昨年の12月の末に、子宮体がんで腹腔鏡手術をしたmgrですが、大凡6週間が経過しました。

仕事は、100%を基準にするなら60%まで落として復帰しています。

手術後1ヶ月は、体力が落ちたことを実感することが多く、少し腹圧を入れるだけで「いたぁ・・・」

となることが多かったですが、それも落ち着いてきました。

出血もほぼなくなって、風邪だけはひかないように気をつけている毎日です。

 

傷口の痛みはそれほどでもなくて、切って縫った中身が痛かったのですが、それも軽減しました。

私は大きな子宮筋腫をお臍の所から取り出していて、お臍には縦に5センチくらいの疵が残っています。残りの3カ所は「ん?どこだっけ?」くらいになっています。

この縦の疵は残るんだろうなぁ・・・ん?別にビキニになるわけでもなし、無問題じゃない(笑)

 

全身麻酔下での手術をすると、免疫力が落ち、もとに戻るまで2~3月かかるので、気をつけてね、と病院から言われています。次回の病院は手術後3ヶ月の来月。これからずっと検査は受けなければなりません。目安は5年ということです。

 

このブログを再開したのも、自分のことや親の事を記録に残しておかないと忘れてしまうから、という備忘録に近いのですが、50代になって初めての大病をして、ああ、人生の折り返しはとうに過ぎているなぁ、と実感したからもあります。

今まで仕事に全力を注いできて、ここまで仕事をセーブしたことがなかったので、気付いたことは、ドメスティックワークが捗る(笑)

今まで見たことのないお料理の動画を見ちゃったりなんかして、「ああ、あれ作ろう」みたいな余裕が出来ました。

特にここ5~6年は、親のことがあり、精神的にも余裕がないことが多かったのだなぁと実感しています。

 

○手術後で書き忘れたこと

痰が絡みます(術前に言われていた)

そして、普通なら腹筋を使って咳払いをするのですが、これが痛い。すこーしずつ痰を上げる練習を術前からしていたことを思い出しました。

 

服装は、ジーンズはホック部分が傷口に当たってしまうので、ベルトを通して絞るなんて、もってのほか。1ヶ月くらいは、楽ちんなパンツがよろしいかと思います。

ワンピースが一番良いかも。

私はスカートをはかないので、この際デビューしようかとも思いましたが、結局パンツで過ごしました(;´Д`)

 

今年の目標は、体重を落とすこと。

マメにウォーキングをするようにして、体重計を新調しました。

血圧が若干高めなのですが(手術前は問題ない血圧だった、なぜだろう?)今、家で血圧は毎日測っているのですが、正常範囲内。ちょうど来週、パニック障害のお薬を処方してもらう&血圧管理でかかりつけの内科に行くので、確認してみようと思います。

結婚して引っ越ししたときからずっと診てもらっている先生ですが、最近お年をめしてきたので、パニック障害のお薬を処方してくれる内科を探そうかちょっと思案中。

最初に診てもらった婦人科は、内科も併設していたし、女性の先生だし、ちょっと相談してみようかしら。

 

とにかく、手術から1ヶ月半過ぎて、今の所重篤な副作用などなどは出ていなくてひと安心しています。

いろんなことを気にしすぎると、かえってストレスがかかりそうなので、適度に気をつけるようにしようと思います。

 

3月に怒濤の勢いで新居に引っ越したmgr家ですが、家賃が上がったとはいえ、とても快適な環境になりました。

キッチンが広い!

料理がしやすい!

何より、お風呂場に暖房冷房つき!

3件内見したうち、3件目にここを持ってきたあたり、不動産屋もさすがに考えてるなぁ、と。予算を低めに設定していたのだが、ここまでなら出せる、が差額¥8,000くらいだったからなのかしら?(笑)

実家は、名義変更が当時はまだ○年以内と義務づけられていなかったので、父の1回忌が終わったあたりでゆっくり考えようね、といった具合でした。

 

3月の中旬、父の49日を実家で行いました。

告別式にもきてくださったお寺の副住職にお願いして、その時に白木のお位牌から本位牌に位牌開眼を行って頂きます。あと、我が家はお仏壇がないので(父は次男、母は4番目の子)お仏壇の開眼も行って頂きました。

 

ここらへんは、K社のそちらの関係の部署があり、葬儀を担当してくださったTさんから手を離れ(そういえばとてもお世話になったので、K社の会員になった)Wさんという方に引き継がれました。

