千葉県には壬申の乱で敗北した大友皇子にまつわる話がいくつかあります。
まずは千葉県の外房。
↑大友皇子の妃、耳面刀自(みみものとじ)が葬られたとの伝承がある匝瑳市の内裏塚下古墳
↑耳面刀自が改葬されたとの伝承がある旭市の大塚原古墳
次に内房。
↑大友皇子が被葬者との伝承がある君津市の白山神社古墳
↑耳面刀自と侍女十二名が自害した地と伝わる木更津市の十二所神社
今日アップするのは大友皇子とともに戦い、戦死した七人のお墓です
↑七人士之墓
五輪塔ですね。すべて傾いているのが気になります
場所はこちら: 35.322529, 140.047045
↑石柱には七人士之墓に関する解説が刻まれています。
里伝に白鳳二年(六七二)七月 壬申の乱に破れた大友皇子(弘文天皇)は秘かに当地に御潜幸白山神社附近に小川の城を築き再挙を図られたが飛鳥浄御原朝の知るところとなり翌年九月、大軍を以て攻められ衆寡敵せず遂に崩御 御年二十五歳この戦に散った勇士七人を是䖏に葬ると伝えられる。
↑七人士之墓、角度を変えて
安らかにお眠り下さい