米・欧・日の三極の資本主義大国が揃って財政危機と金融不安に見舞われ、イギリスでは大学生や失業中の若者たちが暴徒化しているニュースが大きな関心と不安を広げています。きっかけとされているのがアメリカ経済の弱体化で、そのもとになったのが一昨年のリーマン・ショックによるバブル経済の崩壊とその後処理だったと言われています。
1990年代の日本でのバブル経済崩壊の時も、アメリカのリーマン・ショックも不動産投資に持ち込まれた無理な仕組みが破綻したために巨大企業の倒産をはじめとした混乱が起こりました。ヨーロッパの経済危機はギリシャから表面化し始めた国債の乱発による無理がたたったものと言われますが、それが、経済格差のあるEU内での産業誘致や労働市場のコントロールの失敗が原因とされています。
いずれにしても、資本主義経済の頂点に立つ国々での経済政策の失敗であり、それが様々な混乱という事態となって表に現れたわけです。米・欧・日のいずれもが、国債という国の借金を増やし続けてきたことでクビが回らなくなって財政政策が息詰まるという結果につながっています。
しかし、その一方で、経済ニュースなどでは「チラっ」としか触れられることがないのが、これら大国の大企業や金融機関の「カネ余り現象」です。使い道に困ると言われるほど内部留保のカネをため込み、機関投資家として、そのカネを使って国債や株式などの金融商品の売買を行なうマネーゲーム=財テクに興じてきました。
国債は、倒産という事態はあり得ないはずですから、投資すれば必ず回収でき、収益を上げられると見込まれていたのですが、ギリシャからスペイン、イタリアなどへと波紋を広げたように支払い不能の債権=紙切れになってしまうかもしれなくなり、遂には、日本の国債もアメリカの国債も、投資の安全性が疑われることになって、格付けが引き下げられてしまいました。このために、投機マネーが右往左往することとなり、株や通貨の乱高下が始まっているわけです。
各国政府は、経済安定のためという名目で国債という借金を増やし続け、そのカネを使って再建、体力回復させてもらった大企業や金融機関はカネ余りと言われるほど潤沢なカネをため込むような利益をあげ、そのカネを使ってマネーゲームをしてきたけれど、その投機マネーが行き場を失ってしまった。 これが、いまの資本主義大国の三極の現実です。通貨や株式の価格変動の大きさは、それだけ、マネーゲームの規模の大きさを表わしています。動くカネが大きいからこそ円高の変動ぶりも大きいわけです。日銀などが円安誘導のための相場介入を行なっても効果が出ないほどの大金が動いているわけです。
簡単に言えば、アメリカでもヨーロッパでも、そして、日本でも、金融機関を中心とした大企業の経営失敗のツケを救済するために国債を大増発し、金融機関等が手に入れたそうしたカネは経営再建や業績回復の原資に回してきたのに、その恩恵は国家財政に回収されることはほとんどなく、経営基盤強化のためと称して内部留保となり、それぞれの企業が自由に使えることになり、その余ったカネがマネーゲームを演じてきたのです。
この国債償還のための原資はどうやって集めるかと言えば、税金であることは言うまでもありません。
資本主義経済の国々ですから、資本の競争は大企業ほど有利な恩恵が得られる仕組みになっています。その規模の大きさのために社会的影響が大きいから、という理由です。
その資本主義経済は、実体経済を伴わない金融商品が主役を演じる時代、つまり、産業資本主義の時代から金融資本主義の時代に突入した頃から資本主義の成熟化と腐敗化が始まったと指摘されてきました。この経済構造の変質を最初に指摘したのがロシア革命のリーダーだったレーニンの『帝国主義論』でした。特に腐敗化の典型的な現象とされる一つが国家独占資本主義であり、巨大化した独占資本が、その利益のために国家権力をも自らの道具のように使う仕組みなのだと指摘したわけです。そういう国家独占資本主義が軍事力まで行使することになった事態を帝国主義と呼びました。もう、かれこれ100年にもなる昔の著作です。
マルクスの『資本論』とレーニンの『帝国主義論』とは、資本主義経済の仕組みを看破した名著として双璧をなしているし、現代の経済学者でも、この二つの著作を論破できた者はいないと言われているほどの研究の深さと現代でも参考になる生命力を保ち続けていると思います。(世界で売れた『資本論』は『聖書』よりも販売実績が多いとも言われたほどでした。ソ連・東欧の崩壊以後はどうだか知りませんが。)
