2024年6月某日、私はひとり悩んでいた。
過去記事の「ChatGPT-4 omni」に指摘された
当ブログの改善点のことを、引き摺っていたのだった。
個性的な視点が強調される反面、主観的な意見が強く出過ぎることがあります。多様な視点を取り入れ、バランスの取れたレビューを心掛けんかい
私は考え、やがて一つの結論に達した。
そうだ、ゲスト呼ぼう!
「大豆、たんぱく、プロテイ~ン!
出でよ!エルダー・サイサイ!」щ(゚д゚щ)
未怜:74点。
エルダー・サイサイ:66点
~あらすじ~
デザイナーの卵の小夜は、地元に住む姉から結婚すると言う連絡を受けた。しかし姉の相手が布施野だと知り、小夜は友人を連れて帰郷した。8年前、小夜も関係する事件を起こした布施野が、順風満帆な暮らしをしていることが許せない小夜はとある行動を起こす。
(※映画ナタリーより抜粋)
以下、ネタバレ。って言うか、感想。
構成の妙かなって。登場人物の誰にも、深いところで共感が出来ないように作られてて。逆に、どっぷりと共感するようであれば、若干、病んでるので注意かな。「恐怖人形」の監督さんだから、原作よりか幾分か〝まあるく〟してそうだけどね。
原作は、劇団 "elePHANTMoon" の同名の戯曲。
ストイックなまでに人間を描き、そこから浮かび上がる人間の狂気と暴力性にまみれたイカれた世界をリアルに表現、その生々しさから過激だと評されるが、エンターテイメントであることは忘れず、ストーリー性にこだわった物語を展開している。
(※こりっち舞台芸術!より抜粋)
・姉(あすみ): 柊瑠美(ひいらぎ るみ)
故郷の実家で暮らし、婚約が決まった事を東京に住む妹の小夜に打ち明ける。
・妹(小夜):萩原みのり(はぎわら みのり)
東京でファッションデザイナーの卵として暮らす小夜。過去に姉の婚約者である
布施野と何かしらの関係がある。
・姉の婚約者(布施野):木口健太(きぐち けんた)
妹の小夜とは過去に何かしらの事件に関係している。
〇どこかの町
映画の冒頭で映し出される町の風景は、山に囲まれた盆地、電車は単線、古びた
ラブホとシャッター商店街がある町。映画の重要なポイントである〝どこかの町〟
に普通に暮らす人々が、小夜が帰省した事を切っ掛けに全ての仮面を剥がされる事
になる。
〇あすみの場合
妹を凌辱した相手の男性と結婚しようとする女性で、一般的にみると背徳かつ破滅的な行動である。では、なぜそんな事をするのか考えるに次のような事が考えられる。
・あすみ、小夜の姉妹は両親の元で普通な家庭で育ったと思う。
(映画で両親は既に亡くなっている)
・あすみは、小さい時から「いつも自分ばかり損をしている」という思考で、更に、
内向的な性格のため、怒りなどの感情を外に出さないタイプであったと思われる。
しかし映画のラストで、その怒りは一気に爆発し、姉あすみの本性が現れる。 給湯器を修理する幼馴染のマー君が、婚約者から捨てられた姉のあすみへ同情の言葉と自分の秘めた想いを語る。その後にあすみは、マー君にこう言う。
「私はお前より上だから、憐れむのはやめろ!」 おそらく彼女も人生を歩む上で田舎暮らし、地味な女、男に縁がない等のコンプレックスが蓄積し、それが呪いとなり、その呪いを自らかけた魔女である。
彼女もまた、本来の自分を化粧で隠して、生きづらさを感じながら今まで通りにこの町で生き続ける。
〇小夜の場合
8年前、姉の婚約者である布施野に凌辱された過去がある。恐らく、その後は、小さな町なので、噂が広がり穏やかに暮らす事が困難となり、東京へ上京したと思われる。
・小夜の人生を想像すると、彼女の性格は勝気で敵対視すると、相手を傷つける場合
もあったと思われる。
・人の心を見透かした言動と、射るような眼差しは鑑賞する側もゾクッとする。
また、映画の登場人物たちは、彼女の吐く呪いの言葉
「幸せになる事は絶対に許さない!」により魔女的な存在感と畏怖の念を抱いたと
思われる。
しかし、東京から共に来たゲイの男性友人と縁側で会話する彼女を見ると、本来の彼女は穏やかで人を思いやれる部分もある。彼女の人生を考えた時に〝あの時〟に魔女となり、自ら呪いを掛けてその呪縛が解けないまま人生を過ごしている。
これからも・・・。
□姉、あすみ。
「ま、もとが良くなきゃ意味無いけどな。」「えっ?」
ここまで、何でも受け入れてしまうということは、自分に自信が全く無いと言える。幼少時代に何かと妹ばかりが可愛がられて、姉は我慢を強いられていたのかも。それこそ、思春期に恋人が自分より可愛い妹に取られたり、その当時のまま来てたら喧嘩も出来たかもしれないのに、妹は被害者、可哀想な存在になってしまったのだから、もう何も言えない。劣等感に加えて嫉妬感、彼女も相当病んでる。
解るよ!私は長女だから我慢するしかないけど、次女だったら…あれ?泣くのか?
