白山神社古墳の続きです
↑白山神社古墳 左手奥が「前方」部、右手前が「後円」部
前回のブログで・・・・
1 白山神社が製鉄由来の神社。
2 「俵田」という地名、以前は「田原」。おそらく「たたら」が由来。
3 多(オフ)氏の本拠地の地名も「田原」
これら3点について書きました
↑「後円」部、裾の様子。「後円」部の高さは約10メートル。
この白山神社古墳のすぐ近くに「御腹川」があります。
大友皇子が切腹した川・・との伝承があるほか、川の流れが血に染まる・・といった言い伝えもあるそうです。
↑「くびれ」部あたりに破片がありました土器(土師器)と思われます。
「御腹川」が血で染まる→おそらく製鉄によって流れ出た鉄分によって川の色が変わったもの・・と想像できます。
↑「後円」部から「前方」部への眺め
この白山神社古墳が「鉄」に関わる人物が葬られた・・という説が浮かび上がってきます
ただ、オフ氏との結びつきが、どうにも見つけることができません
↑これも土器の破片でしょう
オフ氏の影響を受けたか、指示を受けたような人物が、この馬来国の地へ都からやって来て、製鉄の方法を伝えた・・
その都からやって来たスゴイ人物が、この白山神社古墳に葬られている。
そんな言い伝えが1,000年以上も経過すると・・
都から来たということは
「皇子」クラスのスゴイ人!
あっ!大友皇子か!
そんな伝承がこの地に生まれたのかもしれない・・・・
↑「前方」部から「後円」部への眺め、墳頂は約88メートルの前方後円墳。
学者ではないアマチュアゆえに、根拠のない想像ができてしまうところが古代史の面白いところ
↑白山神社古墳、左手が「前方」部、右奥が「後円」部
この地域、まだまだ大友皇子の伝承、色々あるんですよね
この日の探訪は打ち切っています
また、冬になったら再訪してみます
オマケ・・・・
10月1日総武線が止まり、駅にもなかなか入ることができなかったのですが、どうにか飛行機に間に合い北海道へ。
念願だった千歳空港での海鮮丼にありつけました
ふっき~は北海道でも内陸にある美唄市出身なので、小さい頃は「イクラ丼」も「ウニ丼」も食べたことがなく、大人になってから初めて食べたんですよ。