ちなみに、マルクスもレーニンも、共に指摘していたのが「資本のひとり歩き」です。つまり、資本というカネが人間を支配するようになり、人間としての善悪の判断力など踏みつぶしてでも資本の増殖のために人間を駆り立てるようになる、と見抜いていました。これは、経済の問題であるとともに哲学の問題としても「人間疎外論」として、多くのテーマを提起してきました。哲学のテーマ、ということは、当然、教育学、心理学のテーマともなり、人文科学、社会科学全般に問題を提起することとなりました。たとえば、「競争」は人間にとっての宿命なのか、など。
さて、少々、わき道にそれた感がありますが、
今の財政危機・金融危機は、資本主義経済の社会にとっては、ある意味、当然の帰結のように思っています。
ソ連型の「社会主義」「なるもの」が崩壊した頃、資本主義諸国の経済専門家の多くも「だからと言って資本主義が勝利したわけでもない」と言っていました。その予感が、20年近くたった今、現実の問題として行き当たったのだと言えます。
そこで触れておきたいのは、日本でもそうですが、多くの国々では、共通して、経済危機のたびに国債への依存を高め、野放図なほど借金を膨らませてきたことです。その借金の返済は、国民の税金によって賄われることとなり、どの国でも消費税を膨らませ、社会保障費用や教育費用を様々な理由によって抑え込んできました。
医療や高齢者福祉など、社会保障のための費用は、突発的に発生するものではありません。人口やその年齢構成、健康状態などから、時間をかけてじっくりと、その推移は把握でき予見も出来るものです。つまり、国家財政としては、何もあわてて対策を打たなければならない費用ではありません。教育費用にしても同じことです。
日本の年金システムの担当組織の腐敗ぶりは予想外だったとしても、健康保険、年金制度ともに、実は、コツコツと真面目に払ってさえいれば、国民にとって問題はなかった仕組みのはずでした。それを「見直し」「改革」せざるを得なくなったのは、国の財政の借金が増えたからにほかなりません。初診料無料だったはずなのに3割負担が当たり前のような情けない健保になってしまったのも、まるで社会の高齢化が原因であるかのように言われるようになりましたが、実は、国の借金の肩代わりのために払わされることになったことに他なりません。(ついでに言えば、年金も健保も、労使の負担割合はずっと抑え込まれたまま、高い個人負担を強いられてきたのでした。)
後先を考えず、なりふり構わずカネをかき集めなければならない事態というのは、経済の変動の上での突発事態以外にはありません。金融商品がリスクの大きなものになればなるほど、また、そういう商品が流通すればするほど、慌てる事態に直面することもまた、増えるのは当然でしょう。つまり、金融商品が複雑化すればするほど、事件・事故も増え、突発的にカネ集めが必要になる危険が増すわけです。
「高齢化」だの「甘えの構造」だのと、国民が悪いような言い方をして国民の租税負担を増やすなど、政府も財界も厚かましい限りだと思います。
だからこそ、民主党は、子育て、教育、医療にかかる国民負担を軽減することを公約に掲げたのであり、それで支持を集めたはずでした。でも、彼らは案の定、「耳触りのいいことを言って国民をごまかした理念なき野合集団」だったことをさらけ出しました。
だからこそ、ギリシャの公務員や労働者たちは「財政危機をオレたのちせいにするな」と抗議に立ちあがりました。
だからこそ、大学生の学費負担がこれまでの何倍にもなることに許せない学生たちの運動が巻き起こっていたし、今回の事件は失業青年たちが学生運動にも触発されつつも結局は暴徒化する事件となりました。
