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kyottides的 喜怒哀楽

一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

 マジェンタさんへ。
 わたしの学生時代は、教育学部にも友人がたくさんいましたが、セツルメントのような地域活動とか教育研究会などのサークルの学生たちが軒並み狙い撃ちされて教員採用試験を落とされていた頃でした。
 わたしの妻だった人は理学部で学生時代は唯物論研究会の会長などしたものですから、もちろん、そんな経歴は伏せていましたが、教員採用試験は現役の時も東大農学部の助手として過ごした翌年も、東京も千葉も落とされ、私立の女子高校の教員になりました。(夫婦で過ごした15年ほどは、私学の教員と業界新聞記者の二人で、休日出勤も含めて、どちらも勤務時間どおりの生活などあり得ない毎日でした。それはそれで、お互いに自分の仕事や活動に夢中になっている同志的な絆のようなものを感じていたのではありますけどね。)
 基本的に左翼系の学生は干されることになっていました。(社会党系列の社青同とか過激派系の学生は、公務員試験も教員採用試験も受かっていました。つまり、そうした彼らは体制にとって大した影響はないと見込まれていたからです。)
 それだけが原因だとは思っていませんが、気骨のある学生たちが教員になれない時代が長く続いたおかげで教育現場はもの言えぬ環境になってしまったように思っています。(日教組など、あの民主党・輿石の例を見ても分かるように、すっかり体制内派保守政治家になってしまったほど、御用組合化の一途をたどってしまったと言えるでしょう。旧・社会党系=現・民主党系の人間が牛耳っている限り、あの連合と同じように、日教組は教育労働者の味方ではありえません。)
 日本のような保守的な体制のもとでは、国家が国家であるためには体制に対して疑問を持たない従順な人間を育成する思想統制が何よりも重要です。自分でものを考え「どうして?」と疑問を持つような子は排除していくための教育体制を作り上げているわけです。
 なので、現場の教員は、従順な人間を育成したい国家の要求と人間の自由な発達を願う教育の理想との狭間で、最も熾烈な思想闘争を強いられながら闘うすべをもぎ取られた状態にあると思うのです。
 しかし、国家がいかに国家主義のような閉鎖的な態度を教育の場に押し付けようと、帰国子女の膨大な増加とかスポーツ、芸術、その他さまざまな文化の交流の増加などによって、また、企業間の競争などによって、日本的な教育そのものが根底から問われる事態は確実に広がっています。

 人のブログの中には、あの第二次世界大戦について、祖国を守るために戦った英霊に思いをはせるべきだと言う人もいるほどに、国家主義は息を吹き返しています。わたしに言わせれば、とんでもないことです。あの戦争で兵士として駆り出された人々は、「天皇の赤子」として人を人とも思わない国家権力によって殺された人々だと思っているからです。兵士も民間人も、なぜ、あれほどの犠牲者(=日本人だけで310万人、アジア全体では1000万人超の死者)を出さなければならなかったのか、大本営や関東軍などの卑怯卑劣な態度を思い起こしながら、よく考えてみたらいいと思っています。
 しかし、そんな彼らにも、愛国心なるものが、どんな結果をもたらすか、あの中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国という素晴らしい国名に対するその実態を見ればよく分かるだろうと言っておきたい。日本国もまた、大日本帝国を美化するような国家主義に染まり愛国心なるものを煽る限り、あんな「もの言えぬ」実態に陥るのは目に見えています。
 その最も象徴的な現場が、日本の教育現場であり、露骨な思想統制がまかり通っている現場だと思っています。「日の丸」「君が代」への屈服をはじめ、教育現場の非民主的運営の蔓延など、善意の教員が苦しむ仕組みが出来上がっている組織だと思っています。

 教員を志す学生たちの間では、1950年代には無着成恭の『山びこ学級』、70年代の頃は須長茂夫の『どぶ川学級』シリーズが、そして、90年代には水谷修の『夜回り先生』が人気を集めたと思います。それぞれの時代に、子どもの立場に立ちきる先生たちが登場し、多くの教員もそういう理想に燃えて教職に就いたと思います。そうした志に勇気づけられて闘う教員たちの輪が、また、再び、広がり勢いづくのも、実は、そう遠くないことのようにも思っています。思想統制の締め付けがきつくなればなるほど反発もまた強まることは、ありうるのですから。

