今どき、「給料を払ってくれるのは会社」と思っている人がいるなんて。


◆今日の一言
No.437(07/5/5)

『労働組合は、共産主義の学校である』(レーニン)





FUNで最も人気がある『マネー塾』の中でも、特に学生さんが青ざめる回は、第⑦回の「世の中で一番高い買い物~赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ~」です。


この中で、「給料を払ってくれるのは、会社ではない」という事実を説明しているのですが、そこでは誰もが学校で習ったある言葉が登場し、「一体、私たちは何を教わってきたのか?」と教育に疑問を抱くきます。


僕が社会主義や共産主義が嫌いであることは、長年の読者の方であればよくご存知だと思います。


今日は「給料」に対する見方から、就職や仕事のあり方を考えてみましょう。



今どき、「給料を払ってくれるのは、会社だ」などと考えている時代遅れな若者はほとんどいないでしょうが、ちょっと前は、かなり多くの人がそう誤解していました。


まともな常識を持っている人であれば、お金はお客様の要望を満たした時以外に生まれないことを知っているでしょう。


会社はそのような「売上金」や、株主から預かった出資金、金融機関から借り入れた負債を一括して預かり、定期的に「分配」するだけの存在でしかないことは、お金を使ったことがある人なら、誰もが知る事実です。



つまり、「給料を払ってくれるのは、お客さんだ」というのが正しい認識です。全ての収益は、解決者たる企業と問題保有者たる顧客の合意が成り立った瞬間に生まれ、それが貨幣によって数値化されます。


会社は確かに現金を手渡してはくれますが、「給料」という名のその現金は、別に問題を解決したり合意を生んだりしたから生まれたのではなく、既に解決済みの問題から生まれた収益金を、「給料日」という期日に手渡しているだけに過ぎません。


よって、「給料を払ってくれるのはお客」で、「給料を手渡してくれるのは会社」ということは、子供でも理解できることです。



しかし、過去には、大学に進学したくせにこんな単純な常識を理解できず、「モノ」でしかない硬貨や紙幣に幻惑されて、「給料を払ってくれるのは、会社だ」と錯覚した未開人が多く存在した時期があったのです。


そして、「会社が払ってくれる」と誤解したばかりに会社に頭を下げ、会社から解雇されないために胃薬を飲み続けてストレスに耐え、給料が低ければ会社、とりわけ経営者や資本家を恨む、という倒錯心理に陥った人々もいました。


俗に、「共産主義者」と呼ばれる人たちです。僕は、この「経済未開人」を観察するのが好きなので、今までに色々と文献を読んできました。



わが国の教育や行政はこの未開人に握られており、その影響は子供の頃から繰り返し、繰り返し、「義務教育」という名の調教によって浸透しています。


たとえば、「マネー塾」では、「労働三権」のバカバカしい倒錯心理について説明します。


中学校の頃、「労働者の権利を保障し、幸福を増大するための素晴らしい権利だ」と太字で覚えこまされた「団結権、団体争議権、団体交渉権」の総称です。



「労働三権」は、要するに、「給料を払ってくれるのは会社」、「労働者を搾取しているのは経営者や資本家」、「自分たちは多く取り、労働者には少なくしか与えないのは悪い」という思考基盤がなければ成り立たない発想です。