□妹、小夜。
「私と一緒に暮らしてくれませんか。何でもするって言いましたよね。だったら私の目の前で不幸になって下さい。私より幸せになるなんて絶対に許さない。」
いっそのことあなたが死んでくれたら、許せはしないけど、これ以上に恨んだり憎しんだりしなくて済むかも知れない。頑張って忘れようとした、取り巻く環境を変えて前を向こうとした、恋人を作って幸せになろうとしたけど、いつだって、最悪な記憶がフラッシュバックする。彼は何をしているんだろうか、私が傷付いている以上に、不幸になっていたら私って救われるのかな。幸せに過ごしていたら許せない。彼に望むこと。死んで。無理なら、一生、私の傍で不幸になって見せて。同じ傷を受けて私を理解して。それも叶わないなら、私に一生許されないままでどこかへ消えて…。
□布施野とかいうやつ。
酔いの席で毎度、武勇伝のように、その時のことを語ってたと思われる描写がある。これは、被害者が近くに居ないことで自分が仕出かしたことの罪の意識が薄れてると思った。死ぬことも、一緒にいることも出来ない軟弱な男が出来ることなんて、姉妹の目に届かないところに行くことだけ。こんなやつ、真に反省なんか出来っこない。
これね…。仮に私が被害に遭ったとしたら、とても自分が言うような綺麗事って実践出来ないかも知れなくて、それこそ、一緒に暮らして不幸になってって言いそう。
でも、それって余計に傷が拡がる行為だから自分がどうでも良くなる自傷行為の感覚に近いかも。上手く言えないけど…。
↑劇中内だけで言えば、一番不憫だったのはこの人かも知れない。…好き♡
ダーク過ぎやろ。みんな引いてまうで。
わしは男の部分はあえてコメントしていません。被害者意識が完全には理解できないからね。そんで、最後にゲイの友人に頼んで、加害者に対して無理矢理に〝突っ込まれる〟というのはこういう事や!というように犯されかける。でも、彼女もその陰惨なシーンをみて思わず止めてしまう。そこが彼女のやり切れない心情やね。
そこで小夜の出演は終わる。台詞でもあったよね、思わず小夜が泣きだすシーン。あの小太りのヤツが「忘れ方を見つけろ」って、あれが町の人の意見を集約した一言、所詮は他人事やねんな。
~総評~
□未怜
被害に遭ったことが無ければ、完全には寄り添えないものではあるけど。取るに足らないことであるって考えてみたり、そういうのも上等的な格好をしてみたり、彼女が対外的に当たるのも自己防衛でしかない。結局、自己肯定感が低いのは、小夜も一緒のような気がする。姉妹ともお互いに弱くて、脆い。
小夜だけで立ち直るには、傷が深過ぎて。起きた事実はどうしようもないし、憎んでも解決しないのは、解ってると思う。何より、必要なのは理解者。彼女たちを包んでくれる人。でも、それには二人とも拗らせ過ぎているから。
ま、姉妹とも胸の内を曝け出したから妹は、一応は遠くに彼を追いやったし、姉は、化粧という仮面を被ることを覚えたので、とりあえずは生きていけるかな。
良い人が見つかればってなるけど、婚活の居候の存在があって、それに頼り過ぎなのも問題と言うか。だから、両親が居ない以上、唯一の姉妹だから、魔女対決、派手に姉妹喧嘩したら良いと思うんだけど、ぶつかってでもお互いを理解しないといけないんだけど、絶対に仲良く出来ない姉妹の形になっていて、解決しないって悲しい。
○サイサイ
この映画は現実だけ映して終わる。後は、観客にご想像の通りです。みたいに、、、小夜は一応、彼が出来たけど、昔の事を言ったら離れてしまう。言わなくてもって思うけど、小夜は、そういう性格なんやね。生きづらいよね。彼女の過去も背景もガッツリと抱え込める人はいつか出てくると願うしかない。この物語は二人の魔女の話で、その魔女が見せる表裏一体な演技は、女性特有の凄みと情念を感じる。
そして一人の男が生贄となる。この映画は「キャリー」の姉妹版だっ!
主演の妹役の子は見直したよ。Jホラーの「残穢」のスピンオフ作品の「鬼談百景」に出てて印象的やった。あの子は目力が強いね。
さてと、未怜は退廃的になれるかな?相手を
「マッドマックス フュリオサ」のように車でぶっ飛ばして、、、ww
「ハード・キャンディ」されるんですよね!(*゚∀゚)=3
↑エルダーサイサイのブログはこちら
↑彼の公式チャンネルはこちら