西暦672年、皇位継承をめぐって発生した壬申の乱。
敗北したのは大友皇子(弘文天皇)。
その大友皇子(弘文天皇)の妃、耳面刀自(みみものとじ)が葬られた古墳がある
※耳面刀自は大化の改新で有名な中臣鎌足の娘です
そんな気になる伝説を初めて知ったので見に行ってきたのです
↑内裏塚下古墳、南東側より
↑内裏塚下古墳、北西側より
写っている車はタイムズカーシェアで借りた軽自動車ハスラー
↑内裏神社(下社)の鳥居と、解説板
↑ちょっと見にくい解説板
この解説板をまとめると・・・・
壬申の乱で大友皇子が敗れたため耳面刀自は従者18人とともに近江宮から落ち延び、海路、父鎌足の故地鹿島を目指す。
まだ20歳のお姫様、精神的なストレスはかなり大きいものだったのでしょうね(←ここは自分の感想)
途中で病におかされ、野手浜(椿海)に上陸後、熱田十郎兵衛、忠兵衛ら里人たちの介護の甲斐もなく白鳳元年(西暦672年)9月23日亡くなられ、この古墳に埋葬された・・・・
↑地元の人に、とても大事にされている印象を受けます
↑この石碑は明治15年に建てられたもの
この耳面刀自の伝説、気になるところはやたらに細かな伝承が残っているところなんですよね
「歴史学」や「考古学」の専門家ではないからこそ、この地域に残る伝説・伝承、なんだか信じたくなります
耳面刀自の伝説、次回に続きます