アメーバもいろいろ機能が増えている。mixiまがい、ヤフオクまがいのものができたと思えばマイページ機能まで付いた。そんなことよりも画像容量20MBをどうにかしてほしい。

大手ブログサーバの中でおそらく最小で、改善される話も聞かない。現在6.3MB使用した。これでもアマゾンから画像だけを拝借したり、自分で撮った写真やダウンロードした画像のサイズを小さくしたり、工夫をしている。このままだと再来年には容量オーバーになる換算。外部のブログパーツが付けられない問題も改善されない。

「アメブロID」が「アメーバID」になる などどうでもいいから、他にすべきことがあるのではないかと、どうせ聞こえないのだろうが。

陰毛とわき毛が生えた時期はほぼ同じで、大人の仲間入りをしたような気がして誇らしかったのを覚えている。それから5年もしないうちに、今度は肛門の周りに生えはじめ、それには落胆した。

背な毛 などの均等に生えない毛が増えている。歯を磨きながら満足げに鏡を眺めていたらショッキングなものまで見えた。

ところでM字型 を隠すことに心血を注いでいたが、逆の発想で攻めの姿勢、先日久々に髪型を変えてソフトモヒカンにした。ナルシストよろしく鏡を凝視していたのは、それがいたく気に入っていたからである。無精髭と相重なって良い感じとポジティブ・シンキングをかましていたところ、先のショッキングに繋がる。

耳からピロンと1本の長い毛が出ていた。大人の毛もここまで来ると老化としか思えない。すぐさま抜いたが、生えてしまった以上は永久脱毛でもしない限り同じ場所から、数式記号でいう「≦」のものが姿を現す。

半廃墟 所用の帰り、駅に向かっているつもりが道に迷った。そして廃墟らしきビルを見つけた。中に入るとしかし、郵便受けには表札があって人は住んでいるようだった。電気も通っている。一旦外に出て、再度外観を眺めた。通りに面した部屋はカーテンがなく、中の様子も見えたが、そこは明らかに何年も住んでいない。また中に入り、階段を上る。複雑な造りをしている。部屋から明かりが漏れているところがあった。人の気配もある。それでも半分は空室のように思えた。ドアの開く音がしたので、足音を立てずそれでいて足早に外に出た。携帯電話で話しているふりをする。こぎれいな格好をした中年女性がマンションから現れた。携帯に住所とマンション名を控えてそこを後にした。彼女が歩いて行った方向に進み、程なくして駅にたどり着いた。

家にてネットで調べてみると1972年築、空き物件にもなっている。価格や賃料は表記されていなかった。立地条件は悪くなく、そこそこ値は張るとみた。

まぶだち 大人は判ってくれない。自身のこともわかっていない。中学生サダトモを中心に、少年たちの微妙な心情、葛藤が綴られる。担任教師の小林にクズと呼ばれながら、彼らは自らの存在意義を模索する。思春期の空虚な焦燥が全編に漂う。

教室にたくさんの標語が張られて、その内容が小林の厳しさを物語っている。その中で生活記録という耳慣れない言葉があった。毎日、学校外の生活を記すことを課している。万引きをしているために本音を書けず四苦八苦する仲間たちに、頭の切れるサダトモは文面を指南する。「僕には嫌いな友だちがいます。彼は皆を仕切ったり、僕を仕切ったり、彼を頼る友だちを見ると頭にきます。というよりそれでも遊んでしまう自分が嫌いです」テツヤにはそう書けと言う。テツヤは最後に「自分が自分でなくなる気がします」と付け足した。

小林の指導は正しい。しかし全て相対で差別を促す。教室の壁には標語の他に人間グラフが張られ、クラスの生徒の名前が優等生、クズなどに分類されて張られている。畏怖に似た念を抱きながら、サダトモたちは反発する。小林もまた、本性を出さないサダトモを嫌う。

万引きがばれて反省文を書かされることになった。サダトモとテツヤはそれを書いて、その内容を褒められた。シュウジら3人は書けず、醜態を晒す。落とし前として一人は20キロを走り、一人は上手な絵を描いた。シュウジはバケツを持って校庭に立つが、それすらも達成できない。反省を認められて拍手を送られる彼らを尻目に、惨めな姿でそのはるか後方に佇むシュウジ。陰陽は痛く、何も体現しないシュウジは自ら決した。

