◆「内定への一言」バックナンバー編

「これでよし百万年の仮寝かな」(大西瀧治郎)





こんばんは。今日も朝からにぎやかな一日でした。それにしても、FUNゼミは椅子が足りなくなるなんて、これは本当に場所が心配になってきましたね。

今日は朝から「Business Cafe」(絶版書や古い名作の読書会)で、61冊目の「デンマルク国の話」(『後世への最大遺物』内村鑑三/岩波文庫所収)を読みました。

短編の講演録ながら、格調の高さと内容の濃密さがあいまって、皆さん、非常な感銘を受けたようでした。ほんと、毎回のことですが、古い名作を読むと、最近のベストセラーが「ビスコ」みたいにスカスカに思えますよね。


今日の内容の主人公は、ドイツに敗れたデンマークを復興させた建国の英雄・ダルガスとその息子でした。

本書は、国荒れ、産業も資源も意欲も失ったデンマークの人々を、「植林」によって再生させた物語です。

さしずめ、『上杉鷹山の経営学』(童門冬二/PHP文庫)のデンマーク版と言えるでしょう。たった一人のリーダーの決意と薫陶が、社会や一国を本当に変えてしまった歴史の事実を知ると、現代を見通す視点が得られます。

表題作の『後世への最大遺物』は、去年の就活で、最終面接を控えた4年生の中で特に人気を得た作品で、「これからも、何度も読み返していきたい」という感想を何度も聞きましたが、「デンマルク国の話」も感動的です。

それは、人間の精神の崇高さを高らかな理想とともに描写しながら、視点と行動はしっかり現実と接着し、理想と現実が渾然一体となって調和して、国や社会が発展していく軌跡を描いているからです。

分野は違っても、これは企業経営や学校教育にも通じる普遍的な原理を含んでいて、だからこそ、参加された学生さんは、それぞれの分野や将来を描きながら、「私はどう生きるべきか?」と考えているようでもありました。

さて、デンマークにダルガスがいるなら、わが日本には誰がいるのか?と考えると、それは無数にいます。

尊敬する人物を挙げたらきりがないので、今日ちょっとご紹介したのが、海軍中将・大西瀧治郎と特攻隊の青年たちの話でした。

大西中将の話は、半年ほど前に本メルマガでもご紹介しましたが、今日はそれを「後世への思い」という面から、再度一緒に見ていきましょう。



陸軍が「豪快」をもってよしとしたなら、海軍は「冷静」を重視し、どちらからも優れた軍人が多く生まれました。特に、明治期の軍人には立派な方が多く、僕も幾多の評伝を読み、何度「日本に生まれてよかった」と思ったか分かりません。

中でも、東郷大将や乃木大将は別格として、日露戦争で部下を助けて命を落とした広瀬武夫中佐などは、敵国ロシアや欧米諸国からも感動と賛嘆の声が上がったほどです。

「戦争」と聞くと、即「危ない」と思考停止に陥る人もいますが、そういう人こそ一番危ないものです。今日はそういう話題ではなく、「命の使い道」という点から、大西中将の思いを見てみたいと考えています。

大西中将は海軍軍人にあっては「武骨さ」をもって鳴らした豪傑で、海軍大学の受験で三度浪人したり、騎馬戦で猛烈な活躍を見せたりと、若いうちから数々の武勇伝を生んでいます。

日露戦争で広瀬中佐の活躍に心酔した大西中将は、度重なる苦労と失敗を経て、軍需省に入り、軍備計画とその状況把握の責任者となりました。

対米戦争は、もちろん結果からも分かる通り、軍備や資源から比較しても、象とアリの争いというほどの差で、大西中将は嫌というほど日米の軍事力の差を見せ付けられました。

そして、「特別攻撃隊」という、終戦直前になって海軍の一部でささやかれていた戦術を耳にします。

しかし、最初にそれを聞いた時は、「搭乗員の生存率が0%になる方法は採れぬ」として、一旦はねつけます。

ですが、敗戦の色が濃くなった時期に海軍中将となり、航空部隊の責任者となってからは、この戦争で負けた日本がどうなるか、遠い遠い未来を見通しながら、少しずつ考えが深まっていきました。

「わが日本は負ける。それが一方的な完敗であれば、講和条約は不利になり、将来の日本国に多大なる禍根を残すことになる。では、どうすべきか?」

そう考えた中将は、軍需物資や国際政治、経済、外交、歴史、伝統など、ありとあらゆる要素に思いをめぐらせて、「特攻作戦の敢行」を決意します。

中将がその驚くべき「必死の戦術」を採用すると聞いて、当時の新聞記者がインタビューを行った際、中将はこう答えています。

「わしはな、この作戦で戦況が好転し、日本が勝てるなどとは思っておらん。だがな、国を救えるのは大臣や将官ではない。それは、青年たちしかおらんのだ。

わが国が負ける時、愛する国土と家族を守るため、尊い命を自ら捧げて散った青年たちの歴史を刻んで負けるのと、ただむざむざと座して死を受け入れた歴史を持つのでは、五百年後、千年後のわが国に関わってくる。

