ヤドクガエル colorful-poisonous-frogs

ペットを持ったことがない僕に飼育というものができるかどうか、はなはだ疑問ではあるがドクガエルが欲しい。そういえば生粋の派手好きだったのだから無理もない。

難易度は高いようだ。熱帯雨林に生息する動物だけに温度や湿度の管理に神経を使う。ビバリウムという、本来の生活環境を再現して飼育する飼い方が良いらしい。インテリアとしても活用できる。しかし費用がばかにならない。まえな性格もあり、無理である。画像を壁紙にして満足感を得た。それに留める。

相変わらず裏がとれない。リズムキープもいまだできない。利き腕ではない左手からの音が安定しない。苦手科目は増えるばかり。成長曲線が頭打ちだが、楽しく叩けているからそれでも良い。

ヒロシの、ボディと皮を紐でつなぐためのリングの径が微妙にあっていなかったとのことで木に食い込んでいるらしく、その辺りも修復してもらってとりあえず返ってきたが、よりきつくテンションを上げるために再度預けることにした。長期に渡ってヒロシの手直しに心血を注いでくれる師匠に感謝の気持ちを忘れない。

楊貴妃 溝口健二のカラーは新鮮に感じた。モノクロで培った陰影や奥ゆきは反映されつつ、絢爛豪華な極彩色が華やかだった。中国唐朝の宮廷にいる人間はエキゾチックな衣装や装飾品を身にまとい、栄華が見てとれる宮殿はいくつかの部屋を捉えてつつがなく立体的。

時の皇帝・玄宗に近づこうと、亡き妻への思いが消えない王に対して女を献上しようと安禄山は王環を差し出した。玄宗が梅見に興じている時「物言う花もきれいですよ」と進言してそばにいる王環に目を向けさせようとするが目論みは外れた。取り入ろうとする視点から映す。その夜は逆の視点から、自分の部屋に女がいることを知った玄宗がその顔を確認するまで引っ張り、ようやく双方が合致する。

兄の要望で台所で顔を黒くして働くため田舎から都に出て、そこから成り上がって王環は楊貴妃と名を変えたが一族の道具であることには変わりなかった。楊貴妃を寵愛するあまり玄宗は彼女の親族に地位と金を与え、それが国民の反感を買うことになる。自ら身を引くことを決めた楊貴妃の人生は、終始周囲に翻弄されるものだった。悲恋に終わった二人だが死を間近に控えた玄宗が楊貴妃の天からの声を聞く。死後の世界を肯定するラストは性善説に近いように思えた。察するにロマンチスト。

凌駕 完璧に絡まるまでどれくらいの年月を費やしたのだろう。寂びてはいるが元々は悪くないマウンテンバイクでタイヤもまだしっかりしている。泥除けなんて盗みたいところだ。僕が尻を乗せているびあんち号には根を張らせまいと、ボブ・ディランを口ずさみながら帰った。天寿は全うさせたい。自分もまた然り。自殺を否定するつもりはさらさらないが。事情を知らずしてもったいないと思うのも浅はかで、表面だけでは真相は分からない。

アジアのどこかを旅していた。田園風景が広がる田舎の、熱帯植物が生い茂る中にポツンと建った宿に入る。木造の家は窓が大きく陽の光を多くとりこむ。ベッドが3つか4つあるドミトリーに僕が一人、天気が良い昼前後で他の滞在者は観光に出かけているようだった。

ギーとドアが開いて日本人の女性が入ってきた。バタンとドアを閉めて彼女が斉藤さん であることを確認した。微笑みかけて、彼女は僕に惚れているということになっているのだ。薄いレースのカーテンを閉め、白いシーツにすっぽり包まり、それでも光が差しこんでまぶしい。その中での彼女の目が、覚めて依然鮮明に残る。

