いわゆる「前兆」にはとても敏感になりました。
昨日は朝から「自己憐憫」という言葉がどうしても頭に残っていて、
「自己憐憫」なんてとっくに乗り越えた、
と思っていたわたしは、
なんでだろう?ってずっと思っていました。
うちの母は、わたしが物心ついたときから育児ノイローゼで、
わたしや妹たちに日常的に手を上げていて、
わたしは絶対あんな大人にならない!
って強く誓ったものでした。
でも、気づいたら、
最愛の息子のことを一日中怒鳴り散らしているし、
アタマをバシッ!と叩くこともしょっちゅうあるので、
わたしが手を上げると、息子は防御の姿勢を取るようになってきた。
そんな姿を観ていたらだんだん自己嫌悪感や罪悪感を抱くようになってきたのに、
昨日は妹いじめをする息子を見てびっくりして、
はじめて蹴り飛ばしてしまって、
ますますの自己嫌悪ですごく落ち込みました。
わたしが2歳半の時に双子の妹たちが生まれて、
「お母さんを取られた」っていう絶望的な子供時代を過ごしたわたしは、
息子に対しても「わたしみたいな想いはさせたくない」ってずっと思っていたのに、
結局同じ想いをさせてしまっている、
とうことがすごく辛かった。
なのに手を上げているダメなわたし。
年端の行かない子供に、
恐怖を植え付けてはいけないのに。
お母さんは子供を護らなくちゃいけない人なのに、
子供を攻撃してはいけないのに。
わたしみたいに、
いつまでも心の傷を抱えるような子供にしてはいけないのに。。。
そんな風に落ち込んでいたら、
わたしのミューズ藤本さきこ陛下から別件でご連絡を頂き、
落ち込んだわたしの話をきいてもらっちゃいました。
その時に言って頂いた、さきこ陛下の一言:
親に対して思ってた事が手放せた時に育児がめっちゃくちゃ楽になりました~
親に対して思っていたこと。。。
全てとっくに手放したはず、と思っていたけど、
息子を蹴り飛ばしたときにフラッシュバックした、
「忘れられない光景」が想い出されました。
「手放す」。。。ってどうやるんだろう?
って思いましたが、それはわたしがいつも人に言っていることがヒントでしかないから、
「言いたいことは直接本人に言う」
ということで、母にLINE。
あのとき、どうしてわたしに暴力をふるったの?
今日、息子にママと同じことをしてしまって、
自分が怖い。辛い。
そんな感じに。
LINEしたのは夜中だったので、
母からは今朝返事がありました。
・正直、あんまり覚えてない
・イライラしてたからだと思う
そんな感じの返事でした。
以前のわたしなら、ひどい母親だ!
と改めて母を責めていたかもしれません。
でも今朝は、ただただ、
「そっかぁ」
って、不思議なくらいそれ以上の感情が湧かなくて、
それどころか、普段は忘れていた、
その他の母に優しくされて嬉しかった想い出が想い出されて、
シナプスがいろいろと結合していった感覚を覚えた。
そしたら、
なかなか起きない息子にも、
ゴハンをすぐに食べない息子にも、
ママぁ~~~❤って脚にまとわりついてくる息子にも、
昨日までのような憤りや、焦りのような情動は起こらず、
諦めともちょっと違う、「仕方ないなぁ」っていう感覚だけがそこにあった。
子供なんだから、しかたないなぁ って
わたしのことが大好きなんだから、しかたないなぁ って
わたしも母親なんだから、しかたないなぁって
なんかそんな感じでした。
この「しかたない」は絶望的な諦めからくる「しかたない」とはちょっと違って、
この「しかたなさ」そのものが「幸せ」
っていう、おかしな「しかたなさ」でした。
これは勝手にわたしの中ではさきこ陛下のこの記事↓の「感覚」につながるんだよね。
知床オホーツクの満点の星空と波と、鬱。今までに「死んでもいいかも」と思った2回。
でね、わたしが「こんな」だと、
そういうときはやっぱりわたしの「鏡」である主人のほうにも影響していて、
彼の中ではちょっとした事件が起こっているようなのですが笑、
その件で主人と「夫婦の会話」をできたことも自分で自分が誇らしくて。
(正確にはアチラのせいでこうなってる、とも言えるのかもしれないんだけど笑)
今朝、いつもなら息子を怒鳴りながら歩いていた保育園までの道のりを、
なんだかこそばゆいような、でもとっても穏やかな気持ちで歩いていたら、
ふと気が付いてしまった。
ああ、なんだわたし、
すっかりもう、幸せなんじゃん。
っていうか、前からずっと自分のことを幸せにしてあげていたのに、
気が付かなかっただけなんじゃん。
「かわいそう」でいたのはわたしだし、
「かわいそう」を乗り越えてみたかったのもわたしで、
「わたし」自身は全部それを叶えてあげてこれた。
そうか、だからわたしは大丈夫だし、
ああ、そうか、なんかもう今すぐ死んでもいいな。
わたしったら幸せすぎるから!!!
これ、たしか去年の今頃にも同じようなことがあって、
あまりにも感動して独りで泣いちゃってたんですが、
その時よりもパワフルで強烈な、
自分自身への信頼感。
脳細胞のシナプス同士だけじゃなくて、
宇宙とつながる感覚でした。
わたしのルーツはやっぱり母親で、わたしの宇宙も母親でした。
だけどたぶん、やっとわたしは、
わたし自身の宇宙が、
本当は母ではなくてわたし自身であることに気が付けたのだと思います。
来年のいまごろ、また同じことを言い出す可能性も否めませんが笑、
だからどーした、わたしはわたしの宇宙を広げて深めていくだけじゃい。
っていう、ますます肚の座った感覚でおります。笑
なんだか朝から独りよがりな独り語り。
気恥ずかしいけど、自分の記念に残しておきます。