母が亡くなり、時々「般若心経」を唱えている。

そろそろ空で言えるようになり、ただ唱えるでなく意味を理解したらもっと心がこもるかなと思って調べてみた。

これは、仏教辞典というサイトから引用して、自分がわかりやすく手を加えた。

 

 

★★★★

観自在菩薩が、仏の智慧を完成する修行を深く行っていた時、人間の存在は全て「因縁(宇宙の法則)によって生じている」という真理を悟り、あらゆる苦しみから解き放たれた。


舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならない。この世界の形あるものは全て因縁によって生じており、そのために存在するのだ。受蘊(感じる働き)・想蘊(思考する働き)・行蘊(意思の働き)・識蘊(認識する働き)も同じく、因縁によって生じる。

舎利子よ、このようにすべての物事は因縁によって生じるというのが真実であり、生まれることも滅する事もなく、汚いこともきれいな事もなく、増える事も減ることもない。


このため、因縁で成り立つ世界には実体(色蘊)はなく、感じたり、想像したり、意志を働かせたり、認識することもない。目で見ることも、耳で聞くことも、香りを嗅ぐことも、味わうことも、触れることも、心で思い描くこともない。形あるもの、音や声、匂いや香り、味、触感、心の働きといったものもない。見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・意識するという六識もない。

 

迷いはなく、同様に迷いが尽きることもない。老いも死もなく、また老いや死がなくなる事もない。苦しみ、苦しみの原因、悟り、悟りへの道という四つの真理もない。智慧もなく、また何かを得るという事もない。なぜなら、得るべきものがもともと存在しないからだ。

 

菩薩は仏の悟りを目指すことにより、心を覆うものが無くなる。心が覆われていないため、恐れは一切なく、あらゆる迷妄を捨て去り、最高無上の悟りへと至る。過去・現在・未来のすべての仏は、この智慧を完成する修行を行い、仏覚という最高無上の悟りを得たのである。

 

ゆえに知るべきである。「般若波羅蜜多」は偉大で計り知れない真言であり、無明煩悩(無知によって生じる悩み苦しみ)を取り除く真言である。最高無上の真言であり、この宇宙に比べるものがない真言である。それは一切の苦しみをなくし、偽りなく真実で、「智慧の完成」について説くものである。

 

ここに仏の真実の言葉を示そう。
『往け、往け、彼岸へ到れ。僧たちよ、彼岸に到り、仏の悟りを開け。』

これが般若心経である。

 

 

 

私たちは繰り返し行うことの積み重ねである。

したがって優秀さとは、行為ではなく習慣なのだ。

 

 

★★★★

私たちは、毎日どんな行動を選ぶかが、その人の本質をつくられていく。
何気なく始めた行動も、繰り返されるうちに、やがて当たり前になる。

 

ネットで朝の習慣の大切さの記事を読み、少しずつ取り入れていくうちに、気が付けば私の朝はとても忙しい。

そんな私の横で、散歩に出かけるのをじっとまっている愛犬。

これ以上、朝の習慣は増やさないからね。

 

高校の頃に暗記させられた『平家物語』の一節を、今でも時々思い出す。

あれは、なんともはかなく、そして美しい文章だと思う。

「この世のすべてのものは常に変化し、永遠に続くものはない。」

世の中は諸行無常。
大切なものも、いつかは失われるし、苦しみもまた、いつまでも続くわけではない。

悲しい出来事があったとき、「きっと時間とともに変わっていく」と思える。
逆に、幸せなときには、「今この瞬間を大切にしよう」と思えるようになる。

★★★★

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者も遂にはほろびぬ、に風の前の塵におなじ。

 

祇園精舎の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。

沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。

世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。

勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。

(Wikibooks)

今、私の中では仏教がマイブームとなっている。

その中でもお気に入りが、YoutubeのAmitaChannelだ。

仏教とヨーガを楽しく学べる。

★★★

あらゆる問題のただ一つは、エゴのせいである。

それを払いのけなさい。

全ての衆生の大きな恩を思え。

他者に幸福を与え、他人の苦しみを受け取るを交互に繰り返して修習せよ。

 

★★★

私が〜したい、私の幸せ、私の物だとか、というのが全ての問題、苦の原因だ。

「私が」という気持ちが、「私を」不幸にしている。

 

ラーマクリシュナの福音

「私はいつ幸せになれるんでしょうか?」

「それは私を捨てた時」だと

「私」という思いを捨てた時に、幸せになれる。

逆に「私」という思いが強ければ、苦しみが増す。

 

正しい智慧を常に思い起こし、実践すること

 

「おかん」ことネドじゅんさんの『左脳さん、右脳さん』を読んで、常に「いまここ」に意識を向けて生活している。でも、それは思ったよりも難しい。

 

仏教の基本にある【念正智】の教えは、ネドじゅんさんの「いまここにいる」ことの大切さと通じている。

仏教の教えをいくらたくさん知っていても、それだけでは意味がない。実践して初めて、本当の意味がる。

たとえ教えを一つしか知らなかったとしても、それを常に思い起こし、実際の生活の中で実践することが大切だ。

もし「常に思い起こす」のが難しいと感じるなら、最初は「朝起きたとき」「食事の前」「寝る前」など、時間を決めて思い出す練習をしてみるのも良い方法だ、

何気なく、昨日あった出来事を思い返したり、起きるかどうかもわからない未来を想像してぼんやりするのではなく、常に目の前の風景や、今やっていることに意識を集中できるように心がけている。