もし将来の青年たちが敗戦を知り、国難に際して誰も国を守ろうとしなかったのだと知れば、彼らはどんなに寂しい思いをするだろうか。戦争に負けても、日本の精神が滅びなければ、わが国は必ず再建できる」

中将は618人の志願兵を前に、同様の決意を語ります。

「この作戦に志願する者は、必ず死ぬ。だがそれは、犬死ではない。祖国のため、死して永遠の命を得るのだ。おまえたちの姿が将来の祖国再建の支えとなるのだ。どうだ、死んでくれるか」

それを聞いた、今の学生と同じくらいの18~25歳の青年たちは、

「分かりました。そういうことなら、この命、喜んで捧げましょう」
「最高の死に場所を与えて下さり、感謝します」
「祖国再建の礎となるこの命、何が惜しいというのでしょうか」

と、非情な命令を進んで受け入れました。

そして、618人の特攻隊員たちは、この九州の地から南方に向かって飛び立っていきました。以下は、その遺書のご紹介です。詳しくは『知覧特別攻撃隊』(村永薫/ジャプラン)などでどうぞ。


■植村眞久大尉(東京都出身・立教大学卒・25歳)

『素子へ』(愛娘・素子さんへの遺書)

素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。(中略)素子といふ名前は私が付けたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。

私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合わせになつたのを見届けたいのですが、もしお前が私を知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。(中略)

追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが抱いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから、教へて上げます。



■相花信夫少尉(宮城県出身・少年飛行兵14期・18歳)

『母上、お許し下さい』(お母様への遺書)

攻撃隊振武隊に加へられ、國恩に報ずることが出来ました。父母上、信夫は勇躍征途に就きました。父母上、兄上の写真を飛行機に入れて。

父母上、信夫は子としてあるまじき無礼な言葉遣ひを遂に最後迄矯正せず、唯々慙愧に堪へません。母上、六歳の時より育て下されし、生母以上の母に対し「お母さん」と呼ばなかった信夫。母上は如何程寂しかつたことでせう。呼ばふと幾度も思ひましたが、面と向かつては、恥ずかしいやうで言へませんでした。今こそ大声で呼ばせて頂きます。「お母さん」と。(中略)

人生五十年、自分は二十歳迄長生きしました。残りの三十年は父母上に半分ずつ差し上げます。同封の金は母上の好きな煙草代に使つて下さい。父母上、では征きます。信夫は莞爾として敵艦必殺へ征きます。



■永尾博中尉(佐賀県出身・西南学院卒・22歳)

『靖國の社頭で』

一、生を享け二十二年の長い間、小生を育まれた父母上に御禮申上げます。
一、親不孝の数々御許し下さい。
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に望む事が出来ます。
一、母上、父上の事末永く呉々も御願ひ申上げます。
一、父母上の、また妹の御健康をお祈り致します。

父さん、大事な父さん。母さん、大事な母さん。永い間、色々とお世話になりました。好子、寿子をよろしく御願ひ致します。靖國の社頭でお目にかかりませう。では参ります。御身体御大事に。



■富田修中尉(長野県出身・日本大学卒・23歳)

『父ちゃん!母ちゃん!』

我一生ここに定まる。お父さんへ、言ふことなし。お母さんへ、ご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。それだけで僕は幸福なのです。

日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいつた幾多の先輩たちのことを考へます。お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言つて下さい。一言で十分です。いかに冷静になつて考へても、何時も浮かんでくるのは御両親様の顔です。

父ちゃん、母ちゃん!僕は何度も呼びます。お母さん、決して泣かないで下さい。修が日本の飛行軍人であつたことに就て、大きな誇りを持つて下さい。勇ましい爆音を立てて先輩が飛んで行きます。ではまた。



そして、わが国は敗れました。大西中将はしっかりと隊員たちの死を見届け、敗戦の翌日の8月16日、自宅で割腹自殺を遂げます。

たまたま帰宅し、腹に深く刀を突き刺し、横一文字に切り裂いて腸などが体外に飛び出た夫の姿を見て驚いた夫人が医者を呼び、すぐに救急治療のため、医者がやってきました。

中将は医者に向かって、薄れる意識の中、「どうか助けてくれるな。隊員たちの苦痛を思えば、これくらい何だというのだ」と必死の要請を行い、激痛と流血の中、十数時間耐えながら、絶命しました。


数ある軍人、官僚の中でも、部下を思って後を追った人は少なく、共産党や社会主義者の大人たちは「洗脳されて、かわいそうに」、「あとちょっと生きていれば終戦だったのに」、「自分はもともと、戦争には反対だったんだ」などと、特攻隊や大西中将、阿南大臣などの死を嘲っています。

ですが、そんな卑怯な人の影がかすむほど、青年が自ら命を賭けて国を守ったという思いは鮮烈なものでした。

決死の作戦から帰還した当時の若者の中からは、日本マクドナルド創業者・藤田田さん、ワコールの創業者・塚本幸一さん、ダイエーの創業者・中内功さん、住友生命中興の立役者・新井正明さんなどが輩出されていますが、皆、自伝や自著の中で「戦友のことを思って必死に努力した」と書いています。