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Long Tall Sally (のっぽのサリー)

 先日、暑い時には暑苦しい曲ではち切れよう、と、ロックンロールの元祖をとりあげました。 ⇒ http://ameblo.jp/florule/entry-10986246360.html
 チャック・ベリーのノリの良さとかスピード感は今聴いても十分エキサイトできて楽しいのですが、今日は、リトル・リチャードを選んでみました。
 リトル・リチャードの曲は、少々古臭く感じるかもしれませんが、それでも、彼の影響力は絶大だったと思います。(後からカバーした人たちが多かったから彼のオリジナルの曲はどんどん古くなっていったのだとも思うわけです。)ビートルズ、中でもジョン・レノンが彼の大ファンだったこともあって、無名だった頃にライブの前座を務めたこともあるほどでした。
 大スターとなったエルビス・プレスリーも二グロのような歌い方ができる=二グロのようにパワーのある歌い方ができるということで人気を博しました。その彼にとっても、やっぱり、リトル・リチャードが原点の一つだったように思います。
 きょうは、それで、この三者でリトル・リチャードの作品「のっぽのサリー」の聴き比べにしてみました。

1956 "Little Richard"


Elvis Presley


The Beatles


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 台風接近のニュースが続く中、今回の12号は速度が遅い分、大きなエネルギーをため込んでいるような怖さを感じます。原発事故で表面化した危機管理体制の問題ではないけれど、対策・予防策は最悪の事態を想定した「えっ、そこまで心配するの?」と言われてでも万全を期す必要がありそうです。(実際には万全を期したつもりでも人知を超えた不測の事態が起こるのが常なのですから。)

 台風とともに夏も終わり、秋がいきなりやってくるのかな。
 その秋の訪れに気付くのが彼岸花がいきなり咲くことです。
 うちの会社の前の通りは1kmくらい真っすぐに通っていて、その両側には田んぼが並んでいます。9月は、その稲穂が日ごとにこうべを垂れ、黄金色に色づいていきます。そろそろ稲刈りが始まるのかなと思う頃、彼岸花が道路沿い、あぜ道沿いに一斉に咲きます。そういうわけで、会社の前のこの長い直線道路は、いつの間にか、彼岸花通りという名前が付きました。
 この彼岸花(別名・曼珠沙華)が、実は、あまり好きではありません。
 いきなりひょろ長い茎が伸びてその先に不釣り合いに大きな赤い花が咲く姿がどうも好きになれないのです。長い茎の先に大輪の花と言えば、菊とかアマリリス、ひまわりなどがありますが、たくさんの葉もまとっています。ところが彼岸花だけはそういう葉っぱがなく、地面からいきなり細い茎が伸びでいる姿にアンバランスな違和感を感じるわけです。
 それに、名前も気に入らない。仏壇臭くてあまり縁起の良さを感じないのです。仏教に帰依している人とか宗教的な人ならば、仏様に縁がありそうな親近感を抱くのかもしれませんが、あの世のことには無関心なわたしにしてみれば陰気臭く感じてしまうのです。
 1週間くらいは道路の両側が線香を立て並べたような光景に染まる季節が、あと半月もすればやってきます。周りじゅうから「な~む~」と言われながら出勤する気分・・・。


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 今日は、レトロもレトロ、戦前と戦後の風景を並べてみました。昭和と平成とを合わせて85年、ほぼ一世紀になります。
 敗戦の荒廃から立ち上がる時に元気づけた歌の一つが「リンゴの唄」だったそうです。子どもだったころ、トラックいっぱいに野菜を乗せた移動八百屋が巡回して来ていました。その八百屋さんが合図に使っていたのがこの曲でした。

蒲田行進曲 川崎豊・曾我直子


佐藤千夜子 東京行進曲 昭和4年の東京銀座 浅草


東京ラプソディ 藤山一郎


星の流れに-昭和20年代の東京 歌はちあきなおみ


リンゴの唄ー並木路子.mpg

 時は流れ、どこもかしこも変わっていくんだなあと思います。かく言うわたしも、本日が誕生日。・・・変わり果てました (*^_^*) 。

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 いろんな人のブログを拝見していて、民主党の新代表について触れている人もいたのだけれど、期待感を持っている人は皆無と言っていいくらいの印象です。
 党内融和の呼びかけについては、「子どものお願い?」とか「いまさら何言ってるの?」など冷ややかな反応でした。

