東野圭吾さんの同名ベストセラー小説を映画化した、『白鳥とコウモリ』。

松村北斗さん、今田美桜さんが主演を務め、三浦友和さん、中村芝翫さん、柄本佑さん、吉田羊さん、風吹ジュンさん、井川遥さんら、豪華キャストが出演。

「罪と罰」「家族」「償い」をテーマに、過去の事件と現在の事件が複雑に絡み合っていくミステリーです。

今回は、ネタバレ全開で感想を書きたいと思います。


1984年、すべての始まり

物語の始まりは、1984年の愛知県。

金融業者の灰谷(はいたに)が、事務所で刺殺される事件が起こります。

灰谷は、詐欺まがいの商品を扱い、多方面から恨みを買っていた人物。

その事件の第一発見者の一人が、倉木達郎でした。

その後、福間淳二という男が逮捕されます。

しかし福間は留置場で自ら命を絶ち、事件は真相が分からないまま、1999年に時効を迎えます。

ところが――。

実は、真犯人は当時大学生だった白石健介でした。

白石は、祖母が灰谷から詐欺商品を買わされていたことを知り、金を取り戻そうと灰谷のもとを訪れます。

しかし、灰谷の口車に乗せられ、激昂した白石は灰谷を刺してしまう。

その現場を目撃したのが倉木でした。

倉木は灰谷の悪事を知っていたこともあり、白石をかばうために証拠を隠します。

その結果、犯人ではない福間が逮捕されてしまう。

福間が命を絶った後も、白石と倉木は真実を語らないまま、33年の月日が流れます。

 


2017年、再び起こる殺人

そして2017年。

東京・竹芝で、善良な弁護士・白石健介の遺体が発見されます。

そう。

 

1984年に灰谷を殺害した、あの白石健介です。

やがて、倉木達郎が逮捕されます。

倉木は、

「1984年の事件の真犯人が自分だと、白石に知られてしまった」

と自供。

さらに、白石を殺害した経緯まで詳細に語ります。

こうして事件は、解決したかに見えました。

しかし――。


被害者の娘と加害者の息子

倉木の息子・和真(松村北斗)は、父親の自供に違和感を抱きます。

一方、被害者・白石健介の娘、美令(今田美桜)もまた、

「自分の父親について、何かがおかしい」

と感じ始めます。

本来なら、加害者の家族と被害者の家族。

決して交わるはずのない二人です。

ところが二人は手を組み、事件の真相を追い始めます。

そして、明らかになっていく驚きの事実。

2017年の白石殺害の真犯人は、倉木ではありませんでした。

犯人は、倉木が通っていた小料理屋「あすなろ」の店主・浅羽織恵(あさば・おりえ)の息子、安西知希

当時、中学2年生でした。

しかも知希は、1984年の事件で冤罪となり、命を絶った福間の孫だったのです。

 


33年前の罪が、再び悲劇を生む

知希は、祖父が「人殺し」として扱われ、その影響で家族が苦しんできたことを知っていました。

そして、あるメールをきっかけに白石と接触。

その後、白石を呼び出し、殺害してしまいます。

ところが、白石は刺された後も生きていました。

そして最後の力を振り絞り、自分で車を動かして、知希が犯人だと分からないようにしようとしたのです。

つまり白石は、最後の最後まで犯人をかばおうとした。

そのことに気づいた倉木は、知希が犯人だと知りながら、自分が身代わりになることを決意します。

1984年。

倉木は、白石をかばいました。

そして33年後――。

今度は、その白石を殺した少年を、倉木がかばう。

この因果関係が、この映画の大きなポイントだと思います。

 


なぜ知希は白石を殺したのか?

では、なぜ知希は白石を殺したのでしょうか。

当初、知希は、

「人殺しと言われたことへの仕返し」

「母や祖母が苦労したから」

「冤罪のせいで両親が離婚したから」

などと話します。

しかし、話を掘り下げていくと、知希は別の理由を口にします。

それが、

「殺人に興味があった」

というもの。

自分が「人殺しの孫」として恐れられてきた経験から、殺人というものに興味を持つようになった。

そして、復讐による殺人なら刑罰も軽くなるのではないか。

そんな考えから、実際に殺人を犯してしまったのです。

ここには、単純な「復讐」という言葉では片付けられない、人間の歪みが描かれています。


感想|真実を知ることは、本当に正しいのか?

率直な感想を言うと、かなり考えさせられる作品でした。

特に印象に残ったのが、倉木と白石、二人の父親の選択です。

三浦友和さん演じる倉木も、中村芝翫さん演じる白石も、実は「真実が明らかになること」を望んではいなかった。

二人は、それぞれの罪を背負いながら、ある意味では自分たちなりの「償い」を選択していたわけです。

ところが、その思いを知らない和真と美令が、いわばパンドラの箱を開けてしまう

二人は純粋に真相を知りたい。

当然のことです。

しかし、真相を追い続けた結果、親たちが選んだ道を壊してしまうことになります。

ここが、この映画の非常に皮肉なところです。


あまりにも可哀想な浅羽一家

そして、個人的に一番つらかったのが、浅羽母娘の一家です。

1984年には、夫・福間が冤罪によって命を絶ってしまう。

そして33年後。

今度は、その息子ではなく、孫である知希が殺人を犯してしまう。

しかも、その結果として倉木が身代わりとなり、事件の真相が明らかになってしまう。

つまり、風吹ジュンさん、井川遥さんが演じる一家は、1984年の冤罪と夫の死に続いて、今度は息子の犯罪によって、再び奈落の底に突き落とされることになります。

これは……。

可哀想すぎる!

特に井川遥さんの涙声が、本当に痛々しい。


気になったのは警察の捜査

一方で、個人的に気になったのが、警察の捜査です。

1984年の事件について、

「もう少しきちんと裏付け捜査をしていれば、冤罪は防げたのでは?」

と思ってしまいました。

もちろん、実際の警察がここまで杜撰な捜査をするとは思いません。

だからこそ、ミステリーとして見ると、

「なぜ、ここまで捜査が進まないの?」

という違和感が残りました。

物語を成立させるための設定だとは分かるのですが、ここは少し現実味に欠けるように感じました。

 


恋愛要素は少し多かった?

そして、もう一つ個人的に残念だったのが、恋愛要素を少し入れすぎてしまったこと

人間ドラマとしては分かるんです。

和真と美令の関係を描くことにも意味はあると思います。

ただ、その分、肝心のミステリー部分が少し薄まってしまった印象があります。

この作品は、「罪」と「家族」と「償い」という非常に重いテーマを扱っているだけに、個人的にはもう少しミステリーに軸足を置いてほしかった。

特にラストシーンは……。

正直、

「えっ、どういうこと?」

と、ちょっと理解に苦しみました。

 


印象に残った常滑の夕景

そんな中で、個人的にとても印象に残ったのが、常滑の港を映した夕景のシーン

美しくて、そしてどこか切ない。

この作品の持つ重い余韻ともよく合っていて、心に残る場面でした。


評価は「B」

ということで、私の評価は、「B」です。

重厚なテーマを扱っているだけに、もう少しミステリーに軸足を置いてくれたら、さらに印象に残る作品になったのではないか。

そんな感想を持ちました。

とはいえ、

「罪を犯した人間だけが、その罪を背負うのか?」

「真実を明らかにすることは、本当に正しいことなのか?」

「家族は、親や祖父母の罪をどこまで背負うのか?」

そんなことを考えさせられる作品です。

東野圭吾作品らしい、過去の事件と現在の事件がつながっていく構成も見どころ。

重いテーマの作品ですが、ミステリー好きの方には、一度観ていただきたい作品です。

そして最後に一言。

今田美桜さん、目が大きい!