体現できないことは、生きている価値がないということと、イコールではない。しかしシュウジは袋小路に入った。若さからの模索。それは監督、脚本の古厩智之当人の記憶が反映しているような。いちいち突き刺さった。僕も否定しながらもどこか肯定している。サダトモがたまねぎなら、僕はピーマンだ。

独立少年合唱団 四季の移ろいと少年たちと、その歌声が美しい。監督の緒方明は風景を人物描写に投影して、作品の美しさにかけては際立っていると感じる。

母親を早くに亡くし、父親も病死した道夫は山中にある全寮制の独立学院に転入するが、どもりが原因でいじめに遭う。孤独な道夫に、グリークラブに所属する康夫が手を差し伸べる。康夫もまた学校で浮いていた。二人は友情を育んだ。国語の授業で朗読をさせられそうになる道夫に変わり、康夫が読まんと席を立つ。声変わりを迎えた時、発声を拒む康夫に朗読の機会が訪れ、今度はどもりを克服した道夫が「走れメロス」を読む。二人の距離が近く、どこかエロティックだ。

70年代初頭の全共闘運動真っ只中、寂れた田舎町にも余波が訪れた。グリークラブの顧問・清野は学生運動あがりで、昔の仲間である里美が頼って来る。道夫は彼女に感化された。青く、もろい。喉を守るため、一致団結するため、クラブの面々は揃いの赤い包帯を首に巻いた。授業ではロシア史を学び、コンクールではポーリシュカ・ポーレを歌う。

「僕の名前は伊藤康夫です。忘れないでね」という康夫のセリフが印象に残った。「忘れていることと覚えていること、どっちが大切かな」という道夫のセリフが印象に残った。記憶がテーマの一つとなっている。コンクール本番の模様は映さなかった。それがラストに反映される。妄想が記憶にとって変わる。あるいはそれが走馬灯だったのか。2時間強の長尺に散りばめられたもの。時間を越えてシーンは幾重にもつながる。

梅結婚式 吐き散らすところだった。量的には飲んでいないつもりだったが、ここ3日間、左のまぶたが3重になったまま治らないほど体調が悪く、最後の記念撮影から新郎新婦に見送られて退場するまで、脂汗をかきまくっていた。あそこで吐いていたらどうなっていただろう。出席者の思い出には深く刻み込まれただろう。僕の存在が空気を読まない者として。

水戸の偕楽園はそろそろ梅が開花する。茨城出身の新郎と紀州和歌山出身の新婦ということで、乾杯は梅酒、引き出物には小梅と南高梅があった。

新婦がジャグジーズ 。メンバー内では未婚のほうが少数派になりつつある。そしてまた一人、秋か冬に結婚するとの報告を受けて、友人スピーチを頼まれた。ウィットに富んだユーモアを織り交ぜ、簡潔に、時に泣かせ、そんな文面を今から考えようと、帰りに書店でスピーチの本でも探そうかと思ったが、酔いによる頭痛で直帰した。

ブンレツグランマがトイレで転び、骨にひびが入った。しばらくはベッドから出られない。沈まれると厄介なので、液晶テレビを買い与えることにした。ちょうどトリノオリンピックの時期と重なって、どこの電気店も安くなっていた。ブラウン管型は隅に追いやられている。二層洗濯機などは需要がなくならず消えることはないらしいが、これは淘汰されていくのだろう。ブラウン管を見ている時は店員が寄ってこない。液晶やプラズマの前に立つと声をかけられる。
身内にウルフルズを熱狂的に愛している人がいて、それはファンクラブに入会しているほどだった。おかげでシングルのカップリングまでが良いことまで知った。“いいたい事はそれだけ”の締め「あとは電話を切るだけ」に込められた心情とその間。結局、男を指す女々しいという言葉は、差別的に見る、男をいかにも端的に表していると痛感する。

ガッツだぜ ウルフルズ
ガッツだぜ!!

知人がアラスカでオーロラを見たと自慢していた。その尋常でない寒さや、上手な写真の撮り方を熱く語られた。しかし最後は「アイスランドのほうがオーロラはきれいらしいけどね」と否定形で締めくくった。

アイスランドとオーロラ。こちら よりもSigur Rosが連想された。ダイナミックでドラマティックな展開は、オーロラに近い。音のうねりは形を変えて、美しく荘厳である。北欧の精霊信仰も頷けるというか踏襲しているというか。

アイスランド映画祭

Sigur Rosのミュージック・ビデオも放映されるという。アイスランド・カルチャーは興味深いところ。北欧といっても他国と大きく離れ、独自の文化を築いているイメージがある。

Sigur Ros
Takk...