 野田は党内にも野党にも敵がいない、という場合、その野党とは自民・公明のことに他ならず、その他の政党は考慮の外のことですから、保守政界の内輪だけで仲良くできることになりそうです。

 さて、この野田佳彦という人物ですが、想像以上のタカ派の保守政治家のようです。
 「日米同盟は基軸中の基軸。」
 「B、C級戦犯の名誉は回復されているのだから、A級戦犯は(極東軍事裁判の被害者であり)戦犯ではない。彼らを戦犯と認めたままで靖国神社に参拝する小泉首相(当時)は論理的に破綻している。参拝するなら、彼らが戦犯ではないという立場に立つべきだ。」
 「宇宙空間の軍事利用について(歴代政府方針は「やるべきではない」立場だったが)研究を深めるべきだ。」
 「(地方自治の範囲であろうと)外国人参政権など認められない。帰化の手続きを簡略化して日本国籍を取得させるべきだ。」
 こういう見解は、自民党でいえば石破茂のようなタイプでしょうか。
 自衛隊員の息子で松下政経塾の出身で、渡り歩いてきた政党は自民党崩れの政党ばかりという人物ですから、紛れもなく正真正銘の保守政治家でしょう。

 この民主党新代表・野田の持論は、復興震災についても「税と社会保障の一体改革」についても、どちらの場合にも増税、しかも大衆課税によって財源を確保する立場です。
 財務省(旧・大蔵省)関連の仕事が多く、現在の財務大臣でもあることから経済通だと思っている人も多いと思いますが、経済に通じている人間が担うのはむしろ経済産業省(旧・通商産業省=通産省)です。財務とか大蔵というのはあくまでも国家財政のかじ取り役であって、産業や経済の構想(ビジョン)を描くとか政策誘導するとか、具体的な事業については全くシロウト同然です。
 財務(大蔵)が直接管轄するのは、銀行をはじめとした金融業界だけで、カネの流れのコントロールだけで経済の活性化を図ったり税収を増やそうとするのですが、現実の産業構造や国民生活の変化に対しては、後追いで対応するしかできない仕組みの中にいます。しかも、天井知らずの赤字国債に頼った張本人が大蔵省であり、それ以来40年余りにわたって現在の財政危機につながっているのですから、国民生活にとっては最も罪深い役所です。
 なので、彼が得意にしてきたとされる分野というのは、もっとも石頭で動きの鈍いセクションであり、責任を未来の国民に押し付ける最悪の経歴を持つセクションだということになります。こういう部門に染まってきたのですから、彼は「できることは限られている」と安易に増税路線に頼るしかないわけです。

 民主党については「理念なき野合政党」と指摘してきましたが、今回の代表選でも、党としての理念とか政策などはどうでもいい力関係・人間関係だけで代表を決めるような、ご都合主義の日和見政党であることが露見しました。

 超保守的だし、財務(大蔵)の世界しか知らないし、これはヤパイ。それが私の印象です。
 ヤパイのは、国民生活にとっての話なのですが、たぶん、民主党にとっても最悪の選択をしたことになるでしょう。自民、公明と仲良くしようとするあまり、国民生活の踏んだり蹴ったり状態が悪化することは間違いないのですから。


国  債
 国債には建設国債と赤字国債があります。
 建設国債は、道路や港湾、ダムなど私企業では賄いきれない規模の事業を遂行するために発行される借金ですが、これは、いずれ、道路使用料や港湾使用料などの営業収入、電力供給の収益などによって返してもらえる借金です。国内のさまざまなインフラを整備するなどの際、財源が不足していてもカネ集めができ、いずれは元が取れる借金でもあるため、活用することに積極的な意味がある借金です。一言で言えば、返すあてがある借金です。
 これに対して赤字国債というのは、別名、戦時国債とも言われ、戦争のような非常事態の時に、返すあてもないのに(つまり担保するものが何もないのに)発行する借金です。国家財政を担う財務(大蔵)部門にとっては、絶対にやってはいけない犯罪と同然の禁じ手でもありました。
 他国の侵略を受けて突然に戦争が始まって、予算に確保していなかった規模の戦費が必要になった緊急事態であれば、やむをえず、国債を発行するしかない。そういう性格の借金なのです。建設国債のように、営業収入から返してもらえるカネではありませんから、この借金は、税金の一部を返済に充てるしかなく、まるまる赤字となるわけですから、赤字国債と呼ばれるわけです。その返済は、生まれた時から借金を抱える国民に委ねられるわけです。今の日本では、赤ちゃんたちは、この世に生を受けると同時に初めから700万円の借金を背負って生まれてくるわけです。
 無担保で手っ取り早くおカネが借りられる一方で、のちのち返済には困り果てる、と言えば、サラ金(サラリーマン金融)です。それが赤字国債なのですから、サラ金財政と言われるゆえんです。

