◆今日の一言
No.436(07/5/10)
『新しいとは、変えなくても通用するということだ』





デビュー作、

『イマドキの若いモンは 会社の宝だ!』

の表紙ができあがりました。



昨日の「マネー塾」で見てくれた学生さんの感想は、ほとんどが…


「かわいい!」
http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0074

とのこと。


この表紙で、総ページ数320Pの「会計教育・業種研究」の本なのだから、手に取った方はどんな反応をするのか、今から楽しみです。これからも、違和感バリバリの本を書いていきたいものです。



経済誌出身の僕のセンスじゃ作れない配置、デザインで、人生初の著書が水色の表紙になることにちょっと照れもありました。


しかし、本書は学生さんと地道に学んできた記録なので、主要読者層である若い方々が喜んでくれるデザインが一番いいのだと嬉しくなりました。


㈱オンブック・メディアプロデューサーの中村様、デザイナーの方、どうもありがとうございます。


7月頭には、『第14回・東京国際ブックフェア』でのトークショー&サイン会の機会もいただき、世間を狭くしようと努めてきた僕も、今後は活動範囲が広がりそうです。



さて、昨日は2週間ぶりの「マネー塾」で、久しぶりに学生さんの前で話しました。


現在、第4期となるマネー塾には、これまでも多くの個性的な学生さんが参加してくれ、新入社員となった方々からも、「社会に出て、マネー塾の内容が役立っています」という報告を何度も頂いています。


今回の第4期もあと3回で終わりですが、参加者の特徴を一言で言い表すなら、とにかく素直であるということです。



耳が痛い①~③の「支出・負債編」を終え、常識が変わる④~⑥の「収入・資産編」も終え、昨日の⑦では経済の見方を学びましたが、みな真剣なまなざしで聞き入ってくれ、毎回ながら、感想や質問が深い部分から繰り出されることに大きな期待を感じずにはいられません。


昨日は、完全成果主義の外資系生命保険業界で、驚きの継続率を達成し続けているM生命の田代さんもオブザーバーとして参加してくれましたが、「学生のうちからこんな本質的なことを学べているなんて、とにかくすごい!」と皆さんの積極性に驚いていました。


今学んでいることが、将来どれだけの収入として返ってくるか、ぜひ楽しみにしておいて下さいね。


使っても使っても、お金が減ってくれない…そんな習慣を身に付ける時期として、20代前半ほどふさわしい時期はありませんから。



今年度のFUNは、5月頭なのに、サークル紹介ツアーや口コミなどで、既に20人を超える見学者が訪れているとのこと。


今月からは僕の「公開講座」も全8回開催され、併せて自著も発刊されるということで、どれだけ部員が増えるのかと思います。


しかし、人が減っても増えても、物事の本質を学び続ける姿勢は変わりません。



今まで4年間で、全28講座・440回のサークル内講義を行ってきましたが、それら全ての構想、下書き段階からいつも考えているのは、「最新、最高、最適の知識と考え方を分かち合う」ということです。


若者、とりわけ学生は「新しいもの」が好きです。刺激に敏感で、少しでも速くトレンドをキャッチしたがり、仲間内で流行に敏感な人は重宝されます。


でも僕は、そんな可能性に溢れた若者たちが、どうも「新しい」ということの定義を間違っているのではないか、と感じてきました。



「新しい」とは通常、

①今までに表現されず、存在しなかった物事
②同種の役割を果たすうえで、後発的に発生した物事
③時系列的にできるだけ「最近」か「未来」に生まれた物事

などと考えられています。



しかしこれらは、いずれも「発生時期」や「発生原因」という始まりから見た捉え方で、ファッションや音楽、映画などには当てはまっても、新しさの本質を見誤る間違った考え方です。


それどころか、「新しさ」の断片的な部分しか説明しておらず、認識を混乱させる定義です。


「新しい」とは、発生時ではなく、その果たす効用を見極めるため、結果から考えてこそ理解できます。



「新しい」とは、

①目の前の現実を打開するのに役立つこと
②新たに到来する問題に対し、既存の方法のまま応用できること
③一つの物事が複数の問題解決に適用できること

とも考えられます。



物事自体の新旧ではなく、あくまで現実打開や問題解決に有意義である、ということが「新しい」ということです。


逆に言えば、後発的なものであれ、既に現実への適応性や解決力を失って通用しなければ、それは「古い」といえます。



ということは…


「後に生まれたものであれ、使い物にならなければ、古い」

「昔に生まれたものであれ、今も未来も使えるなら、新しい」

という、世間の通念とは全く逆の定義が成り立つことになります。



もっと分かりやすく言えば、効用や結果から考えて、「古くても、今も残っているもの」ほど新しく、「登場しても、すぐに消え去るもの」ほど古いということになります。


先ほど、「若者は新しさの定義を間違っているのではないか」と書いたのは、こういう意味です。



「古い」を、現実への適性を欠き、問題解決に対しての有用性、耐性を失った状態であると考えれば、古いものは滅びるという当たり前の事実が理解できます。


それよりも、「滅びたものが古い」と結果から定義した方が、過ちが減ります。


生まれたのが昔であれ、今も残っているというのは、文句なくそれが本質的で新しいということです。伝統こそ常に「最新」、流行こそ常に「最古」であるともいえます。



発生時期や原因から新旧の判断を行い、物事の価値を決定する人は、「昔から残っているもの」を文句なく「古い」と決め付けるという認識錯誤に陥りますが、じゃあ、その人が重宝する「新しいもの」を受け入れてきた結果、今はどうなっているでしょうか。


