■「内定への一言」バックナンバー編

「日本で一番新しい会社は、江戸時代に創業した会社だ」





こんばんは。昨日はいきなり読者が6人も増えて喜びいっぱいの小島です。西南アイスホッケー部のFさん、ご紹介ありがとうございます。ご期待にお応えできるよう、今まで以上に頑張って執筆していきます。

また、一昨日は、夏以来お読み頂いている西南演劇部のJさんにお会いし、演劇への情熱や学生生活、仕事にかける思いをお聞きしてきました。謙虚で素直な様子に、大変感心した次第です。

昨日は九産大の院で学ぶ中国からの留学生・Tさんとお会いし、昼からは「メーカー・商社極秘勉強会」を開催し、その後は地下鉄で偶然西南2年のHさんに会い、なんとも充実した日々です。



さて、先日のメルマガで「うちには6年テレビがない」と書いたせいか、「よくそれで生活できますね」、「情報が遅れたり、不足したりすることはないんですか?」などと聞かれました。

それどころか、FUNでやっている勉強は、会計、ビジネス、マネー、PC、スピーチ、作文…など、どれを取っても「基礎」と「古典」ばかりです。

「激動の時代」とか「変化が速い時代」という言葉を頭から信じている学生さんには、やはりサークルでお手伝いを担当する僕が「時代から切り離された生活をしている」と聞いたら、ちょっと不安になるのかもしれませんね。



ということで、今日は僕たち経営者と、世間一般の人々が考える「新しさと古さ」の違いについてお話ししようと思います。

それはきっと、正反対と言って良いほど違うし、社会人10年を迎えて、やはり僕たち経営者側の考え方の方が、どこをどう考えても、学生やサラリーマンより正
確な捉え方をしていると確信したからです。

別にこれは勝ち誇っているのではなく、素直な実感に照らして、そう思うのだという意味です。

一般に、世間では「古い」とは、「昔か今以前の時代に生まれた物事」に対して使われ、反対に「新しい」とは、「後の時代に生まれた物事」に対して使われます。

まあ、これが当てはまる分野もあるでしょう。しかし、僕はこれは根本的に間違っていると思います。こういう考え方は多分に共産主義的で、進化論の悪影響に洗脳された考え方ではないでしょうか。

それに、「新しい=良い」、「古い=悪い」という一般大衆の認識が真実なら、なぜ大衆はいつも貧しく苦しく、忙しいのでしょうか。

僕の古典好きや原典好きは、部員なら誰もが知っているでしょう。特に長く接している人は、僕が原典や原著には惜しみなく大金を投じ、遡れる限り遡って、古い文献を集めていることを、よく知っていると思います。

茶色で破れかけた本を手に取ってニコニコしている僕を見て、「また、古い本買いましたねえ」と言う学生さんもいます。

でも僕は、そういう本を最近の新刊よりも「新しい本」だと信じて疑っていません。

「新しさ」と「古さ」を真の意味で定義すれば、以下のようになります。

「新しい」とは、「いつ、どのような時代や状況の下でも適応力と融通性を発揮できること」です。

「古い」とは、「時代や社会の変化、生活の変化に対して制度疲労を来たし、既に適応力が欠落していること」です。

要するに、「昔生まれたから」といってそれが直ちに古いのではなく、昔の文物や考え方であっても、それが現代にも適用されるなら、それはいつまでたっても新しいのです。

また、「21世紀に提唱された」と言っても、それが目の前の生活を改善できなかったり、装飾は華美でも会社の経営すらままならなかったりすれば、それは既に「古い」のです。

「発生時」ではなく「適応力」を基準にすれば、世の中で言う大半の「新しい」、「古い」は間違っており、大衆の意味不明な「新しさ信奉主義」とその悲劇的な間違いも、合理的に説明が付くのではないでしょうか。

数人の部員の方は去年、『型はまり経営のすすめ』(カーク・チェイフィッツ/阪急コミュニケーションズ)を読まれたことでしょう。

「時代は変わった」、「21世紀には21世紀のやり方がある」、「発想を変えろ」、「古い手法は通用しない」…

などと、けたたましいほどの「新世紀ジャーナリズム」が跋扈していた頃、「新しいことの80%は悲劇的なまでに間違っている」という事実を、主に企業経営の面で緻密に証明した名著です。



例えば、「クレジットカード」という新種の金融手段に頼って生活する現代人は「文明的」だと思うかもしれませんが、「負債先送りに」よる生活が「タコが自分の足を食うようなものだ」と指摘した2,000年前の言葉に打ち勝つことはできるのでしょうか。

天神や博多に行けば、タコみたいなOLや学生がいっぱいいますが、この人たちは、きっと「カードは貯蓄より新しい」と思っていることでしょう。

企業の資金調達手段は、技術的にも時間的にも、明治時代とは比べ物にならないほど増え、信用制度も整いましたが、そのような「現代的経営手法」を使っている会社が、1,200もの会社・公益法人を生み出した渋沢栄一の「入るを計って出ずるを制す」という哲学に勝てるのでしょうか。

今もって、投資家が会社を判断する時の尺度は「自己資本比率」や「キャッシュフロー」であることを考えれば、江戸時代の石田梅岩や鈴木正三、明治時代の荘田平五郎や渋沢栄一の方がずっとずっと「新しい発想」をしていたことは疑いようもありません。

なぜなら、そのような普遍的な哲学や思想は、どの時代、状況においても見事に眼前の問題を解決し、たちどころに課題の所在と対策を提示してくれるからです。

精神薄弱で勉強不足の現代人は、ちょっとした変化ですぐに「激動」などと言いたがりますが、それは要するに意志が弱いだけの話で、激動の度合いで言えば、明治維新や敗戦は、バブルの数百倍のスケールの激震をもたらしています。

ライブドア事件など、明治維新に比べればアリのようなもので、あの程度の寸借詐欺はいつの時代にもあったことだし、あれくらいで「証券市場が変わる」などと言うのは、肝っ玉が小さすぎるというものです。