 この禁じ手と言われた赤字国債の発行が始まったのは、ベトナム戦争で疲弊したアメリカによる1973年のニクソン・ショックがきっかけでした。戦争で戦費がかさみ過ぎて財政危機に陥ったアメリカ帝国主義が、まず、金・ドル交換停止(「ドルは金と同じ価値がある兌換券という国際通貨の基軸の役割を放棄する」というアメリカ大統領ニクソンの演説)に陥ったのから始まって、1ドル=360円に固定されていた日本の通貨が変動相場制に移行され、どこの国の通貨も金の値打とは関係のない金融商品になってしまって以降、無茶苦茶なインフレが世界中で起こりました。鉄道運賃も一駅40円だったのが、半年もしないうちに100円、120円へと上がったほどでした。
 そんな情勢のもとで始まったのが、「これは非常事態だから」という赤字国債の発行でした。公務員の人件費からさまざまな行政上の補助金、援助金の類いの支出を賄うため、という口実でした。

 アメリカと戦い抜いたベトナムが戦費の異様な拡大を招いたアメリカの国家財政を破綻させ、そのアメリカが基軸通貨の立場を放棄したことで世界経済の激しい変動を生み、資本主義大国が軒並み犯罪的な借金である赤字国債に手を出し、巡り巡って、ついに、資本主義大国のどこも他国を補い合えないほど自国の財政危機に直面する事態に足並みをそろえてしまう窮地にまで陥った、というのが、この40年の歴史だと思います。
(同じ繰り返しですが、アメリカがやった戦争のせいでアメリカの国家財政が破たんし、そのせいで通貨混乱が起こり、そのせいで赤字国債が流行し、そのせいで財政危機が資本主義大国共通の病気となり、そのせいで国民生活の我慢が強いられ、国によって暴動にまで陥ってしまっている、これがこの40年の歴史です。)

 その一方で経済界はどうだったかと言えば、通貨が金融商品となった為替変動社会のもとで、マネーゲームが興隆することとなり、ヘッジ・ファンドをはじめとして、リスクの高い金融商品が流行することとなり、モンスターも生むほどのバブル経済となった後に、「あ、やっぱり、あぶく銭(バブル経済)の一夜の夢でした」と、一部の人間だけが暴利をむさぼった後に無数の敗北者を生んで終わるような事件が相次いだ、それが、80年代から90年代にかけての歴史でした。
(同じ繰り返しですが、産業資本の動向などとは無関係に金融資本が暴れ回った挙句に資本主義腐敗の落とし子としての不良どもまで生んだのが各国を駆け巡ったバブル経済でした。)


 こういう歴史をたどった赤字国債とバブル経済のツケを誰が払うというのでしょうか。
 「できることは限られている」のだから、文句も言えない、逃げ場も持たない、従順な「愛国者ども」に背負わせればいい。それが、資本主義大国で行なわれようとしている大衆課税の増税路線です。
 野田クンもまた、そういう保守政界の正真正銘の本流の一人だと言えます。