……可愛いけどね(笑)

 

 


映画『白鳥とコウモリ』

監督:岸善幸
原作:東野圭吾
出演:松村北斗、今田美桜、三浦友和、中村芝翫、柄本佑、吉田羊、風吹ジュン、井川遥 ほか

 

 

今回は、A24が手掛けた話題のホラー映画『バックルームズ』を観てきました。

決して悪い映画ではありません。

むしろ、映像、美術、音響、そして一部の恐怖演出には

「これは凄いな」と思わせるものがあります。

ただ、どうしても引っかかったのが、

「これ……長編映画にする必要があったのかな?」

ということでした。

ネットのショート動画から生まれた『バックルームズ』

『バックルームズ』が面白いのは、その生い立ちです。

もともとはKane ParsonsがYouTubeに投稿した短編映像から始まった作品。

黄色い壁紙、無機質な蛍光灯、どこまでも続いているような奇妙な空間。

そこに迷い込んでしまった人間と、正体の分からない存在。

「Backrooms」というネット発の都市伝説的な世界観を、ファウンド・フッテージ風の映像で表現した短編が話題となり、その後シリーズ化。

そして今回、A24によって長編映画として映画館に登場しました。

つまり、『バックルームズ』は最初から映画として企画された作品ではなく、ネット上の短い恐怖映像から発展した作品なんですね。

ここが、この映画を観るうえで非常に重要なポイントだと思います。

「短いからこそ怖い」という問題

実は、ネットで生まれたショートホラーが長編映画になるのは、今回が初めてではありません。

私が思い出したのが、2016年の映画『ライト/オフ』です。

こちらも元々はDavid F. Sandberg監督が制作した短編ホラーがきっかけ。

「暗闇になると何かが現れる」という、非常にシンプルなアイデアでした。

短編では、その単純な設定だけで十分怖い。

ところが長編映画にするとなると、登場人物の背景や人間関係、怪異の正体など、物語を広げる必要があります。

すると、短編で成立していた「シンプルな恐怖」に、どうしても説明や設定が加わってくる。

『バックルームズ』にも、私は同じことを感じました。

とにかく「空間」が怖い

この映画で一番評価したいのは、何と言っても映像です。

黄色い壁。

延々と続くような部屋。

どこにいるのか分からない。

出口も見つからない。

そして、誰もいないはずなのに、何かの気配を感じる。

この「何も起きていないのに怖い」という感覚を作るのが、とても上手い。

蛍光灯の音や空間の響きなど、音響も効果的です。

大きな音で驚かせる、いわゆるジャンプスケアだけに頼るのではなく、

「この場所にいること自体が怖い」

という恐怖を作っています。

ここは、さすがA24という感じがしました。

実際、海外のレビューでも、映像、美術、音響、空間演出については高く評価されているようです。

個人的にも、映像表現だけならAクラスをつけたいと思います。

でも、長編になると……

ところが、短い映像なら非常に効果的だった「謎」が、長編になると少し違って見えてきます。

短編なら、

「ここは何なんだ?」

「何かいる!」

「怖い!」

というところで終わっても成立します。

むしろ、説明されないからこそ怖い。

ところが110分の長編映画となると、そうはいきません。

登場人物がいて、目的があって、過去があって、物語が展開していく。

当然、「この場所は何なのか?」という部分にも、ある程度の説明が必要になってきます。

そうすると、最初は恐怖だった「謎」が、少しずつ「設定」に変わっていく。

僕が残念に感じたのは、まさにこの部分でした。

観ながら何度か、

「これ、ショート動画のままの方が怖かったんじゃないかな?」

と思ってしまったんです。

そして、海外のレビューにも「このコンセプトはショートの方が向いているのではないか」という趣旨の意見がありました。

どうやら、この違和感は私だけではなかったようです。

『ザ・セル』を思い出した

もう一つ、観ていて思い出した映画があります。

それが、ジェニファー・ロペス主演の『ザ・セル』。

『ザ・セル』は、人間の精神世界そのものを、異様で美しい映像空間として表現した作品です。

現実ではあり得ない世界を映像化することで、

「これは現実なのか?」

「人間の心の中なのか?」

という不思議な感覚を味わわせてくれます。

『バックルームズ』にも、そうした方向性を感じました。

ただ私には、

「精神世界を映像化したいのか」

それとも、

「都市伝説的な怪異を描きたいのか」

そのあたりが少し中途半端に感じられました。

もちろん、すべてを説明しないのがA24らしいところでもあります。

「説明されないからこそ面白い」という人もいるでしょう。

一方で私の場合は、

「これは結局、何を描こうとしているんだろう?」

という疑問が少し残りました。

それでも、怖いシーンはかなり良い

とはいえ、誤解のないように言っておくと、

「つまらない映画だった」

ということではありません。

むしろ、部分的にはかなり怖い。

特に、「何かがいるかもしれない」という気配の作り方は上手いと思います。

そして、この映画をきっかけに、ネットで生まれた映像作品が、A24という映画会社によって長編映画になる。

これは、映画の作られ方そのものが変わってきていることを感じさせます。

昔なら、YouTubeに投稿された短編映像が、世界規模で注目され、劇場用長編映画になるという流れは、今ほど一般的ではありませんでした。

そう考えると、『バックルームズ』は作品そのものだけではなく、ネット発の映像クリエイターが映画監督へステップアップしていく時代の象徴とも言えるのかもしれません。

評価とまとめ

最終的に私の評価は、

Bマイナス。

映像、美術、音響、恐怖演出は高く評価します。

ただ、長編映画として考えた場合、

「このアイデアを110分の物語にするには、少し無理があったのでは?」

というのが正直な感想です。

もし10分、15分、あるいは20分程度の短編だったら。

謎をすべて説明せず、

「一体、何だったんだ?」

というところで終わっていたら。

もっと怖かったんじゃないかなと思います。

『ライト/オフ』にも感じたことですが、

短編だからこそ成立する恐怖を、長編にする難しさ。

『バックルームズ』は、その難しさを感じさせる作品でした。

ただ、それと同時に、

「YouTubeから生まれた恐怖映像が、A24の長編映画になる」

という、とても現代的で面白い作品でもあります。

「映像は凄い。でも、長編映画としては少し長い」

私にとっては、そんな作品でした。

以上

 

 