スポーツなどで考えても、最新の医学的研究と栄養学の研究から生まれたサプリメントを使っていたとして、大自然が生み出した理想的環境で規則正しい生活を送っていた時以上の健康が得られるかといえば、疑問です。

コミュニケーション理論にしても、家族制度や地域コミュニティがしっかりしていた時代の寺子屋教育に打ち勝てるだけの教育を、現代のどの学校が提供できているというのでしょうか。

現代人が「新しいものを学ばないと」と盲目的に馬のように走り続けて落ち着かないのは、「新しい」という概念が根本的に間違っているからではないのでしょうか。

例えば、大学や専門学校、あるいは留学で勉強したことが本当に「新しい」ものだとすれば、その「目前の現実に即座に対応できる」という性質を考えれば、その人の生活や心理には、確実な変化が見られなければなりません。

しかし、世の中にはインターネットやテレビ、新聞、雑誌、はたまた海外の情報や最新のトレンドなどをチェックして、毎日忙しく「未来の準備」をしておきながら、収入も満足感も全く上がらない、という人が何百万人といます。

つまり、そのような人々が入手している情報や知識、思想や哲学は、全く新しくないのであり、いくら現代的なデコレーションや演出が施されていても、それは「古すぎ」なのです。

なんとなれば、それはその人の生活を変えず、入手・咀嚼した後も、根本的な不安や疑念を打ち消すことができないからです。

ですから、僕の目には、「テレビで最新情報をチェック」、「ネットで毎日株価をチェック」、「アメリカの情報はいつも注意している」などと言う人は、アウストラロピテクスか北京原人のように見えますね。

ですから、東京や大阪などは、日本で一番といっていいほどの「ド田舎」で、何の魅力も感じません。本当に歴史と文化を持つ国の都会なら、もっとどっしりした思想や哲学を発信していいはずなのに、あまりに軽薄すぎるからです。

その意味では、ヨーロッパの都市はいずれも中世や近代の優れた文物を残し、今でもラテン語やギリシャ語を学び、「現代人の思想力は先人には及ばない」ということを認めているようで、そこはすごいと思います。

東京には何十回と行ったことがありますが、別に行っても「日本の中心に来た」としか思わないし、クアラルンプールやバンコク、マニラに行った時の「世界の中で躍動している」という興奮とは比べ物になりません。

そういう、後発品を無目的に信奉し、数年後には消えるだけの流行を追い続ける軽薄な人生観を保って、「勘違いした新しさ」に走る人こそ田舎者であり、東京は田舎者の町でもあると言えるでしょう。

最も、東京には僕の父親の墓もあるし、叔父も住んでいて、それなりに愛着もあるのですが、東京やソウルのような軽薄な都市より、アジアの他国の「古さを保った新しさ」に惹かれるのは、そのような国々は歴史を尊重し、先人への感謝を生きがいとしているからでもあります。

皆さんは大学で、どのような勉強をしているでしょうか。

コンピュータや金融工学、経済思想などで新しい物に新種の価値があるのも、経済誌の記者として新技術や特許の取材を行ってきた僕には、よく納得できることです。

しかし、学問の効用は、「結果的にどういう人間になったか」で測るものです。どのような専攻であれ、どっしりと落ち着いた人生観を築き、ちょっとやそっとの変動ではビクともせず、目前の現実を力強く切り開いていける自信と展望を持てる時、それは正しい勉強をやっているといえるでしょう。

博多で「筆」を作っているある会社は、なんと「江戸時代」の創業です。今もって全国からの注文がさばき切れないほど舞い込み、数週間待ちでも、高くてもお客さんが存在しているこの会社は、どのような時代の変化を経ても、「先代の遺訓」を忠実に守っています。

『十八史略の人物学』(伊藤肇/PHP文庫)には、「時代が変われば考え方も変わるというが、ちょっと時代が変わったくらいで通じなくなるのは、原理原則ではない。古典にはどのような時代にも適用される普遍的な原理原則が記されており、昔の人々はこのような古典で精神を鋼のように鍛えてきた」と書いてあります。

歴史に残る大事業をやった人は、「水」が「H2O」だということすら知りませんでした。インターネットなど、その存在すら考えもしなかったでしょう。


しかし、現代人がいくら頑張っても到底なし得ないような偉大な業績を残し、「これが一人の人生か」と思うほど多種多様な挑戦を行って、見事に成功しています。

だからこそ、FUNではそのような、偉大な先人が大切にした哲学を学んでいるのです。

後からどのような「新しいこと」を学ぶにしろ、まずは「知識の受け皿」としての人生観や基礎学力を鍛えておかなければ、受け止める器もない小さな人間になるだけで、だからこそ、小ネズミのようにいつも「新しい情報チェック!」などとチョコマカと立ち回らねばならないのです。

「基本」と聞くと馬鹿にする人もいます。しかし、基本ができない愚か者だけが、「秘訣」と名付けられた高額な基本を買うことになるのです。

江戸時代に創業した会社は、生まれた年は古くても、いつも進取の心掛けを忘れず、「不易と流行」の絶妙な均衡を図る努力を忘れなかったからこそ、どのような時代の変化も巧みに乗り越えて、新たな現実に対応できてきたのです。

それを思えば、たとえ平成に創業したからといって、自分の商品で利益すら出せない会社は、よっぽど「古い」と言えるでしょう。

だから、古い時代に生まれた会社や思想、本、言葉、人物であれ、その精神がただちに現代の問題にも力を発揮するなら、それが一番「新しい」のです。

その意味では、わがFUNで学んでいることは、「日本で一番新しいことだ」という自信があります。30歳で年間200万円も投じて絶版・廃刊の名著を集めて個人蔵書を作っている経営者は、僕以外にほとんどいないと思うからです。

そして、それが古今東西のあらゆる優れた教育者や研究者の「仕事」、「学問」、「教育」、「経営」に関する著作であれば、なおさら、FUNには学生にとって最高の資料と哲学が不断に集まっていく、ということになります。

もちろん、僕は最新のPCソフトやネットや語学なども使えるので、こちらを教えることもできますが、会計の基本や仕事に対する思いやり、お客様への愛情がないのに技術や知識だけ肥大しても、「社会のお荷物」になるだけだと思うので、基本ばかりやっているのです。

