11年ぶりの監督作となった周防正行はそれだけ時間があったということで丹念に調査したのだろう。理詰めだった。日本の裁判の形式、実態に大きな疑問を抱いているのだろう。メッセージ性が強かった。
通勤ラッシュの中、金子徹平は女子中学生に痴漢をしたとされ現行犯逮捕された。駅員から警官へ、警官から検事へ、彼らは金子の言い分に聞く耳を持たず、それでも頑として痴漢を認めない金子は留置所へ直行することになった。可憐な15歳の少女に同情してか、その彼女の勇気ある行動を称えてか、痴漢撲滅の強い流れの一環か。金子の、極めて勝算の薄い戦いが始まる。
駅事務室に連れて行かれる際、一人の女性が金子を擁護した。駅員は彼女、市村を無視して部屋に入れない。この時の市村の発言に対して少女・古川、駅員・平山、もう一人の目撃者・月田の証言が金子と食い違う。検察側と申し合わせがあったのかは分からないが、真偽が分かるのは物語後半、証人台に立った市村の口から明らかになった。その引っ張り具合から決め手になると思われるも甘くはなかった。
周防監督が思う裁判の理想と現実に登場人物を分けるとしたら、現実の代弁者のそれのほうがはるかに多い。理想の担い手の少なさが換言すれば無罪の難しさ。“十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ”という冒頭の格言から結末の暗示が見えた。前半はコメディを支えるキャラクターもいたが、徐々にシリアスを受ける人が増え、それに応じて金子から戸惑いが消え、確信に至った最後の独白につながる。一貫した主観性が怒りに直結する。
朝起きてする作業は、ストーブをつける。PCを起動する。小便をする。着替える。髪をセットする。そうしている間にモニタは準備万端でブログを開く。コメントとTBをチェックする。ランキングをクリックする。参加している内の一つが3位というあり得ない位置にいた。そんな上位にランクインされるなんて現実的ではないのに、それに気づかず椅子から立ち上がって小躍りする。そして朝食。味がしない。よく見ると窓からの景色が実家からのそれだった。知らない女が正面に座っている。
目を覚ました。ブログをチェックする。ランキングは普段と変わらない位置だ。捕らわれている自分に腹が立つ。
新規の参加者も増えて大所帯に。10人を優に超えて音を合わせることが難しいが、多ければ多いほどはまった時の快感も倍増する。トラディショナル・リズムでは3つ目のファンカニを習う。パート1stは“高○○高高○低、高○高高高○低”で、2ndはククのそれと同じ。リズムを覚えるのは容易だが、それに手がついてこない。僕はインプットが得意でアウトプットが苦手のようだ。
ジャンベ仲間に好意で八海山を譲ってもらい、帰りはヒロシとそれで荷が重い。双方いただきものとは良い人生を送っている。
「どろろ」の割引券をもらったが、300円引きでは見ようという意欲はわかない。ただ、コピーが気になった。いま世界の才能が、
あの隠された傑作を蘇らせる。
まあ、こういった類のものが抽象的な表現を使いたがるのは仕方のないことにせよ、納得がいかない箇所があった。「あの隠された傑作」は手塚治虫の原作を指していることに疑いの余地はなく、誰しもが認めるところだろう。残した功績は大きい。しかし「世界の才能」とはこれいかに。主演の妻夫木聡や柴咲コウに対してそこまでの評価は聞いたことがない。人気と才能は別問題だ。妥当なのは監督、塩田明彦のことと考える線。はからずもリーセントリーの2作を見たが、僕は両方とも鑑賞を後悔している。彼が監督しているから本作を見るつもりがない僕の個人的な好みは抜きにしても、才能という言葉から塩田を思い浮かべる人が果たしてどれだけいるのだろうか。
