3月に怒濤の勢いで新居に引っ越したmgr家ですが、家賃が上がったとはいえ、とても快適な環境になりました。

キッチンが広い!

料理がしやすい!

何より、お風呂場に暖房冷房つき!

3件内見したうち、3件目にここを持ってきたあたり、不動産屋もさすがに考えてるなぁ、と。予算を低めに設定していたのだが、ここまでなら出せる、が差額¥8,000くらいだったからなのかしら?(笑)

実家は、名義変更が当時はまだ○年以内と義務づけられていなかったので、父の1回忌が終わったあたりでゆっくり考えようね、といった具合でした。

 

3月の中旬、父の49日を実家で行いました。

告別式にもきてくださったお寺の副住職にお願いして、その時に白木のお位牌から本位牌に位牌開眼を行って頂きます。あと、我が家はお仏壇がないので(父は次男、母は4番目の子)お仏壇の開眼も行って頂きました。

 

ここらへんは、K社のそちらの関係の部署があり、葬儀を担当してくださったTさんから手を離れ(そういえばとてもお世話になったので、K社の会員になった)Wさんという方に引き継がれました。

お仏壇選びもたくさんあって、うちはマンションなので小さいお仏壇を選びました。仏具も種類がたくさんあって、入院中の母に一任されていたので、父が好きなブルー系の仏具でまとめました。

いやらしい話になりますが、お位牌は5万円ほど、お仏壇や仏具は3~40万円ほどになったでしょうか。しかし、本当にピンキリなので、ご参考までに。

 

49日を迎えた頃には、既に世の中は自粛モード。

そういえば、引っ越ししたときにトイレットペーパーを1ロールしか残していなくて、どこぞの誰が言い出したかは知らねど「トイレットペーパー騒動」で真っ青になりました。コンビニで500円で買いましたが、ぼったくられてもいい!とさえ思ったものです(笑)

 

お通夜、告別式は大勢の方に見送って頂きましたが、自粛モードに入っていたので、母と私とダンナ、OBのSさんご夫妻のみで49日法要を執り行いました。

 

さて、無事に法要を行い、母をリハビリ病院まで送っている最中、ふと、

「あれ?私がリストアップした墓園はここらへんでは?」

と気付きます。

カーナビに入れて貰って、坂道の上に上がった瞬間。なぜか、ああ、ここだ。と思ったんですね。父の勤めていた場所が見える、永代供養があり空きがまだある。パンフレットだけ頂いて

「あそこにしよう」

と、母も私も同意見でした。樹木葬ではないけれど、綺麗な墓園でしたし、永代供養もきちんとプレートがあり、その下に納骨できるようになっていました。

※後日知ったのですが、父の亡くなった先輩と、OBのSさんもその墓園と聞いてびっくりしました。なにかの縁だったのだと思います。

 

4月のはじめ。

リハビリ病院から無事に退院してきた母と、新居での同居生活が始まりました。

思えば、それを快諾してくれたダンナに感謝をせねばなりません。私は車の免許を持っていないので、何度も車を出して貰いましたし(うちは車を持っていないので、レンタカー、もしくはカーシェア)

母と同居を始めてからも、役所や金融機関に行くことが多かったです。この時、都市銀行は全部郵送でOKで、信用金庫は出向かなければならない、ことを体験しました。コロナ渦で既に各金融機関が時短に入っていた頃ですね。

絶望的に気が利かないダンナだけれど、親族が「いいダンナさんだね(お世辞込みだとしても)」と口を揃えて言ってくれたのはあながち外れてはいません。

優しいなぁ、と今でも思います。口に出しては言わんけど(笑)

 

父のことで、2019年からいろんなことを体験してきましたが、

闘病

葬儀

お墓を決める

納骨

までがわりと手続きすることが多いです。

墓所の申し込みは私名義で、父とその横の母の分も手配したのですが、私の戸籍謄本とか必要とは思わなかった。埋葬許可証などはお骨壺の入っている箱に火葬場が入れてくれる(火葬許可証は、葬儀社が全部手配してくれる。ちなみに診断書は10通くらいコピーしてくれた、かなり助かった)

申し込みだけで2回くらいは足を運んだのですが、幸いなことに母の入院している病院から近かった(車で10分ほど)ので、病院へ行く→墓所でいろいろ申し込みをする、が便利だったです。

調べた時には位置関係がまったく分かっていなかったのですが、自宅から実家が車で20分、実家から墓園まで車で10分、という立地でお墓がみつかって良かったです。

 

新盆、1回忌、と執り行うと、ホッとした気持ちになれます。そんなホッとした気持ちになった1回忌の年、2021年、同居していた母の再発が発覚しました。

 

「母のこと」編に続く