ということで、皆さんも今日からは、「目の前の現実や人生の課題を解決できる普遍的な知識や考え方」こそが「新しい」もので、「たとえマスコミが騒いでいても、すぐに廃れ、大して役に立たないこと」は「古い」ことだと考えを変えて生活されてはいかがでしょうか。

人生や経営は「不易(不変のもの)」と「流行(移り変わるもの)」で出来ています。そのバランスの取り方を「哲学」というのであり、学生時代は、鋼鉄のような意志と水のような対応力に支えられた判断力を鍛える時期です。

「磁石と砂鉄」に例えれば、学生時代は疑いなく「磁石の磁力」を鍛える時期で、間違っても「砂鉄を集める時期」ではありません。磁力がない磁石に集まるのは、砂浜のゴミか砂くらいでしょう。


だから僕は、こういう哲学があってテレビを見ないのです。新しいものを信用しないというのではありませんが、新しいもので古いものに勝てるのは、100のうち1か2しかなく、学校教育で歴史を教えられなかった我々日本人は、あまりに先人たちを冒涜しています。

今を生きる時に、親や先祖、先人への感謝を保ちながら、その思いの延長で新しい時代を築いていければ、そこで初めて、国家や社会に前進がもたらされます。

トカゲのしっぽのように「断絶」から新しいものを作るのは簡単ですが、いずれ栄養がなくなって倒れるでしょう。だからこそ、いついかなる時も、過去と未来をつなぐ「現実」に積極果敢に打ち勝つ哲学が求められます。

僕はそれが古典や歴史にあると思うので、そのような視点から会計やスピーチ、作文、営業などを教えているだけです。

僕が200円くらいしか取らないのは、それらは全て先人が遠い昔に考えたことで、僕のような愚か者は、それを現代語に訳したり、文献を精読して学生が分かるように再現する努力しかできないからです。

先人への感謝と恐れを持って学べるのは、実に有り難いことです。全ての学びの後、それを生み出した人への感謝と尊敬を感じられるような勉強ができれば、それは立派な「新しさ」と呼ぶことができるでしょう。

■「内定への一言」バックナンバー編

「外国語学習にマイナスなし」




おはようございます。昨日は久々の同時通訳を楽しんだ小島です。

就活コースにも新しい学生さんが来られていたのに、あまりお話できなくてすみませんでした。

昨日は、第②期FUN韓国語塾に参加し、今はソウルの梨花女子大学に留学している西南2年(当時)のSさんの紹介でいらした金さんに日本の学生の様子などを説明しており、ほとんど付きっ切りの状態でした。

それにしても、あれほど長時間の同時通訳をやったのは、JICAの「日韓教育研修合宿」以来(1997年・at富士山)でした。

当時は韓流ブームなどもなく、韓国語が話せる若者が少なかったので、外務省に勤める同級生の紹介で通訳を担当したのですが、同時通訳とは、自然に聞こえるものにしようとすればするほど、実に労力を要する仕事だと感じたものです。

まあ、日給は「お役所仕事」だったためか、日当6万円ということで、僕の生まれた横浜の町の観光旅行代に使いましたが…。

そもそも、昨日の突然の出来事は、ソウルで学ぶSさんから「アンニョンハセヨ!韓国に派遣中のSです」というメールが来て、ちょっとやり取りしていたら…。

数日後(おととい)に「明日福岡に友達が旅行に行くんですが、よかったら案内してもらえませんか?」との連絡が来たことから始まりました。

突然の連絡でなんとか日程を調整し、昨日のお昼に天神で待ち合わせ、それから3時までITや韓国経済、日本の産業、最近の日韓関係などについて語り合っていたら、「就職と雇用」の話題で盛り上がり…。

「じゃあ、僕が応援しているサークルがあるから、遊びに来てみませんか?」と夕方再度待ち合わせ、Sさんと僕の母校でもある西南大で開かれている「FUN就活コース」に出席したわけでした。

ということで、昨日は昼から夜まで韓国語の同時通訳漬けの一日になり、特に中国からの留学生・Tさんと金さんの通訳は「漢字と言語」、「経済や産業」が話題で、中韓の視点から様々な質問が飛び交い、短時間でしたがやっていて楽しいものでした。

それにしても、Tさんも本当にノリが良く、「ぺゴパ~(おなかすいた)」の発音が面白かったようで、ハングルの仕組みがかわいいと大変興味を持たれたようでした。

僕も日頃は「経営者と求職者」の間の同時通訳(?)をやっていますが、外国語でやるのもやっぱり楽しいものだと、これからは中国語も勉強しようと思っているところです。

韓国語を話していると、韓国人からも日本人からも「留学していたのか?」と聞かれますが、僕の韓国語は全くの「独学」です。旅行は15回行ったことがありますが、留学経験はありません。

他に同時通訳経験がある英語、マレー語、インドネシア語については、海外勤務時代に何度も実地訓練をする機会があったので、もちろん当地で学ぶ以上の手段はないと思いますが、別に日本にいても勉強はできます。

ちなみに、スピーキングとリスニングに関して言えば、同時通訳や語学学習のことを知りたいと思ったら、「歴史を変えた誤訳」(鳥飼玖美子/新潮OH!文庫)を読まれると参考になりますよ。

女子大英文3年のT地さんには、既に去年のブックオフツアーでご紹介した本です。



さて今日は、外国語学習について学生さんから受ける質問をいくつかまとめ、お答えしようと思います。


①留学しないと外国語は学べないのか?