 従順ではない愛国者ども(=非国民ども)は、いずれ、不満を爆発させることでしょう。
 あのフランス革命をはじめ世界の革命の歴史は、多くの場合が、重税への抗議が口火になって燃え広がったことが思い起こされます。
 「ノーサイドにしましょう、・・・もう」という党内の恥をさらす白々しいセリフに思わず笑ってしまいましたが、内紛を収めるとともに保守党間の仲良しをめざすうちに、実は、予想もしなかったとんでもないところから火の手が上がる、そういう日が近づいたように思います。
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 仙台市と言えば、今回の大震災の被災地でもあり、また、政令指定都市という大都市でもある。その仙台市できのう、市議会選挙が行われたのだけれど、ニュースの扱いは不当なほど小さいように思う。
 第1党の自民は12議席、次いで公明の8議席だったのに続いて、共産、民主が7議席ずつ、社民党が議席を減らして5、みんなの党が4という結果になった。
 共産は1議席増で7なのに対し、民主は12人立てたうち現職の5人が落選しての7だった。また、みんなの党の4議席についてはブル新(=ブルジョア新聞)が「躍進」と報じている一方、実際には同党に鞍替えしていた現職の2人が落選し、議席を増やしたわけではない。(ブル新が言っているのは、みんなの党としては初の市議選で4人当選だから「躍進」らしいが、選挙前の市議会会派で既に、みんなの党は、自民などの他党からの鞍替え議員の議席をもっていたのだから、本当は、その時の議席と比較すべきなのに、初選挙で初議席であるかのようにウソをついているわけ。)
 ま、これが、民主社会を標榜するニッポンの世論操作の一つなのだと思う。実際に議席を伸ばしたのは公明、共産であり、自民もみんなの党も元は同じ自民党という意味では議席を伸ばしていないし、民主は議席を減らしている。その事実を分かりやすく報道するメディアはなかったし、全国メディアなどは、ほとんど無視だった。
 さて、国会議員選挙の小選挙区制という制度がいかに国民世論とはかけ離れた結果をもたらす選挙であったか、この仙台市議選の結果とも引き比べて考えてみるのもいいのではないだろうか。その小選挙区選挙のせいで、あの民主党は党内選挙だけで総理大臣のクビをすげ替える権利を手にしてしまったのだから。
 そして、日本のメディアは、アメリカのような二大政党制をめざす超保守的なスタンスにとって都合の悪いこういう選挙結果はできるだけ無視することにした、ということも、覚えておこう。

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 とくに何故という理由はないのですが、今日はウィーン・フィル ニューイヤーコンサートの定番、喜歌劇「こうもり」序曲を、2010年のジョルジュ・プレートルと2002年の小沢征爾の二人の名指揮者で聴き比べてみました。同じ楽団で同じ曲の演奏なのですが、指揮者によって印象がずいぶん違うと思います。
 昔、ウィーン・フィルのカール・ベームとベルリン・フィルのヘルベルト・フォン・カラヤンの二人がやはり、同じ曲でも雰囲気がずいぶん違うことで際立っていました。カール・ベームはまろやかでカラヤンはシャープな切れ味という印象でした。
 フランス人、プレートルの指揮は、フェルマータ気味に音を延ばすというか“ため”を作りながらゆったりした雰囲気とさまざまな楽器のハーモニーを大事にしている印象があります。
 これに対して、小沢征爾の指揮は、比較すればカラヤン的と言えるでしょうか。メリハリをはっきりさせる、という印象で、とくに管楽器などでバーンとインパクトを出すのが好きなようです。
 ベームとかプレートルの指揮は、聞きようによっては甘ったるく感じて退屈に思うかもしれませんが、むしろ、オーケストラ全体で聴く人を包み込むような優雅な雰囲気を引き出している感じで、個人的にはこういう演奏の方が好きだなあと思うことが多いです。

ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート  喜歌劇「こうもり」序曲
ジョルジュ・プレートル指揮


小沢征爾
★ 木曜日、プリンターが突然、故障。電源が入らなくってしまったので、修理に出そうかとメーカーのサイトを見てみたら、1万円で買った商品なのに、保証期間を過ぎているから、修理代の基本料金が7350円で発送費用は自分持ち。買い換えた方がいいかと思案中。
★ 木曜日、調べものをしようと片道40分かけて県立図書館に行ったら「月の最後の木曜日は休館です」。調べてから出かければよかったと後悔。
 不運が連鎖する「マーフィーの法則」にハマったか。思わず、クルマの運転もいつもより慎重になった。

★ 金曜日、深夜のスーパーでサバの切り身が半額セールになっていたので買ってみた。ネットのレシピで、朝食にサバの味噌煮に初挑戦。思いのほか簡単にできて、相棒にも「食べてみる?」とお裾分けしたら「おいしかった」と好評だったので、満足。
★ 本日、ワンサイズ下のウエスト・サイズのズボンがはけた。ここ数ヵ月の自炊効果、かな。食事の量を減らして、「食物繊維から先に食べる」「ゆっくり、よく噛んで食べる(一口30回噛む食事)」を実行しただけ。これなら、まだ、続けられそう。
★ 本日、楽天の田中がソフトバンク相手に18奪三振の完封で完投勝利。大物投手に育ってきたなぁと、満足。