8月28日公開の映画『私はあなたを知らない、』を観てきました。

監督・脚本は『湯を沸かすほどの熱い愛』『浅田家!』などで知られる中野量太監督。

主演は坂口健太郎さん、共演に堀田真由さん。

中野監督にとって、完全オリジナル脚本としては『湯を沸かすほどの熱い愛』以来、10年ぶりとなる作品です。

テーマとしては、とても中野量太監督らしい作品だと思いました。

「家族とは何なのか」
「人は、大切な人を失ったあと、どう生きていくのか」

そんなことを考えさせられる物語です。

ただ、観終わったあと、私はどうしても「違和感」が残りました。

今回は、その理由について少し掘り下げてみたいと思います。


物語はシンプル

主人公は、西山夕平(坂口健太郎)。

人とのコミュニケーションが苦手で、どこか不器用な男性です。

そんな夕平の前に現れるのが、東浜紗月(堀田真由)。

紗月は夕平に積極的に近づき、やがて二人は一緒に暮らすようになります。

そして紗月には、幼い娘・朝子がいました。

夕平は朝子と暮らすうちに、少しずつ「家族」というものに惹かれていきます。

ところが、ある出来事をきっかけに夕平と紗月の関係は崩れていく。

そして、その後に起きる事件によって、物語は一気に「家族の物語」から「罪と償い」の物語へと変わっていきます。

夕平が犯した罪。

そして、その罪によって人生を変えられてしまった朝子。

二人の人生を軸に、物語は進んでいきます。


中野量太監督らしい「家族」の描き方

中野量太監督の作品といえば、やはり「家族」が大きなテーマです。

血のつながりだけが家族ではない。

一緒に食卓を囲み、同じ時間を過ごす。

そうした日常の積み重ねの中に「家族」がある。

今回の作品でも、その部分はしっかり描かれています。

特に夕平は、決して器用な人物ではありません。

中野監督は今回、坂口健太郎さんに対して「かっこいい坂口健太郎は撮らない」という趣旨の演出をしたそうです。

確かに、この映画の夕平は、一般的な坂口健太郎さんのイメージとはかなり違います。

人との距離感が分からない。

感情をうまく言葉にできない。

そして、ときどき周囲から見ると「なぜ、そんなことをするの?」と思ってしまう行動を取ります。

この「不器用さ」こそが、夕平という人物の重要な部分なのでしょう。


ただ、私は「たらこおにぎり」で引っかかった

ここからは、私個人の感想です。

映画の中で、夕平が職場の同僚から「たらこおにぎり」をもらう場面があります。

ところが夕平は、それを食べるのではなく、川に向かってボールのように投げてしまう。

この場面を観たとき、

「えっ?」

となりました。

もちろん、夕平の不器用さや、人とのコミュニケーションがうまくできないことを表現しているのでしょう。

でも、

「これは笑っていい場面なのか?」

それとも、

「夕平という人間の異常性を描いているのか?」

少し分かりにくかった。

この作品には、こうした「シリアスなのか、ブラックコメディなのか分からない」ような場面がいくつかあります。

そして、私が感じた違和感は、ここから徐々に大きくなっていきました。


運動会の場面でも感じた違和感

朝子の幼稚園の運動会。

競技中に朝子の靴が脱げてしまい、結果的に最後になってしまいます。

そして朝子は、途中でグラウンドに出て、

「今のはなし!」

というような態度を取ります。

子どもらしい行動とも言えます。

ただ、その出来事をきっかけに夕平と紗月の関係が悪化していく。

そして、二人は別れることになります。

ここから夕平の行動は、さらにエスカレートしていきます。


そして夕平は「ストーカー」のようになっていく

紗月と別れたあと、夕平は朝子に会おうとします。

ところが紗月は朝子に、

「夕平は海外へ行った」

と伝えます。

それでも夕平は、朝子に会いに幼稚園へ向かいます。

ここで、また私は少し戸惑いました。

夕平は「パリに行った」ということになっているため、パリを意識した服装をし、リュックにはフランスパン。

さらにエッフェル塔のキーホルダーまで出てきます。

これを観て、

「これはシリアスな映画なのか、それともコントなのか?」

と思ってしまったんです。

もちろん、これも夕平の不器用さや、子どもに会いたいという気持ちを表現した演出なのでしょう。

ただ、殺人やストーカー行為など、かなり重いテーマを扱っている作品だけに、私はどうしても違和感を覚えてしまいました。


夕平を「発達特性のある人物」と感じてしまった

もう一つ、個人的に気になったのが夕平の人物造形です。

人とのコミュニケーションが苦手で、独特のこだわりがあり、周囲から見ると「なぜそんな行動をするのか」と感じる場面が多い。

私は最近、『平行と垂直』や『時には懺悔を』のような作品を続けて観ていたこともあり、夕平を観ながら、発達特性のある人物を連想してしまいました。

ただし、これはあくまで私が映画を観て感じた印象です。

映画では一切、そういうことには触れていません。

むしろ、この映画では「コミュニケーションが苦手で、不器用な普通の人間」として夕平を描いているのだと思います。


一番考えさせられたのはラスト

そして、私が最も考えさせられたのがラストです。

大人になった朝子は、保育士になっています。

一方、刑務所を出た夕平はタクシー運転手になっています。

そして二人は、偶然すれ違います。

しかし、お互いが相手だとは知りません。

その後、朝子から夕平に手紙が届きます。

そこには、

「私は、あなたを、知らない。」

という言葉があります。

そして、

「もし、いつか、この社会のどこかで偶然出会った時に、私たちは知らない同士です。」

という趣旨の言葉が続きます。

このラストをどう受け取るか。

ここは非常に難しいところだと思いました。


「夕平に光を当てている」と感じる人もいるかもしれない

私自身、このラストを観て、

「夕平にも、もう一度人生をやり直す道を示しているのでは?」

と感じました。

殺人を犯した人物が刑期を終え、社会に戻り、タクシー運転手として働いている。

そして被害者側の朝子も、自分の人生を歩んでいる。

二人が偶然すれ違っても、お互いに「知らない人」として生きていく。

見方によっては、夕平にも新しい人生への「光」を当てているように感じます。

ただ、朝子の手紙をよく考えてみると、これは決して「許し」ではないんですよね。

朝子は、夕平を赦してはいません。

むしろ、

「私はあなたを赦さない。でも、あなたを憎み続けることで、自分の人生まであなたに支配されたくない」

という決別なのではないでしょうか。

法律上、夕平は罪を償った。

しかし、それと朝子が夕平を許すことは別問題です。

朝子は夕平を許さない。

でも、自分のこれからの人生に、夕平を存在させない。

そのために、

「私は、あなたを、知らない。」

という選択をした。

そう考えると、非常に重い言葉でもあります。


中野量太監督だからこその「温かさ」が、今回は少し違って見えた

中野量太監督の作品には、重いテーマを扱いながらも、どこかに笑いや温かさがあります。

それが中野監督の魅力だと思います。

ただ今回は、殺人、ストーカー、被害者と加害者、罪と償いという非常に重い題材です。

そこに、これまでの中野作品らしい「ユーモア」や「人間の可笑しさ」が入ってくる。

そのため私は、

「ここは笑っていいのかな?」

「これはシリアスな場面なのかな?」

と迷ってしまうところがありました。

私が違和感を覚えたのは、物語そのものというより、

脚本上の展開と、それを映像化する際の演出、そして人物の見せ方。

そこだったのだと思います。


まとめ

『私はあなたを知らない、』は、「家族とは何なのか」「人は罪を犯したあと、どう生きるのか」「被害者はその後の人生をどう生きるのか」という、非常に重いテーマを扱った作品です。