■半分はそうだと思いますが、僕はまず、僕も学生時代にそうしたように、福岡にいる留学生をつかまえて集中的にその国の言語で話す環境を作るのが一番だと思います。

留学生はもちろん、「日本語で話したい」と言いますが、自分の国の言語を学ぼうとしてくれる日本人を見て嬉しくない人はいないので、すごく優しく教えてくれるものです。

どっちにしろ、日本で外国人に話しかけるのを恥ずかしがる人は、外国に行っても同じ態度を取る傾向があるし、日本人ばかりで固まるので、「今いる場所で最高の努力をする」という習慣を確立させておくのは、どこにいようが、いつであろうが重要なことです。

あとは、留学などの長期滞在の余裕がない方は、その国に旅行するなどして語感を確かめたり、現地事情に触れたりすれば、帰国しても留学と変わらない学びを続けることは十分可能です。

僕もよくアメリカ、韓国、マレーシアの新聞などをネットで読んでいるし、時間が空けばよく外国語のテープを頭から流しっぱなしにしています。

お金をかけなくても、アイデアと習慣さえあれば、驚くほどの低コストで異国の空間を創造できるので、安易に留学に頼らずとも、まずは居場所で小さな改善をやってみてはどうでしょうか。意欲とはそういうものです。


②どういう学び方をすれば一番伸びるか?

■これは、FUN韓国語塾を受講された50人の方は実感されたことでしょうが、最初は「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を絶対にオススメします。単語なども覚えず、徹底的に文法を極めるのです。

僕は市販の語学のテキストが、「あいさつ⇒自己紹介⇒お国紹介」といった「人間関係の発展段階」に基づいて編集されているのを、非常に奇妙に感じます。

だから、大半の日本人は「レッスン3」くらいで投げ出して、あいさつか自己紹介しかできないままで終わっているのではないか、と思うほどです。

大体、「私は日本人です」なんて、見れば分かるし、「だから何?」って感じです。あいさつは大事ですが、それ以上に大事なのは、「その言語の奥深さ」、「面白さ」、「日本語との楽しい差」を感じて、その後の学習に続く興味を喚起することです。

ですから、韓国語塾では、最初の2回でハングルを複合母音、パッチムまで強制的に学習し、3回目からは読みが曖昧なままでも、助詞、指示語、人称、語形変化…と進めていきます。

その速さは受講した誰もが驚くほどで、たとえば「大学で1年かけて学んだ韓国語」の量は、なんとわずか4~5回で終わるほどです。時間にしていえば、わずか「2週間」です。

どの課も、それまでに学んだ知識や文法を最大限に動員しなければ吸収できないように編集しているので、学習には必然的に予習と復習が伴い、なんと、わずか3週間で簡単な作文ができ、1ヶ月半もたてば、「エントリーシート」と同様のレベルの韓国語作文が可能になります。

大半の人は「信じられない」と言いますが、一番「信じられない」と言うのは当の受講者の学生さんで、「読めてる…!」、「分かる箇所がいつの間にか増えてる…」という感想は、毎回のように耳にすることです。

それは、前半では語彙の増加や会話表現などはやらず、徹底して「変動(変化)が伴う内容」に集中して反復練習するからです。

どの言語にも共通しているのは、「変動は時制や修飾によって起こる」ということで、つまり、動詞と形容詞の変化が理解の基本になるということです。

名詞や助詞(前置詞)は変化せず、見ていれば覚えるものですから、「動く要素」を徹底的に突き止め、その変身のプロセスと法則を理解すれば、なんと、「知らない単語でも類推で理解できる」という作用が働くようになります。

語学にはもちろん「記憶力」が必要ですが、最初から記憶に頼るのは、実に能がないやり方だと言うほかありません。大事なのは「記憶の受け皿」を作ることであり、それがなければ記憶は促進されないからです。

ですから、僕はどの言語を教える時でも、もし相手が本気であれば、どれだけ「先を教えて」と言われようが、最初は絶対に妥協せず、基本を忠実に反復して教えることにしています。

そのため、たとえば韓国語塾では、4週間で一つの動詞・形容詞を「30種類」、8週間で「80種類」にも変化させられるようになります。

このような学習方法の特徴は、「後になるほど簡単になる」、「進むほど記憶力が高まる」、「完全に忘れることがなくなる」ということで、要するに「記憶」ではなく「理解」を重視すれば、日本でどれだけ英語の点数が悪い人でも、語学は上達するのです。

私見によれば、語学学校などに1円も支払った経験がないまま同時通訳レベルで4ヶ国語、日常会話レベルで別の5ヶ国語を習得できたのは、僕が「語学学校など存在しなかった時代に外国語を極めた天才」の方法をよく学んだからだと思っています。

語学学校は、その性質と事情により、生徒があまり速く習得しては収益が下がるので、わざと時間がかかる教え方をしているのではないか、と感じます。邪推ではなく。

もし僕が会計や営業、コンピュータ、編集などのスキルがなく、語学で食っていくしかない仕事をしていれば、やはり同様に、「前後の関連性がなく、むやみに時間ばかりかかって要領が悪い学習方法」に基づいたテキストを編集するかもしれません。

しかし…。

僕の外国語教育は「趣味のまた趣味」であり、韓国語塾に関していえば、「1時間500円」の上に、「年間何回受けてもタダ」ということですから、わずか1年間でアシスタントになった女子大2年のNさんなどは、「1時間100円」のレベルになるほど反復しているのではないでしょうか。

しかも、当初(第①期)は「1時間200円」でした。

誇張でも何でもなく、僕は語学学習はお金をかけるものではないと思っており、僕は毎日寝ていても数万円が入ってくる「経営者」なので、語学で儲ける必要など全くありません。

ただ、「週1で半年」ではムラとムダとムリの「三ム」が多くなり、受講者の方にスリリングな成長の手応えが約束できないので、「週2で3ヶ月」にしているだけのことです。

ある人からは「そんな値段で教えられたらウチが潰れてしまう」と言われましたが、頭を使わない人間が倒産するのは当然のことですから、ぜひ外国語を覚えた頭脳を使って、経営の方も上手にやってほしいと願うばかりです。

今はネットやCDロム、DVDなど、媒体の質・量ともに僕が学習していた頃とは格段の差が見られますが、その分、学習者は頭を怠けさせてて、非常に要領が悪いなあというのが僕の実感です。

学習者の自信は「短期間で、超低価格で、他の人より格段に高い成果」という「結果」によって得られるので、僕は自分がそれを得た方法をさらに効率的に組織化し、まとめて提供しているのです。


