サドグルのYoutubeサイトからの引用(下記にリンクがあり)

長いので私が心に残った所だけ、書き出した。

 

★★★

今あなたが様々な解釈を通して自分の人生と呼んでいるのは、実際は時間とエネルギーの組み合わせにしか過ぎない。

あなたは時間を巻き戻せるか?昨日は成果が無かったからと言って、巻き戻すことは誰にもできない。刻一刻と進んでいるのは時計の針でなく私たちの人生だ。

時間は、誰も操ることができない。みんな、同じペースで流れていくから。寝ていても起きていても、幸福でも不幸でも時間は容赦なく進む。


一方あなたが人生と呼んでいるエネルギーはレベルを変えることが可能だ。退屈な時は24時間が100年に感じる事もある。しかし幸せな日は、24時間が一瞬で過ぎる。時間とは個人の主観によるとても対照的な経験だ。

喜びに溢れていれば100年生きたとしても一瞬でだろう。惨めな人だけが、長い人生を送る。


惨めな時は人生が長すぎると感じ、途中で切り上げたくなる。しかし喜びに満ち、人間のもつ可能性を最大限生きるなら、人生はあっという間だ。その為にエネルギーを管理しないといけない。人生は一定量のエネルギーで、ある程度まで高めることができる。

本質的に人生は時間とエネルギーだけだ。それをどう生かすかが重要だ。基本的に人生の目的とは生命を体験することなのだ。どれだけ深く体験するかが重要だ。

あなたはいずれ死ぬのだから時間とエネルギーは有限だと自覚すべきだ。それを常に意識しているなら、それらをどう管理するかは自分次第だ。


残念ながら世界中の80%以上の人が最後の瞬間を迎える時に感じるのは、恐怖や痛みでなく、戸惑いだ。ずっと自分の思考と感情に従って生きただけで生命を生きてこなかったからだ。頭の中には心理的な現実があり、一方では実存的な現実、すなわち生命がある。大半の人は心理的な実現を生命と履き違えている。自分の思考や感情を宇宙より重視している。あなたの馬鹿げた考えや感情が宇宙よりも大切になっていないか?

これは、偉大な創造物より自分の創造物を尊重しているのだ。その考えはあなたを苦しめるだろう。無知の罪から抜け出すのは容易ではない。ではなぜその努力をするのだろう?無知のまま楽しそうに生きる人もいるのに。知る事の意味はなんだろう?何の為に悟るのか?悟りに何の意味があるのか?無知のまま至福に生きれるとしたら?

 

どうか無知に苦しむように。今この世の中で最大の悪は悪でなく無知だからだ。

 

 

 

 

 

しあわせになる方法はない。幸せであることを思い出すことはできる。 

 

思い出すには、単純にただあるこの瞬間に呼吸を宇宙と合わせて、

この一瞬一瞬に自分を思い出すだけでいい。

それが幸せです。

幸せは喜びとイコールであり、喜びとは宇宙の本質だから。

地球には、喜びの他に怒り、悲しみなどがある。

それは地球独特なもの、尊いものである。 

 

★★★

今を感じるということは、人間が日常生活の中で見落としがち。

心を落ち着かせて、呼吸をしている自分を認識する。

穏やか、安らぎ。私はそこに意識を向けるようにしている。

実は人は誰もが聖なる存在なのだ。

祝福されていない人など、誰ひとりとしていない。

あなたは聖なる人として生きているか?

もし、あなたが「NO]と答えたなら、それはあなたに問題があるのだ。

それは、あなたが自分自身の意識によって

聖なる存在という立場捨てているという事なのだ。

そしてもし、あなたの生きる環境で、荒んでいることがあれば

それは、あなたが導いたのだ。

波長の法則=類は友を呼ぶという。

自分自身の環境を作るのは、自分次第という事。

あなたを聖人とするのも、罪人とするのも、あなた次第だ。

あなたは天国の心で生きていたいか?

もし、天国の心で生きることを望むのであれば、簡単だ。

あなたが聖なる存在として生きていれば良いだけなのだ。

あなたは聖なる人としての、想い、言葉、行動をしているか?

天国を作るのは、あなた次第。

 

★★★

江原啓之「スピリチュアル・パワーブック」より

 

ちょっと落ち込んだ時は、この本を読んでいる。

悩みや、苦しみは全て自分の中から出てきている。

全ては私しだい・・・。

心をすぐに切り替えられる人は、幸せ者だ。

 

 

 

 

ジャン・チョーズン・ペイズ「今ここ」に意識を集中する練習 より

 

一週間毎日、何かしら「良い事」「親切な事」「人の為になる事」をこっそり行う。簡単な事でいい。

流しに残っていた他の人のお皿を洗ったり、歩道に落ちているゴミを拾ったり、トイレの洗面台をきれいにしたり、匿名の寄付をしたり、同僚の机の上にお菓子をおいたりするような事。 密かに人の為になる事をするのは、案外楽しい物だ。

 

この練習をすると、認められたり、褒められたりしなくても、自分は人の為に進んで努力ができるのだということがわかる。

 

釈迦は、寛大であることの大切さを繰り返し説いている。

「私の様に、恵みを分け合う事の喜びを知ったら、分け合わなければ恵みを楽しむ事もできなくなる。ケチな心に取りつかれてる事もないだろう。たとえ、最後に残った一つであっても、食物の一片であっても、それを分かち合う事の出来る人がいるのに分け合わなければ、楽しむことはできない。」

 

この練習で、「自分の為の自分の物」と呼んで、溜め込んで必死に守ってきた物を少しづつ手放すことができる。

 

★★★

この書籍は、仕事と人生のパフォーマンスが劇的に変わる「マインドフルネス」53のエクササイズ(心の練習)を紹介している。

毎週1つのエクササイズをすることで、毎日を無駄にダラダラと生きるのではなく、身のまわりのことへの感謝と、多くの「気づき」にあふれてるようになるそうだ。

 

一日一善と考えると負担になるのだが、私は犬の散歩のときにゴミ拾いをしている。それが一善だと思ってもいなかったし、人の為にすすんで努力しているとは、思わないが、確かに楽しい(かな、というより癖になっている)

これから、もっと簡単な一善も増やしてみたいと思っている。

(最低な)相手を最も深くは恥らさせる方法は、酷い行いに対して親切で返す事だ。

 

悪意に対して、善意を返す

 

憎いという感情によって悪影響を受けるのは、その思いに浸っている本人に他にならない。

 

酒や麻薬が身体に悪いのと同じで、憎しみや怒りの感情も身体に悪い。

狭量、身勝手、強欲、つまらない嫉妬心といった性質を乗り越える程、賢く成長した人は幸せである。

その(悪意)感情は、人が持っているよい感情まで消し去り、心を暴力にしてしまう。

 

一体いつになったら人類は、互いに打ちのめそうとするのではなく、手に手をとって慈愛の心で助け合いながら、人生という道を歩むことを学ぶのだろう。

 

人生における唯一の成功とは、人類にどれだけ貢献したかで判断されるということをいつになったら理解するのだろう。