<写真:出展NHK>
2025年12月13日(土)12:15~16:00
NHK-FM「今日は一日"渋谷陽一三昧"」
平成8年(1996年)3月18日月曜日、私は午前中…多分10時か、11時か、そんな時間帯に新千歳空港にいた。自分で企画した講演会の講師を車で迎えに行ったのである。その講師は渋谷陽一氏である。
当時、私は食うがために勤めていた職場で企業向けのセミナーの担当だった。単なるサラリーマンでありながら、ロック馬鹿が興じて、音楽イベントの似非プロデューサー、自主発行のミニコミや地元新聞での音楽評論家まがい、ミニFMのDJ、ライブハウスのヘルパー等々しながら過ごしていた。職場ではある意味、異質な奴であったかも知れない。まあ、仕事はそれなりこなしていたから職場で文句を言われることはなかった。しかし、最終的にはサラリーマンを終わる時にこの世間一般的な不良行為は大どんでん返し食らうことになる。簡単に言うと「ロックが好きな奴は不良だ」みたいなGS時代のPTAの様な思考回路の超トップにとっては、私は出る杭であり、出る杭は打たれて、いちサラリーマンがどん底に落とされる訳である。まあそんな事は個人的な話なのでこれ以上詳細は書かない。若かりし頃の暴挙が何処から来たのかと言えば多分、第一要因はビートルズをはじめ多くのロック・アーティストであり、第二要因は渋谷陽一氏率いるロッキング・オンに出会ったことだと思う。言うなればRocking on's chirdrenだと思う。
閑話休題。駐車場に社有車を入れ、到着ロビーに向かう。時間は余裕あり。
黒い革のコートを着た渋谷さんが到着口から出て来る。声をかけ自己紹介をして迎えに来たことを告げると、まず連絡不行き届きでちょっと叱られる。「JRの乗車券もらっているのに、どうするの?勿体ない」。私はしどろもどろに「払い戻しして下さい返金不要です」と答えた。当初、本人JRで移動だったのを私が途中で変更し、空港まで迎えに行く事にしたのを調整させた講演会の企画会社が本人に伝えていなかった様だ。ちょっとしらーっとした空気の流れる中、駐車場まで移動。車に乗り込み会場であるホテルに向かう。窓の外に広がる原野を見ながら渋谷さん「しかし、死ぬほど土地がありますねー」とか言う。私は何故か唐突に当時、誘致活動が始まっていた原子力実験施設の話をする。「最悪じゃないですか」と渋谷さん。ちなみにその原子力実験施設は幸運なことに誘致失敗になる。
昼食は会場であるホテルでとると話すと「えー。ラーメンでも食べようと思っていたのに」と言われてしまう。そうか、JRで移動して気楽に何処かで北海道のラーメンを食べようと楽しみしていたのかと思ったが取り合えず「すみません」とか言う。
40分ほどでホテルに到着。地下にある和食レストランに行く。
ランチタイムの"寿司そば定食"ということになり、私も同調。食べ終わってから何故か渋谷さんテーブルにあるお薦めメニュー立てを見て「お汁粉ってありますね」。私驚愕「えー。満腹じゃないんですか?」。「いや。これは何かある。絶対、何かある。お汁粉。食べます」。この時、渋谷さんの頭に何のインスピレーションがあったのか未だ理解不能。「やめた方がよいのでは…」と私は止めたが、結局、お汁粉オーダー。私は遠慮。食べ終わってから「あー食べ過ぎた」。私絶句。それから少し話をした。最近何か見たコンサートは?と質問すると怪訝そうな顔をして「Kさん。私は音楽評論家なんだから毎日のようにコンサートに行っているんです」と言いながら確かプリンスのことを言っていたような気がする。愚問だった。これは昔の音楽雑誌でミュージシャンに好きな色は?とか好きな食べ物は?とか聞いているような愚問であった。
私が佐野元春のファンだと言うと「佐野くん良いよね。コンサートでとにかくファンが良い」と言う答え。それから何の話をしたのか覚えていないが「ラジオをまたやりますし、本もまた出しますよ」と言う話題があった。この当時、渋谷さんは社長業中心の時期。NHKのラジオもなかったし、ロッキング・オンにもあまり執筆していなかった。直接の声を聞けたのはNHK-BSの「ミュージック・サテライト」のVJ。文章は日本経済新聞のコンサート・レビューのみだったかと思う。