言語というものは、その国で教育レベルや生活レベルがどのような状態にある人であれ、極端に言えば反社会的な人々や貧困層の人であれ、巧まずして習得するものです。

人間であれば、誰でも自然に覚えるものです。だからこそ、僕は子供のように学び、大人の知識を外国語に翻訳していくのが、最初は遠回りでも、後になればかえって近道だと確信しています。

人間が言語を覚えていく自然な段階に即して順番を組み立てれば、大人の方が絶対に子供より速く、深い理解に到達します。

語学と会計は似ているもので、会計では「資産」と「負債」の変動法則、変動パターンを徹底的に学んでいけば、あらゆる経営状態を類推で予測、分析できるようになり、新知識や新事態も基礎から対応できるようになります。

語学もこれと同じで、韓国語塾は、頭の中に「日韓対応バランスシート」を作成していくような学習方法ですから、学習速度は速く、結果も出るわけです。

もちろん、毎回休まずに出席すればの話ですよ。



③語学を生かした仕事をするには、どうしたらいいのか?

■それは簡単で、「語学以外の分野」で力を付けることです。数日前のメルマガで「英語が得意な国は貧しい」という事実を紹介しましたが、あれと同じで、語学だけできても、会計や営業を知らねば、原始的・直接的な仕事しかできません。

例えば、僕が韓国語の通訳や英語の翻訳で過去に数百万円を稼いだのは、韓国語力や英語力以上に、韓国の産業構造や近現代史、文化などや、産業技術や通信技術の基本的な仕組みを理解しているからです。

表面的には「語学」だけが仕事をしているように見えますが、実は大事なのは実務知識や教養であり、それがなければタダの「言葉の交通整理」としての通訳・翻訳をやるしかなく、語学によって新分野を開拓していく「コンサルティング」や「語学を生かした仕事」などは不可能でしょう。

アメリカのマフィアも英語を話せます。中国のヤクザも中国語を話せます。韓国のヤクザも韓国語を話せます。マレーシアの貧民もマレー語を話せます。

しかし、生活レベルは低く、社会的信用も低く、職業選択や未来の可能性は狭いのは、どうしてでしょうか。

それは、コミュニケーションに「思考」が伴わないからではないでしょうか。ですから、語学以上に大事なのは、もしそれを仕事に生かそうと思えば、至って基礎的な実務知識です。

だから僕は、FUNでやっているレベルの講義も、全て英語や韓国語で行うことができます。韓国やアメリカの学生からその国の言葉で質問があれば、その国の言語によって回答することができます。

語学は「表現の最終段階」でもあるわけですから、やはり、外国語を生かして働きたいという方は、会計や営業をしっかりと学んでおくことを、経験からも、絶対に推薦します。

ということで、わが「企業取材サークルFUN」は、名称は「取材」を冠していても、実質は「会計・営業・ビジネス・起業・コンピュータ・語学」のエキスパート集団を作る「ビジネススクール」なのであり、「取材」は自分の成長を確かめ、かつ自分の課題を実感するための修行のような営みです。

僕は気前がいい人間だし、自分が持っている知識は全て学校以外、つまり「実社会の実戦」で獲得したものですから、それを「月600円」か、それ以外の「1時間200円」の外部講座で学生にばらまいているだけです。

よく「FUNでは学校で学べないことを学べる」と言われますが、それは僕が学校では「寝たきり少年」で大学を中退し、早いうちから働いてきたから、当然のことです。

卒業生からは、「社会に出て、どれだけ実務で役立つことをFUNで学べたか、よく実感できた」と言われますが、それまた当然のことです。だって、僕は学校の先生ではなく、実務重視の経営者だからです。

「就職」なんてレベルの低い目標で学生と付き合うことは、僕の価値観では「犯罪」であり、それは若者の可能性を冒涜するに等しい行為です。

僕は学生さんが、社会に出て仕事を楽しみ、社内で信頼と期待を集め、みんなからの人気と応援の中で成功し、夢を実現していける裏付けとなる知識やノウハウを教えているのであって、その最も初歩的な通過点に「就職」が存在しているだけのことです。

大学を出ていない僕でもこれくらいのことができたわけですから、大学にいる学生さんは、本気になれば、僕以上のことだっていくらでもできるわけです。

まあ、「本気になれば」ですけどね…。

本気じゃなければ、どこの大学に行こうが、不安と後悔の中で「失業式」を迎えるだけです。

愚か者と怠け者は、場所と手段を変えれば成功すると思っていますが、その考えこそ「貧乏哲学第一箇条」です。変えるのは「心構え」でなくてはなりません。

既に停年退職した僕は、余生を一人でも多くの「諦めかかっている若者」や「チャンスを求めている若者」の応援に投じ、「社長工場」を通じて福岡をアジアを代表する「挑戦と創業の町」にしたいと思っています。

ということで、自分の気迫を高め、何か歯応えのある達成感を得たいと思ったら、武道や楽器に加え、語学学習ほどそれにふさわしいものはないでしょう。

だってそれらは、永遠に終わりがなく、いつまでも「確認と創造」の両立が可能な分野だからです。人間、こういう「無限の目標」を持っておかないと、すぐに調子に乗って慢心するものですから、語学はその意味でも、「いつでも懐かしく、かつ新しい」という趣味と実益を兼ねた勉強です。

さらに素晴らしいのは、「外国語学習にマイナスなし」ということで、誰もが最初は「ゼロ」という点です。つまり、「何を学んでもプラス」というのは、とても素晴らしいことだ、という意味です。

「プラスしかない」!

これって、すごいことじゃありませんか?