そして、ラストの朝子の言葉には、単純な「許し」ではない、深い意味があると思います。

ただ、私は今回、夕平の行動や、いくつかの演出に「なぜこうしたのだろう?」と思うところがありました。

物語の核そのものは嫌いではありません。

だからこそ、もう少し違う見せ方だったら、私はもっと素直に作品に入り込めたのではないかと思います。

ということで、今回の私の評価は、

Bです。

特にラストの

「私は、あなたを、知らない。」

という言葉。

これは「許し」なのか、それとも「決別」なのか。

以上。

 

 

サクッと映画を紹介する「サクッとシネマ」の解説はここ↓

 

あらすじ

自閉スペクトラム症の大貴と、幼い頃から兄を支えてきた妹・希。

二人は幼い頃に母親を亡くし、父親からも十分な支えを受けられないまま、支え合って生きてきました。

大貴は清掃の仕事に就き、周囲のサポートを受けながら一人暮らしをしています。

会話や感情表現は少なく、独自のルールや強いこだわりを持つ大貴。

そんな兄と希は、週に一度、夜7時ちょうどに食卓を囲むことを続けています。

一方、カウンセラーとして働く希は、恋人からプロポーズを受けます。

結婚を前に、恋人の両親に会うため、大阪から東京へ向かう兄妹。

しかし、その旅の中で、希はこれまで目を背けてきた過去と、大貴のこれからの人生について考えることになります。

兄を支えることを選び続けてきた妹と、自分なりの世界の中で懸命に生きる兄。

二人が旅を通して見つめ直すのは、「家族」と「自立」。

それぞれが自分の人生を歩き始めるための物語です。


安田章大さんの演技がとにかく凄い

まず驚いたのが、安田章大さんの演技です。

安田さんは普段、光に対する過敏症のためサングラスを着用していることが多いですが、本作ではサングラスを外して演技をされています。

そして演じるのが、自閉スペクトラム症の大貴。

これが本当に凄かった。

「大貴を演じている」というよりも、まるで大貴という人物がそこに存在しているように感じました。

独特の仕草や視線、言葉の間、感情の表し方。

演技を見ているというより、大貴という一人の人間の日常を見ているような感覚になりました。

私自身、日頃、障がいのある方と接する機会があり、実際の生活の中で、その方たちの行動や言葉に触れることがあります。

そのため、大貴の姿を見ていると、映画というよりドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥る場面もありました。

映画を観終わった後、

「大貴さん、今も大阪のどこかで一人暮らししているのかな?」

「元気にやっているのかな?」

そんなことまで考えてしまいました。

それくらい、大貴という人物がリアルだったんです。


映画で描かれてきた「自閉症」と特殊能力

ここで少し、映画の中で描かれてきた自閉スペクトラム症について考えてみました。

これまでにも、自閉スペクトラム症の人物を描いた映画は数多くあります。

代表的なのが、ダスティン・ホフマン主演の『レインマン』。

そして、レオナルド・ディカプリオが兄役を演じた『ギルバート・グレイプ』などです。

特に『レインマン』では、床にこぼれた爪楊枝の本数を一瞬で数えたり、カジノでカードの動きを記憶したりする場面が印象的でした。

こうした描写は、一部の人に見られる「サヴァン症候群」と呼ばれる、特定の分野で突出した能力を示す状態を題材にしたものです。

また、ブルース・ウィリス主演の『マーキュリー・ライジング』では、高い計算能力を持つ自閉症の少年が極秘コードを解読してしまい、国家安全保障局から狙われるという物語が描かれています。

このように映画では、自閉症の人物が「驚異的な記憶力」や「特殊な能力」を持った人物として描かれることがあります。

もちろん、こうした作品によって自閉症について多くの人が関心を持つようになったことは、大きな意味があると思います。

ただ一方で、

「自閉症の人は、みんな特殊な能力を持っている」

という誤ったイメージにつながってしまう可能性もあります。

サヴァン症候群は、自閉スペクトラム症そのものを意味するものではありません。

自閉スペクトラム症の特性や能力は一人ひとり異なります。

そう考えると、『平行と垂直』で描かれる大貴は、特殊能力を持った人物としてではなく、独自のこだわりや世界を持ちながら、一人の人間として懸命に生きている姿が描かれている。

そこが、私にはとてもリアルに感じられました。


のんさんの涙が印象的だった

そして、のんさん。

本作で演じるのは、大貴の妹・希です。

幼い頃から兄を支え、自分自身の人生よりも兄のことを優先してきた女性です。

そんな希が、ある場面で大貴に向かって、これまで胸の奥にしまっていた本音を漏らします。

そのとき、のんさんの目から大粒の涙が、ボロボロとこぼれ落ちるんです。

もちろん演技なのですが、私には「本当の涙」のように見えました。

これまで大貴の妹として生きてきた希が、長い間抱えてきたものを一気に吐き出した。

そんな涙に感じられたんです。

この兄妹、とにかくリアルでした。


兄妹を支えた周囲の人たち

この作品でもう一つ印象に残ったのが、兄妹を取り巻く周囲の人たちです。

幼い頃に母親を亡くし、父親からも十分な支えを得られなかった二人。

それでも二人がここまで生きてこられたのは、地域の人たちやグループホームの職員、職場の人たちなど、周囲の理解やサポートがあったからだと思います。

ただ「かわいそうだから助ける」のではない。

必要なときには支える。

でも、必要以上に干渉しない。

本人が自分の力で生活できるように、近くから、そして時には少し離れたところから見守る。

この距離感が、とても大切なのだと思いました。


「自立」とは何なのか

一方で、大貴がある問題を起こし、警察沙汰になる場面もあります。

そこで警察から、大貴にグループホームへ戻るよう促されます。

これは、障がいのある人が社会の中で自立して生活する難しさを表しているようにも感じました。

障がいについて詳しく知らない人からすれば、

「一人で生活させて大丈夫なのか」

「何か問題を起こすのではないか」

と不安に感じることもあるでしょう。

しかし、この映画では、そこで終わりません。

大貴自身も、周囲の人たちも、どうすれば社会の中で自立して生きていけるのかを模索していきます。

そして私は、これは障がいのある人だけの問題ではないと思いました。

健常者だって、社会の中で誰かに迷惑をかけることがあります。

失敗することもあります。

誰かの支えが必要になることもあります。

「自立」というのは、誰にも頼らず、一人ですべてをできることではない。

必要なときには人の力を借りながら、自分の人生を自分で選んでいく。

そんなことを、この映画から考えさせられました。


大阪らしい人情も魅力

作品全体としては、テレビのローカル局が制作した特別ドラマのような、どこか親しみやすい雰囲気があります。

重いテーマを扱っている作品ですが、笑える場面もあり、泣ける場面もある。

そして舞台が大阪ということで、のんさんの関西弁も炸裂。

大阪らしいノリや人情味のある「浪花節」も効いていて、関西人には特に馴染みやすい作品だと思います。

障がいのある人と、それを取り巻く家族や社会。

扱い方によっては、とても重い作品にもできるテーマです。

しかし『平行と垂直』は、決して重さだけを前面に出すのではなく、前向きな物語として描いています。

障がいについて考えるきっかけになるだけでなく、「家族」や「自立」についても考えさせてくれる作品でした。

私の評価

Aマイナス。

安田章大さんと、のんさん。

二人が演じる兄妹が、とにかくリアル。

そして、大貴と希がそれぞれの人生を歩き始める姿が印象に残りました。

映画を観終わった後も、
「大貴は今どうしているんだろう?」
と思ってしまう。

それくらい、登場人物が身近に感じられる作品でした。

重いテーマを扱いながらも、温かさとユーモアがあり、観終わった後にいろいろなことを考えさせてくれる映画です。

興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。

以上

 