経営者や地主、資本家などの「金持ち」は悪人でずるがしこいから、労働者は団結して「組合」を結成し、組織力で経営陣と争い、交渉していかねばならない。


「そのための権利を、憲法ではしっかりと保障しているので、みんなも覚えておけよ」。



そういう位置付けで、蛍光ペンでマークさせるわけです。よくできた洗脳教育です、ほんと。



…面白すぎる。

どうやら、本気で「給料を払ってくれるのは、会社だ」と思っているようです。


会社が独自でお金を生み出すことができるなら、それは「偽造」か「資産処分」しかありえないはずですが、経済未開人には、そんな単純な事実も理解できないのです。


専門用語で説明してもあまりにバカバカしいこの話を、マネー塾ではある動物と昆虫を使って説明しています。



~あるところに、犬がいました。犬は勤勉で、毎日朝早くに起きて食べ物を探し、自力で生活していました。


その犬の背中には、数匹のダニが寄生していました。ダニたちは犬の血を吸って生活していました。


ダニたちは長い間同じ量の血を吸っていて、そろそろ、自分たちの分け前を増やしてほしいと思うようになりました。


ボスダニの説得でダニたちは団結し、犬と交渉することに決めました。


「おい、犬!もっと多くの血を吸わせてほしいが、それは可能か?」。


犬は、「それは、ちょっと待ってほしい。最近はエサを探すのも大変で、今までの量ならよいが、増やすのはかなり難しい」と答えました。


ダニは、「何だと!おまえ、たくさんの血を持っているくせに、さては、オレたちに分けたくないばかりに、隠してやがるな!」とたたみかけました。



子分のダニたちも、「犬はその気になれば、もっと多くの血をオレたちに支払えるはずだ。犬と闘争して、もっと多くの分け前にあずかろう!」とけしかけました。


ダニにとって、犬がどれだけ苦労してエサを探し、栄養を補充して命を保っているかなど、どうでもいいことでした。


だってダニには、「血の出る場所」だけが大事で、血の保有者である犬がその量を計算して、少なくしか与えてくれないと思えていたからです。



ダニたちは5月1日に犬に向かって闘争を挑み、強気の交渉を経て、今までの2倍の血を吸わせてもらう契約を結びました。


ボスダニは「犬との闘争に我々は勝利した。我々の団結、団体交渉、団体争議が実を結んだのだ。明日からはもっと多くの血を取り戻すことができる」と宣言し、子分ダニたちも、「勝利だ!」と喜びました。


翌月からダニたちは今までの2倍の血を吸い始め、犬はみるみる衰弱し、数ヵ月後、体力を維持させるに足る量の血液を確保することができず、死んでしまいました。



「やった!ついに我らの敵、犬は死んだぞ!」と喜んだダニたちは、瀕死の犬の体から競って血を吸いはじめましたが、犬が死んだ後は血が補充されなくなり、ダニたちも後を追うように全滅してしまいました。


寄生虫に過ぎなかったダニたちは、自分たちの死を目の前にして初めて、犬がエサを取ってこそ、血が生まれていたという当たり前の事実に気が付いたのですが、既に手遅れで、ダニたちも死んでしまいました。

おしまい。~



というだけの話です。


要するに、「給料を払ってくれるのは、会社だ」などと考えている人は、このダニと全く同じだということです。



口では「我らの敵、金持ちを打倒するぞ!」と勇ましいことを言っていますが、やっているのはただの「集団自殺」です。僕たちのような経営者には、「みんなで仲良く死ぬぞ!」としか聞こえません。


赤信号をみんなで渡れば、みんな確実に死ぬだけのことです。


「未開人は、矛盾に鈍感である」というレヴィ・ストロースの言葉は、わが国にもよく当てはまる一言だと感じずにはいられません。



血液は、外部から摂取した食物や栄養によって初めて確保されるもので、本当に血液の総量を増やし、その純度を高めたいなら、背中に乗っているだけでよいダニの役割は、犬にエサの居場所を教えるか、犬が活動しやすいように応援することであるべきでしょう。


ダニはダニらしく、ダニの本分を尽くせば、それでよいのです。


しかし、経済未開人のダニには、そんな簡単なことも理解できません。だって、「労働三権」という「ダニ憲法」を頭脳に徹底的に注入されているからです。


労働三権を正しく翻訳するなら、「団体恐喝術」とか「タカリ交渉術」とでも言っておけばよく、「労働者の権利」などと呼ぶのは、わが国一流のジョークでしかありません。

まさに、「スーツを着た暴力団」と呼ぶほかありません。


ソ連が崩壊し、バブルが崩壊して、お金に関する本が一般書店でも多く販売されるようになって、本当によかったと思っています。バブルで損したのは、金持ちの見かけを真似した貧乏人だけだというのも、面白いポイントです。



「金持ちは悪いことばかりしてる」
「金持ちは貧乏人から搾取している」
「労働者は団結して資本家から富を奪回せよ」

ダニのこのような口ぐせを理論化し、壮大な思想体系にまとめたレーニンは、「労働組合は、共産主義の学校である」という言葉を残しています。



「経済的に恵まれておらず、思想的に未開である賃金労働者を宣伝・煽動であおり、資本家を倒す兵隊として調教せよ」という教えです。


その理論によって実験国家を作ったソ連、中国、東欧、北朝鮮は、その後、どうなったでしょうか。


日本ではここまで過激な理屈が社会を覆うことはありませんでしたが、義務教育や経済観念には社会主義的価値観が膨大に流れ込み、今もって、「給料を払ってくれるのは、会社だ」、つまり「I am ダニ」と言う人が多いのがユニークなところです。



