地元の怪談教えて
ブログネタ:地元の怪談教えて 参加中



結婚する前に住んでいた街で、時々噂されていた話。


夜、車を走らせていると、対抗車線からタクシーが走って来るのが見える。


地元では一番メジャー所のタクシー会社で、よく走っているから、一見何の変哲もない光景に見える。


だから普通にすれ違うのだが、すれ違う瞬間、総毛立つような恐怖を味わう。


そのタクシーは、無人なのだ。


地元では、『幽霊タクシー』と呼ばれていた。タクシーの幽霊なのか、幽霊が運転するタクシーという意味なのか、定かでないが。


口コミで噂になるぐらいだから、見た人が一定数いるのだろう。そのへんを走っているようなタクシーが、実はこの世の物ではないと、すれ違う瞬間に分かるなんて、思わず事故ってしまいそうな恐怖だ。


ちなみに私はまだ、遭遇したことはない。

 今日のテレフォン人生相談より。



 相談者は55歳男性。妻は48歳。(再婚)夫婦二人暮らし。30年ほど前に離婚したのだが、元妻が引き取った一人息子が先日交通事故で他界。息子は独身だったため。息子が掛けていた死亡保険の受取人は両親。元妻からは権利を放棄してくれと言われたが、相談者は敢えて権利を主張し、弁護士を立てて1500万円を受け取る。しかしそれだけでは飽き足らず、死んだ息子の事故の相手が支払った賠償金も請求する方法は無いか、との相談。



 ちなみにこの相談者、離婚以来一度も息子とは会っておらず、養育費もほとんど払って来なかった。離婚の原因は相談者の浮気。・・・ここまで読んで、既にヾ(▼ヘ▼;)フルフル来ちゃってる人、もう少し我慢して。



 この相談者、どうもお金に困っているらしい。困窮の原因はギャンブルと事業の失敗(要するにギャンブルだな)。その穴を埋めるため、金が必要だという事を言葉の端々に匂わせていた。そして、元妻の立てた弁護士に直談判。しかし要領を得ないので、人生相談に電話をかけた、という訳なのだった。



 回答者は熱血弁護士、高中正彦。まず一通り法律の原則論を述べた上で、恐らく1500万受け取った時点で、これ以上の請求権利放棄の署名をしているはずだと言った。相談者は署名しているという。元妻が予防線を張った訳だ(無理もない)。なので、相談者はこれ以上ビタ一文もらえないという結論になった。(当然であろう)。



 そしてその後、高中弁護士が「これは法律とは別の話なんだけど・・・」と前置きをして、諭し始めた。別れた切りでろくに会ってもやらず、親としての義務も果たさなかった癖に、今更権利ばかり主張するな。子供を錬金術の手段にするな。保険金は息子の命と引き換えのお金である。そのことをゆめゆめ忘れるな。せめて息子の墓参りには行け。相談者は神妙に聞いていた(ようであった)。本当に理解したかどうかは分からないが。



 他人に向かって罵詈雑言をぶつけるのは気が引けるが・・・この相談者は文句無く「腐れ外道」、人間のクズである。

ハイ、毒吐きです。

勘違い野郎が1名。


揚げ足取り、的外れな突っ込み、周りの顰蹙を買ってることに気づかない。


アンタのせいで仕事がかなり滞ったよ。(-_-#)


私は管理者として来ている。その事はアンタ以外の全員が分かってた。


『オレは分かってるけど、周りのみんなは分かってない。』

逆だって(笑)分かってないのアンタだけだって(笑)


人と違うことを言って、『切れ者』『知的』をアピールしたがってる自意識の肥大した幼稚な男。


その尊大さが、周りを不快にさせてることに全然気づいていない。かわいそうな奴。


時々いるんだよなぁ…。こーゆうの。


多分勉強はできたタイプ(笑)

 全編通して哀しみと虚無感が流れる映画である。結末も救いが無い。しかし、「生き抜け!」という強烈なメッセージはものすごく伝わって来た。



 「生きる」ということはカムイの生きた時代、今とは比較にならないほど厳しいものであった。抜け忍も追い忍も、カムイと共に暮らした半兵衛という漁師も、村人も海賊も、生きるためには戦い、欺き、殺し、そして逃げる。生き延びるためには何でもやらなければならないのだ。生きる意味や自分の価値を問う間もなく、ただ生き長らえることが一義であり、唯一の真実である。本当に、「死んでしまったら何もかも終わり」である。



