今月25日で、JR福知山線の事故から

13年
 
 
 
あの事故から3年程経ったとき
これまで全快に向けて
 
エネルギッシュに毎日を過ごして
いた自分が
 
ガソリンが切れた車のように
急にプスっと止まってしまった
 
 
 
外に出かけても、ふと気づくと
家に帰ってじっとしている
 
新聞を開いても、
内容が理解できない
 
ずっと続けてきたピラティスも
何がよいのか全くわからない
 
 
 
そのうち、どんどん胸が苦しく
なってきて
 
気づいたら一日中自分を
責めるようになっていた
 
 
 
どんどんお薬の量が増えて
それでも私のうつ症状は酷く
なる一方だった
 
 
 
危険を感じた母は、私を実家に
連れ戻し
 
その日から通院以外は
ずっと家の中にいた
 
 
 
一秒一秒生きていることが
苦しくて苦しくて
 
廊下を行ったり来たり
同じ場所で立ったりしゃがんだり
 
リビングの床に突っ伏して
唸ったりしていた
 
 
 
生き地獄
 
 
 
そこには、今までとは全く異なる
私がいて
 
 
『狐に取り憑かれた人』
 
 
そんな言葉がぴったりだった
 
 
 
朝は、かなり早く目が覚める
 
早朝覚醒というらしい
 
 
まだ生きていることに絶望し
また昨日と同じ
 
苦しいだけの1日が始まった
 
 
 
数ヶ月後のある朝、
目覚めると急に視界が晴れていて
 
元どおりの私に戻っていた
 
 
今思うと、あそこまでの普通
ではない症状は、薬の影響だと思うけど
 
 
 
それでも、そこからまた何度も
何度もうつの大波がやってきた
 
 
 
ある時、精神科の閉鎖病棟に
入院することになった
 
 
『私はもう社会のレールから
完全に外れてしまった。
2度と元には戻れない』
 
 
心の中でそう呟いて
食事とともに運ばれてくる薬を
毎朝毎晩呑み続けた
 
 
 
周りには多重人格や摂食障害
統合失調症などで苦しむ
患者さんがたくさんいて
 
中には中学生くらいの少女もいた
 
みんな波を繰り返していた
 
 
昨日まで穏やかだったおばさんに
おはようと声をかけると
『殺すぞ』と睨まれた
 
 
私自身も、随分よくなったなと
思っても
 
気づけばまた同じ病院に
入院していた
 
入院も薬も私にとって
ほんとは何の意味もない
 
 
ただ規則正しい生活には
一定の効果があった
 
 
 
そのうち、私の隣にはいつも
自分を否定する自分が居座る
ようになっていた
 
 
事故から、6年、7年、8年、9年...
 
 
どんどん月日は経っていくのに
未だ社会に取り残された自分
 
 
 
自分が愚かな人間だからこうなったんだ
 
 
 
 
ある年の4月25日
 
 
慰霊式に足を運び、祭壇の前で
目を閉じ手を合わせた
 
 
 
私は空っぽの人間
 
 
 
人生を左右する事故に遭っても
いまだ命を粗末にして生き続けている
 
 
手を合わせる資格もない
きっと亡くなった方々も呆れている
 
 
そんな気持ちで慰霊式に行く
ことが続いた
 
 
 
事故から10年が過ぎ、うつ症状が
落ち着いた後も
 
 
自分を否定する自分は
いつもそこに居座っていた
 
 
 
うつ状態からは完全に抜け
出していたし、友人とも普通に
会話をしていた
 
 
これは病気だとか、事故に遭った
からとかではなく、私そのものの問題
 
人に相談するような話でもない
 
 
 
事故から10年も経っているのに
未だ、前を向いて進んでいない
自分が心底情けなかった
 
 
自分自身も、自分の人生も嫌い
 
 
 
 
 
②へ続く
 
 

※記事掲載は読売新聞の許可を得ています