これらの産業面や経済面での戦後の発展に、中将の決断がどれほど影響があるか、また関連が見受けられるかは、直接的には分からないことです。

しかし、一部の変節者や迎合者を除いて、若くして命を捧げた青年たちの命は確実に戦後の日本人に受け継がれ、戦後の猛烈な経済成長や国際的地位の向上を支える精神となったのです。

ちなみに、なぜFUNで小さな歴史勉強会や創業者の歩みを学ぶ場を持っているかというと、それは、この「受け継がれるべき精神」をさかのぼれる限りさかのぼり、国家や社会のために役立つ人間になろう、との思いからです。

中将が遺書に添えて書き残した辞世の句は、

「これでよし百万年の仮寝かな」

という歌でした。

それは、「後からおれもついていく」という決意のもと、後世の憎まれ役として指弾、非難される責任を一身に引き受け、敗戦の打撃の中から新しく生まれる未来の日本を見通した、未来への確信とも言える和歌でした。

「特攻は統帥の外道なり」
(こんな作戦は軍事的には非常識である)

「わが一生は棺を覆いて定まらず。百年の後に知己を待つ」
(死んで評価が決まる生き方ではないが、百年後には分かってくれる人もいるだろう)


こういう言葉も残している中将ですが、後から自分も割腹を遂げ、部下との約束を立派に果たしました。


さて、これと比べて今の日本がどうか、今の青年がどうかなど、そういうことは語りません。僕にそんなことを語る資格などないからです。

ただ、以前紹介したゲーテの言葉に「崇高な精神を否定するくらいなら、私は進んで、その愚かな話を信じたい」とあったように、特攻や戦争の政治的、歴史的評価がどうであれ、一命を捧げる決意を定めた若者の気持ちを一心に偲びたいのです。

一体、人が「悪いこと」のために死ぬことができるのでしょうか。後から生き残った人が何を言うのも簡単ですが、平和な時代になったからといって、戦時中の人を単に「かわいそう」、「仕方ない」とまるで他国の人のように冷遇するのが、果たして後世に生きる者のあるべき姿でしょうか。

僕は、高校時代の歴史の先生が特にこういう話が好きだったため、職員室に足しげく通い、知られざる感動の歴史をたくさん教えていただきました。

その時とは実感や見え方が変わった事件、人物もいくらかはありますが、根本的な部分において、特攻隊の遺書ほど当時の僕の精神に強い影響を与えたものはありませんでした。

この先自分が何年生きるとしても、これほどの決意で、これほどの短文で人生に別れを告げるような生き方ができるのだろうかと思うと、なんだか自分がものすごく利己的で浅ましい人間のように思えてきました。

その点では、僕も戦後30年に生まれた日本人ではあっても、特攻隊の姿は「後世への最大遺物」になったわけです。

あれ以降、自分の幸せや楽しみのためだけに生きるような情けない生き方はしたくないと、強く思うようになったのですから。

また、負けたとはいえ、そのような歴史を持つ国に生まれて、本当に有り難いことだと心から思いました。

友達にこういう話をして、右翼とか危ないと言われたこともたくさんありますが、そういう人ほど知識がなく無学だとよく分かったので、僕は味方がいなくても、歴史上の多くの偉人を師として生きた方がいいと感じました。

それ以来、友達が増えたとは思いませんが、深いところで分かり合える質の高い出会いは、確実に増えました。

今に至る古本中毒の習慣も、勉強会を作って人を集める習性も、仕事外の時間を使って学生さんに職業観や会計知識を教えるお手伝いをしているのも、全ては若い頃の感動に根ざした活動です。

今は31歳の僕も、あと30年もすれば、つまり今まで生きてきたのと同じ時間を生きれば、年老いて、それから少したてば死んでいくでしょう。それは、ちっぽけで知られない人生かもしれません。

しかしまあ、そんなことはどうでもいいことです。後に残る若者たちの笑顔を見て死ねるなら。過去を嘆いたり、未到来の将来に期待を託して今を怠ける前に、僕は僕のできることを、今、ここでやるのみです。

メルマガも、その一環です。


こんな話が就活や仕事と何の関係があるのか、と思うかもしれませんが、関係はあると思う人にだけ見えるものです。

長期的展望を持ち、価値ある命の使い道を考えて、そこから逆算した「今」を生きれば、それは確実な自信と感謝を生む「人生の記録」となっていくことでしょう。

ということで、皆様もぜひ、特攻隊に限らず、明治や江戸などの名著や偉人の本を読まれてはいかがでしょうか。

◆「内定への一言」バックナンバー編

「忙しいから本を読めないのではなく、本を読まないから忙しい」





おはようございます。「業界ゼミ」全108回の講義のうち、20回の下書きを作って、今日はこれからブックオフを回るのが楽しみな小島です。

昨日の「信販・カード」には、3年生は西南法・Kさん1人。他はいつものことながら、「取引先を研究したい」、「実務知識を付けたい」、「後輩の役に立ちたい」と言う4年生が大半でした。

