人生で大切なことは、自分が誰であるかを理解すること。自分が何者であり、何を求めているのかを知ることが重要だ。

自分の人生において理想を持つことが重要だ。じぶんの未来の計画が完全に明確でなくても、自分の進む方向を選ぶ必要がある。自分が自分の人生の運転手となり、人生があなたをコントロールすることがないようにしよう。

私達は、人に奉仕する方法を見つける必要がある。キング牧師の言葉で、

「皆が有名になることはできないが、偉大さは奉仕によって決まるため、皆が偉大になれる」と。

今は誰もが有名になれるという時代だが、認知されることだけが価値ではない。それは、時間が経てば消えてしまうものだ。

 

あなたが提供する奉仕とその意義は、持続的なものであるように。
何を選択しようとも、「大切な奉仕をする」という考え方にすると、成功は必ずついてくるものだ。大切な奉仕こそが、真の成功を意味するのだ。

 

★★★

人生は自分でコントロールするもの、人生に私をコントロールさせない。

奉仕の喜びや他人への貢献によって、自分の本当の意義が生まれるのだろう。

 

 

人は自分の事ばかり考えると不安と心配が多くなる。
先の事をずっと考えるから。
生きるって、心配と不安があって当然。
だから、そういう時は、人の為に何かできるかなって考えると

不思議と勇気に変わったりと、視野が広がってくる。

悩みが多い人って、自分の事しか考えていない。
それは、人として別にいいんだけど。
だから不安だなと感じたら、人に感謝されるように生きていくと

不思議と前に進んでくる。
それは生きるってすごく楽になる方法なんだなと僕は知っているし、

そういう人も沢山見てきた。
人の為に生きるというのは、

結果、自分の為になるので、是非やってみてください。

 

 

★★★

人の悩みはそれぞれだけど、確かに自分の事が中心で悩む。

人の為に生きるとは、自分に返ってくるんだというのを実証したい。

世界平和の祈り

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様 ありがとうございます

守護神様 ありがとうございます

 

 

五井先生の平和の祈りに甲田光雄先生がご自分の願いを加えられたお祈り

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

全ての人が病気も治り健康になり幸せになられますように

私達の業想念が浄まりますように

すべての「いのち」の天命が全うされますように

母なる地球がいつまでも元気でおられますように

守護霊様、守護神様、大宇宙の親神様

お願い申し上げます

守護霊様、守護神様、大宇宙の親神様

有難うございます 有難うございます

 

★★★

前回に引き続き、森美智代さんの「霊性を高める小食法」から引用しました。

昔は、「世界平和を祈ります」とか、テレビで言っている人を見て、「ふ~ん」と他人事のように受け止めていた。

今は、心の底から、世界平和を願っている。

人々が争わない、人間だけでなく、動物、植物、大地、全ての資源を大切にする。

一人でも多くの人が、気がつき、少しでも行動を起こせれば、地球は変わるだろう。

この世のなかの全ての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起る姿である。

 

いかなる苦悩といえど現れれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるであろうという善念を起し、どんな苦難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りをいのりつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。

 

★★★

先月、森美智代さんの「霊性を高める小食法」という本を買った。その後すぐに親族の大怪我があり、40分合掌法の部分だけ読んでそれを実行してから、この本の事は全く忘れていた。

 

昨日、カバーのついた本を開いてみて、あ、そうだと思い読みだした。とてもふんわりした感じの文章で読みやすい。そしてこの本の中で書かれていた五井先生の文を見て心が軽くなった。

 

 

雄弁は銀、沈黙は金

『何も語らず黙っていることは、すぐれた雄弁よりも大切であるということ。』

 

★★★

雄弁さは一定の魅力を持つが、沈黙は深い洞察や真実を宿す。

雄弁さは重要だが、沈黙するべき時を心得ていることの方がさらに重要だ。

時には、何も語らず黙っている。静けさの中にこそ、真実が宿るから。

 

私の身近におしゃべりな人いる。本当によくしゃべる。

その話を聞いていると、時折頭が痛くなることもある。

話が多い人は、何か不安があるのか?

 

おしゃべりな人との付き合いは楽しい一面もある。

もちろん私も、おしゃべりになることもある。

 

私の様に、日々のおしゃべりを聞くのに疲れた人は、前にも聖書の言葉でにたようなのを書いたことがあるので、こちらも読んでみて下さい。