あまりに人生に疲れて、「やればできる」とか「全てプラス」という考えを「そんなのは分かってるんだよ!」とか「それはきれいごと」などと言い始めたら、人はもう終わりです。

アインシュタインが「科学者にとって最も大事なことは、驚くことである」と言ったように、当たり前の平凡な事実を素直に受け止め、「すごい!」と思える自分がいてこそ、初めて何事かを成し得るものです。

その「すごい!」を実感したい方は、3月から始まる「第⑤期韓国語塾」にいらしてみてはどうでしょうか。別に、今の「第④期」に見学に来ても構いませんが…。

1年間FUNで勉強すれば、昨日やったような「同時通訳」のレベルまで上達することは、簡単に約束できることです。

なぜって、僕はFUNで学生と約束したことで、実行・実現させなかったことは、未だに一つもないからです。

これからも、「自分のすごさ」に驚ける学生時代を楽しみましょう。

■「内定への一言」バックナンバー編

「歴史は例証より成る哲学である」(伊藤肇)




こんばんは。昨日読んだ本があまりに面白くて寝違えてしまい、今日は「作文塾」をお休みして治療に行ってきた小島です。

時間を空けて下さっていた学生の皆様、僕の自業自得で当日にキャンセルしてしまい、本当にすみませんでした。

今日からは、新たに慶應義塾大学、横浜国立大学、京都産業大学の学生さんが読者に加わって下さったので、今日も頑張って書きます。



さて、仕事の傍ら、サークル活動を通じてもう4年も学生さんの就職のお手伝いをしていながら、僕の家には既に6年も「テレビがない」ということは、部員の方なら半分はご存知だと思います。

「どうして見ないんですか?」、「なくて退屈じゃありませんか?」と聞かれることもありますが、そもそも、経営者にとってマスコミの情報などは大半が「賞味期限切れ」であり、見る必要が存在しません。

それに、テレビの話はレベルが高くないし、お笑いもさほど笑えないので、見る時間がもったいないから見ないだけです。

そう言うと、「じゃあ、笑いのネタとかは、どうしてるんですか?」と聞かれたりしますが…。

ご心配なく。僕は日頃からよく笑い転げていて、大月さんや西南4年の石橋君などは、いつも酸欠寸前に陥っているくらいです。

そんな僕が「笑いの王道」として昔から重宝しているのが、かの有名な「ロシアンジョーク」、つまり「アネクドート」です。

これは、笑いのレベルの高さもさることながら、社会観察や人間心理の描写が巧みで、元はと言えば、海外勤務時代に同じ部屋で暮らしたユーゴスラビアの友達からたくさん聞いて、笑い転げたのがきっかけでした。

旧ソ連に国土を破壊されたユーゴスラビアを始め、東欧諸国やソ連の人々はとにかく「社会主義と人間」をモチーフにした笑いが大好きで、抑圧と搾取の中、本当に逞しいものだと感心したものです。

わが日本は、経済成長率がちょっと下がったり、サッカーの試合で負けたくらいでシュンとなってしまいますが、やはり、歴史の荒波にもまれた民族は、性格が違うものだなあと、改めて歴史や文化の違いを感じたのも、海外勤務の副産物でした。


ということで、皆さんもぜひ、就活に先立って、社会や学生のあらゆることを「定義」してみて、自分なりのポリシーを確認されてはいかがでしょうか。

きっと、学生のセンスを活かせば面白い話題が続々生まれると思います。就活も笑い転げて感動の内定、というのが理想的ですよね。

FUNの就活では、毎年明るい笑いが溢れ、「就活、めちゃ楽しい」、「やめたくない」という声が聞こえてきますが、そんな就活をぜひ、広げていきたいものです。


さて、ロシアンジョークのことを通常「アネクドート」と呼び、ユーゴの友達は「アネッドー」と発音していたのですが、調べてみると、ルーマニアかブルガリアの言葉で「地下出版」を意味する単語、とのことでした。

例えば、僕の友達は、こんなジョークを紹介してくれました。


~CIAがあるアメリカ人にロシア語、ロシア文化、歴史、風俗、習慣の全てを教え込み、スパイに仕立て上げた。

訓練は完璧で、誰が聞いても彼のロシア語はネイティブ以上であり、何を聞かれても問題ないほどのスパイに育った。

だが彼は、任務を前にして、シェレメチェボ空港でKGBに逮捕されてしまった。

彼は黒人だった…。~



こんな感じです。各国の政治や軍事の話題や民族性が盛り込まれ、抜群の機知と風刺を織り交ぜて、絶妙な笑いをもたらしてくれるのが、「アネクドート」です。

以下、いくつかネットや本で集めてみたので、今日はロシアンジョークをたっぷりご紹介してみますね。


■クレムリンの「赤の広場」にて。
ある酔っ払いが「フルシチョフはバカだ!」と叫んで走り回っていた。

すぐにKGBがやって来て、酔っ払いを逮捕した。

その罪状は「国家機密漏洩罪」だった。

☆「国家元首侮辱罪」じゃないんですねぇ…。



■夫が妻に悩みを相談していた。
夫 「妻よ聞いておくれ」
妻 「一体どうしたの?」
夫 「アレックス(息子)の奴、テストでいい点を取ったら金をやることにして以来、最高点ばかり取って来るんだが、実際のところ、どうだと思う?」
妻 「ああ、それならあの子、パパに習って半分のお金を先生に渡してるって言ってたわよ」

☆親は子供の鏡なり…。



■モスクワのあるレストランにて。
「ウェイター、これはコーヒーかい?それとも紅茶かい?」
「違いが分からないのでありますか?」
「わからんね」
「では、問題ないではありませんか」

☆共産圏では、似たような話が多いですね。



■モスクワのある工場で、3人の男が逮捕された。
一人目の労働者は、出勤時間に10分遅刻した。
「サボタージュの容疑」だった。
二人目の労働者は、出勤時間より10分早く工場に着いた。
「スパイの容疑」だった。
三人目の労働者は、定刻通り出勤した。
「西側の腕時計を所持している容疑」だった。

☆つまりは、みんな収容所行きってことなんですね。



■日本と韓国双方が領有権を主張する島があった。
所属を確認すべく、日本人と韓国人が「第三国の地図」を見ることになり、ソ連の地図を見た。
その島は日本領でもなければ韓国領でもなく、「ソ連領」と表記されていた。

☆Vladivostokは「東方を占領せよ」という意味だとか…。



■モスクワの、とあるテレビ局にて。
中央スタジオに、あのカール・マルクスが訪ねてきた。
彼の願いは、「ソビエトの労働者に呼びかけたいから、一分間でいい。時間をくれ」ということだった。
ディレクターはマルクスの過去の功績から、十秒だけ発言を許した。
「万国のプロレタリアート諸君!」
マルクスは興奮を抑えきれずに叫んだ。
「すまなかった、私を許してくれ!」