また、演劇部からは2年生のJさんが初参加で、発表では演劇のようなコメントをいただき、見方が面白いなあと感心しました。いろんな学年の方が集まって、毎回楽しい時間を過ごさせてもらっていることに感謝しています。


さて、FUNで今年度、4年生に人気だった本といえば、『雄気堂々』(城山三郎/新潮文庫)でしょう。春からベンチャーキャピタリストになる西南4年・M地君はじめ、多くの方から「今読んでよかった!」という感想を聞きました。

昨日は慶応大学の大学院に通うTさんからも、「雄気堂々を読んでいます」という感想をいただき、その内容に対する評価を読んで、メルマガでご紹介してよかったと感じました。

僕は大学2年の春くらいだったか、本書を読み、「おれの夢はこのような事業家だ!」と決意し、秋には中退して、海外勤務に旅立ちました。それくらい、「経済・産業」の面から見た明治維新の歴史に感動したからです。

初めて本書について聞いたという方に、「雄気堂々」の概要を説明すると、この本は日本の資本主義の土台を築いた渋沢栄一の伝記です。主に全半生を描いた小説で、幕末から開国の時期、産業基盤や税制を作るのに、どれだけの努力と工夫があったか、スリリングに描かれています。

渋沢栄一は、若い頃は熱血漢で、尊皇攘夷の情熱に燃えて横浜の外国人居留地の焼き討ちを決意し、失敗してからは、なんと「幕臣」として一橋家の家臣・平岡円四郎に仕え、平岡暗殺後は、後継者の原市之進に仕えるなど、反対派からは「変節者」とも言われました。

幕府の使いとしてフランスに渡った栄一は、そこで見た銀行家と政治家、軍人のやり取りから、商業の発展が国家の成長に及ぼす影響を目の当たりにし、改革の熱意を秘めて帰国するのですが、彼の渡仏中に、幕府は崩壊してしまいました。

その後は大蔵省に勤務するも、意見の対立から下野し、多くの人材と産業を育て、500の会社、500の公益団体の設立に邁進し、93年の人生を日本経済の発展に捧げたのが、渋沢栄一の人生の概要です。

本メルマガの読者の方の中にも、一橋大学や東京女子大学の学生さんがおられますが、これらの大学も、経済教育や家庭教育を未来の日本の礎だと考えた渋沢栄一が設立を支援した大学ですよね。

大学だけではなく、証券取引所や商工会議所なども、彼の発案で創設されています。今では学生さんが憧れる大手有名企業も、彼が設立に関わった会社は数知れません。

とにかく、渋沢栄一がいなければ、明治、大正の日本経済の発展がどうなっていたか分からないほど、多方面で偉大な功績を残しつつも、決して財産欲や名誉欲に負けず、公益のために尽くした人物で、僕も学生時代、このような生き方がしたいものだと強く共感しました。

それからは、渋沢栄一に関する本やエッセイは、数多く集めてきました。その中でも優れたものをいくつか挙げると…

『論語と算盤』(渋沢栄一/国書刊行会)
『論語講義 一~五』(渋沢栄一/講談社学術文庫)
『徳川慶喜公伝』(渋沢栄一/東洋書房)
『日本型リーダーの条件』(山本七平/光文社文庫)
※最終章で渋沢栄一のリーダーシップを説明しています。
『一九九○年代の日本』(山本七平/PHP文庫)
※「起業家」について触れた箇所で、渋沢栄一を紹介しています。
『正義の時代』(渡部昇一/PHP文庫)
※「愛憎の日米関係史」に渋沢栄一の記述があります

などでしょうか。


学生時代は、近現代史の文献に加え、城山三郎さんの経済小説や高杉良さんの企業小説を読みふけり、海外勤務以降は深田祐介さんの「商人」シリーズや「東洋事情」シリーズをよく読んだものです。

帰国後、経済誌の記者になってからは、主にドラッカーやロバート・ライシュ教授の実務書や、営業関係の本が中心になりましたが、若い頃に壮大なスケールの物語を何冊も読みまくったことは、後の人生にもどれほど役立ったか分かりません。

ということで、小学生の頃から、地元の図書館の貸し出し記録を何度も塗り替えてきた僕は、学生時代も、社会人になってからも「読書中毒」の習慣が抜けず、今もって、時間があれば古本屋を巡り、喫茶店で読書に耽っています。

そういう知識と経験の集積を、今各種の講座で学生さんと共有できていることは、30代を迎えた僕の大きな喜びです。

だって、社会人の友達に本を勧めると、「忙しい」と断られ、読みたいと言ったから貸しても、「忙しくて読めなかった」と、必ずと言っていいほど読んでいないからです。

しかし、「忙しい」というのは、自分の想像力や行動のスタイルが成長しないからそう感じるだけであって、だからこそ時間を作って本を読むべきではないでしょうか。

「忙しい」、「忙しい」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返す人に限って、時間が空いても本を読むことはありません。そもそも、時間以前にやる気がないんじゃなかろうか、と疑ってしまいます。

忙しいなら、忙しいからこそ、今の時間をもっと生産的に使うためにも、過去の偉人や優れた人物の姿勢に学び、自分の来し方と行く先を見つめる時間を、どのようにしてでも確保すべきではないでしょうか。

