◆「内定への一言」バックナンバー編

「これでよし百万年の仮寝かな」(大西瀧治郎)





こんばんは。今日も朝からにぎやかな一日でした。それにしても、FUNゼミは椅子が足りなくなるなんて、これは本当に場所が心配になってきましたね。

今日は朝から「Business Cafe」(絶版書や古い名作の読書会)で、61冊目の「デンマルク国の話」(『後世への最大遺物』内村鑑三/岩波文庫所収)を読みました。

短編の講演録ながら、格調の高さと内容の濃密さがあいまって、皆さん、非常な感銘を受けたようでした。ほんと、毎回のことですが、古い名作を読むと、最近のベストセラーが「ビスコ」みたいにスカスカに思えますよね。


今日の内容の主人公は、ドイツに敗れたデンマークを復興させた建国の英雄・ダルガスとその息子でした。

本書は、国荒れ、産業も資源も意欲も失ったデンマークの人々を、「植林」によって再生させた物語です。

さしずめ、『上杉鷹山の経営学』(童門冬二/PHP文庫)のデンマーク版と言えるでしょう。たった一人のリーダーの決意と薫陶が、社会や一国を本当に変えてしまった歴史の事実を知ると、現代を見通す視点が得られます。

表題作の『後世への最大遺物』は、去年の就活で、最終面接を控えた4年生の中で特に人気を得た作品で、「これからも、何度も読み返していきたい」という感想を何度も聞きましたが、「デンマルク国の話」も感動的です。

それは、人間の精神の崇高さを高らかな理想とともに描写しながら、視点と行動はしっかり現実と接着し、理想と現実が渾然一体となって調和して、国や社会が発展していく軌跡を描いているからです。

分野は違っても、これは企業経営や学校教育にも通じる普遍的な原理を含んでいて、だからこそ、参加された学生さんは、それぞれの分野や将来を描きながら、「私はどう生きるべきか?」と考えているようでもありました。

さて、デンマークにダルガスがいるなら、わが日本には誰がいるのか?と考えると、それは無数にいます。

尊敬する人物を挙げたらきりがないので、今日ちょっとご紹介したのが、海軍中将・大西瀧治郎と特攻隊の青年たちの話でした。

大西中将の話は、半年ほど前に本メルマガでもご紹介しましたが、今日はそれを「後世への思い」という面から、再度一緒に見ていきましょう。



陸軍が「豪快」をもってよしとしたなら、海軍は「冷静」を重視し、どちらからも優れた軍人が多く生まれました。特に、明治期の軍人には立派な方が多く、僕も幾多の評伝を読み、何度「日本に生まれてよかった」と思ったか分かりません。

中でも、東郷大将や乃木大将は別格として、日露戦争で部下を助けて命を落とした広瀬武夫中佐などは、敵国ロシアや欧米諸国からも感動と賛嘆の声が上がったほどです。

「戦争」と聞くと、即「危ない」と思考停止に陥る人もいますが、そういう人こそ一番危ないものです。今日はそういう話題ではなく、「命の使い道」という点から、大西中将の思いを見てみたいと考えています。

大西中将は海軍軍人にあっては「武骨さ」をもって鳴らした豪傑で、海軍大学の受験で三度浪人したり、騎馬戦で猛烈な活躍を見せたりと、若いうちから数々の武勇伝を生んでいます。

日露戦争で広瀬中佐の活躍に心酔した大西中将は、度重なる苦労と失敗を経て、軍需省に入り、軍備計画とその状況把握の責任者となりました。

対米戦争は、もちろん結果からも分かる通り、軍備や資源から比較しても、象とアリの争いというほどの差で、大西中将は嫌というほど日米の軍事力の差を見せ付けられました。

そして、「特別攻撃隊」という、終戦直前になって海軍の一部でささやかれていた戦術を耳にします。

しかし、最初にそれを聞いた時は、「搭乗員の生存率が0%になる方法は採れぬ」として、一旦はねつけます。

ですが、敗戦の色が濃くなった時期に海軍中将となり、航空部隊の責任者となってからは、この戦争で負けた日本がどうなるか、遠い遠い未来を見通しながら、少しずつ考えが深まっていきました。

「わが日本は負ける。それが一方的な完敗であれば、講和条約は不利になり、将来の日本国に多大なる禍根を残すことになる。では、どうすべきか?」

そう考えた中将は、軍需物資や国際政治、経済、外交、歴史、伝統など、ありとあらゆる要素に思いをめぐらせて、「特攻作戦の敢行」を決意します。

中将がその驚くべき「必死の戦術」を採用すると聞いて、当時の新聞記者がインタビューを行った際、中将はこう答えています。

「わしはな、この作戦で戦況が好転し、日本が勝てるなどとは思っておらん。だがな、国を救えるのは大臣や将官ではない。それは、青年たちしかおらんのだ。

わが国が負ける時、愛する国土と家族を守るため、尊い命を自ら捧げて散った青年たちの歴史を刻んで負けるのと、ただむざむざと座して死を受け入れた歴史を持つのでは、五百年後、千年後のわが国に関わってくる。

