6月1日に訪れた美里町の古墳、続きです
↑南東側より撮影、左側が道潅山古墳、右側が勝丸稲荷神社古墳。
古墳がある地名が気になります。「阿那志」と書いて「あなし」。
「あなし」と聞くと「穴師」を思い浮かべます
奈良県には神社や「穴師」という地名があるし、大阪にも「穴師」という地名があります
「鉄」に関わるような由来があるとか、「物部氏」に関連があるとか、埴輪の祖の土師氏とも関わりがあるとか・・。
関西の「穴師」と美里町の「阿那志」・・関係性はあるのでしょうか?
↑勝丸稲荷神社古墳、東側より撮影。古墳横に写っているのはカーシェアで借りた日産のノート。
↑勝丸稲荷神社古墳、墳丘の南東側に神社参道があります。
直径約30メートル、高さ約2.5メートル、5世紀中頃築造の円墳。土師器高坏形土器、壷形土器、菱形土器が見つかっています。
(埴輪が見つかっていないのなら4世紀の築造ということはないのかな・・)
↑勝丸稲荷神社の御由緒
↑鳥居
↑社殿
↑勝丸稲荷神社古墳、北側の様子。
↑土師器の破片がありました
↑道潅山古墳、北東側より
ものすごく草木がボーボー、これ以上のアプローチを断念。
古墳の名称の「道潅」は、墳頂に太田道灌が祀られているとか。
東西約42.5メートル、南北約43メートル、高さ約4.1メートル、5世紀前半築造の円墳。
築造順番は道潅山古墳→勝丸稲荷神社古墳。
道潅山古墳も埴輪がないのであれば、4世紀代築造では??と個人的には考えています
美里町の古墳、後日に続きます