そうして、忙しい中にも精神の落ち着きを作って書を開くと…

「自分はなんと浅い考えでクルクルと駆け巡っていたのか」
「何のために頑張っているのかを忘れては、焦るのも当然だ」
「時間がないと言う前に、自分にはやる気がなかったのだ」

など、根本的な部分で積極的な反省が得られ、その後は見違えるように行動と結果が変わっていくものです。

そもそも、今やっている「タイムマネジメント塾」でも言っているように、「ヒマ」とは「時間を持て余していること」ではなく、「結果を出せない時間を過ごすこと」です。

どれだけ忙しく立ち回ろうが、試験や就活でバタバタしながら取り組もうが、結果が納得できるものでなければ、それは全て「ヒマ」でしかありません。

頑張ったから何か得たはずだ、ムダに見える時間だって、何かに貢献しているはずだ…と思いたいのが人情ですが、結果が出せないのなら、それは単なる「ヒマ」です。

そうして、忙しく立ち回ったはずなのに、過ごしてみて自信が得られず、何をやったか自分でも分からない…

そういう経験を繰り返すほど、人は臆病になり、自ら挑戦することがなくなって、最後は「時間がない」、「時間がなかった」などと時間のせいにし始めるものです。

だからこそ、偉人の伝記や古典を読み、精神の基盤をしっかりと形成しておくことが大事です。大きな物語を心にインストールしていない人間は、後から行動と結果に天地の差が出てくるものです。

ということで、未来ある学生の皆さんには、ぜひとも今のうちに本に親しむ習慣を作り、この、最も経済的で成果の大きい時間使用法を味方につけてほしいものだと思います。

勉強やバイトも忙しいでしょう。しかし、それとは関係なく、いつもカバンの中に1、2冊の本を入れておきましょう。そして、ちょっとでも時間がある時は、本を開いて読み進めるような習慣を付けることから始めましょう。

本を読んでいない人、本を読まない人は、社会に出てからバカにされます。知識が少ないこと以前に、空き時間を自分の成長に使う習慣がない人間は、バカ扱いされるものです。

もし今、本を読まないのが当たり前の環境にいて、それで焦らない日々を過ごしていれば、それは確実なる「退歩」を意味します。学生で本を読まないなら、それは「学生証を持ったフリーター」に過ぎません。

マーク・トウェインも「本を読まない人間は、字が読めないのに等しい」と言っていますが、それは本当にその通りです。本という「偉人の永遠の姿」を活用しない人は、文盲と何ら変わりません。

本を読まない人間に、学校に行けないアフリカの子供たちに同情する資格はありません。だって、どちらも「かわいそう」という点では同じだからです。


どっちみち、本を読まなくても、人は空き時間を何かに投じねば生活できないのですから、本を読まない人は、それをカラオケかボーリング、酒、遊びで代用し、「その場限り」の楽しみに金と労力を投じて、ますます貧しくなっていくものです。

例えば、ブックオフ今泉店で「105円」の名作を買い、50m横のベローチェで「160円」のコーヒーを注文し、2時間で読みきってしまえば、なんと「265円」で貴重な勉強ができることになります。

大学の授業は「90分=3,400円」で、「10分=380円」ですから、古本を買って安い喫茶店にこもる時間は、大学の授業で寝ている時間や、教授が遅刻して踏み倒す時間よりも、遥かに生産性が高いのが分かります。

貧乏人は「ヒマやね~」と言って1時間で数百円、数千円使って余計に知的蒙昧の度を深め、お金持ちは節約と創造で知的投資と成長を楽しむ…「空き時間の使い方」ほど人を判断できる尺度はありません。


「忙しい」。

だから何なんでしょうか。

それで、どうするんでしょうか。

そもそも、なぜそう言っているのでしょうか。


それは、改善案や目標がなく、それ以前にやる気がないのを、そう言うことでごまかしているだけ、という場合が多いものです。

「忙しい」と言うのは、本人の知恵とやる気のなさの証明にはなっても、時間のなさやその人の仕事の重要性を示す証拠にはなりません。

どんなに忙しくても、今後は、本を読む時間を確保した上で、そう言わねばなりません。

ということで、「忙しいから本が読めない」は、「本を読んで勉強しないから、いつまでたっても無駄な作業を繰り返し、能率が上がらずに忙しい」のだと解釈し、進んで本を読む習慣を作っていきましょう。

FUNのホームページには、これまでの4年間で学生さんに紹介してきた本が数百冊掲載されていますから、ぜひページごとコピーして、お近くのブックオフや古本屋さんで、買い占めるのに活用して下さいね。

大衆の口ぐせは、繰り返すうちに簡単な事実が見えなくなり、頭が洗脳されてしまう恐ろしい病気です。

そういうのに害されないためにも、偉人の鋼鉄のような言葉で精神を映し、力強く未来に挑戦していく学生生活を送りたいものですね。今そういう習慣を付けておくと、のちのち、鮮明に自覚できる差がつくものですよ。