☆わが日本のテレビにも、ぜひ登場してもらいたいところです。



■モスクワのある本屋にて。
お客 「時刻表を探しているんだが」
店員 「ああ、それなら、フィクションのコーナーです」
ほどなく、もう一人のお客がやってきた。
お客 「マルクスやレーニンの本はどこかね」
店員 「一番左の一番奥にある、幻想文学のコーナーです」

☆ロシアの店員さんも、案外親切なようです。



■モスクワ大学経済学部の試験にて。
問 「資本主義はいかなる状態にあるのか、回答せよ」
答 「絶滅のふちに立っています」
問 「よろしい。では次に、共産主義はいかなる状態か、回答せよ」
答 「資本主義より、一歩進んだところにある社会です」

☆日本の国立大学でも、こんな問題を出したらいいのに。



■「プラウダ」と「人民日報」の共通点を述べよ。
「正しいのは日付だけ」

☆一党独裁、選挙なしで「全国人民代表大会」ですからね。



■ソ連の高校で、教師が生徒に質問した。
教師 「アメリカについて知っていることを述べよ」
生徒 「帝国主義で異民族は抑圧され、犯罪と汚職が横行する国です」
教師 「では、経済面で知っていることを述べよ」
生徒 「失業と貧困の巣窟であります」
教師 「よろしい。では最後に、わが国の経済計画について述べよ」
生徒 「まずアメリカに追いつくことであります」

☆これぞ、教育の成果…。



■天気予報で「シベリアの気温は-45度」と聞いた男。
心配になって、収容所にいる友人に電話をかけた。
男 「おい、お前のとこ、ひどい寒さだってな」
友 「そうでもない。-20度から25度くらいだ」
男 「でもテレビでは、-45度って言ってたぞ」
友 「ああ、確かに外はそのくらいだ」

☆1,000万人の無賃労働はスターリン最大の発明だそうです。



■ソ連の高校の社会科のテストにて。
問 「キリスト教と社会主義の共通点は何か?」
答 「キリスト教は清貧を説き、社会主義はこれを実行した」

☆なぜ…?その答えは次をどうぞ。



■マルクスは科学者だったろうか?
いや違う。
なぜ?
科学者だったら、社会主義をまず豚で実験しただろう。

☆社会科学と自然科学の違いは「実験できるかどうか」ですからね。



■社会主義の六つの奇跡とは?
1.失業はないが、働いている者もいない。
2.働いている者はいないが、全ての者が給料を貰っている。
3.全ての者が給料を貰っているが、それでは何も買うことができない。
4.何も買うことができないが、誰もが何でも持っている。
5.誰もが何でも持っているが、全ての者が不満を持っている。
6.全ての者が不満を持っているが、選挙では体制側に票が入る。

☆実に見事な回答です。



■息子がエリツィンに尋ねた。
息子 「お父さん。酔っぱらうってどういうことなの?」
大統領 「そうだな。例えばそこにグラスが2つあるだろう。それが4つに見えたら、酔っぱらっているということなんだよ」
息子 「でもお父さん。グラスは1つしかないんだけど」

☆橋本元首相の歓迎式典でも酔っ払ってました、そういえば。 



■ソ連とアメリカの「言論の自由」の違いとは。
ブレジネフ 「わがソ連では、憲法によって言論の自由を保障している」
ケネディ 「わが合衆国では、発言した後の身の安全も保障している」

☆言った後が大事なんですねぇ。



■モスクワの高校にて。
問 「資本主義とは何か」
答 「富の不平等な分配である」
問 「社会主義とは何か」
答 「貧困の平等な分配である」

☆わが日本の高校生より頭がいいかもしれません。



■ブッシュが神に尋ねた。
ブッシュ 「おお主よ、アメリカ国民はいつ幸せになれるのでしょうか」
神  「100年後だ」
これを聞くと、ブッシュは泣きながら走り去った。
プーチンが神に尋ねた。
プーチン 「おお主よ、ロシア国民はいつ幸せになれるのでしょうか」
これを聞くと、神は泣きながら走り去った。

☆KGB出身の大統領ということですからね。



■モスクワの小学校にて。
教師 「西側のおとぎ話の特徴は?」
生徒 「むかしむかし、で始まります」
教師 「では、わがソ連のおとぎ話の特徴は?」
生徒 「やがていつかは、で始まります」

☆さすが、子供はよく見てますね。



■「フルシチョフ書記長暗殺未遂事件」の容疑者となったイワン。
警察 「それにしてもだらしない男だな。あの近距離から射ち損なうとは」
イワン 「だって、私がピストルを抜いた途端、周りの連中が飛びかかってきたんです」
警察 「人民が書記長を救ったんだな」
イワン 「いいえ。みんな口々に、おれにやらせろ、おれにピストルをよこせ、おれがやる!ってわめくので、射ち損ねたんです」

☆そういう理由なら仕方ない。



■ブレジネフ曰く。
「わが国にジョークなど必要無い。なぜなら、わが国の存在自体がジョークだからである。」

☆書記長、日本の義務教育もジョークですぞ。



■フィンランドからソ連を訪れた旅行者が、夜のモスクワで道にできた穴に足を取られ転んだ。
フィンランド人はソ連の警察に言った。
「わがフィンランドでは、こういう危険な場所には赤い旗を立てて注意を促している」

警察は言った。
「あなたは、国境を越える時に赤旗を見なかったのですか?」

☆そういう意味だったんですね…。



■社会科の授業で、生徒が先生に質問した。
生徒 「民主主義と社会主義の違いを教えてください」
先生 「簡単に言えば、椅子と電気椅子の違いのようなものだ」

☆さすが先生。



■天国のドアで、ある老人が神の審判を受けていた。
番人 「お前の父親は生前何をしていた?」
老人 「実業家でした」
番人 「ふん、資本家か。で、母親は?」
老人 「商人の娘でした」
番人 「プチ・ブルジョワだな。で、お前の職業は?」
老人 「著述業です」
番人 「どうせ資本家の提灯持ちだろ?で、お前の嫁は?」
老人 「貴族の娘でした」
番人 「おまえのような者は天国に入れぬ。して、お前の名前は?」
老人 「カール・マルクスです」