本メルマガの読者たる賢明な学生の皆さんには、まさか、「給料を払ってくれるのは、会社だ」などというダニ思想を信奉している人はいないでしょうが、世の中、こういう矛盾に陥って有害情報を振りまく人もいるので、注意しましょうね。


こういう未開心理は、就職以前の問題です。

給料は、お客様の悩みに共感し、お客様の問題を解決し、お客様の喜びを創造した時に、初めて支払われる有り難い報酬です。卑しいのは利益ではなく損失です。


正々堂々と、明るく素直に収入を稼ぎ、自信を持って健全に将来設計を行えるよう、内定後は、ぜひ会計や経済思想を学んでみてはいかがでしょうか。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門85位、就職・アルバイト部門53位です。

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◆今日の一言
No.436(07/5/10)
『新しいとは、変えなくても通用するということだ』





デビュー作、

『イマドキの若いモンは 会社の宝だ!』

の表紙ができあがりました。



昨日の「マネー塾」で見てくれた学生さんの感想は、ほとんどが…


「かわいい!」
http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0074

とのこと。


この表紙で、総ページ数320Pの「会計教育・業種研究」の本なのだから、手に取った方はどんな反応をするのか、今から楽しみです。これからも、違和感バリバリの本を書いていきたいものです。



経済誌出身の僕のセンスじゃ作れない配置、デザインで、人生初の著書が水色の表紙になることにちょっと照れもありました。


しかし、本書は学生さんと地道に学んできた記録なので、主要読者層である若い方々が喜んでくれるデザインが一番いいのだと嬉しくなりました。


㈱オンブック・メディアプロデューサーの中村様、デザイナーの方、どうもありがとうございます。


7月頭には、『第14回・東京国際ブックフェア』でのトークショー&サイン会の機会もいただき、世間を狭くしようと努めてきた僕も、今後は活動範囲が広がりそうです。



さて、昨日は2週間ぶりの「マネー塾」で、久しぶりに学生さんの前で話しました。


現在、第4期となるマネー塾には、これまでも多くの個性的な学生さんが参加してくれ、新入社員となった方々からも、「社会に出て、マネー塾の内容が役立っています」という報告を何度も頂いています。


今回の第4期もあと3回で終わりですが、参加者の特徴を一言で言い表すなら、とにかく素直であるということです。



耳が痛い①~③の「支出・負債編」を終え、常識が変わる④~⑥の「収入・資産編」も終え、昨日の⑦では経済の見方を学びましたが、みな真剣なまなざしで聞き入ってくれ、毎回ながら、感想や質問が深い部分から繰り出されることに大きな期待を感じずにはいられません。


昨日は、完全成果主義の外資系生命保険業界で、驚きの継続率を達成し続けているM生命の田代さんもオブザーバーとして参加してくれましたが、「学生のうちからこんな本質的なことを学べているなんて、とにかくすごい!」と皆さんの積極性に驚いていました。


今学んでいることが、将来どれだけの収入として返ってくるか、ぜひ楽しみにしておいて下さいね。


使っても使っても、お金が減ってくれない…そんな習慣を身に付ける時期として、20代前半ほどふさわしい時期はありませんから。



今年度のFUNは、5月頭なのに、サークル紹介ツアーや口コミなどで、既に20人を超える見学者が訪れているとのこと。


今月からは僕の「公開講座」も全8回開催され、併せて自著も発刊されるということで、どれだけ部員が増えるのかと思います。


しかし、人が減っても増えても、物事の本質を学び続ける姿勢は変わりません。



今まで4年間で、全28講座・440回のサークル内講義を行ってきましたが、それら全ての構想、下書き段階からいつも考えているのは、「最新、最高、最適の知識と考え方を分かち合う」ということです。