◆「内定への一言」バックナンバー編

「正しき理解が力を引き出す」




こんばんは。これまでの『業界ゼミ』で一番ソフトな内容だった「生命保険」を終え、福岡女子大のF津さんの熱い反応に驚いて帰宅した小島です。

この業界ゼミ、やっていて面白いのが、「志望業界だから」という理由で来る学生さんが少なく、「よく分からないから」、「面白そうだから」という動機で来たにも関わらず、受講後はその業界が志望業界になってしまうこと。

だいぶ僕の予想とは違いますが、それにしても、「保険ってどんなイメージですか?」と聞いたら、「殺人」、「不払い」、「身内に売る」という前評判だったこの業種が、「面白い!」と言っていただけたのは光栄でした。

講師の身としては、一番反応が熱かった回は、第6回の「商品先物取引」ですね。やっぱり。銀行と証券も人気のようでしたが、先物の仕組みにあれほど学生さんが興味深く聞き入るとは、予想外でした。

福岡女子大学では代々、「金融の魅力」を知って道を誤った(?)幸せな学生さんが輩出されていますが、去年のM藤さんに続き、今年はF津さんがそうなるのか…?

とにかく、この業界に行くにしろ行かないにしろ、金融の仕組みを知らずにまともな就活や仕事をするのは不可能なので、ぜひ明日からの後半も一緒に勉強していきましょう。

それから、kumamotoさん、慶應義塾大学のTさん、横浜国立大学のKさん、お友達のご紹介、どうもありがとうございます。最近は遠方の方からの教材申込もちょ
こちょこ増えつつあり、有り難いことです。

ほとんどは、全国的に名を知られた学校の方々ばかりで、やはり大都市圏の学生さんは動きが早いのかなぁと感じます。

九州・福岡も負けていられませんね。先取りで余裕を作り、自信を育てていきましょう。


さて、「経済誌の記者」といえば、世間では知られていませんが、FUNの中では有名な仕事です。なぜなら、顧問の僕が以前やっていた仕事だからです。

就職を話題にしたメルマガを書いておきながら、当の僕は会社勤めを3年しか経験したことがなく、それ以降は、もっぱら経営する側で社会を見つめてきましたが、記者の経験がどれほど役立っているかは、言い表せないほどです。

「たかが3年で何が分かるの?」と、30代、40代の人から何度も言われましたが、その時は「10年、20年も人のアイデアで食べさせてもらって、恥ずかしくないんですか?」と答えてきました。

読者の皆様の中にも、ひょっとしたら「記者」の仕事に興味をお持ちの方がおられるかもしれないので、今日は記者、とりわけ経済雑誌の記者職について、その取材・営業・企画面をご紹介します。

まず、「記者」と聞くと、ほとんどの人が「新聞記者」を連想します。

しかし、経済誌の記者は、新聞記者とは決定的に性質が異なります。それは、「起きたこと」ではなく、「起きるであろうこと」を取材することです。

新聞にも「経済欄」がありますが、それはむしろ「経済事件」や「経済犯罪」を報道するもので、経営分析や事業計画の取材はやりません。日経新聞は例外ですが、新聞の経済部と経済誌の記者は、集める情報の属性が異なります。

僕がいた会社は、会社設立5ヶ月目、雑誌発刊4ヶ月目という状態の弱小ベンチャー出版社でしたから、誌面も広告も関連サービスも、ほぼゼロの状態から作る、というありさまでした。

この点でも、「無名で、不安定で、小さい会社」という僕の志望動機を完全に満たしていて、社員の身でありながらも、創業期の会社に起こることを体感でき、その後の独立には非常に役立ちました。

まず、経済誌の主要目的は、「読者である企業に新規取引の機会を提供し、有益な経営手法や経営的発想を紹介すること」です。これが経済誌が提供する第一義的な問題解決です。

もちろん、雑誌という紙媒体だけに、「広告」や「特集企画」といった収益手段もありましたが、まずは「読む雑誌」ではなく「使う雑誌」としての質を確保せねばならず、記者時代には随分経営や会計を勉強したものです。

経済誌の特徴は、新商品や新サービス、新技術、特許、決算情報、事業戦略、経営者発想などを取材して加工し、掲載することで、当然ながら、接する人の9割は「経営者」です。

しかも、一つのアイデアを取材して、それで終わりということはなく、そのアイデアがその後どうなったか、そこで駆使した技術がどう生かされたか、結果的にどういう副産物をもたらしたか、なども継続的に取材できます。

もし「事件」なら、原因と波及する影響を述べればそれで終わりですが、経営自体を話題にするため、そのテーマは絶えず生成発展し、変化し続けます。


僕は初年度は「テープ起こし」を数多く担当し、併せて編集ソフトも練習したことから、営業・取材・編集・校正・発刊・HP作成までの全ての手続を覚えることができました。

ちなみに、このノウハウは今、某企業取材サークルにほぼ完全な形で相続されています。

また、記者というと「取材」だけが仕事のように思われがちですが、実際は「年間購読の提案」、「広告掲載の提案」、「マッチングサービスの提案」といった営業活動も担当し、一緒に経営を発展させるお手伝いもします。