 

「小さな命」が教えてくれたこと

先日、中島哲也監督の最新作『時には懺悔を』を観ました。

『告白』『渇き。』『来る』など、独特の映像表現で人間の心の闇を描いてきた中島監督。今回は『来る』以来、実に8年ぶりの監督作品です。

原作は、打海文三さんの小説「時には懺悔を」。

物語の舞台は平成6年、1994年。劇中にはポケベルが登場し、現在とは違う時代の空気が感じられます。

 

映画解説動画「サクッとシネマ」はここ↓

 

 

探偵の佐竹(西島秀俊)と仲野聡子(満島ひかり)は、ある事件をきっかけに、明野哲夫(宮藤官九郎)という男を調べることになります。

 

明野には、重い障がいを抱えた「新」という子どもがいます。

この映画は、殺人事件や過去の誘拐事件を軸にしながら、家族との関係に傷を抱えた大人たちが、ひとつの小さな命と出会うことで、少しずつ変化していく物語です。

中でも印象に残ったのが、宮藤官九郎さん演じる明野です。

新とは血のつながりがありません。

それでも明野は、新の世話をしながら、二人で生きていきます。

新の身の回りの世話をする姿や、新に向ける眼差しがとても自然で、観ていて胸を打たれました。

西島秀俊さんと満島ひかりさんが主演ですが、個人的には宮藤官九郎さんの存在感が非常に大きく感じられました。

そして、もう一つ驚いたのが、実際にスペシャルニーズのある子どもたちが、俳優として出演していることです。

この作品では、障がいのある子どもを健常の子役が演じるのではなく、実際に障がいや病気などによって特別な配慮や支援を必要とする子どもたちが、映画に参加しています。

 

ここからは、少し個人的な話になります。

私は普段、障がいのある方と接する機会があります。

そこで感じることがあります。

彼ら自身が変わっていくというよりも、むしろ、こちら側が変わっていくのです。

彼らと接していると、まるで彼らのフィルターを通すことで、自分の中にある余計なものや、不純物が少しずつ取り除かれていくような感覚があります。

そして、気がつくと、自分自身が少し素直になっている。

この映画を観て、そんな感覚を改めて思い出しました。

人は、誰かを変えようとするのではなく、誰かと向き合うことで、自分自身が変わることがある。

『時には懺悔を』は、そんなことを考えさせてくれる作品でした。

もちろん、重いテーマを扱った作品なので、観ていて決して楽な映画ではありません。

それでも、きれいごとだけでは終わらせず、時に過激とも思える言葉を真正面から描いたところに、中島哲也監督の覚悟を感じました。

 

個人的な評価は、Aマイナス

人は何を背負い、何を支えにして生きていくのか。

そして、「家族」とは何なのか。

映画を観終わったあとも、そんな問いが心に残りました。

興味のある方は、ぜひ劇場でご覧になってみてください。

映画『時には懺悔を』。

心に残る作品でした。

以上

 

 

映画『ドラマなふたり』を観ました

今回は映画『ドラマなふたり』を鑑賞しました。

残暑が厳しい中、少し風邪を引いてしまい、今回は自宅でゆっくり映画鑑賞。
映画を観ている間は、体調のことも忘れてスクリーンに引き込まれる作品でした。

 

あらすじ

ボストンで運命的に出会い、結婚を目前に控えたチャーリーとエマ。

結婚式まで、あと7日。

ある夜、2人は結婚式で新郎新婦をサポートする親友夫妻と食事をしながら、会話の流れで「これまでに犯した最悪の行い」をそれぞれ告白することになります。

ところが、エマが明かした“最悪の秘密”によって、その場の空気は一変。

チャーリーは、最愛のエマには自分の知らない別の顔があるのではないかと疑い始めます。

幸せだった2人の関係は、たった一つの告白をきっかけに崩れ始めていきます。

果たして2人は、疑念を抱えたまま結婚式を迎えることができるのでしょうか。

※ここからネタバレあり

本作の最大のポイントとなるのが、

「これまでにした、いちばん悪いことは何?」

という問いです。

チャーリーとエマは、結婚式で新郎新婦をサポートする親友夫妻とともに、式で実際に出される料理やワインを事前にチェックしていました。

そこで4人は、それぞれが「これまでにした一番悪いこと」を順番に告白していきます。

新郎新婦となるエマとチャーリー

 

まず、友人のマイク。

彼は昔、彼女との誕生日デート中に野犬に襲われた際、彼女を盾にして自分だけ逃げたという、かなりひどい話を告白します。

 

続いてレイチェル。

彼女は近所に住む障害のある子どもを森の中の小屋に閉じ込め、そのまま放置。大きな問題になったという、これまた簡単には人に話せないような過去を明かします。

友人のマイクとレイチェル。エマの衝撃の告白を聞くことに・・・。

 

そして新郎のチャーリー。

彼はネット上で同級生をいじめ、最終的には引っ越しにまで追い込んでしまったことを告白します。

 