★ 民主党の話は、もう、飽き飽きだけど、「代表選」の5人の候補に物足りなさしか感じない。彼らに“すご味”とか“存在感”がにじみ出てこないのは、なぜなのか。しょせん、その程度の諸君なんだろうなぁ、やっぱり。
★ 民主党の話は、もう、飽き飽きだけど、ソーリ大臣が福島県知事に叱られて小さくなっていた。原発で汚染された土壌などの中間処理は福島県内でお願いしたい、との政府方針に「突然の話じゃありませんか」と知事がその場で不快感を表明して、内閣の面々は俯く(うつむく)だけだった。あのソーリは、とうとう、最後の最後まで唐突ぶりを「やりきった」。

★ 紳助の件。893とのお付き合いなら、表舞台への復帰は難しいだろうと思う。事件に名前が出てくる機会が増えるかも。警察がスパイに誘いこんだり、極道が暗闇世界に引きずり込んだりするのは、いつも「弱い相手から落とす」のが常套手段。(警察は、よく、労組・民主団体・政党にスパイを送り込む。最近は宗教団体の一部も対象のようだ。その際に狙うのは、外からスパイを潜り込ませるよりも、内部の”弱い環”から落とす。ゴクドーもまた、迂闊な相手・臆病な相手など、ゆるい相手から落としていく。)
★ 事件・事故が相変わらず多い。
 JALの機長やら教師などの公務員やらのわいせつ事件はストレスの反映だとも思うけれど、反面、臆病なイエスマンしか残さないような組織になってしまった反映だろうとも思っている。
 子どもの虐待・殺害事件が相変わらず多い。幼い命が味わう苦痛と絶望的な恐怖に対して想像力が働かないのか。
 去年までは山での事故が多かったように思うけれど、今年は海、川の水辺の事故が多いのは、何故なのだろう。

 さて、来週後半からは、9月。景気が突然変わる時というのは、新年とか新学期とか、大きな節目がきっかけになることがよくあるけれど、今年の9月はどうだろうか。

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 島田紳助が芸能界から引退、というニュースには、残念だと感じている人と不快感を感じている人と半々くらい、でしょうか。
 わたし自身は、彼は、潔いように見えながら、いずれ、前言を翻して芸能界に戻ってくるだろう、くらいに思っています。何年かのちに、ね。
 確か30代の頃だったか、ラジオの深夜放送のパーソナリティをしていた頃、みんなで東大を受験しよう、というような話を盛り上げたことがありました。誰だって頑張れば東大くらい受かるんだ、と若い子たちを励ましたり自分自身を鼓舞する気持ちもあったのでしょう。
 で、共通一次だったか大学入試センター試験だったか覚えていませんが、試験当日のこと、マスコミが押しかける中、試験会場に現れたのは紳助の相方の竜助だけで、待ちぼうけを食わされても相方が来ないものだから、半ば不貞腐れ気味にうなだれて会場に入っていく竜助の姿が印象的でした。
 この「敵前逃亡」事件以来、いざとなったら逃げるヤツだろう、くらいに思っていましたので、今回のニュースもあまり真剣味を感じないわけです。そのうちまた、というように思っています。例えば「あの人は今」的な番組からジワジワとテレビ復帰とか、何かの店を開いて取材を受けるうちにマスコミに復帰とか、要領よく、ね。
 彼に商品価値を見出す人がいる限りは、いずれまた、でしょう、たぶん。

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 ここのところ、急に肌寒くなってきて、そろそろ秋かなぁ、ということで、選んでみました。オーケストラの演奏が好きなので、こういう曲ばかりになってしまいましたけれど。
 ボリショイ交響楽団でブラームスの演奏を指揮している西本智実さんについては、こちら。 ⇒ 西本智実オフィシャルサイト

Kofu-Enzan, 『魔弾の射手』序曲


「新世界から」第2楽章


Tomomi Nishimoto
Brahms : Hungarian Dance No. 1


Brahms : Hungarian Dance No. 5


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