日経ビジネスや東洋経済のような大手経済誌になれば、広告部門や営業部門、編集部門は細分化・専門化されていますが、僕のいた会社は入社時には6人しかいなかったため、一人でやる作業量も膨大でした。

中でも、最年少の僕は、毎月月末になると「配本」係も担当し、相方のKさんが免許を持ってなかったため、博多駅前のレンタカー屋で車を借り、早朝から夕方まで、市内の書店30店を回ったものです。

トーハンやニッパンに取次を頼めば、書店のエレベータ前とかレジの前といった「一等地」を取ってもらえるものの、そんなリッチなルートに乗せる予算もなく、書店の店長に「お願いします。いい場所に置いて下さい」とお願いしていたものです。

書店では、有力雑誌や書店の手数料が多い雑誌は「平積み(表紙が全部見える形で置く形式)」や、「面出し(上3分の1くらいだけ見えるように書架に立てかけるコンビニ形式)」にしてくれますが、弱小雑誌は「突っ込み」といって、本棚の奥の方に差し込むだけ、という形式もあります。

さらにひどいのが、これは業界用語で何と呼ぶのかは知りませんが、最初から「売れない」と見込んで、下の棚に入れておき、来店者から請求があった時だけ、「ありますよ」といって出す方法もあります。

某書店では、4ヶ月連続で「棚入れ」を食らい、非常に悲しい思いをしたものです。だって、必死で作った雑誌を手に取ってももらえず、納品時と同じ冊数で引き取ることになるんですから…。

お客として立ち寄るだけでは何も感じなくても、実は「本屋」さんという強力な集客力を持つ店舗では、水面下で「いい場所取れ!」、「これで目立つぞ!」という、「お花見の場所取り」のようなバトルが繰り広げられているのです。

このバトルで、到底大手誌や有力誌には勝てなかった僕の会社は、年間購読や「ギフトセット」、「マッチングの特典」という新たな売り方で販路を広げたのも、懐かしい思い出です。

まぁ、そんなこんなで、時には運送屋、時には回収業者、時には取り立て屋、時にはコンサルタント、時にはお茶汲み、時には宴会予約係など、様々な下働きを経験した小島記者ですが、最も楽しかったのは、やはり取材です。

社長さんという人種は、気まぐれで「うまく書いてて」と言いながら、いざ出来上がった記事を見せると、「ここ変えて」という傍若無人な人も多いものです。あるいは、今では僕もそうかもしれませんが…。

なんど「直前校正」を食らったか、数え切れないほどですが、会計用語集や経済辞典、実務書、経済小説などを読みまくり、徐々に腕を上げていくと…。

「君の記事、コピーして全国の営業所に配布したよ!」
「君に取材してもらって、初めてウチが何の仕事をしているか、よく分かった!」
「君の文章を、社員研修や会社案内で使わせてもらってもいい?」

といった評判を頂くようになりました。

初めは「どんな仕事のどの部分が、どう面白いのか」を抽出し、読者企業から「問合せの電話」が来るようにと、そればかりを考えて必死に記事を書いていたのですが、思わぬ副作用に、僕自身もとても喜びました。

だってそれは、「仕事を再定義した」のと同じことですから。

それまでは「社員がすぐ辞める」、「みんな、朝はきつそうなのに、夕方は楽しそうだ」、「若い人が入社してくれない」という悩みを抱えていた会社が、「ウチの仕事は、そもそも何をしているのか」を再定義した結果、見違えるように社内の雰囲気が良くなった、と聞いたのです。

古い言い方ですが、「記者冥利に尽きる」と有り難い思いでした。

社長さんの中には、ズバ抜けた営業センスをお持ちなのに、中卒で貸借対照表がよく分からない、という方もおられます。

技術の知識はピカイチなのに、販売となると制度も分からない方もおられます。

僕は日頃から、読者でありながらお客様でもある数多くの社長さんと接していたため、読者の視点、つまり「販売店の利益」、「代理店の利益」、「競合他社の視点」、「異業種の視点」など、様々な視点を組み合わせて、できる限り「仕事の本質」を文章化することを心掛けました。


例えば、ある通信回線の代理店があったとして、その会社が「NTTの代理店です」というニュースを前面に押し出しても、さほど効果がない時がありました。

「NTTの代理店って言えば信頼も得られると思ったのに、なかなか難しいもんだね、小島君。」

僕は「果たしてそうか?」と、あれこれ思いをめぐらせました。

NTTという、誰もが知る大手企業の代理店というニュースは、信頼強化にはつながるでしょうが、そもそも、商品を瞬時に察するには無理があるフレーズです。

そこの商材の根本的問題解決手法は「時間とコストの節約」にあったわけですから、顧客の視点から「1日半の仕事が1日で終わる」という分かりやすいメリットを提示すると、以前より反応が増えるようになりました。