若者、とりわけ学生は「新しいもの」が好きです。刺激に敏感で、少しでも速くトレンドをキャッチしたがり、仲間内で流行に敏感な人は重宝されます。


でも僕は、そんな可能性に溢れた若者たちが、どうも「新しい」ということの定義を間違っているのではないか、と感じてきました。



「新しい」とは通常、

①今までに表現されず、存在しなかった物事
②同種の役割を果たすうえで、後発的に発生した物事
③時系列的にできるだけ「最近」か「未来」に生まれた物事

などと考えられています。



しかしこれらは、いずれも「発生時期」や「発生原因」という始まりから見た捉え方で、ファッションや音楽、映画などには当てはまっても、新しさの本質を見誤る間違った考え方です。


それどころか、「新しさ」の断片的な部分しか説明しておらず、認識を混乱させる定義です。


「新しい」とは、発生時ではなく、その果たす効用を見極めるため、結果から考えてこそ理解できます。



「新しい」とは、

①目の前の現実を打開するのに役立つこと
②新たに到来する問題に対し、既存の方法のまま応用できること
③一つの物事が複数の問題解決に適用できること

とも考えられます。



物事自体の新旧ではなく、あくまで現実打開や問題解決に有意義である、ということが「新しい」ということです。


逆に言えば、後発的なものであれ、既に現実への適応性や解決力を失って通用しなければ、それは「古い」といえます。



ということは…


「後に生まれたものであれ、使い物にならなければ、古い」

「昔に生まれたものであれ、今も未来も使えるなら、新しい」

という、世間の通念とは全く逆の定義が成り立つことになります。



もっと分かりやすく言えば、効用や結果から考えて、「古くても、今も残っているもの」ほど新しく、「登場しても、すぐに消え去るもの」ほど古いということになります。


先ほど、「若者は新しさの定義を間違っているのではないか」と書いたのは、こういう意味です。



「古い」を、現実への適性を欠き、問題解決に対しての有用性、耐性を失った状態であると考えれば、古いものは滅びるという当たり前の事実が理解できます。


それよりも、「滅びたものが古い」と結果から定義した方が、過ちが減ります。


生まれたのが昔であれ、今も残っているというのは、文句なくそれが本質的で新しいということです。伝統こそ常に「最新」、流行こそ常に「最古」であるともいえます。



発生時期や原因から新旧の判断を行い、物事の価値を決定する人は、「昔から残っているもの」を文句なく「古い」と決め付けるという認識錯誤に陥りますが、じゃあ、その人が重宝する「新しいもの」を受け入れてきた結果、今はどうなっているでしょうか。


おそらく、その人自身が現実への適性を欠き、暗い気分に浸っているのではないでしょうか。


要するに、いつも新しいものばかり追い求めている人たちこそ、最も古い頭を持ち、もっとも原始人に近い状態で生活している、ということです。



以前、「君たち学生ほど古い頭の世代はいない」と言ってひんしゅくを買ったことがあります。


「何だって?あんた、30超えたくせに」という顔をされましたが、人の新しさ、古さは年齢で決まるのではなく、考え方や心の持ちようで決まるものです。


心身ともに若かろうと、その人が現実への適性と耐性を欠いている時は、発想が古いか、あるいは考え方が制度疲労を起こしてさび付いている時だともいえます。



ということで、FUNでは一切、世間で言うところの「新しい物事」は教えないことにしています。


巷には、流行業界の最新トレンドなどを紹介したり、マスコミで取り上げられている最先端ファッションの関係者を招いたりしてイベントを行う団体などもありますが、僕はそんなのは、クロマニョン人か北京原人にしか見えません。


要するに、「未開人はすぐに消える流行でも追っておけ」ということで、いずれすぐに消え去っていくだけの流行や最先端情報を知ることなど、若いうちには全く意味を成しません。