作品の公式サイトを調べた。イントロダクションによれば、どうやら国際的評価の高い人間たちがスタッフに名を連ねているらしい。彼らに対する知識も、その方面に造詣が深いわけでもなく、何にしろ意欲は変わらない。
善悪の判別が難しいのは今に始まったことではなく、社会で生きる以上、曖昧なボーダーラインで悩み続けるのは人間の宿命かも知らん。警察の存在意義把握を絶やすために正義を貫くことだが、きれいごとばかりでいられないのも事実。警察官の正義の定義はばらばらで、彼らの主張は各々正しくもあり、間違いでもある。そんな中、権力にとりつかれた警視クランが唯一絶対悪として、それを支点に気官たちの正義への苦悩が映し出される。実際にあった事件に基づいていながらこんな人物を描くとは。
同じ手口の強盗事件が続き、死者は述べ9人になった。警察は何に換えても捕まえたい。借り出所のみのシリアンにはめられた警視ヴリンクスは殺人の片棒を担がされ、真実を語るか黙殺するか迫られる。強盗犯の情報を握るシリアンの駆け引きに、結局ヴリンクスは屈した。出世争いで負けたくないクランはさらに手段を選ばない。周囲を省みない唯我独尊ぶりは見ていて羨ましくもある。そんな彼の、長官の座を狙う人間とは考えられない、ファンタジー映画かと思わせる過ちで事態は急変した。
ナラタージュ的に場面と別のセリフが交錯し、ヴリンクスとクランのコントラストを浮き彫りにする。それぞれの末路だけでなく彼らの周辺にまで目をやると、やはり何が正しいかなんて分からない。諸行無常がノワールか。
他人の夢に潜り込む能力を持つ主人公の影沼京一はアンチ・ヒロイズムに徹するが、彼のセリフには説得力があった。心を読むことにも長け、欺瞞を見抜き、うがった見方しかできないのは悲劇であるものの、小鼻にしわを寄せて「ああ嫌だ嫌だ」と皮肉屋のように、敬慕の的から程遠いところがむしろヒーローとして共感する。
一見は自殺のようだが奇怪な死が続き、警察は二つの線で捜査に乗り出した。共通項である死の直前の電話履歴からその人物“0”を割り出そうとする関谷刑事たちを尻目に、キャリア出身のエリート女刑事・霧島はオカルト路線で解決の糸口を探ることを強いられた。影沼に白羽の矢が立てられ、夢の中で犯人と対峙することになる。
カメラは被写体に肉薄して煽られる。「今タッチしました」という得体の知れないものに対する畏怖と重なって、眠りへの恐怖が伝染した。影沼と0の過去が紐解かれ、トラウマから形成された構造と動機も描き、根底が揺るがない。原田芳雄が演じた影沼への最初の依頼人の名前、大石恵三といえばバカルディとホンジャマカを想起させ、塚本本人が演じた0はモンスターの中にコミカルさも併せ持つ。そういえばコメディとホラーは表裏一体という話を聞いたことがある。
hitomiの演技力は何とも形容しがたく、シリーズ化の話も小耳に挟んだが、彼女がレギュラーで出演すると思おうとゾッとする。独自の路線を貫き、あらゆる作業を一手にこなし、海外での評も高い塚本晋也は固定ファンを掴んでいる。数えてみたら僕もそこそこ鑑賞して、性癖であるがごとく無機質マニアをこれからも追うつもりでいるだけに気がかりだ。
年末年始の体重は辛うじて現状維持だった。正月も明けて本格的にダイエット宣言しよう。建前は健康のために、本音はもてるために。間口は広いに越したことはない。
近場で公営の体育館を発見した。トレーニング器具は少なく建物も古いが、使用料200円は安すぎる。コストパフォーマンスを考えればスポーツジムよりはるかに魅力的だ。プールも同額で、こちらは6レーン前後と近辺のジムをしのぐ。海やレジャー系のプールは何度か行っているが、水泳と呼べることに関しては20年近くおこなっていない。塩素の香りが懐かしい。