売っているモノではなく、提供しうるコトを基準に、コミュニケーションのインターフェースを更新するのが、経済誌記者の仕事だといえるでしょう。

自社の仕事や相手の仕事の本質を、会計の側面から正しく理解せねば、社長の想像も社員の努力も方向を間違い、多くの無駄が生まれます。

「メーカーはモノを作っている会社だ」という無意味な理解で、どの社員がまともな仕事が出来るというのでしょうか。

「エプソンはプリンタのメーカーだ」という表面的な理解で、まともな営業ができるのでしょうか。

「雑誌とは、読むものだ」という先入観で、果たしてどれほどの雑誌経営が出来るのでしょうか。

これらは皆、「モノ」の視点に囚われた偏狭な理解に過ぎず、会計から見た業務の本質とは程遠い理解です。自社の社員にそのような業務説明しかしていないのに、収益が上がるはずがありません。

僕は「愚痴」や「対立」が起きているコミュニケーションの断層を注意深く観察して翻訳し、それを「取引先や従業員と共有可能な文章として翻訳する」という業務に、生きがいを感じるようになりました。

自分のやっている仕事を正しく理解すれば、その人は見違えるような笑顔で働き、かつ、必ず以前より良い成果を出すからです。

それはあたかも、「大学は遊ぶところだ」と思っている学生と、「大学は夢のテーマパークだ」と思っている学生の生活が、同じ4年間で決定的に異なるのと同じくらい、絶大な影響を与えます。

世の中には「会社やめたい」、「仕事がきつい」と言っている社会人がごまんといます。僕の友人にもそういう人はいますが、それらの人は、ほとんどといっていいほど「モノ」からの視点で自分の仕事を見ています。

聞いてみれば、「それで楽しいわけがない」と思わずにはいられないほどの理解です。

だから、「君の仕事は、要するに棚卸資産を適正化して現金化の速度を上げ、クライアントに余剰時間と新しい事業機会を創出する仕事じゃないか」という意味の説明をすると…。

「なるほど!オレの仕事は、そんなにすごかったのか!」と言ってくれます。

会計が分かれば、全ての業種が志望業界になり、さらに、消えずに育ち続ける「永遠の志望動機」を持つことができます。

全ての問題は会計に照らして考えればたちまちのうちに解け、そこには必ず、お客の喜びと自分の充実感が一致するポイントがあります。

自分がやる仕事を正しく理解することが、力を発揮するために一番大事なことなのです。

経済誌記者では、原発と葬儀屋さん以外、全部の業界を取材しました。今、FUN業界ゼミでは、49の業種について毎日違う講義を行っていますが、その内容は僕が記者時代に、その業界の社長さんと直接会って聞いた「業務の本質」が元になっています。

だから、受からないわけがないのです。

その仕事を創業した人や、その仕事で成功して心から「楽しい」と言っている人と同じ目で仕事を見た時、その仕事が楽しくないはずがありません。

内定など、一回得てしまえばすぐに忘れることです。問題は、その意欲が入社後数年を経ても続くかどうか。

「お客様と幸せを共有できるという充実感の元、自分を成長させていける志望動機」を持つためには、会計的視点から見た本質的な業務理解が欠かせません。

参加された皆さんはお分かりでしょうが、どの業種も、会計と問題解決手法の側面から見れば、思わず小躍りしたくなるほど楽しく思えてきますよね。

創業者やトップ営業マンは、皆、そういう風に銀行や証券会社、先物取引会社、保険会社の仕事を捉え、日々活躍しているのです。そのような理解をしてこそ、くじけない志望動機が育っていくのです。

僕は今、毎日の業界ゼミに使命を感じています。それは、来てくれた学生さんの選択肢が毎回確実に増え、その業界に愛着を持ってくれるからです。

そして、どの学年のどの学部の学生さんが来ても、等しく「面白い!」、「興味が出た!」と言ってくれるのを見て、二重に確信を強めています。

得た経験と知識を総動員し、誰もが志望業界に内定し、内定後も幸せに成長していける「仕事事典」を、きっと作ってみせる!

毎日、そんな決意でレジュメ作りに携わっていますが、その原動力は、毎日ちょこちょこ集まってくれる学生さんの笑顔です。

今日は記者の仕事には少ししか触れませんでしたが、今後はエントリーシート提出や面接も近付いてくるので、色々な仕事の見方や実務知識について、少しずつご紹介していくことにします。

経済誌の記者も、①企業トップに会いたい、②経営や会計と、その適用事例を実地で学びたい、③表現と説明の力を磨きたい、④新たなビジネスチャンスを描きたい、という動機をお持ちの方なら、ぜひ挑戦する価値がある仕事です。

社会で起きていること、新たな経済の胎動、新ビジネスの産声…それらを経営と会計の本質から文章化し、新たなチャンスを読者やクライアントにお届けする「未来の情報の出前配達人」が、経済誌記者の仕事です。


今思えば、学生さんのサークルを応援することにもなったので、記者の仕事で蓄積した経験と知識が、このような若い方々の勉強にいささか貢献できているのも、思わぬ喜びの一つです。

書くのが好きで、マメなのは、記者の仕事をする前からの性格ですが…。

貿易会社(海外勤務)と出版社、それに人材コンサルティングに興味がある学生さんなら、僕にも経験があるので、いつでもベローチェで相談に乗りますから、お気軽にどうぞ。