 どこまでも追われ、戦いを挑まれ、誰も信じることはできず、一つ所に定住することもできず、誰かを愛することもできない。過酷なだけの人生なのに、それでもカムイは逃げ続け、戦い続ける。生きるために。生きていることそのものが、カムイにとって重要なのだ。たとえどんな目に遭おうとも。「ただ生きたくて」カムイは生きる。



 生とは本来、こんな風に過酷なものなのかも知れない。現代に生きる私たちは生きがいとか自己実現とか、どうでもいいことにこだわり過ぎている。ただ生きるだけもすごいことなのだ、本当は。そんなことを気づかせてくれた映画だった。



 カムイ役の松山ケンイチがすばらしかった。原作のカムイは目がぱっちりして女顔、松ケンの顔とは全然系統が違うのだが・・・それでも、かっと見開いた目はカムイそのものだった。声も若干変えており、普段の松ケンの声ではなかった。本当にカメレオン俳優なのだなぁ。



 そして小雪。意外にもアクションが凄かった。「やるなぁ、小雪姐さん」という感じだった。松ケンのアクションmp良かったが、意外なぶんだけ小雪の方が印象に残った。

 すごく仲の良かった友達と、些細なことがきっかけで仲たがいしてしまうって、意外によくあることだと思う。



 Sちゃんは私の一番仲の良い友達だった。感性が合い、二人でいると何時間でも楽しく喋っていられた。たまに考え方の違うところがあって議論になることはあったが、口角泡を飛ばして議論しても、親密さには何の影響も無かった・・・のだが。



 最近ちょっと様子が変わってきた。Sちゃんとは前の職場で知り合って、付き合いは15年ほどになる。彼女は2児の母で、彼女の息子たちとも親しく、旦那さんとうちの旦那も交流があり、それこそ家族ぐるみの付き合いをしてきた。一緒に旅行に行ったこともある。本当に色んな方面での価値観が合い、これからもずっとこの関係が続くと思っていた。



 しかし、最近Sちゃんの様子が以前と変わってしまった。彼女はちょっと前、ママ友との人間関係で悩んでいて、相談に乗ったことがある。Sちゃんの中学生の長男が地元の少年サッカーチームに入っているのだが、その保護者グループとの関係についてだった。その中の「主流」グループから素っ気なく対応されて、彼女は悩んでいた。



 曰く、挨拶しても無視か、生返事しか返してくれない、私以外のママとはバカ話で盛り上がっているのに・・・どうも干されている気がするとのこと。実はSちゃんは自宅で学習塾を開いている。周りが専業主婦か、働くといっても内職ぐらいの主婦たちの中で、Sちゃんは異色の存在であった。他のママたちよりちょっとばかり知的で、教養があった。


 

そんな彼女を私はよく知っているから、周りのママ友から若干浮くのは致し方ないと思った。マジョリティから見て、異質なもの、理解できないものは、往々にして排除の対象になる。要するにSちゃんはやっかまれていたのである。聞けば他の所にまぁまぁ気の合うママ友もいるみたいだし、それにサッカーチームの保護者会にも強制参加というわけではないらしい。そんなこと気にしなくていいよ、他に気の合う人いるならその人たちと付き合えばいいじゃん、キャラの違う集団に溶け込めなくてもあなたの価値が失われるわけじゃないから、どんと構えていればいいよ・・・とアドバイスしておいた。しかし、Sちゃんは納得しなかった。どんな集団においても「中庸」でいたいのだと彼女は言った。要するにどこでも「そこそこのポジション」を確保しておきたいということだろう。随分つまんないことにこだわるんだな、とその時は思った。



 後日大分経ってから、今度はSちゃんのママ友の悩みを間接的に聞くことになった。以前記事にも書いたが、「つねに主流のグループでバカ話をしていたい、余り者同士でくっつくのは惨め」と言った人のことだ。私はその時も「随分幼稚な考えだねぇ、その人」と言った。しかしSちゃんは「あたしには彼女の気持ち分かるなぁ」と言った。彼女らしくない言い様で、私は少々戸惑った。以前のSちゃんは、そんなことを言う人ではなかったのだ。