出ては消えるだけの「新しいこと」を学ぶのに、何の価値があるのでしょうか。


価値があるのは、いついかなる時も通用する適応力を身に付けることで、新しさに対応でき、新しさを保つ根本的な原理原則を学ぶことです。


「新しいことをやれば自分も変わる」。そう考えているカモは、若者の中には特に多くいます。しかし、大半の人は中途半端で投げ出します。頭が古いからです。



新しいことに取り組んで結果を出し、いつでも再現できるまでのレベルに高めるには、古いこと、つまり「今も未来も通じる考え方」をしっかりと学んでおく必要があります。


次々と新しいことに手を出す人ほど、頭が古い人はいません。何かをじっくり続けられる人こそ、本当に新しい人です。


僕は自分の経験から、その「いついかなる時も通用する原理原則」が会計や古典、歴史にあると信じているので、それを自信を持ってご紹介しているだけです。



だからFUNでは、


「役立つ情報」を与えるのではなく、「役立つ情報の見抜き方」を教え、

「癒しや元気」を与えるのではなく、自らを動機付ける考え方を教え、

「認めてくれる人」を探すのではなく、自ら他人を認められる人になる、


という方針を大切にしています。




世の中には、矛盾に鈍感な人も多く、見かけが新しいだけで価値があると勘違いして追いかけ、後から振り返ってみれば、何ら意味あるものは残っておらず、残ったのは思い出と借金だけ、という若者も多いものです。


僕は、そういう若者から「時代錯誤」と言われたことがありますが、こういうコメントを聞いても、新しさと古さを取り違えた若者の精神構造に興味を惹かれます。


「自分が何を言っているか分からないような子供でも、大学に入学するくらいのことはできるんだなぁ」と。



学生の皆さん、新しい物が好きなのは分かりますが、同時にぜひ、皆さんがこれまで「古い」と頭ごなしに決め付けて見向きもしなかったような古典や歴史を学んでみてはいかがでしょうか。


それと同時に、皆さんが今、学校で学んでいる物事は、「教育」ではなく、「教育の手段」に過ぎないと知るべきです。


卒業とは「教育を終えた」という証明ではなく、「これからは、得たものを自分で組み合わせて生きていきなさい」という始まりのサインに過ぎません。



そして、社会人になって学生時代以上に多くの悩みや苦悶に遭遇し、深く打ちひしがれ、学生時代以上に落ち込み、失敗するようになったのなら、申し訳ありませんが、それはその人自体が次の時代には用がない「古い人」だと言うほかありません。


学生時代にこそ、変えなくても一生通用するような根本的な考え方を身に付け、一生を通じて吹き付ける風雪に耐える強い足腰を育てておきたいものですね。



江戸時代の儒学者・中江藤樹は、「学ハ其レ、人ニ下ルヲ学ブベシ」と言っています。



「本当の学問とは、学んだ後に他人の可能性が見えてきて、相手によらず自然に頭が下がるような人間になるものだ」という意味です。


大学を卒業して「よっしゃ、勉強終わり!」、「オレは大卒だぜ」、「私は高等教育を受けた女なのよ」などと言っていたら、それは本当の勉強など1分もやったことがない哀れな人間でしかありません。



「新しい」と「古い」。


誰もが知る基本的な言葉ですが、その本質的な考え方を人生態度に応用するのはなかなかできることではありません。


若い今こそ、本当の若さを発揮して、真に新しい物事を学び、将来の幸せを自力で作っていける準備をしていきたいものですね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門77位、就職・アルバイト部門43位です。

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◆今日の一言
No.435(07/5/7)
『最も優れた学校は、達人のそばである』(ドイツのことわざ)





寝坊でFUNゼミを休んでしまったのは、FUN発足以来、初めてのことでした。


心配してくれた学生の皆さんに「大丈夫ですか?」と言われ、「そんなに驚くようなことじゃないんだけど…」と本当の理由を話すと、「ぷぷっ!」と笑われてしまいました。


それは、金曜に長崎から遊びに来た甥っ子たち3人と仮面ライダーショーに行き、一番上の子供(6歳・22kg)を肩車していた時に起こりました。



肩車は毎年の恒例行事で、この5年近く、毎年「砂場遊び」、「サッカー」、「虫取り」、「ブランコ」と併せていつもやっていますが、こと、肩車だけは、するたびに子供の成長に驚くばかり。


先週も「こんな重かったっけ?」と思いながら、足だけを持って子供をぶんぶん振り回して遊んでいると、いきなりバランスを崩して右後方に倒れかけ、その瞬間…


グキッ!