おそらく、その人自身が現実への適性を欠き、暗い気分に浸っているのではないでしょうか。


要するに、いつも新しいものばかり追い求めている人たちこそ、最も古い頭を持ち、もっとも原始人に近い状態で生活している、ということです。



以前、「君たち学生ほど古い頭の世代はいない」と言ってひんしゅくを買ったことがあります。


「何だって?あんた、30超えたくせに」という顔をされましたが、人の新しさ、古さは年齢で決まるのではなく、考え方や心の持ちようで決まるものです。


心身ともに若かろうと、その人が現実への適性と耐性を欠いている時は、発想が古いか、あるいは考え方が制度疲労を起こしてさび付いている時だともいえます。



ということで、FUNでは一切、世間で言うところの「新しい物事」は教えないことにしています。


巷には、流行業界の最新トレンドなどを紹介したり、マスコミで取り上げられている最先端ファッションの関係者を招いたりしてイベントを行う団体などもありますが、僕はそんなのは、クロマニョン人か北京原人にしか見えません。


要するに、「未開人はすぐに消える流行でも追っておけ」ということで、いずれすぐに消え去っていくだけの流行や最先端情報を知ることなど、若いうちには全く意味を成しません。



出ては消えるだけの「新しいこと」を学ぶのに、何の価値があるのでしょうか。


価値があるのは、いついかなる時も通用する適応力を身に付けることで、新しさに対応でき、新しさを保つ根本的な原理原則を学ぶことです。


「新しいことをやれば自分も変わる」。そう考えているカモは、若者の中には特に多くいます。しかし、大半の人は中途半端で投げ出します。頭が古いからです。



新しいことに取り組んで結果を出し、いつでも再現できるまでのレベルに高めるには、古いこと、つまり「今も未来も通じる考え方」をしっかりと学んでおく必要があります。


次々と新しいことに手を出す人ほど、頭が古い人はいません。何かをじっくり続けられる人こそ、本当に新しい人です。


僕は自分の経験から、その「いついかなる時も通用する原理原則」が会計や古典、歴史にあると信じているので、それを自信を持ってご紹介しているだけです。



だからFUNでは、


「役立つ情報」を与えるのではなく、「役立つ情報の見抜き方」を教え、

「癒しや元気」を与えるのではなく、自らを動機付ける考え方を教え、

「認めてくれる人」を探すのではなく、自ら他人を認められる人になる、


という方針を大切にしています。




世の中には、矛盾に鈍感な人も多く、見かけが新しいだけで価値があると勘違いして追いかけ、後から振り返ってみれば、何ら意味あるものは残っておらず、残ったのは思い出と借金だけ、という若者も多いものです。


僕は、そういう若者から「時代錯誤」と言われたことがありますが、こういうコメントを聞いても、新しさと古さを取り違えた若者の精神構造に興味を惹かれます。


「自分が何を言っているか分からないような子供でも、大学に入学するくらいのことはできるんだなぁ」と。



学生の皆さん、新しい物が好きなのは分かりますが、同時にぜひ、皆さんがこれまで「古い」と頭ごなしに決め付けて見向きもしなかったような古典や歴史を学んでみてはいかがでしょうか。


それと同時に、皆さんが今、学校で学んでいる物事は、「教育」ではなく、「教育の手段」に過ぎないと知るべきです。


卒業とは「教育を終えた」という証明ではなく、「これからは、得たものを自分で組み合わせて生きていきなさい」という始まりのサインに過ぎません。



そして、社会人になって学生時代以上に多くの悩みや苦悶に遭遇し、深く打ちひしがれ、学生時代以上に落ち込み、失敗するようになったのなら、申し訳ありませんが、それはその人自体が次の時代には用がない「古い人」だと言うほかありません。


学生時代にこそ、変えなくても一生通用するような根本的な考え方を身に付け、一生を通じて吹き付ける風雪に耐える強い足腰を育てておきたいものですね。



江戸時代の儒学者・中江藤樹は、「学ハ其レ、人ニ下ルヲ学ブベシ」と言っています。



「本当の学問とは、学んだ後に他人の可能性が見えてきて、相手によらず自然に頭が下がるような人間になるものだ」という意味です。


大学を卒業して「よっしゃ、勉強終わり!」、「オレは大卒だぜ」、「私は高等教育を受けた女なのよ」などと言っていたら、それは本当の勉強など1分もやったことがない哀れな人間でしかありません。



「新しい」と「古い」。


誰もが知る基本的な言葉ですが、その本質的な考え方を人生態度に応用するのはなかなかできることではありません。


若い今こそ、本当の若さを発揮して、真に新しい物事を学び、将来の幸せを自力で作っていける準備をしていきたいものですね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門77位、就職・アルバイト部門43位です。

参考になった方は応援クリックお願い致します(^^)/


人気ブログランキング