(イギリスの青年たちが暴徒化したことは、当然だと思っています。ヨーロッパの中でも、最も保守的な国で、アメリカと同じように、まともな労働者政党がない国だからです。フランスやイタリア、スペインなどは、かつて、ユーロ・コミュニズムと呼ばれた共産党がナチスドイツのと戦いで最も英雄的だったと尊敬され、大きな支持を集めていましたが、ソ連の崩壊とともに、実はソ連からカネをもらっていたことがバレて、一挙に支持を失い自滅しました。それでも、共産主義者の運動は様々な形で再建過程にあり、労働者政党が一定の力を得ています。乱暴な事態には至らずに政治勢力としての結束のもとで権力との話し合いができるわけです。この点では、日本の共産党は、分派に走ったり除名されたりした一部の人間を除いて、組織的にはソ連のスパイではなかったし、むしろ、ソ連や中国の共産党とは一歩も引かない論争を繰り返し、彼らの手下になることはありませんでした。「自主独立路線」によって、資本主義大国では唯一、共産党として存続し続け、国会議席や市長・町長などいくつかの地方自治体の首長に当選するなど政治力を維持しているわけです。) ところで、イギリスの暴動について、日本のメディアもそうですが、ことさらに、犯罪者集団が糸を引いているかのような報道ぶりが見られます。こういう報道姿勢こそが、謀略なのだということを指摘しておきたいと思います。
暴動が起きるような事態の中では、もちろん、火事場泥棒のような犯罪者集団が便乗することは、避けられないでしょう。しかしだからといって、そういう連中が黒幕であることはあり得ません。場合によっては、むしろ、政府のスパイ組織、謀略組織が泳がせたり挑発していることもあります。なぜなら、暴動という事態を、政府に対するまっとうな抗議であるよりも、犯罪者による無法行為であると印象づける効果があるからです。「ああ、あんなワルな連中のやってることか」と国民が納得すれば、弾圧するのも正当化でき、政府の支持が得られるわけです。
権力に対する抗議というのは、いつの時代もどこの国でも、最初はそのように演出されてきたのでした。そういう演出が効果を失ったとき、エジプトなどのような事態に発展したのです。
また、労働者政党が存在しない国では、社会への不満、政府に対する抗議は、暴動化しやすいのも歴史の教訓でしょう。これは、今のイギリスだけではなく、実は、革命政党の名を汚している「中国共産党」の国でも起こっていることです。日本には、まっとうな労働者政党が存在すること、これは、わが日本人民にとって、幸いなことだと言えると確信しています。
さて、健保が弱体化して医療費が値上げされ、年金の存続が怪しくなり、教育費も育児費用も自己負担が増やされる事態となって、その上さらに消費税などの増税を強いられることも、「やむを得ない」と受け入れることができるでしょうか。コツコツと地道に運営されてきた国民の財産が食い物にされて、大衆課税が強化されて、それもこれも雪だるまのように膨らんできた国債を支える国家財政への「貢献」のためです。それに、国債は赤字国債ですから、将来の人々が様々な名目の税負担や社会保障の節約によって払わされる借金です。
わずか10年の間に100兆円もの内部留保の増額を行ない、現在では250兆円という規模にまで膨らませるほどになった大企業が「繁栄」しているというのに。それも、日本の法人企業100万社のうちわずか1千社、つまり、日本の法人の0.1%もあるかどうかという少数の大企業だけが享受している恩恵のために。また、100万社のうち70%は大企業のような恩恵になど与る(あずかる)ことも出来ず、赤字経営に苦しんでいるというのに。
3.11震災の前、民主党は経団連の要求に屈服して法人税率の引き下げまで方針に掲げていました。わたし自身は、あのバカどもがっ、という怒りでいっぱいでした。
民主・自民・公明をはじめとした今の保守政党がいう「財政と社会保障の根本的改革」は、大企業優遇の諸制度を改革しない限り、「できる方策は限られている」(財務大臣をしている民主党の野田の口癖)わけですから、勤労者のみならず赤ん坊から高齢者に至るまで、国民大衆の負担の強化以外にはないことになります。
そうである限り、さまざまな紆余曲折はあっても、保守的政治勢力に対するブーイングは、否応なしに膨らんでいくこととなります。ギリシャ、イギリスのような事態になるかどうかは知りませんが、中東や北アフリカで見られた連鎖のように、資本主義大国の間でも、国民的抗議の声はさまざまな表現方法で膨らんでいくことでしょう。
ただし、米・欧・日は、資本主義体制の最強の牙城なのですから、これを乗り越える闘いは最も困難で、また、人間社会の最も大きな転換を伴う遠大なものとなることも予想しなければならないと思います。
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