こともあろうに、僕の目に両手を突っ込まんばかりの力で頭にしがみつき、思いっきり首で支えたら、それから首筋が痛いのなんの。



二番目の子供(4歳)は、そんな僕の苦しみも知らず、「おじちゃーん、僕も、僕も!」とはしゃぐので、30分くらい肩車をし、2歳の姪っこは「だっこ、だっこ」としがみついてくるので抱っこしながら、クタクタになりました。


まさに、「動く米袋」。帰ったら余計首が痛くなり、3回風呂に入ってマッサージしましたが、翌朝はついに起きられませんでした。


まさか、こんなことでFUNゼミを休むとは思っていませんでしたが、とにかく、8時には間に合いませんでした。部員の皆さん、すみませんでした。新入部員や見学者がたくさん来たそうで、次回を楽しみにしています。



さて、弟が来るといつものように経営や人生論について語り合うのですが、最近は子育てについての話題も増えました。もっとも、独身の僕は聞き役に徹してばかりで、未経験の分野だけに新鮮な発見が面白いです。


弟夫婦が子育てで大事にしているのは、


①子供の頃から本物だけを見せ、我を忘れるほどの感動を与えること
②何かの達人のそばに置き、作業をじっくり観察させること
③感想を精一杯の笑顔でほめまくること


だそうです。



これは、FUNではよく話している「ドイツの靴職人」の育て方と同じです。


徒弟制度が発達したドイツでは、小さい子供を職人の工房に連れて行き、終日、その技を見学させるそうです。


そうして達人の妙技を体感した子供は、10歳を超えた頃には、靴を見るとどれが本物であるか、どこがどうすごいかが分かるようになるといいます。


達人の側で本物に触れることで、作品の真贋や職人の心意気の程度を判定できるようになる、というわけです。



子供は成長するにつれて、俗悪なものや低レベルな遊びにも惹かれていくものですが、幼い頃に本物のすごさを味わっておけば、言葉では説明できなくても、退屈なもの、つまらないものを自ら拒否、断絶するセンスが身に付くし、これは良い教育だと思います。


一人の時間を一人で楽しめず、暇になるとカネを使わないと時間を消費できない青年も多くいますが、こういう人たちは幼い頃に本物に触れる機会を持たなかったのかもしれません。


人は孤独の中で集中せねば、何事もまともに身に付けることはできないので、「放っておいても、まだやってる」と親が呆れるほど夢中になれることを提示してあげるのは、幼児教育では大切なことだと思います。



「良い教育とは、幸せな子供を育てることではなく、どんな境遇に置かれても自らの力で幸せになれる子供を育てることです」という言葉もあります。


素晴らしい考え方だとは思いませんか?これは、美智子皇后陛下のお言葉です。


孤独に強くなり、人を思いやれる優しさを手に入れれば、子供はいつどこで何を経験しても、人を恨まず、強く逞しく育っていくのだと感じます。


うぅ…結婚したい。




この「達人の側で受ける人生最高の教育」を大学で実現できないだろうかと、2003年が始まった頃に、当時法学部3年生だった安田君と練り上げた案が、「企業取材」と「雑誌編集」でした。


内定も決まり、あとは自分の作業をやって卒業するだけ…


なんて平凡な終わり方は嫌だ。俺は自分が得た以上の知識と感動を得られる学習環境を大学に残して去りたい。そのために、新しいサークルを作りたい!



そういう安田君の情熱に打たれ、ならばこれはどうかと、僕が前職で経験してきた企業取材と雑誌発刊を中核的活動とするサークルを作ろう、ということになったわけでした。


感動を茶化し、借り物の話題で空しく時間を消化する多くの学生たち。チャンスを否定し、「ありえねぇ~」とひやかしながら、本当は堕落した自分を認め切れなくて悔しいはずの学生たち。


頑張ってレポートを仕上げても教授からは何のコメントもなく、いつしか流れ作業で勉強を進めることが「学問」だと錯覚した学生たち。



そういう大学に、本気で感動を発信し、受け止め、心の底から発する言葉で語り合い、過去や未来ではなく「夢で自己表現」ができるサークルを作ろう!