☆空想から幻想へ…。



■モスクワ大学文学部の授業にて。
教授 「ソ連の作家とフランスの作家との違いは?」
学生 「フランスの作家は牢屋に入った後、ベストセラーを書きます」
教授 「して、わがソ連は?」
学生 「ベストセラーを書いた後、牢屋に入ります」

☆この順番の違いのために、人類は争ってきたわけです。



■ブレジネフ書記長が誘拐され、犯人から脅迫状が届いた。
「すぐに身代金を1000万ルーブル払え。でないと、ブレジネフを生かして帰すぞ」
クレムリンはすぐさま言われた額を用意した。

☆共産圏では人質の概念も逆のようです。



■中ソ紛争勃発。
役人 「閣下、大変です!毛沢東が核ミサイルを持って攻めてきました」
フルシチョフ 「安心しろ。あのミサイルはわが国の技術で作ってある」

☆さすが、謀略の国。



■アメリカに先駆け、月面着陸に成功したソ連の学校。
先生 「わがソ連は世界無敵だ。次は火星にだって行けるぞ」
生徒 「先生、その前に質問があります」
先生 「なんだ。言ってみよ」
生徒 「僕たちがドイツに行けるのは、いつになるのでしょうか」
先生 「慌てるな。社会主義には段階的な成長が必要だ」

☆ロケットは飛ばせても、トイレの水漏れが直せないのが共産圏。



■ソ連の高校の理科の授業にて。
問 「スプートニク号の仕組みを簡潔に述べよ」
答 「チェコのウラン、ドイツの技術、ソ連の犬によって出来ています」

☆なんだか、どこかの国のミサイルのようでもあります。



■ソ連の学生がワシントンでアメリカ人に自慢した。
アメリカ人 「俺の国では、ホワイトハウスの前でケネディの悪口を言っても、逮捕されないんだぜ」
ロシア人 「ふん、俺の国でも、クレムリン宮殿の前でケネディの悪口を言ったって、逮捕されないんだぜ」

☆どうも、前提がかみ合ってないようです。



■ニューヨーク発モスクワ行きの飛行機での機内放送。
「皆様、当機は間もなくシェレメチェボ空港に着陸します。現地との時差は、50年と1時間です」

☆この正確さ、有り難い。



…という、集めたアネクドートのうち、およそ1/4をご紹介しましたが、実に人間観察が巧みだとは思いませんか?

「義務教育」、「日本型資本主義」という名で社会主義を教えているわが日本にも当てはまりそうなジョークがいくつかあって、ロシアンジョークこそ、社会主義より普遍的だと思ってしまいます。

わが国では「歴史」と言えば「暗記物」とパブロフの犬のように答えるほどつまらない教育が支配的ですが、元来、歴史ほど勉強になる学問は他にないと思います。


FUNには昔から愛読者が多い『十八史略の人物学』(PHP文庫)を書いた伊藤肇さんは、本書の中でいくつかのアネクドートを紹介し、時代は変わっても、人間の変わらぬ愚かさを論じて、「歴史は例証より成る哲学である」と書いています。

崇高な価値を持つ人間の尊厳を思えば、人を使って実験できる理論や制度など、存在しません。

だからこそ、人間は歴史を学び、そこから無限の教訓と仮説を手に入れるのです。歴史が繰り返されることはありませんが、型はいつも繰り返されているからです。

そういう心掛けで各国の歴史を学んでみると、民族や文化、宗教は違っても、人間の浅はかさとみじめさは古今東西共通していて、人とはなかなか進化しないものだなぁという思いを感じずにはいられません。

これは、産業や経済についても言えることです。僕が学生さんに、志望業界や進路の型によらず、創業史を読むように毎年進めているのは、そこには仕事において経験するあらゆる苦悩や喜びが綴られているからです。

そして、そういう事例と人物を豊富に心の中に済ませておけば、人は「孤独」や「空しさ」など感じないものです。

また、「おれだけ」、「ウチだけ」などと慢心することもなく、謙虚さと積極性が両立するという、理想的な仕事や経営ができるようになります。


今日たくさん紹介したロシアのジョークも、時代と文化を超えて普遍性を持っていたからこそ、今もって世界中で笑われ、教訓にされ、思考の材料として活用されているのでしょう。

笑いの中に含まれた真実を思うと、とてもジョークでは済まないところが「哲学」たるゆえんです。

「歴史と就職?関係ないね」という貧しい気持ちで未来を展望するのではなく、こういう時期だからこそ、心を雄大に保ち、視野を壮大に広げるためにも、ぜひ歴史を勉強してみてはいかがでしょうか。


歴史と文学こそは、王者の学問です。

歴史や文学は「就職に不利」だとか言われますが、王者は就職しないからこそ、歴史と文学を何より優先して学んできたのであって、法学や経済学こそ、小役人の学問です。

思想や哲学を法律や経済に従属させたからこそ、社会主義は敗退し、問題は多くても、個人の思想や人生観の下に法律や経済制度を構築してきたからこそ、資本主義が生き残ったのではないでしょうか。

少なくとも、大卒なら、歴史や文学による感動に裏付けられないような就職など、すべきではありません。理想とする生き方に支えられない就職など、ただの奴隷の作業です。

まともな勉強をしている若者が、「就職が嫌だ」、「就活は疲れる」などと言うことがあるはずがなく、嫌なら考え方や生き方が間違っているだけです。

そんなのは、どうせ、自分の都合や見栄しか考えていないだけのことであって、そういうのは身分は学生から社会人に変わっても、内面的には何も変わりません。

人間や社会を深く見つめ、他人の喜びをわが喜びとし、雄大な人生を描き、一つ一つの経験を物語としていくためにも、最初の仕事である就活を、悔いなくやり抜きたいものですね。