そして最後がエマ。

ここから物語の雰囲気が大きく変わります。

エマは15歳の頃、いじめを受けていました。

その怒りから父親のライフルを持ち出し、学校で銃乱射を計画していたのです。

しかし、実行寸前に近所のショッピングモールで銃撃事件が発生。

先を越されたことでエマの気持ちは冷め、実際には銃乱射を実行することなく踏みとどまります。

とはいえ、銃乱射を計画していたという事実だけでも、3人にとっては衝撃的でした。

特にレイチェルの従妹は、過去の銃乱射事件によって車椅子生活となっており、エマのことを簡単には許すことができません。

そしてチャーリーも、愛するエマの過去を知ったことで疑心暗鬼に陥り、徐々に精神的に追い詰められていきます。

日本人の感覚からすると、日常生活で銃が身近にあるわけではないため、このあたりの感覚は少し理解しにくいところがあります。

しかし、アメリカでは過去に何度も銃乱射事件が発生し、多くの人が犠牲になっています。

実際には事件を起こさなかったとしても、「銃乱射を計画していた」というだけで、周囲が受ける衝撃は非常に大きなものなのでしょう。

その後、結婚式の準備も次第におかしくなっていきます。

チャーリーは、15歳の頃のエマが銃を構えている幻覚を見るようになり、精神的にも追い詰められていきます。

俳優たちの感情表現が見どころ

本作で印象に残ったのが、俳優たちの感情表現です。

オープニングでは、エマとチャーリーが出会い、幸せな結婚を目前にしたカップルとして描かれます。

ところが、あの衝撃的な告白を境に、作品の空気が一変します。

それまで幸せだった2人が、疑念や不安に支配されていく。

オープニングと中盤以降では、まるで180度違う感情を表現しなければならず、かなり難しい演技だったのではないでしょうか。

そして結婚式当日へ

いろいろな出来事がありながら、結局、何も解決しないまま結婚式当日を迎えます。

そこには新郎新婦の両親、親戚、友人など、多くの人々が集まってきます。

ここで面白いのが、映画を観ている私たちは、登場人物たちよりも多くの事情を知っていること。

「この人たちは、まだ何も知らないんだよな……」

そう思いながら観ていると、自然と緊張感が高まっていきます。

この結婚式のシーンは、ここ最近観た映画の中でもかなりドキドキさせられました。

互いの両親も巻き込む修羅場へ・・・。

ラストは意外とあっさり

ここまでの展開はかなり濃密ですが、ラストシーンは意外とあっさりしています。

それまでに張られていた伏線もしっかり回収され、個人的には好感の持てる終わり方でした。

何もかもを大げさに説明するのではなく、最後はすっと終わる。

このあたりも本作の良さだと思います。

評価はAマイナス

今回の評価はAマイナス

オープニングからエンディングまで、スクリーンに釘付けにする脚本力。

そして、それを支える俳優たちの熱量。

久しぶりに「映画を堪能した」という気持ちになりました。

上映時間も約1時間40分と比較的コンパクトで、観やすい作品です。

恋愛映画だと思って観始めると、思わぬ方向へ展開していくので、そのギャップも楽しめるのではないでしょうか。

ただし、パンフレットは……

右がパンフレット、左はA4サイズのチラシ。小冊子レベル。

オッサンには字が小さく読みにくい!

 

最後に一つだけ。

映画そのものには満足したのですが、ちょっと気になったのがパンフレット。

文庫本くらいのサイズで約50ページ。

昔のハーレクイン・ロマンスを思わせるような細長いデザインで、表紙には、

「EMMA & CHARLIE THE WEDDING BOOK」

と書かれています。

結婚式場でもらうウェディングブックのようなデザインで、これはこれで作品の雰囲気には合っています。

ただ、お値段は1,150円

……ちょっと高くないですか? A24さん。

とはいえ、映画自体はかなり楽しめました。

以上

 

 

YouTube動画『サクッとシネマ』の解説はここ↓

 

アン・ハサウェイ、ユアン・マクレガー出演の『オークストリートの異変』を観ました。

平和なアメリカの郊外住宅地を突然、異変が襲い、水道や電気が止まる。さらに、絶滅したはずの恐竜まで現れ、家族が生き残るために奔走するサバイバルスリラーです。

全く個人的な感想ですが、映像を観ていて、星新一さんのショートショート『午後の恐竜』を思い出しました。

星新一さんの作品といえば、真鍋博さん、和田誠さん、ヒサクニヒコさんなど、超一流のイラストレーターによる挿絵も印象に残っています。

『午後の恐竜』には、主人公が窓の外を見ると、見慣れた街を恐竜が堂々と歩いている、という場面があります。

「いつもの日常の風景に、突然、恐竜が現れる」。

このイメージが、今回の映画と重なりました。

ただし、『午後の恐竜』のスケールは、はるかに壮大です。

地球が終焉を迎える直前、それまでの46億年の歴史を、まるで走馬灯のように振り返る現象が起こり、人類はその光景を目撃します。

その中で恐竜が登場するのは、地球の長い歴史のほんの一瞬。

そして最後には、地球の「生涯」を終わらせる原因が、人間の狂気にあったことが明らかになる。

初めて読んだとき、そのスケールの大きさと結末に驚いたことを覚えています。

『オークストリートの異変』を観て、もう一つ感じたのが、1980年代のスピルバーグ映画を思わせる雰囲気です。

普通のアメリカの郊外に、突然、ありえない出来事が起こる。

『E.T.』や『ポルターガイスト』など、あの頃の映画を思い出しました。

私は1964年生まれなので、1980年代はちょうど青春時代。

だからでしょうか、この映画の80年代の空気には、どこか懐かしさを感じました。

ただ、懐かしいだけではありません。

物語は先が読めず、主人公の家族だからといって安心して観ていられない。父親が亡くなるなど、予想を裏切る展開もあります。

そこで、映画を一言で表すなら、

「行き先不明の80年代ノスタルジー」

という言葉が浮かびました。

 

評価はB+

懐かしい雰囲気なのに、物語がどこへ向かうのか分からない。

そんな不思議な感覚が残る映画でした。

そして、久しぶりに『午後の恐竜』を読み返したくなりました。

以上

 

 

今回紹介する映画は『グッドボーイ』。

前から観たいと思いつつ、見送っていた作品です。(公開終了ギリギリ)

 

〝何か〟に取り憑かれた飼い主を、一匹の犬が命懸けで守ろうとするという、

異色の視点で描かれたホラー作品です。

本作の主人公は、人間ではありません。

飼い主を守ろうとするレトリバー犬、インディです。

犬の目を通して描かれる恐怖とは、いったいどのようなものなのか。

今回は実際に鑑賞した感想を交えながら、『グッドボーイ』を紹介します。

『グッドボーイ』あらすじ

インディは、飼い主のトッドとアパートで暮らしています。

ところが、ある頃からトッドの体調に異変が起こり始めます。

そしてある日、トッドは突然、吐血。

偶然アパートを訪れていた妹のヴェラによって病院へ運ばれることになります。

退院したトッドは、インディを連れて、亡くなった祖父の家へ移り住むことに。

その家は、祖父が謎の死を遂げて以来、長い間誰も住んでいない空き家でした。

日本的に言えば、いわゆる「事故物件」です。

トッドは隣人から発電機を借り、祖父が残した古いホームビデオを見ながら、その家で暮らし始めます。

しかし、インディは家の中に何かがおかしいことを感じ取っていました。

誰もいないはずなのに聞こえてくる不気味な物音。

家の隅から漂ってくる正体不明の気配。

そして、そこにいるはずのない「何か」。

やがてトッドは、妹のヴェラとの電話で、祖父とこの家は呪われていたのではないかと疑い始めます。

インディには、人間の会話の意味までは分かりません。

それでも、

「何かが飼い主に近づいている」

そのことだけは本能で感じ取っていました。

そして、トッドの体調は再び悪化。

まるで家に潜む邪悪な存在が、少しずつ彼の身体を蝕んでいるかのようです。

それでもインディは、トッドのそばを離れません。

姿の見えない何か。

説明のつかない怪異。

そして、日に日に変わっていく大好きな飼い主。

インディにできることは、ただ一つ。

何が相手であろうと、トッドを守ること。

果たして、この家に潜む「何か」の正体とは?