安田君はたった一人で3,000枚のビラを配り、23人も集めて、2003年5月16日、「企業取材サークルFUN」が誕生しました。もうすぐ、あれから4年がたちます。


取材数は500社に迫り、雑誌は通巻43号、投じた印刷代は4年で400万円を超えました。たった一人の熱意が全国数百人の学生に感動を届けるサークルになったのですから、本当に偉大な達成だと感動します。



「本気になれば、どうでもいいことは気にならなくなる」というのは本当で、企業取材で現場の最前線で活躍する経営者や社会人の話を聞いてきた学生たちは、目の色が変わりました。


なにせ、実際に自分で挑戦して結果を出している人生の大先輩から、「君ならできる!今なら間に合う!」とオーダーメードの言葉を授かるわけですから、燃えないわけがありません。


それまでは「バイトが…」とか「習い事が…」としぶっていた学生が、意を決して本を買い、誰に強制されなくても、単位が出なくても、就職に役立つかどうか分からなくても、「この感動を裏切りたくない」と努力し始めるのですから、「達人のそば」の効果は絶大でした。



偉大な成果は、みみっちい功利主義を排した時に生まれます。


取材記事を収録した掲載号に色紙を添えて届け、「ありがとう!社長室に飾っておくよ!何かあったら、すぐ私のところに来なさい」と言われた学生は、それこそ天下を取ったような自信満々の表情になります。


同時に、「今まで私は、何をしていたのか」と感じます。



「こんな自分が、人を感動させてしまうなんて」。


それまでは、自分が得をしたい、自分が幸せになりたい、自分が感動したいと器の小さいエゴの塊だった若者が、人のために尽くし、人を応援し、人に感動を届けることを将来設計の基盤に据えるようになっていきます。


未来に対する根本的な見方が変わり、働くことの意義や楽しさが一変すると、就職や就職活動に対する意欲や位置付けも一変します。



FUNでは小手先の就職対策は一切行わず、経営者や創業者の発想を学び、働く楽しさ、仕事の素晴らしさ、儲ける楽しさ、人を応援する素晴らしさだけを徹底反復して体験できるようにしています。


そういう心構えにならなければ、書類対策や面接対策をいくらやっても何の意味もないからです。


ひとたび触れた達人の心意気は、そうして、何ヶ月も若者の心の底に残り、いつも背中を押してくれる心強い同伴者になるわけです。



大事なことは、いつも後からじわじわとその意味が分かってくることが多いものです。



就活を迎え、選考が進むたびに「私の大学生活は、一体何だったのか」と悔やむのは二重に疲れますが、「あの時学んだことは、こういう意味だったのか」と再度、三度と感謝できるようになれば、その経験は未来にわたってその人を支えていきます。


FUNで就活を終えた4年生が、仲間や後輩の応援に自分の時以上の喜びを感じ、面接が楽しみでたまらなくなるのも、自分のやってきた学びに確信が深まっていくからではないでしょうか。



「就活で一番嬉しいことは?」と聞かれたら、FUNの4年生なら迷わず、


「それは、友達の内定です」と答えるでしょう。


理由は、自分のために頑張るよりも、人のために頑張るほうが人は成長でき、感謝されることが喜びと生きがいにつながるからです。



別に取材だけがそういう感動を得る手段ではありませんが、若いうちは本質的な感動に何度触れるかが将来の全てを決定しますから、スポーツ、芸術、アルバイトなどで、身近な達人を見つけ、なんとかして一緒にいる時間を確保し、成長につなげていきたいものです。


それまでは「人のマネはしたくない」とか言っていた人も、達人の側にいると、マネすらできない自分の能力の低さを反省して、「マネからでも始めたい」と思うようになります。


自然に振舞う仕事振りの中に一貫して流れる哲学を見抜けば、達人の心構えに興味を持つようになって、学びが止まらなくなります。



そうして一つのことに没頭していると、まさに「一芸は万芸に通ず」で、あらゆる物事の本質が深いところでつながっていることに気付くようになるものです。


就活でどの会社も学生に「学生時代に熱中したこと」を聞くのは、どういう素材を選んで自己成長、自己確認、自己反省を行ってきたか、またその程度はどれくらいであるかを聞いているわけです。


大事なのは、それが「どれだけ志望業界と関係があるか」ではなく、「どれだけ本気でやったか」なので、そこを取り違えないようにしないといけません。



内定した4年生の皆さん、これから身近な後輩のために「達人」となって、自分が得た経験や知識を還元していきましょう。


また、社会に出れば親ほども年が離れた人と一緒に働く中で、きっと一生ついていきたい達人に出会うことでしょう。


学校は卒業するかもしれませんが、自分の創意工夫次第で、人生最高の学校は、いつでもどこでも通うことができますよ。




今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門58位、就職・アルバイト部門35位です。

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