余命幾ばくもない父親に二人の娘がいて、姉妹が生まれた間には戦争があった。戦争を知る姉の節子は「新しいこととは古くならないこと」と説き、忠実な生き方は犬のよう。それを知らない世代の満里子は古いものを嫌い、奔放なライフスタイルは猫のよう。無職の夫を内助の功よろしく節子は支え、働かない義兄を疎ましく思って満里子は家に寄りつかず、その亮助は猫を愛でていた。
満里子というか高峰秀子が素晴らしい。コメディエンヌだとは知らなかった。キビキビした動きと顔芸に惚れる。小鼻にしわを寄せ、口角を下げ、低い声で小説風に、もしくはナレーション風に、歌と音楽も交えつつ、会話を弾ませた。節子というか田中絹代は恐ろしい。自らに非は全くないという姿勢は周囲を息苦しくさせる。姉妹のコントラストを徹底してるとすれば、さげまんを地でいく節子に対しておそらく満里子は至高のあげまんだろう。
二人が面と向かって会話する。二人が同じほうを向いて前後奥行きをずらして座る。そのカット、構図で小津安二郎は安心感さえ与えた。笠智衆の存在もそうで、演技の上手下手を超越した、たたずまいが稀有なオポジションなのだと最近分かった。気がした。本作は随分前に見たことがあった。その時は小津作品を立て続けに鑑賞し、その2作の間にどれだけの年月があったか忘れたがしかし常連組は揃って老け、笠智宗の娘の婿を演じた男は笠智宗の同級生になっていて、またいつもの彼に、行きつけの店のような居心地の良さを感じた。
自分が思っているほど他人は自分に興味がない。自分に最も興味があるのは自分。それは常々念頭において自意識過剰にならないよう心がけている。
駅で電車を待っていた。まだ小田急線の急行と各駅停車の乗換え、乗り継ぎが理解できていない。カシャッという音が時刻表を睨んでいる時に聞こえた。安っぽいシャッター音のしたほうを見ると、ベンチに座っている若い女性が携帯をこちらに向けている。レンズと一直線上にいる僕を撮ったのか、または景色か何かを撮ったのか。もし被写体になったのであれば事後報告でも構わないので一声かけてほしかったが、エゴイズムも甚だしいのでイチャモンはつけない。
ドトールのようなコーヒーショップで友人数名と談笑している僕がいる。学生時代の同級生や前の会社の同僚が入り交じって、僕は端の席で皆の話を聞いていた。「そうそう、そういえば」と切り出したその中の一人の話は意表をつくもので驚きのあまり大きな声を出した。内容を覚えていないが僕にとって嬉しいことだったような気がする。とにかく信じられず、頬をつねってみた。痛くない。痛くないのは気のせいだと思って夢ではないと判断した。夢だった。
町という小規模単位で密着させて戦争は絵空事、対岸の火事ではないとでも言いたげだった。東京からの転勤先はテレビで四国アイランドリーグを放送していることからおそらくその4県のどれか。主人公・北原の住む舞阪町がとなりの森見町と戦争を始めたことを、彼は地方広報紙の3行記事で知った。戦場は映し出されず、戦火が上がる様子もなく、そこでおこなわれていることを実感させない。北原にとっても冗談としか受け取れなかったが、役場からの要請で偵察要員にさせられ、現実味がないまま戦争に加担していくことになる。白々しい「戦争何日目」というテロップで時系列に従い、空々しい効果音を使用して薄っぺらさが前面に出る。目の当たりにしていないその戦争で人は確実に死んでいた。地方紙には戦死者の数が、北原の同僚も銃撃に巻き込まれて命を落とした。上司の田尻は中東で戦争を経験しており、森見町に傭兵として雇われた。殺し合いを肯定して田尻はなお北原に説教して、彼を思い改めさせる。そこに作り手のスタンスがうかがえた。
ギニアに滞在中の邦人が外務省の退避勧告を無視して居座っているという。ジャンベを習うため訪れて、治安が悪化して、今年に入って死者が100人を超しているにもかかわらず状況が分かっていない。平和ボケは怖い。