そしてインディは、飼い主を守り抜くことができるのでしょうか。

 

 

YouTube動画「サクッとシネマ」の解説はここ↓

 

 

犬好きにこそ刺さるホラー映画

私は犬を飼った経験がありますし、実家では現在も犬を飼っています。

ただ、自分のことで精いっぱいなので(笑)、犬に関して特別に思い入れが強いというわけではありません。

ペット全般についても、どちらかというと普通です。

そんな私が『グッドボーイ』を観て感じたのは、

この映画は、ホラーファンよりも犬が大好きな人のほうが刺さる作品なのではないか

ということでした。

犬を飼っている人なら分かる「犬の異変」

物語そのものは、ホラー映画の定石を踏んでいます。

飼い主と一緒に移り住んだ、いわくつきの家。

そして最初に異変に気づくのは、人間ではなく犬のインディです。

これ、犬を飼ったことがある人なら「あるある」と思うのではないでしょうか。

例えば、飼い主の車の音を聞き分けて、帰宅するかなり前から玄関で待っている。

あるいは、人間の会話を理解しているのではないかと思うくらい、状況に合わせて行動する。

いわゆる「空気を読む」というやつです。

そして、犬を飼っている人なら一度くらい経験があるかもしれません。

何もない暗闇を、犬がじっと見つめている。

突然、そこに向かって吠え始める。

いつも歩いている散歩道なのに、なぜかその日は行きたがらない。

「え? 何かいるの?」

こちらまで怖くなってしまいます。

『グッドボーイ』には、こうした犬の行動が数多く登場します。

だからこそ、犬を飼った経験がある人ほど、インディが感じている恐怖をリアルに感じられるのではないでしょうか。

驚かされたインディの「演技」

そして、この映画を観ていて特に驚いたのが、インディの演技です。

これまでにも『がんばれベンジー』『名犬ラッシー』『ウォントン・トン』など、犬が活躍する映画は数多くありました。

しかし、『グッド・ボーイ』では、犬の表情をじっくり捉えることで、インディの内面を観客に伝えています。

「今、この犬は何を考えているんだろう?」

そんなことを自然に想像させられるのです。

すごいなと思って調べてみると、さらに驚きました。

インディを演じている犬は、撮影のために特別に訓練された犬ではなく、

なんと映画監督が普段から飼っている犬だったそうです。

つまり、もともと監督と一緒に生活していた愛犬。

そのため、コミュニケーションという面では撮影に適していたようです。

とはいえ、それだけで一本の映画を撮れるわけではありません。

監督は3年もの時間をかけて、インディを中心に「どうやってこの映画を撮るか」を考えたそうです。

意外と簡単だった? 犬の移動シーン

劇中では、インディが呪われた屋敷の中を縦横無尽に走り回ります。

ところが、こうした移動シーンは意外にも撮影しやすかったそうです。

移動するコースにパンくずを置き、監督たちがインディに声をかける。

するとインディが、そのコースに沿って動いてくれる。

犬との信頼関係があるからこそ可能な撮影方法です。

難しかったのは「動かない演技」

一方で、撮影が難しかったのが、インディが動かないシーン。

特に、顔のアップです。

楽しい。

悲しい。

怯えている。

飼い主を心配している。

こうした感情を、犬の表情だけで表現しなければなりません。

そのため、何日、何週間もかけて撮影に挑むこともあったそうです。

そして、

「この表情は、あのシーンに使える!」

というように、撮影できたインディの表情を後から映画に生かしていった。

監督は、

「今日はインディと何ができるか、何ができないかを見極めて撮影した」

という趣旨のことを語っています。

なんだか普通の映画製作というより、

監督と愛犬の生活の延長線上に、この映画がある。

そんな印象を受けます。

インディは「主演男優賞」にノミネート

さらに興味深いのが、本作を撮る前にテストとして制作された短編映画です。

この短編作品が映画祭で評価され、なんとインディが主演男優賞にノミネートされたそうです。

もちろん犬専門のコンテストではありません。

人間の俳優たちと同じ土俵で評価されたということです。

それだけインディの演技が、多くの人に認められたということでしょう。

ただ、もしかするとインディにとっては「演技」ではなかったのかもしれません。

大好きな飼い主が、本当に何か得体の知れないものに襲われている。

だから、本気で飼い主を守ろうとしていた。

そんなふうにも見えてしまいます。

ホラーとして見ると少し曖昧

ここからは、ホラー映画としての感想です。

本作でトッドを襲っている「何か」。

実は、その正体がかなり曖昧です。

飼い主の病気を擬人化したものなのか。

死神なのか。

あるいは、亡くなった祖父の亡霊なのか。

明確な答えは示されません。

個人的には、

トッドが病気に蝕まれていく過程を、インディの目には「あのような存在」として見えていたのではないか

とも感じました。

人間にとっては「病気」。

しかしインディにとっては、

「大好きな飼い主を苦しめている、得体の知れない何か」。

そう考えると、この映画の見え方が少し変わってきます。

レトリバーだからこその説得力

インディはレトリバーです。

レトリバーは、もともと狩猟の際に獲物を回収するため、人間と一緒に働いてきた犬です。

長い歴史の中で、人間と生活を共にしてきた犬種でもあります。

一般的に、賢く、明るく、従順で、人間との関係を築きやすい性格が特徴です。

だからこそ、本作のインディを見ていると、

「最高の家族だな」

と思わされます。

そして、飼い主を守ろうとするインディの姿には、犬と人間が長い時間をかけて築いてきた関係そのものが表れているようにも感じました。

エンディングのインディに注目

映画のエンディングについては、ネタバレになるので詳しくは触れません。

ただ、最後にスクリーンに映し出されるインディの姿。

そこには、

勇敢さと、なんとも言えない哀愁

が漂っています。

犬好きの方なら、かなりグッとくるのではないでしょうか。

映画『グッドボーイ』評価・まとめ

私の評価は、

身を挺して飼い主を守ろうとするインディ。

その姿には、犬好きならグッとくるシーンが満載です。

犬が大好きな人なら、A以上の評価になる作品かもしれません。

一方、私のように犬への思い入れがそこまで強くない人間がホラー映画として観ると、過去のホラー作品で見たことのある展開や演出が多いと感じました。

そして何より、

飼い主を襲う「何か」の表現が不明瞭です。

そのため、物語そのものを中心に楽しみたい観客にとっては、

「結局、あれは何だったの?」

と、少し困惑してしまうかもしれません。

ただし、犬好きの方にはかなりおすすめ。

特に犬を飼った経験がある方なら、

「そうそう、犬ってこういうことする!」

と思える場面がたくさんあります。

ホラー映画として見るか。

それとも、

飼い主を守ろうとする一匹の犬の物語として見るか。

どちらの視点で観るかによって、評価が大きく変わる映画だと思います。

犬好きの方には、ぜひ観てほしい一本です。

以上

【ネタバレあり】映画『だぁれかさんとアソぼ?』レビュー|「さな三部作」は完結?Jホラー好きだからこそ感じた物足りなさ

※この記事は『だぁれかさんとアソぼ?』のネタバレを含みます。

 

 

はじめに

公開初日に『だぁれかさんとアソぼ?』を鑑賞してきた。

結論から言うと、

ホラー映画としてはそこそこに怖い。

しかし、

ストーリーは少し物足りない。

これが率直な感想。

決してつまらない作品ではない。

ただ、長年Jホラーを観てきた私には、どこか既視感のある展開に感じられた。

今回は、その理由をシリーズ全体や過去の名作Jホラーと比較しながら考察してみる。


『だぁれかさんとアソぼ?』は『ミンナのウタ』シリーズなのか?