僕の左耳には7つのホクロがあるらしい。ソウウツシニアとその血の系譜には総じてホクロが大量にある。仕方のないことでコンプレックスもなくなったが、そこから毛が生えるのはいまだ受け入れられずむかついている。うなじからその左耳にかけてのライン上にホクロがあって、髪に隠れやすい場所柄そのホクロから毛を伸ばしたままの状態であることが多々ある。気をつけているつもり だが、今日は10センチ弱のそれをみつけ、すぐさま抜いた。届きづらい場所でも毛抜きで難なく除く術は身につけている。
フリージア 時代設定が過去や現在のものと比べ、未来はルールを自由に決められる点で融通が利く。さながら法をつかさどり、敵討ち法という復讐が合法化した近未来を描く。「青春☆金属バット」に続いて熊切和嘉はまた漫画を題材に選んだ。

戦災孤児を実験台にして瞬間凍結爆弾の威力を試すフェンリル計画が行われた。孤児たちは一人を除いて全員死亡、生き残った少女ヒグチマリコも後遺症として感覚をなくした。彼らを現場に引率した少年兵士ヒロシも同じ症状を抱えて今に至る。15年が経ち、ヒグチは敵討ち執行代理事務所で働き、ヒロシを執行人として雇った。フェンリル計画の責任者だった岩崎が廃人になり、ヒグチは標的をトシオに絞る。ヒロシの先輩であり、率先して孤児を連れた彼は岩崎の息子だった。

近未来ということで舞台は意味不明の法律があるだけで現代と変わりない。日常生活の中での銃乱射も映画の世界ではめずらしくない。敵討ちの執行人はそのベテランが怒りで我を忘れ、無差別殺人をする程度のレベルで無秩序が際立つ。後輩との差は開くばかりのようで奮起を期待したい。

金縛りにあって体をまさぐられるところまでは普段と一緒 だった。一時期、尻から離れたがまたそこを攻めてくる。それもまだ良しとしよう。男色霊に対して寛容になっていく僕がいる。しかし今回は感覚を新たに開拓してきた。

頭上右に気配を感じた。耳元で何かをささやいている。物音ではなく明らかに声だったが聞き取れない。「え? 今、何ていったの」と問いただしてみたが答えてはくれなかった。二度、同じことを言うのは恥ずかしいのだろう。それは生きた人間も同じだ。

リズムを刻みたいのに叩くのは膝か机かその辺か。ヒロシがいないことは予想以上のジレンマだった。スラムダンク三井の心境である。膿を出して帰ってくるであろう彼が待ち遠しい。

ブラック・ミュージックはおしなべて裏が大事であると、それを習った。今までで最も難しい。裏をいっているつもりが、いつの間にか表でリズムをとっている。センスのないものは練習あるのみだ。しかしヒロシはまだいない。ヒサシに改名しようかどうしようか。

キムチを売る女 幼い息子のいる女性を、カメラを据えて淡々と捉える。ひたすら切り取るのみで、つかず離れずの距離を保って主観や偏見を排除する。チープで陳腐な表現でいえばそんなところだが、むき出しの生がヒリヒリと痛かった。ジャ・ジャンクー、キム・ギドクの流れを汲むというチャンリュルは、なるほど1シーン1カットを多用して厳しい状況下の人間と対等の目線で向き合い、自らのルーツでもある中国在住韓国人、朝鮮族の女を主人公にして孤独で貧しくも強く生きる様を突きつける。

中国の地方都市の外れ、線路沿いの小さな家でチェ・スンヒは一人息子と暮らしている。道端でキムチを売って生計を立てていたが、収入は多くなく安定しない。許可証を取っていないこともそれを手伝っていた。夫が犯罪に手を染め、それ相応の罰を受け、まだ小さい子供を連れて故郷を離れて孤独な毎日を送る。隣の家では4人の娼婦が共同生活しており、彼女たちもまた底辺だった。昼はスンヒが街でキムチを売り、夜は4人が街で体を売る。同じ朝鮮族だという男がスンヒに近寄り、彼を知っていた娼婦の一人が忠告をする。定期的にキムチを買う警察官が許可証を渡し、娼婦たちはスンヒに酒をおごる。互いに通ずるものがあった。しかし風当たりは常に冷たい。

生きる糧は何か。映像に市井の人を強いられ、そこからささやかな幸福を見出させない。スンヒと接触する男たちは自らの利益のみを考える。心のよりどころさえも奪われたスンヒがとった行動は、動機として充分だった。そしてカメラは重い腰を上げ、彼女の後姿を追い続けた。