お仏壇選びもたくさんあって、うちはマンションなので小さいお仏壇を選びました。仏具も種類がたくさんあって、入院中の母に一任されていたので、父が好きなブルー系の仏具でまとめました。

いやらしい話になりますが、お位牌は5万円ほど、お仏壇や仏具は3~40万円ほどになったでしょうか。しかし、本当にピンキリなので、ご参考までに。

 

49日を迎えた頃には、既に世の中は自粛モード。

そういえば、引っ越ししたときにトイレットペーパーを1ロールしか残していなくて、どこぞの誰が言い出したかは知らねど「トイレットペーパー騒動」で真っ青になりました。コンビニで500円で買いましたが、ぼったくられてもいい!とさえ思ったものです(笑)

 

お通夜、告別式は大勢の方に見送って頂きましたが、自粛モードに入っていたので、母と私とダンナ、OBのSさんご夫妻のみで49日法要を執り行いました。

 

さて、無事に法要を行い、母をリハビリ病院まで送っている最中、ふと、

「あれ?私がリストアップした墓園はここらへんでは?」

と気付きます。

カーナビに入れて貰って、坂道の上に上がった瞬間。なぜか、ああ、ここだ。と思ったんですね。父の勤めていた場所が見える、永代供養があり空きがまだある。パンフレットだけ頂いて

「あそこにしよう」

と、母も私も同意見でした。樹木葬ではないけれど、綺麗な墓園でしたし、永代供養もきちんとプレートがあり、その下に納骨できるようになっていました。

※後日知ったのですが、父の亡くなった先輩と、OBのSさんもその墓園と聞いてびっくりしました。なにかの縁だったのだと思います。

 

4月のはじめ。

リハビリ病院から無事に退院してきた母と、新居での同居生活が始まりました。

思えば、それを快諾してくれたダンナに感謝をせねばなりません。私は車の免許を持っていないので、何度も車を出して貰いましたし(うちは車を持っていないので、レンタカー、もしくはカーシェア)

母と同居を始めてからも、役所や金融機関に行くことが多かったです。この時、都市銀行は全部郵送でOKで、信用金庫は出向かなければならない、ことを体験しました。コロナ渦で既に各金融機関が時短に入っていた頃ですね。

絶望的に気が利かないダンナだけれど、親族が「いいダンナさんだね(お世辞込みだとしても)」と口を揃えて言ってくれたのはあながち外れてはいません。

優しいなぁ、と今でも思います。口に出しては言わんけど(笑)

 

父のことで、2019年からいろんなことを体験してきましたが、

闘病

葬儀

お墓を決める

納骨

までがわりと手続きすることが多いです。

墓所の申し込みは私名義で、父とその横の母の分も手配したのですが、私の戸籍謄本とか必要とは思わなかった。埋葬許可証などはお骨壺の入っている箱に火葬場が入れてくれる(火葬許可証は、葬儀社が全部手配してくれる。ちなみに診断書は10通くらいコピーしてくれた、かなり助かった)

申し込みだけで2回くらいは足を運んだのですが、幸いなことに母の入院している病院から近かった(車で10分ほど)ので、病院へ行く→墓所でいろいろ申し込みをする、が便利だったです。

調べた時には位置関係がまったく分かっていなかったのですが、自宅から実家が車で20分、実家から墓園まで車で10分、という立地でお墓がみつかって良かったです。

 

新盆、1回忌、と執り行うと、ホッとした気持ちになれます。そんなホッとした気持ちになった1回忌の年、2021年、同居していた母の再発が発覚しました。

 

「母のこと」編に続く

 

 

2/2に父を送り、お骨は実家に置いて来ました。やはり長く住んだ場所ですから、本来は自宅でも良かったのですが、手狭な2DK。

母はY総合病院でAリハビリ病院の空き待ちを再度することになりました。私はウルトラ繁忙期を迎えていて、あまり病院に顔を出せなかったですが、母とはメールでやりとりをしていました。むしろ、私の体調を気遣って、「メールが出来るからいいわよ」と言われましたが、洗濯物は待ってくれない(Y総合病院はレンタル下着がない、パジャマはある)

 

父が亡くなる1ヶ月半くらい前に、お墓をどうしようか?の話になっていたのですが、それは2カ所に絞りました。お墓参りのことを考えると実家近くがいいに決まっていますしね。

もちろん、まだ見には行けていなかったのですが、1箇所は父が言っていた樹木葬のお寺様だったのですが、空きがない。もう1カ所は場所がいまいち把握できないけれど住所からしたらそんなに遠くはないだろう、の所。

この時期はGoogleでお墓を調べまくっていたせいか、広告がお墓ばかりでした。

(;゚ロ゚)

 

お骨を実家に置いてあるのは良いが、予定では2月中旬から4月頃まで入院した母が退院したあとどこに戻るの?

