9月17日に一番行きたかったのが白山神社古墳です
↑白山神社、一の鳥居
この白山神社古墳に、壬申の乱で敗北した大友皇子が葬られている・・そんな伝承、以前から知ってはいましたが、蚊も出ない、草も少ない真冬にでもゆっくり見に行こう・・・そんな予定でした。
↑「白山神社古墳」の案内板もあります
大友皇子の妃、耳面刀自媛(みみものとじひめ)の伝承が外房にも内房にもあることに気がつき、色々と調べていたら、やはり大友皇子も気になってきますよね
↑白山神社古墳の解説板
前方後円墳の形状と発掘された遺物から、古墳時代前期築造と推定されています。壬申の乱は西暦672年なので、歴史学・考古学的に白山神社古墳の被葬者は大友皇子ではない!と完全に否定されています。
↑白山神社、二の鳥居
ふっき~は考古学者でも歴史学者でもないので、「なぜ?この地に大友皇子の伝承が?」と、素人ゆえの想像をすることにします
↑参道
古墳巡りをするようになって、古墳+白山神社[白山比咩(しらやまひめ)神社を含む]の組み合わせが多いことに気がつきました最初は不思議に感じていたのですが、調べていくうちに、白山神社って「製鉄」に関わりがある神社ということがわかってきました。
↑白山神社、拝殿
君津市の白山神社(古墳)がある地名が「俵田(たわらだ)」、市区町村合併前は「田原村」。
「たたら」が「田原」になったことが想像できます
製鉄が由来の地名と思われます(地名の由来は完全に想像です)
↑不思議写真のように写った本殿
現在の奈良市には「田原」という地名があります。実は、大和国の田原は多氏(オフ氏)の本拠地。
オフ氏の子孫で有名な人物は古事記を編纂した太安万侶でしょうか。ちなみに、太安万侶のお墓がやはり大和国の田原で発見されています。
次回に続きますよ
あっ!本日から北海道で1泊してきます。(飛行機、大丈夫かな?)
ブログの更新が明日はできないかもしれません。