茨城県結城市の保戸塚古墳や林古墳群などがある場所から鬼怒川を挟んだ対岸にあるのが船玉古墳です。
↑船玉(ふなだま)古墳、南側より
こちらの古墳にも椀貸の伝承があります
↑石室が開口しています
↑解説板
要約:一辺約35メートル、高さ約4メートル、7世紀中頃築造の方墳。主体部は玄室・前室・羨道からなる横穴式石室。いずれも1~2枚の雲母片岩の板石を用いて構築。石室の奥壁と西側側壁に、赤や白の顔料で靫や鞆、帯状文様の壁画が描かれている。
筑西市のHPを見ると、舟も描かれていたとも。ただ、長年の放置により、現状では壁画の内容が不明となっていると記されています。
↑羨道部はかなり変形を受けているようです
↑中には入れないので、カメラを差し込んで撮影
↑赤や白の文様・・なさそうです
↑墳頂へ
東日本大震災以前は船玉神社の社殿が建っていました。左奥の森の中に、おそらく円墳が数基あるはずです。(「いばらきデジタルまっぷ」では船玉古墳群、方墳1・円墳7基となっています)
↑石室の直上
↑平坦な墳頂、遠くに鳥居が残っていますね。
↑鳥居の所まで歩いてきました
↑船玉古墳、東側より
筑西市の古墳、次回に続く