5月28日の古墳探訪、最後に取り上げるのは筑波山(つくばさん)古墳です
↑筑波山古墳の「後円」部、南西側より撮影。
「筑波神社」は以前アップした舟山古墳の近くです。
筑波山と言えば茨城県のイメージですが、この群馬県板倉町からだと、東の方角に見える筑波山はすぐ!
ドーンと見えますよ
昭和8年(1933年)、墳頂に筑波山神社の社殿を建築しています。
↑南側より 筑波山神社なので、東の方角に向いているべき・・と思うのですが、なぜか南の方に社殿は向いています。
↑解説文
墳長53.5mメートル、「後円」部の径36メートル、「後円」部高さ4メートル、「前方」部の幅は36.5メートル、「前方」部の高さ3.5メートル。周濠を含めると70.8メートル、6世紀後半から7世紀前半の築造と推定される前方後円墳。
※推古天皇とか聖徳太子の時代・・と言えば馴染みやすいですかね?
昭和8年(1933年)墳頂部に社を造る際に横穴式石室が見つかっています。この石室内で見つかった円頭大刀(えんとうのたち)に施されていた銀象嵌(ぎんぞうがん)←銀を使った模様だと思って下さい、この「銀」の産地を調べたところ、現在の朝鮮半島北西部から中国の遼寧省あたりになるそうです
ワクワクしませんか?古墳時代に朝鮮半島北西部あたりの地域と交易や人の交流があったということですからね
↑筑波山古墳、南側より撮影、左手が「前方」部(車がある所)、右手が「後円」部。
「車」はタイムズカーシェアで借りたスバルのインプレッサ
神社の駐車場と思って停めています
解説版を読んで・・
おや??もしかしたら車を停めた所が「前方」部??と、初めて気が付きました
かなり変形されているようで、「くびれ」部は道路となり、「前方」部はかなり平坦になっていて建物まで
↑「後円」部で土師器の小さな破片を見つけることができました
この筑波山古墳は、古墳時代の終末期にあたるため、埴輪をもたない古墳のようです
↑「後円」部から「前方」部の眺め
↑「前方」部から「後円」部への眺め
↑「後円」部にあった、おそらく石室の一部
5月28に訪れた古墳は以上になります
邑楽郡の別の町の古墳・・訪れてみようかな