京都三条通を山科へ(3)の続きとして、山科駅から大津方面を向けて旧東海道を歩きました。訪問は2022年のゴールデンウイークでしたが、1年ネタを放置してしまった(汗)。
山科より大津方面へ
山科駅から旧三条通(旧東海道)を東へ向かいます。
地図に記すと、以下の通りになります。
東へ向かうと、京都府と滋賀県の境を越えます。この辺りが百人一首でも有名な逢坂越えとなります。そこから進行方向が北東へ変わり、大津駅周辺へ達します。
簡単にですがルートを確認できましたので、早速、山科駅を出発しましょう。なお、山科駅周辺の画像は撮影していないので割愛です(汗)。
駅前ロータリーより一旦南下し、程なく旧東海道に出会い東へ向きを変えます。
ここが境ですか
車は一本南側の現・三条通(良く渋滞する)を通るため、こちらはそれほど交通量は多くありません。もちろんゼロではないので、車に注意しながら歩きます。
特段、時代を感じさせるような建築物は見当たりません。旧東海道で合ってたっけと確信が持てなくなりそうになる時に、「旧東海道」と記した小さな標識がガードパイプにぶら下がってました。
と、自然な流れで掲載した上の画像ですが、この場所が実は府県境なのです。急にそんな話をここで振られても・・・あと府県境って、逢坂越えの山の中とちゃうのか?
Google mapさん曰く、
ストリートビューで、先の「旧東海道」看板が写っています。少し見辛いですが下に表示されている地図に、府県境の点線が描かれてます。ちょうどその点線上に立っている状態にあります。
また、府県境におけるバグなのか、ストリートビューの地名表示が「大津市, 京都府」になっています。そういや昔、府県合併の議論についてネットニュースで見かけたのを思い出しました。話には関係ないですが(汗)。
というわけで、山科駅から東へ1kmほどの住宅街の中に、両府県の境があるというお話でした。
車石
滋賀県に突入し、引き続き街中の旧東海道を歩きます。
京都府内とあまり道周りの雰囲気が変わらないと思いつつも、滋賀県に入ったことを認識させてくれるものも見かけました。
やっぱり、滋賀県には飛び出し坊やですね(爆)。
その先で、ちょっとした説明看板などの設置があるのを目にしました。
書かれていたのは「車石」についてでした。「京都三条通を山科へ(2)」でも紹介してますので、ここでは軽く触れるだけにします。
看板の右下に、実際の車石の一部も置かれています。
国境
その車石の右上に、小さな文章が掲載されています。ちょっと見てみましょう。
江戸時代この地は近江ノ国横木村
(園城寺領)で京へ向かい左側は
山城ノ国山科の禁裏御料(天皇の
領地)で大津に向かうと奈良街道
分岐点の追分から逢坂山へは天領
(江戸幕府の直轄領)と・・・〔以下略〕
ということで、先程府県境を越えた通り現在地は滋賀県(近江国)となるわけですが、昔は園城寺(大津市の三井寺)の領だったようです。逢坂を越えて、山科の地まで領地を持ってたわけです。
逢坂より山科側だったけど昔は園城寺領だった → 近江国に含まれた → 滋賀県になった ・・・ということから、府県境が逢坂ではなく山科側に食い込んだ形になったということなのでしょう。
また、この先に奈良街道との分岐点もあるようです。
・・・ということを頭に収めつつ、更に東へ進みます。
正面に、車道が通せんぼをしています。
横切っている道は国道1号で、ちょうど名神京都東インター付近となります。滋賀県に入ったというのに京都のインターなんて・・・と混乱される方も居られるのではとも思います。
名神の建設時には、こちらを大津インターと命名する案もあったそうです。うーむ。
真っ直ぐ国道を突っ切れそうにないため、左方向へ国道1号に沿って歩きます。
ではでは