 そしてちょっと前にあった時、ちょっとしたことで議論になった。こんなことは私と彼女の間ではよくあることで、取るに足らない出来事だったのだが・・・意外にも、そのことが長く引きずった。その次に会った時、Sちゃんの様子が少しおかしかった。どうでもいいことに突っかかり、批判のような皮肉のような物言いをする。言葉尻を捉えて否定的な発言をする。あまつさえ、既にしてあった約束をドタキャンしてきた。


 

Sちゃんと別れてから、私の心にイガイガした感触が残った。一体彼女はどうしてしまったのか?以前の議論を根に持っているのだろうか?しかしあの時はお互い本音で話したから、むかついたのはお互い様である。以前だってそうだったのだ。私も彼女も理屈っぽいので、とことん自分の主張を通そうとする。そうやって言葉を尽くして議論するのが二人とも嫌いではないのである。だからたとえ物別れに終わったとしても、後々まで引きずるなんてlことは無かったのだ。以前は。



 なんだかSちゃん、頭悪くなってないか?失礼ながらそう思ってしまった。もっと聡明で知的で精神的に自立した人だったはずだ。小さなことを根に持ったり、つまらないことで気に病む人ではなかったはずだ。周りの「気の合わない」ママともの中で疲弊してしまい、自分を見失ってしまったのだろうか。或いは、私が彼女のこういう部分を知らなかっただけかも知れない。また或いは、実は以前から私の言動にうんざりしていて、それが爆発した・・・?



 いずれにせよ言えることは、「人は変わって行くものだ」ということ。Sちゃんと私の境遇はまったく違う。既婚子無しの私と、義理親同居で2児の母の彼女。共通点は仕事と、感性だけである。だが、それで十分だと思っていた。生活環境の差など、友情を育むのに大した影響は無かろうと。しかし実際は、影響していたのかも知れない。



 互いに前の会社を辞めてから、会う回数はめっきり減った。(それでも月1は会っていたのだが)私は転職したり、資格を取ったりし、Sちゃんは塾を始め、二人の息子を育てた。Sちゃんにはママ友という人間関係はあるが私には無い。私は仕事の都合で夜遅く帰ったり、付き合いで飲み会に行ったり、資格試験のため学校に通ったりしたが、Sちゃんはそういうことは皆無である。この15年、考えてみればお互いの人生のトラックは随分かけ離れてしまった。喧嘩をしなくても、気が合わなくなるのは無理のないことかも知れない。



 私は関係の永続性をあまり信じない。毎日一緒に居た幼馴染も、どちらかが引っ越して会わなくなったら多くの場合それきりだろう。たまに会ったりしていれば違うかも知れないが、それでも頻繁に会っていた頃の関係とは微妙に違うはずだ。学生時代の友人と何十年ぶりかに会って、話題といえば思い出話ばかりになるのは、最早共通項を何も持たないからである。もちろん昔の友人と関係が復活することも間々あるだろうが、それは「昔の続き」ではなく、「新たに始めた」関係に近い。去る者は日々に疎し、である。



 私とSちゃんの関係も、いつの間にか変質していたのかも知れない。二人とも年を取ったせいかも知れないし、私かSちゃんに何か問題が生じたのかも知れない。はっきりした理由は分からないが、わかっているのはもうSちゃんと昔のように付き合えないかも知れないということだ。



 かなり寂しいことだが、受け入れなければならないのだろうか?それとも時を経ればわだかまりも消え、また以前のように屈託ない付き合いに戻れるのだろうか?今の所は分からない。しばらく様子を見てみようかと思う。



 これも人生、というヤツだ。

今、用事があって電車に乗っています。

私のすぐ近くに、20代後半とおぼしきカップルがいるんですが…


混雑した電車の中、なんと、女が立って、男が座っています。(しかも優先席に)(◎o◎)


私の感覚ではこういうの、ありえないですが。最近はアリなんですかねぇ…


ちなみに女はものすごい美人。男はマザコンぽいです。


あっ…と思っていたら、男、寝ちゃいました。ジャケットをかけてもらっています。(-o-;)