルートの座を譲ったのかもしれません。個人的には、道路の勾配が結構きつい部分があったのも要因かなと想像しています。

 

と思わせるほどの、勾配のある所に差し掛かりました

 

 

奥に写る自転車のお兄さんも立ち漕ぎせざるを得ないほど、勾配がきついです。画像で“きつさ”は表現しにくいのですが…参考に路肩のブロック塀と路面に並行するよう補助線入れてみましたが、なんとなく感じていただけるでしょうか。

 

今回は下る方向だったので助かりました。上り方向だったらUターンしてたかも

 

旧東海道を外れる

 

きつい勾配も収まり山科の街中に入り始めたあたりで、旧東海道を外れたルートを取りました。下の地図で判るように、このあとすぐに旧東海道が三条通に合流すること(≒“ろか探”がより期待し難い)と、本日の目的地が旧東海道から少々外れたところにあるからです。

 

 

地図右下の、赤い矢印の方向へ進んでます。途中でJR琵琶湖線(東海道線)の下をくぐるのですが、歴史を感じさせてくれる隧道になっています

 

こういう類を紹介してくれるサイトも多くありますので、この隧道に対する詳しい話はそちらに委ねたいと思います。山科を含む京都~大津間の鉄道開業は、当ブログ内「輝ける星」で紹介の通り100年前となるため、この隧道も100年経っているのだろうと思います

 

 

隧道をくぐった先の交差点を左折し、程なく三条通にでます。「なんだ、三条通に出るんだったら旧東海道をそのまま進んでも良かったじゃん」とおっしゃるあなた、そのご指摘は正しい。隧道見たかったの・・・

 

リベンジ達成

 

そして三条通を南下すると、見えてくるのが私の大好きな看板

 

 

やっぱし!(大汗)

 

いえね、本文冒頭でもリンクしている「異空間?山科」のオチで、このお店に向かうも店舗事情で食にたどり着けなかったことを書いてます。そのリベンジを果たしに来ました。別に他の天一で食えたらエエやんといわれそう(汗)。

 

この日は営業されてましたので、リベンジ果たします。早速オーダーしました。

 

 

また唐揚げ定食ですか!

 

好きなんだから許してください。

 

この後は旧東海道へ復帰し、山科駅からJRに乗車し帰路につきました。ということで、山科までの話はここで終わりとなります。続きは下記リンク「旧東海道逢坂越え」にてご覧ください(2023/4/9追記)。

 

ではでは

 

旧東海道逢坂越え(1)

【メニュー】旧東海道探索(京都、滋賀界隈)