映画を観終わって最初に思ったのは、

「これは実質的に『ミンナのウタ』シリーズでは?」

ということであった。

タイトルには「2」や「3」と付いていない。

しかし、

  • さな

  • カセットテープ

  • 学校

  • 「遊び」というキーワード

これらは明らかに『ミンナのウタ』『あのコはだぁれ?』から続く世界観。

そのため、本作は「さな三部作」の完結編として受け止めるのが自然。


染谷将太演じる人物は、さなの弟だった

今回最も驚いたのは、この設定。

染谷将太さん演じる人物が、さなの弟だったこと。

正直に言えば、

「そんな設定あった?」

と思った方も多いはず。

前2作では弟の存在はほとんど印象に残っておらず、本作で初めて大きく掘り下げられていた。

後付けというよりは、シリーズ全体の背景を補完する役割を担っていたと感じた。


ストーリーは王道Jホラーだった

ここからが私が最も気になった点。

終盤は、

怪異の正体を調べる。

過去の事件を知る。

亡骸や遺骨を発見する。

回収・供養して一旦解決する。

こういう流れ。。。

もちろん、この展開自体はJホラーでは王道。

しかし、だからこそ新鮮味はあまり感じなかった。


思い出したのは90年代から2000年代のJホラー

本作を観ながら思い浮かんだ作品がある。

  • 『リング』

  • 『仄暗い水の底から』

  • 『着信アリ』

これらも、

怪異の理由を調べ、

事件の真相へたどり着き、

遺体や遺骨を見つけることで一旦区切りを迎える作品。

『だぁれかさんとアソぼ?』も、この系譜にある作品だと感じた。

そのため、Jホラーを数多く観てきた人ほど展開を予想しやすいかもしれない。


期待していたのは『呪怨』だった

清水崇監督と聞くと、どうしても『呪怨』を思いだす。

『呪怨』は、

原因を突き止めても終わらない。

供養しても終わらない。

逃げても終わらない。

そんな理不尽さこそが恐怖であった。

一方、本作は終盤で怪異の原因が整理され、物語として一旦決着する。

エンドロール後には、

「そろそろ次はあなたの番」

という印象的なセリフが現れる。

しかし、それでも途中まで積み重ねてきた恐怖を、やや説明しすぎた印象を受けた。

私はもう少し理不尽さを残した終わり方でもよかったと思った。


エンドロール後の意味

あのセリフには三つの意味があるように感じた。

① 観客へのメッセージ

「次はあなたですよ」という、観客を物語へ巻き込む演出。

② 呪いは終わっていない

さながどうなっても、怪異そのものは消えていないという暗示。

③ 続編への余白

もし人気が続けば、新たな物語へつなげることもできる終わり方。

この三つを重ねた演出だったと思う。


「さな三部作」はこれで完結?

個人的には、

さなの物語としては一区切り。

そう感じた。

過去や家族、弟まで描いたことで、キャラクターとしては十分に掘り下げられていた。

ただし、世界観そのものは終わっていない。

新たな怪異や主人公を軸にすれば、シリーズはまだ続けられる。


総合評価

★★★☆☆

総合評価:3.0(5点満点)

ホラーとしてはそこそこ楽しめる作品。

ただ、Jホラーを長年観てきた人ほど、「どこかで見たことがある展開」と感じるかもしれない。


まとめ

『だぁれかさんとアソぼ?』は、実質的な「さな三部作」の完結編として楽しめる作品だった。

一方で、ストーリー展開はJホラーの王道を踏襲しており、新鮮な驚きという点では少し物足りなさが残った。

もちろん、これが悪いというわけではない。

Jホラー初心者なら十分に怖く、シリーズを知らなくても楽しめる作品だと思った。

しかし、『リング』『呪怨』『仄暗い水の底から』『着信アリ』などをリアルタイムで観てきた世代には、既視感を覚える場面も少なくないはず。

以上

 

 


『口に関するアンケート』解説・考察(ネタバレあり)ラストで明かされる衝撃の真相

物語のラストで最も衝撃的なのは、それまで証言をしていた5人の大学生が、実は全員「呪われた木」で首吊り自💀をしていたことです。

映画では学生たちが一人ずつカメラに向かって怪異体験を語っていますが、ラストシーンによって、それらは💀の直前にスマートフォンへ録音された音声だったことが判明します。

つまり、観客は事件をリアルタイムで見ていたのではなく、亡くなった学生たちの「最後の証言」を聞いていたことになります。


杏は本当に存在したのか?

本作最大の謎は、行方不明となる杏という存在です。

物語は刑事と記者が杏の失踪事件を追う形で進みますが、終盤になると「杏は本当に存在していたのか」という疑問が浮かび上がります。

その根拠となるのが、劇中で翔太が作成した「尋ね人」のチラシです。

当初は杏の写真が掲載されていますが、終盤では写真が「呪われた木」に置き換えられています。

さらにエンドロール前には観客に向けてアンケートが表示され、その最初の質問は、

「あなたが見ていた杏はなんだと思いますか?」

というものです。

注目すべきは、「誰」ではなく「何」と尋ねている点です。

選択肢には、

  • 💀んだ女

  • 呪いの木

  • ヒミツ

が用意されており、映画は杏の正体を明かすのではなく、観客自身に解釈を委ねています。


「呪い」とは何なのか

本作を理解する上で重要なのが、清水崇監督の「呪い」に対する考え方です。

インタビューで監督は、呪いとは単なる超常現象ではなく、人間の認知によって生まれ、強化されるものだと語っています。

例えば、何でもない木でも「神木」と信じられれば神木になり、「呪われた木」と信じられれば、人々は近づかなくなります。

一度共同体がそう認識すると、その意味は現実以上の力を持つようになります。

この考え方は、劇中で記者・西が語る

「石はただの石でも、お地蔵さんと言われればありがたがり、呪いの石と言われれば怖がる」

というセリフにも反映されています。

つまり映画が描いているのは、幽霊や怪物よりも**「人が意味を与えることで怪異が成立する」という構造**なのです。


5人が同時に自💀した理由

映画では5人がなぜ同時に命を絶ったのか、明確な説明はありません。

しかし、監督の「認知によって呪いは成立する」という考え方を踏まえると、彼らは「呪われた木」という物語に取り込まれてしまったと解釈できます。

これは物理的な呪いというよりも、「呪いを信じることで現実が変わってしまう」という心理的・社会的な恐怖を描いているとも受け取れます。


観客も物語に巻き込まれるラスト

本作がユニークなのは、エンドロール前に観客へ向けてアンケートを表示する演出です。

「杏は何だったのか」
「5人はなぜ録音を残したのか」
「この物語を誰かに話したいか」

こうした問いに正解はありません。

しかし、観客はその問いに答えようと考え始めた瞬間、映画の「参加者」となります。

さらに「この物語を誰かに話したいですか?」という設問は、観客自身が作品を語り、考察を共有することで、物語が映画館の外へ広がっていく構造を示しています。


評価とまとめ

評価はB+。
 

『口に関するアンケート』は、単に怪異の正体を解き明かすホラー映画ではありません。

「呪いとは何か」
「人はなぜ噂や物語を信じてしまうのか」
「意味はどのように作られるのか」

こうしたテーマを、観客自身を巻き込む形で描いた参加型ホラーです。

ラストで提示されるアンケートには正解がありません。

だからこそ、本作は映画が終わった後も観客一人ひとりの中で考察が続いていく作品なのです。

以上