2024/5/8水、道の駅・三方五湖の車中泊から目覚め、周辺を散歩しましたが、そこは福井県立三方青年の家の施設群であり、キャンプ設備や縄文遺跡・復元竪穴住居など、たいへん充実していて、いつか利用したいなあと思いました。そして、下の写真の国道162号線で、海沿いに小浜市に向かいました。途中の田烏地区は、 舞鶴高専新入生が、いきなり入学一週間で連れていかれる、若狭湾青少年の家のあるところです。新任の先生も引率に行かれたそうで、いきなり博士課程から、中学校でたての高専生を引率するというのは、お互いにフレッシュな良い体験だったでしょう。新入生に聞くと、もちろんカッター漕艇を経験したそうで、日本海側の高専に入学した甲斐があったというものです。また、SNS(Facebook)で教えてもらったのんですが、田烏地区は鯖のなれ寿司の名産地だそうです。鯖の糠漬け発酵というのは、強烈な臭いと風味で、びっくりすること間違いなしですが、試食してみたいところです。
そして、小浜城のお城印をゲットするために寄った、山川登美子記念館が大変良かったです。案内のお姉さんが元気な若狭弁で、杉田玄白記念病院の看護婦さんを思い出しました。平成時代まで山川氏の住居だったそうですが、もともと小浜藩上級武士の家で、コンパクトでしたが豪華でした。お姉さんに教えてもらって、小浜城を見えるところまで散歩も良かったです。
それから、若狭本郷駅に鉄道模型展示を見に行き、そして、作家の水上勉氏の若狭一滴文庫に久々に行って、癒されてきました。膨大な著書と蔵書で、のんびり読書したいなあと思わされました。
田烏地区、民宿もあり、へしこ、なれずしも食べられるそうです。
地図、国道162号線は大変走りやすいです。若狭湾青少年自然の家までは、まだちょっとクネクネ道を行かねばなりません。
あの山の向こうですね。
パノラマ
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2024/5/7火8水、福井県若狭町・素晴らしい三方五湖のレインボーラインと道の駅
JR小浜線・美浜駅近くの国道27号線から福井県道214号線に入り、レインボーラインを目指し、途中で早瀬漁港(1分52秒)によって休憩し、レインボーラインを全部走り(昨年無料化されました)、途中の見晴らしゾーンに車を停めて三方五湖を満喫しました(10分20秒)、そして、国道162号線(12分30秒)に出て、道の駅・三方五湖へ(14分10秒)、天日梅干しなどのお土産を買え、そして車中泊し(5,6台が車中泊していました。そして翌朝散歩しましたが、縄文時代のキャンプ場や竪穴式住居は素晴らしかったです。ゴールデンウィークは賑わっていたのでしょう。
2024/5/7火8水、福井県若狭町・道の駅・三方五湖でギター演奏ヤマハFG-251B
2024/5/7火の日没前、福井県若狭町・道の駅・三方五湖でギター演奏しました。ヤマハFG-251Bと言う古いフォークギターですが、こなれていて弾きやすいです。ベートーベンやバッハ、そしてビートルズなどです。道の駅・三方五湖はアウトドア施設としては非常に充実していて良いですね。
開放的なN-VAN
自然観察棟2Fへ
野外活動拠点、ドングリのプランター
桟橋
散歩へ
充実した施設
広い
凄い
海沿いを戻ります
国道162号を小浜市へ、トンネルで快適に進めます。
おっと、田烏
どんどん走って小浜市へ
河口の中州にある小浜城
山川登美子記念館へ、 案内のお姉さんが元気な若狭弁で、杉田玄白記念病院の看護婦さんを思い出しました。平成時代まで山川氏の住居だったそうですが、もともと小浜藩上級武士の家で、コンパクトでしたが豪華でした
お姉さんに教えてもらって、小浜城を見えるところまで散歩も良かったです。
福井鉄道バス
工事中
あの林あたりが小浜城、石垣が一部あるくらいだそうです。
灯台
凄いツタ
これは、なめかたさんですね。
若狭本郷駅へ
国道27号線を西へ、上り坂
若狭本郷駅着
花博の駅舎とSLだそうです。
ここには、凄く大きな鉄道模型展示があります。ジオラマも凝っています。
ここ若狭本郷駅
食券
福井新聞
舞鶴若狭道
敦賀駅
なじみの125系、最近は舞鶴線でも走っています。
SLと電気機関車、現在、舞鶴電脳工作室でも預かって走っています。
義経号
うーん、へしこ風味ポテトチップス、入門には良いかも。
板ばね、リーフスプリング
次に、水上勉氏の若狭一滴文庫へ、 青郷の分教場は高浜町も迷ったけど、台風で倒壊の恐れがあったので撤去されたそうです。
2024/2/26月、京都府舞鶴市の隣町の福井県大飯郡高浜町高野にミニドライブしてきました。戦時中に作家の水上勉氏が代用教員をしていた分教場跡地に行きたかったからですが。通りがかりのセニアカーのおばあちゃんにピンポイントで教えてもらいました。「あの赤い屋根の民家のあたり」(このビデオの冒頭の右上あたり)「取り壊された」「もうちょっと上に新しい分校ができたけれども、子供が数人になったので休校になった」とのことでした。(セニアカーって結構な傾斜でも登れるんですね。さすがSUZUKI)。
水上氏が通った、青郷駅から高野分教場までは、かなりの距離(数km)があり、しかも上り坂なので、通勤は大変だったのでしょう。もちろん、子供たちが駅近くの本校まで通うのが大変だったのでのことなのでしょうが。まさにハイジの世界のようでした。青葉山腹は非常に心地よいです。
舞鶴市西図書館で借りた次の本に、ここでの思い出が書かれています。
ちょっと抜粋させていただくと、「低学年の子供のことだから、山にいる時間より、通勤の時間の方が長い。「青郷駅」から九十九折になった山道を中腹に向かって登るのだが、死火山独特の土壌はその地層に出ていて、栗、アケビ、柿、杏、山桃など、年中実のなる木が赤松林のあいだにあった。(中略)五号ぐらいの栗の実を拾うことができ、子供たちと火鉢の火で焼いて食べた思い出は忘れがたいのである。子供らが学校から帰ってしまうと、私には山歩きが仕事だった。山嶺にも五、六回登った記憶がある。裏青葉に出て道に迷い、ひどく困った。
この経験が、「霧と影」という小説になっていますが、凄く緻密なミステリー小説で一驚しました。洋服の行商をしているときに、ずっと温めていたモチーフだそうで、ぜひ映画も見たいところです。
国道27号線へ、高浜町からの青葉山は、きれいな三角錐です。3つのピークが一直線に並んでいます。
おっと、オコジョさんやっている。
新日本海フェリーのトレーラトラック、舞鶴に帰ってきたという感じ。