水上勉氏ゆかりの福井県大飯郡高浜町高野地区の爽やかな高原の雰囲気 | yet another 舞鶴電脳工作室

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 京都府舞鶴市で、舞鶴電脳工作室(cyber Work Shop in Maizuru)と言う、プラモデル/ラジコン/鉄道模型/電子部品/街角工作室そしてプログラミング教室の店をやっています。いろいろ雑多な絵日記風のブログですが、よろしくお願いします。

2024/2/26月、京都府舞鶴市の隣町の福井県大飯郡高浜町高野にミニドライブしてきました。戦時中に作家の水上勉氏が代用教員をしていた分教場跡地に行きたかったからですが。通りがかりのセニアカーのおばあちゃんにピンポイントで教えてもらいました。「あの赤い屋根の民家のあたり」(このビデオの冒頭の右上あたり)「取り壊された」「もうちょっと上に新しい分校ができたけれども、子供が数人になったので休校になった」とのことでした。(セニアカーって結構な傾斜でも登れるんですね。さすがSUZUKI)。
 水上氏が通った、青郷駅から高野分教場までは、かなりの距離(数km)があり、しかも上り坂なので、通勤は大変だったのでしょう。もちろん、子供たちが駅近くの本校まで通うのが大変だったのでのことなのでしょうが。まさにハイジの世界のようでした。青葉山腹は非常に心地よいです。


舞鶴市西図書館で借りた次の本に、ここでの思い出が書かれています。

ちょっと抜粋させていただくと、「低学年の子供のことだから、山にいる時間より、通勤の時間の方が長い。「青郷駅」から九十九折になった山道を中腹に向かって登るのだが、死火山独特の土壌はその地層に出ていて、栗、アケビ、柿、杏、山桃など、年中実のなる木が赤松林のあいだにあった。(中略)五号ぐらいの栗の実を拾うことができ、子供たちと火鉢の火で焼いて食べた思い出は忘れがたいのである。子供らが学校から帰ってしまうと、私には山歩きが仕事だった。山嶺にも五、六回登った記憶がある。裏青葉に出て、道に迷い道に迷い、ひどく困った。

 

この経験が、「霧と影」という小説になっていますが、凄く緻密なミステリー小説で一驚しました。洋服の行商をしているときに、ずっと温めていたモチーフだそうで、ぜひ映画も見たいところです。

 

 

 

ここだったんですね。

 

石仏様

 

水上勉氏の生家のあった若狭本郷に、一滴文庫というところがあり、お勧めです。

 

そのギャラリーに、石仏様のがあります。

第4回水上文学の風景写真展入選作品
会場:くるま椅子劇場ホワイエ 期間:2013年11月2日(土)~12月26日(木)
【優秀賞】 後卓夫(福井県)
    ■水上勉作品: 「椎の木の暦」(中央公論社)
    ■撮影場所: 高浜町高野
    ■撮影日時: 2013年8月24日17時ごろ
    ■水上作品との関連:
    水上先生は昭和19年から20年まで高浜町高野分校で代用教員として勤めておられました。この作品は当時の子どもたちや村人たちとのふれあいを基にして描かれています。
    ■コメント:
    (旧)高野分校は現在農機具小屋として使われています。ひっそりとした校舎のまわりには、子どもたちにかわって赤とんぼが飛びかっていました。「このお地蔵さんは、上に道ができたときに、元防空壕があったこの場所に移してきたんです」と話してくださったこの女性は、偶然にも当時の水上先生の教え子でした。にぎやかだった当時のことを懐かしそうに話してくださいました。

 

京都府舞鶴市鹿原(かはら)から吉坂(きっさか)を通って、現地までのアニメーションGIF

到着、真正面だったんですね。

上の写真の右上あたり

ぐるっと上側を回って

松尾寺への道

戻ってきました

ここでビデオを回していると

この坂道を、セニアカーのおばあちゃんが上ってきて、いろいろ教えてもらいました。ひょっとして水上先生の教え子だったのかも。

青郷駅方面、青葉山中腹なことが分かります

あの赤い屋根の民家のあたり、もう取り壊されたけど。

はじめて見ると驚く南東側からの青葉山の山容

高浜原発からの送電塔、もう50年近く同居しているのでなじみの光景です。

 

帰り道、野菜直売場・青の里

 

 

第2回水上文学の風景写真展入選作品
会場:くるま椅子劇場ホワイエ 期間:2011年10月19日(水)~11月21日(月)
【入選】 河内フジ子(大阪府)
    ■水上勉作品: 「若狭海辺だより」(文化出版局)
    ■撮影場所: 高浜町高野分教場付近
    ■撮影日時: 7月23日午後
    ■水上作品との関連:
    水上先生が昭和19年から20年の敗戦の年まで教員をつとめた場所、青の郷から分教場までのゆっくりした坂道を登り、すこし手前に大きな1本の木がありました。多分、先生もこの木を右手に見ながら通っておられたと思いながらシャッターを切りました。
    ■コメント:
    あまりにも見事な大木に驚き、暑さも忘れて見上げました。ちょうど村の人に出会い、木の名前をお聞きすると、「タモの木」だと教えていただきました。また偶然にも水上先生に1年の1学期だけ教わったとのことです。先生が坂を登ってくるとき、この木の前で待っていて一緒に分教場まで歩くのが楽しみだったと木を見上げながらたかせさんは話してくれました。

櫻も咲き始めています

国道27号線に戻ってきました。なじみの釣具屋さん

トンネルを越えると京都府舞鶴市

ようこそ舞鶴へ、吉坂 きっさか

北吸桟橋正門からのイージス艦あたご

 

 

2日前まで模型展示会・座談会をしていた、まなびあむに寄りましたが、月曜閉館中でした。

この2Fロビーは広くて、各種展示会会場になっていてとても良いです。

常置してもらっています。

舞鶴電脳工作室は、舞鶴鎮守府軍艦名通り33ケ所お遍路札所の9,22番札所です。

少なくなったとはいえ、面白い店がまだまだありますので、ぜひ散策してみてください。それが趣旨ですので。

松尾寺は西国33箇所お遍路の29番札所です。