控え室に移動。私が当時マネジメントとプロモートの手伝いをしていたインディーズの女性シンガー・ソングライターが来たり、ロッキング・オンで漫画を描いていた佐々木容子さんが来たりした。開場は13時。その間に流れていたB.G.Mは私がカセットに仕込んだイエロー・サブマリン・サントラ盤のB面のジョージ・マーティン・オーケストラだったり、グランド・ファンクだったり、チープ・トリックだったり…。会場の入り口で地元の書店組合の方々に売店コーナーを作ってもらった。ロッキング・オンの最新号と渋谷さんの著作の数々が並んでいる。定員100名としたのであるが、ロッキング・オンにこの講演会の開催告知が載ったのと、当時、私が稚拙な文章を地方版に書いていたご縁の北海道新聞が告知記事を載せてくれたので、定員以上の申込みがあった。
講演タイトルが「発行部数3,000の雑誌から始まった企業経営」。要するに起業セミナーである。蓋を開けると約120名が参加。事前受付段階で全道各地から聴講者が来るのはわかっていた。で、多分半数は起業を目指す人ではなくロック・ファン。自分でやっていることが半分真面目で半分訳のわからない世界に入っている。自分でもやっていることがちょっと阿保だなと思ったりする訳である。
開演時間になり、渋谷さんを会場まで案内する。「腕時計貸して下さい」と言われる。?と思いながら私は腕時計のベルトを外しながら、"イージーライダーだな"と訳の分からない連想をする。ピーター・フォンダが腕時計を外して投げ捨てるシーンを思い浮かべた。ロックたるもの普段は時間の制約受けずという様な勝手な連想である。但し普段から時計をしてないのか?忘れたの?真偽のほどは不明である。
講演会冒頭、渋谷さんひとこと「今日の講演は起業で、そのような趣旨の会であると言うことです」とロックファンとおぼしき参加者に釘を刺し、ロッキング・オンの創刊から話し始める。大企業をおちょくった苦笑する危ない話題もあったが90分終了。質問コーナーでいきなりセックスピストルズのことを聞いて来る女性がいたが、まあご愛敬だった。
ホテルの最上階のレストランでコーヒーを飲んで一休み。何故かここでこの日初めて会った新冠のレ・コード館(当時未だ開館準備中)の担当者が加わる。そして、とんぼ帰りの渋谷さんを送り、空港へ。車中で今では考えられない大きさの携帯電話を取り出した渋谷さんが、後ろの座席で「イエローモンキー?えっ、別に何も問題ないでしょう」とかやりとりしている。どうやらロッキング・オン・ジャパンの打ち合わせ。その後、フェラーリかポルシェか忘れたが、スポーツカーでテストコースだったか、サーキットコースだったか、とにかくスピードをあげて走って爽快だったと言うような話を聞いた記憶がある。
空港到着。搭乗口に続く出入口の一時停止車線に車を止めた。車を降り「また何時か何処かで」と挨拶して、渋谷さんを見送った。
以上がたった一度、渋谷陽一氏と過ごした1日の記録である。
あの日の昼食時に話したラジオ番組は「ワールドロックナウ」として放送が始まり、出しますと言っていた本は「ロックはどうして時代から逃げられないのか」(松村雄策氏曰く"弁当箱のような本"(分厚いという意味)」として出版された。話していたことが現実に変わった事だけでも私は嬉しかった。約束を果たしてもらったような心持ちだった。講演会場だったホテルも今やもうない。「何時か何処かで」は果たせない言葉になってしまった。
単なる音楽評論家ではなく、単なるDJでもなく、ジャーナリストとしての視点を持ちロックと云う媒体を通して、本当に信頼出来る言葉で書き、語った渋谷陽一氏に感謝。私個人の思いを書いたら切りがない。
前回記事を"続く"と記して4か月も経ってしまった…。反省。
2025年12月13日(土)12:15~16:00、NHK-FMで「今日は一日"渋谷陽一三昧"」が放送される。それを告知したいがために書き始めたらこんなに長い思い出話になってしまった。そして早く書かなければと思いつつ一か月が過ぎていた。
番組告知ページ⇒◎
下記その他、渋谷さんの追悼について
TokyoFM 追悼番組「音楽が終わった後に」2025.11.24放送
ロッキング・オン創刊メンバー橘川幸夫氏のコメント、佐野元春のコメントなど
オンエアオン音源⇒◎
橘川幸夫note「さなら渋谷陽一」
雑誌「イコール」告知⇒◎