携帯電話のスケジュール帳を見ようとしたがボタンを間違えて画面には発信履歴が表示された。2月になって電話をかけたのがブンレツさんとソウウツシニアだけだったということが判明した。よほど寂しい生活を送っている。着信履歴も身内を含めて、いや改めて掲示すると余計むなしくなるのでやめておこう。電話するほどの用事がないにもかかわらず、血が繋がっていない人に発信してとりとめのないことを喋る。スクロールさえ苦労する。
ベルトを買ったのは久しぶりだった。リング式のそれは初めてだった。弛緩が難しい。安物のこれがそうなのか、リングベルト自体がそういうものなのか。トイレで緊張が走る。
ある程度もよおして、いざ便器を目の前にすると条件反射のように尿意が強まるものだ。しかしリングベルトが尿道の解放を許さない。やっとの思いで外し、パンツを下げ、トランクスからイチモツを出すや否や小便を垂れ、それは垂れるというよりも噴射で、散らかす。余裕を持って行動に移さなければならない。
リョウは念願の風呂付アパートに引っ越した。しかしそこは壁が薄く、隣に住む女の声が聞こえた。シャワーや電話など、漏れてくる彼女の生活にリョウは侵食されていく。杉浦皐月という名前だということ、見知らぬ男から脅迫を受けていること、恋人がいること、最初映し出されるのはあくまでリョウの想像だが、彼女を知るうちに現実と取って代わる。皐月の顔、部屋の模様、皐月の恋人・雄太の顔、明らかになる度にリョウの皐月に対する気持ちも肥大し、生活のリズムを合わせ、隔てた一枚の壁を取り払いあたかもそこにいるような錯覚に陥る。皐月との接触も果たし、好奇心は恋心に変わった。盗聴マイクまで仕掛けるようになったが、それによって彼女の部屋には既に盗聴マイクが仕掛けられていることが分かった。そしてそれが雄太の仕業であることが判明する。理解は、臨場感によるものだけでなく、彼の一連の行動もそう。雄太とリョウのやっていることは五十歩百歩であるにもかかわらず、リョウに強く移入して応援するのは、常軌を逸した行動の願望が自分にもあるからである。男の悲しい性に共感を得て爆笑して道を踏み外す瀬戸際にいるような僕は。理想的、もしくは二次元的でもある、都合の良い女性に感情を抱いているうちは危険性がないかも知らん。
顔もスタイルも性格も(映画だが)申し分ない皐月を演じた蒼井そらへの欲情は抑制がきかず、帰りにレンタルショップへ寄って数本借りた。人気女優だけあって主演作は選ぶのに苦労する。
ノリブランドの展開地域がまさかの東海圏
帰宅してネットのニュースを見て声が出た。はてさてどうなることやら、なんて高みの見物を決め込んでいたところの飛び火で眠気も覚める。メリットとデメリットというものがある。実績と言動からその影響力は小さくないだろう。もたらすものは負の産物が多いというおおかたの見解を覆せるか。獲得が決まったわけではないが、覚悟は決めておいたほうが良さそう。
旦那が定年を迎えたブンレツさんの友人女性が携帯電話を持ち始めているという。しかも複数人。家で何をするでもなく還暦男性は、かかってくる電話をまずとるらしい。そこから詮索が入るのだろう。今まで気ままにかけて、かかってきて、それができなくなることの忌々しさは想像に難くない。体同様に頭もカチッカチに固くなり、趣味もなくただ引きこもるのは男性が顕著であることも容易に想像がつく。老いることは醜くなることであると念頭に置き、僕は年を重ねていきたい。柔軟さと多趣味も然り。いつまでも仲睦まじく寄り添おうというロマンチシズムは隠し通して。捨てられない男になること。見切らない女をみつけること。適度な距離を保つのは難しいと思ったが、そもそも適度とは何ごとにおいても易しくはない。