もし将来の青年たちが敗戦を知り、国難に際して誰も国を守ろうとしなかったのだと知れば、彼らはどんなに寂しい思いをするだろうか。戦争に負けても、日本の精神が滅びなければ、わが国は必ず再建できる」

中将は618人の志願兵を前に、同様の決意を語ります。

「この作戦に志願する者は、必ず死ぬ。だがそれは、犬死ではない。祖国のため、死して永遠の命を得るのだ。おまえたちの姿が将来の祖国再建の支えとなるのだ。どうだ、死んでくれるか」

それを聞いた、今の学生と同じくらいの18~25歳の青年たちは、

「分かりました。そういうことなら、この命、喜んで捧げましょう」
「最高の死に場所を与えて下さり、感謝します」
「祖国再建の礎となるこの命、何が惜しいというのでしょうか」

と、非情な命令を進んで受け入れました。

そして、618人の特攻隊員たちは、この九州の地から南方に向かって飛び立っていきました。以下は、その遺書のご紹介です。詳しくは『知覧特別攻撃隊』(村永薫/ジャプラン)などでどうぞ。


■植村眞久大尉(東京都出身・立教大学卒・25歳)

『素子へ』(愛娘・素子さんへの遺書)

素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。(中略)素子といふ名前は私が付けたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。

私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合わせになつたのを見届けたいのですが、もしお前が私を知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。(中略)

追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが抱いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから、教へて上げます。



■相花信夫少尉(宮城県出身・少年飛行兵14期・18歳)

『母上、お許し下さい』(お母様への遺書)

攻撃隊振武隊に加へられ、國恩に報ずることが出来ました。父母上、信夫は勇躍征途に就きました。父母上、兄上の写真を飛行機に入れて。

父母上、信夫は子としてあるまじき無礼な言葉遣ひを遂に最後迄矯正せず、唯々慙愧に堪へません。母上、六歳の時より育て下されし、生母以上の母に対し「お母さん」と呼ばなかった信夫。母上は如何程寂しかつたことでせう。呼ばふと幾度も思ひましたが、面と向かつては、恥ずかしいやうで言へませんでした。今こそ大声で呼ばせて頂きます。「お母さん」と。(中略)

人生五十年、自分は二十歳迄長生きしました。残りの三十年は父母上に半分ずつ差し上げます。同封の金は母上の好きな煙草代に使つて下さい。父母上、では征きます。信夫は莞爾として敵艦必殺へ征きます。



■永尾博中尉(佐賀県出身・西南学院卒・22歳)

『靖國の社頭で』

一、生を享け二十二年の長い間、小生を育まれた父母上に御禮申上げます。
一、親不孝の数々御許し下さい。
一、小生も良き父上、良き母上、良き妹二人を持ち心おきなく大空の決戦場に望む事が出来ます。
一、母上、父上の事末永く呉々も御願ひ申上げます。
一、父母上の、また妹の御健康をお祈り致します。

父さん、大事な父さん。母さん、大事な母さん。永い間、色々とお世話になりました。好子、寿子をよろしく御願ひ致します。靖國の社頭でお目にかかりませう。では参ります。御身体御大事に。



■富田修中尉(長野県出身・日本大学卒・23歳)

『父ちゃん!母ちゃん!』

我一生ここに定まる。お父さんへ、言ふことなし。お母さんへ、ご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。それだけで僕は幸福なのです。

日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいつた幾多の先輩たちのことを考へます。お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言つて下さい。一言で十分です。いかに冷静になつて考へても、何時も浮かんでくるのは御両親様の顔です。

父ちゃん、母ちゃん!僕は何度も呼びます。お母さん、決して泣かないで下さい。修が日本の飛行軍人であつたことに就て、大きな誇りを持つて下さい。勇ましい爆音を立てて先輩が飛んで行きます。ではまた。



そして、わが国は敗れました。大西中将はしっかりと隊員たちの死を見届け、敗戦の翌日の8月16日、自宅で割腹自殺を遂げます。

たまたま帰宅し、腹に深く刀を突き刺し、横一文字に切り裂いて腸などが体外に飛び出た夫の姿を見て驚いた夫人が医者を呼び、すぐに救急治療のため、医者がやってきました。

中将は医者に向かって、薄れる意識の中、「どうか助けてくれるな。隊員たちの苦痛を思えば、これくらい何だというのだ」と必死の要請を行い、激痛と流血の中、十数時間耐えながら、絶命しました。


数ある軍人、官僚の中でも、部下を思って後を追った人は少なく、共産党や社会主義者の大人たちは「洗脳されて、かわいそうに」、「あとちょっと生きていれば終戦だったのに」、「自分はもともと、戦争には反対だったんだ」などと、特攻隊や大西中将、阿南大臣などの死を嘲っています。

