人との待ち合わせで不手際が続いたらしく、ブンレツさんは携帯電話を持つ決心がついた。そして僕は取扱説明書を読まされる。彼女はそういった類のものを苦手であると自負し、開き直り、覚えようとする気すらない。アドレス帳にブンレツさんの友人を登録する傍らで、彼女は携帯電話を買った時のエピソードを語る。
意気揚々と携帯ショップから出ると、中年の男性に声をかけられた。「失礼ですが」という前フリに身構えたという。「転換期の相が出ています。これから良くなりますよ」それだけ言ってその男は立ち去った。何かの勧誘ではなかったらしい。自分はよほどの顔をしていたのだと、嬉しそうな顔をして喋るので、僕は面倒な顔をしながら作業することをやめて黙々と入力した。
クライマックスシリーズと合わせて中田は短期決戦3連勝で頼もしい。流れは良いといえるのではないだろうか。先日の川上は初回に3ランを打たれたにせよ後続を完全に断った。打線もダルビッシュを別格と考えればスムースな流れが続いている。3年前、昨年の2度の日本シリーズに今年のCSで経験値は高い。
荒木の好調が大きいように思う。「アライバを抑えることが鍵」というのは常日頃から対中日において掲げられることであり、実際その通りである。井端に関してはたとえ調子が悪くとも次に繋ぐことができるので懸念材料としていなかった。逆に荒木はウッズに匹敵するほどのせたら怖い存在その足、その積極性。静かに好転している。
夜、緑道を歩いていた。外套だけが僕を照らす。等間隔に並ぶそれ。足元に目をやると後方に僕の影がある。外套が近づくに連れ影は短くなり、真下を境に影は僕を追い抜く。先導して徐々に影の頭は遠のき、程なくして消え、次の光に差し掛かるとまた僕の後ろに現れる。ぴたりと続いていたのもつかの間、また追い抜いては消える。
自分が若者ではないと思い始めたのはいつからだろう。こうやって先を越されていくのだ。どの物差しではかったとしても。
巨存症なるものがあるらしい。大仏など巨大な像に足がすくむ、僕を含めたそのシンドロームを抱えた人間たち。最も居心地の悪い駅は大船である。昔、そんな話をソウウツシニアに話したら彼もまたそうだったので血は争えない。
怖いもの見たさで牛久大仏を拝んできた。ギネスブックにも掲載される100メートル超の大仏は、おそらく定礎から20年は経っていないものである。歴史の浅さから、世界最大を謳いたいがために造られたのではないかと邪推したくなる。事前に確認したグーグルアースでの航空写真には笑えた。さてその牛久大仏、想像をはるかに上回る大きさだった。規格外である。牛久駅からバスで向かう道中に「あと5キロ」の看板があり、ふと景色に目をやると雑木林の奥から周りと全く同調しないそれが辺りを見下すように立っていた。ウルトラマンの身長が40メートル。これの半分に満たない。つまりはもし対峙したら高確率で牛久大仏はウルトラマンに勝てるのではないか。
その胎内は演出をこらした入口、チープで陳腐なBGMを聞きながら宗教的な展示物を見て、地上85メートルの大仏の胸部分から下界を一望し、入口とは打って変わって何も施されていない出口に導かれる。満足して家路に着いた。予想以上に疲れた。