夜中に湧き上がった疑問。実家は3Fですし、何より介助がないと外出は出来ないだろう母が1人で暮らすのはありえない。

そして今の借家はちょうど2月下旬で契約更新。

 

「引っ越ししないと!!!!」

 

さぁ、そこから私とダンナの怒濤の2月が始まります。

 

まずは不動産屋です。2月の中旬にウルトラ繁忙期が終わったので、すぐに赴きました。出した条件は、今の所と同じ町内、エレベーターがある、3DK以上、都市ガス、洗濯機は室内、これくらいだったでしょうか。

その時住んでいた部屋は結婚した時に引っ越した家なので、10年以上住んでいました。近くに大家さんも住んでいらして、心地よかったのですが、なんせ母を迎えるのには狭いのと、上がりがまちが高く、とてもではないけれど無理。

事前に不動産屋さんに条件を伝え予約→不動産屋に行く→3件候補を絞って即内見。

1件目→同じ町内だが、プロパンガス(ここはバリアフリーで眺望も良かったのだが、プロパンはガス代が・・・(;´Д`)

2件目→同じ町内だが、なぜか入り口のところに意味不明の大穴があって、怖い。

どちらも5F建ての5Fでエレベーターがあったものの、入り口って大事ですよね。

 

そして3件目。

これが予算を3万円ほどオーバーしている物件だったのですが、5F建ての5F、エレベーターあり、大家さんは同じマンション住まい(これは同じマンションに大家さんが住んでいるとめちゃくちゃ綺麗に使われるというのを不動産関係の友人に聞いていた)

2SLDKという間取りでしたが、実際は3LDKのようなもので、母の部屋にぴったりな和室もあり、なおかつ「バリアフリー」

左半身に少し不自由が残っている母にはぴったり。

はい、即決しました。頑張って稼ぎましょう(笑)

 

2月の中旬に即決して、引っ越し屋さんを手配、母にも間取りを見せて「いいわね」と言って貰い、食費を少し入れてくれることになりました、有り難い。

引っ越しは3月の確か3日。

その前ダンナはまさかの研修で茨城へ(涙)片付けと箱詰めで軽く泣きそうに、いや、泣いていた。

そうこうしていても父の49日の話はやってきますし、49日は実家で執り行う手配をし、お仏壇やお位牌を手配し、

・・・頑張った自分を褒めたい(笑)

 

母は2月の中旬にリハビリ病院に無事に転院しました。

父が危篤の時に外出届に難色を示した担当医とは変わって、違う医師が担当でした。

この頃「あれ?コロナって意外にまずいウイルスなのでは?」と言われ始めていた頃です。一番敏感な病院関係は、面会制限が始まった頃でした。

 

面会制限で会えないし、母とはメールのやりとりで病院内のことを教えてもらっていました。

 

さて、新居ですが、クーラーが1台しかついていない、ので2台買わなくてはいけない、とか、照明器具とか、引っ越しと、ちょこまかした家電や、敷金だの礼金だの、100万円単位でお金が吹っ飛んで行きましたが、これも母のため。

父に「頼むな」と言われたからには、母のことは安心して頂かなくてはなりません。

 

一人っ子の宿命です。

 

3/2に研修から帰って来たダンナと最後の箱詰めを夜中までして、同じ町内でお引っ越し完了(徒歩ですら15分くらい(笑)

それまで住んでいた家は、ちょっと騒音に悩まされることもあって、引っ越し先の家族構成などを聞きたかったのですが、イマドキは教えてくれません。洗濯物で、両隣に幼子がいないこと、真下の階も、大人世代だろうと判断しました。

※ちなみに真下の階は、なんと知り合いでした(笑)

 

もうね、よーれよれの、くーたくた、でした。

今でも

「あの時、よく、引っ越せたよね」

と話題にのぼるくらいです。

 

1/30に父が亡くなり、2/2と3でお通夜と告別式をし、2月の2週目に引っ越し先を1日で決め、2週間で引っ越し準備と引っ越し完了。

うん、やっぱり今考えても、5年前の私は若かったんだなぁと思います。

 

3月に新居で母のお部屋を調え、父の49日がやってくるのです。