ですが、そんな卑怯な人の影がかすむほど、青年が自ら命を賭けて国を守ったという思いは鮮烈なものでした。

決死の作戦から帰還した当時の若者の中からは、日本マクドナルド創業者・藤田田さん、ワコールの創業者・塚本幸一さん、ダイエーの創業者・中内功さん、住友生命中興の立役者・新井正明さんなどが輩出されていますが、皆、自伝や自著の中で「戦友のことを思って必死に努力した」と書いています。

これらの産業面や経済面での戦後の発展に、中将の決断がどれほど影響があるか、また関連が見受けられるかは、直接的には分からないことです。

しかし、一部の変節者や迎合者を除いて、若くして命を捧げた青年たちの命は確実に戦後の日本人に受け継がれ、戦後の猛烈な経済成長や国際的地位の向上を支える精神となったのです。

ちなみに、なぜFUNで小さな歴史勉強会や創業者の歩みを学ぶ場を持っているかというと、それは、この「受け継がれるべき精神」をさかのぼれる限りさかのぼり、国家や社会のために役立つ人間になろう、との思いからです。

中将が遺書に添えて書き残した辞世の句は、

「これでよし百万年の仮寝かな」

という歌でした。

それは、「後からおれもついていく」という決意のもと、後世の憎まれ役として指弾、非難される責任を一身に引き受け、敗戦の打撃の中から新しく生まれる未来の日本を見通した、未来への確信とも言える和歌でした。

「特攻は統帥の外道なり」
(こんな作戦は軍事的には非常識である)

「わが一生は棺を覆いて定まらず。百年の後に知己を待つ」
(死んで評価が決まる生き方ではないが、百年後には分かってくれる人もいるだろう)


こういう言葉も残している中将ですが、後から自分も割腹を遂げ、部下との約束を立派に果たしました。


さて、これと比べて今の日本がどうか、今の青年がどうかなど、そういうことは語りません。僕にそんなことを語る資格などないからです。

ただ、以前紹介したゲーテの言葉に「崇高な精神を否定するくらいなら、私は進んで、その愚かな話を信じたい」とあったように、特攻や戦争の政治的、歴史的評価がどうであれ、一命を捧げる決意を定めた若者の気持ちを一心に偲びたいのです。

一体、人が「悪いこと」のために死ぬことができるのでしょうか。後から生き残った人が何を言うのも簡単ですが、平和な時代になったからといって、戦時中の人を単に「かわいそう」、「仕方ない」とまるで他国の人のように冷遇するのが、果たして後世に生きる者のあるべき姿でしょうか。

僕は、高校時代の歴史の先生が特にこういう話が好きだったため、職員室に足しげく通い、知られざる感動の歴史をたくさん教えていただきました。

その時とは実感や見え方が変わった事件、人物もいくらかはありますが、根本的な部分において、特攻隊の遺書ほど当時の僕の精神に強い影響を与えたものはありませんでした。

この先自分が何年生きるとしても、これほどの決意で、これほどの短文で人生に別れを告げるような生き方ができるのだろうかと思うと、なんだか自分がものすごく利己的で浅ましい人間のように思えてきました。

その点では、僕も戦後30年に生まれた日本人ではあっても、特攻隊の姿は「後世への最大遺物」になったわけです。

あれ以降、自分の幸せや楽しみのためだけに生きるような情けない生き方はしたくないと、強く思うようになったのですから。

また、負けたとはいえ、そのような歴史を持つ国に生まれて、本当に有り難いことだと心から思いました。

友達にこういう話をして、右翼とか危ないと言われたこともたくさんありますが、そういう人ほど知識がなく無学だとよく分かったので、僕は味方がいなくても、歴史上の多くの偉人を師として生きた方がいいと感じました。

それ以来、友達が増えたとは思いませんが、深いところで分かり合える質の高い出会いは、確実に増えました。

今に至る古本中毒の習慣も、勉強会を作って人を集める習性も、仕事外の時間を使って学生さんに職業観や会計知識を教えるお手伝いをしているのも、全ては若い頃の感動に根ざした活動です。

今は31歳の僕も、あと30年もすれば、つまり今まで生きてきたのと同じ時間を生きれば、年老いて、それから少したてば死んでいくでしょう。それは、ちっぽけで知られない人生かもしれません。

しかしまあ、そんなことはどうでもいいことです。後に残る若者たちの笑顔を見て死ねるなら。過去を嘆いたり、未到来の将来に期待を託して今を怠ける前に、僕は僕のできることを、今、ここでやるのみです。

メルマガも、その一環です。


こんな話が就活や仕事と何の関係があるのか、と思うかもしれませんが、関係はあると思う人にだけ見えるものです。

長期的展望を持ち、価値ある命の使い道を考えて、そこから逆算した「今」を生きれば、それは確実な自信と感謝を生む「人生の記録」となっていくことでしょう。

ということで、皆様もぜひ、特攻隊に限らず、明治や江戸などの名著や偉人の本を読まれてはいかがでしょうか。