さようならフランソワーズ・アルディ | アナログオーディオと音楽★NetThePopブログ

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 ここ一週間、請負仕事で慌ただしく過ごしている。と言っても別にお金になる仕事ではない。そんなこんなで新聞もまともに目を通さずにいた。昨日の地方夕刊紙に先ほど目を通したらフラソワーズ・アルディの訃報。時事通信社の配信記事を地方紙が載せたものだろう。「あー」と頭の中で呟き、「ふー」とため息。

 

 1970年代、私が少年だった頃、ラジオの洋楽ヒットチャート番組では英米のポップスやロックに混じって、フレンチポップスもチャートインしていた。そんな時代の一曲にフランソワーズ・アルディの「さよならを教えてComment te dire adieu」がある。

1968年にリリースされた曲だが、日本でシングルカットされてヒットしたのは、調べてみると1973年だった。この曲の原曲はアメリカの作詞・作曲家チームのもので、フランソワーズ・アルディが歌うことになってセルジュ・ゲンズブールがフランス語の歌詞を書いた。

 彼女のもう一曲の日本でのヒットは「もう森へなんか行かないMa jeunesse fout le camp」。1967年リリースの曲だが、日本では1979年、山田太一脚本のテレビドラマ「沿線地図」の主題歌になりシングルリリースされた。

 

 1990年代、渋谷系の時代になった頃、ゲンズブールを深堀りすると同時にフランソワーズ・アルディと一方的な再会することになる。仕事で上京すると渋谷のHMVなどで彼女のアルバムを探して買い集めた。当時、ゲンズブールの出演したテレビ番組がビデオソフトとして発売されて見ることがあった。そこに若き日のフランソワーズ・アルディーが歌う姿があり、妙に感動した。また、偶然その時期にブリットポップの全盛期バンドであるブラーが彼女と共演し、それなりにフランスのカリスマ的シンガー・ソングライターの復活という雰囲気となった。

 

 彼女の面白いところは、デビュー当時のアイドル的イメージを全部払拭するが如く、大手レコード会社を抜け、1968年にインディーズレーベール「ヒポポタン」を作ってしまうところだったり、英米のアーティストの楽曲を積極的にカバーする行動力にあったりする。カバーについては同時代者のニール・ヤング、ランディー・ニューマンなど、それ以前の時代のエルビス・プレスリーやリッキー・ネルソンなど、その選曲のセンスはとても秀逸だった。

 

 個人的に一番好きなアルバムは「私生活Et si je m'en vais avant toi」1972年リリースだったりする。

 

 この文章を書き始めて、時代考証したり色々調べていたりしたら、夜が明け始めている。絶句。再び「あー」と頭の中で呟き、「ふー」とため息。ちなみに彼女のホームページには何故か未だに訃報は記されていない。

 

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Written by 鹿毛不二彦forブレイン・スタッフ