その方は、私にそれはとても丁寧な
メールをくださった
 
 
職場の仲間にあのブログを
案内させてもらえないかという
言葉と共に
 
こんなメッセージが書かれていた
 
 
『壮絶な体験をとても客観的
かつ豊かな表現で綴りつつも
 
強い力を感じ、読み終えた時に
勇気と元気を感じたのは
 
過去の経験を前向きに使命感に
昇華させてきた浅野さんの
 
エネルギーに触れたからかも
しれません。』
 
 
私は、思いがけない方から、
こんなにも温かいメッセージを
いただいたことに
 
素直に喜びを感じた
 
 
そして、JR西日本という
会社がより良い会社になる
ために
 
私の文章が、その一助になれる
としたらそれはまさに私の本望
だと思った
 
 
 
そしてこう付け加えた
 
 
 
『あの事故でお亡くなりに
 
なった方のご遺族にとっては
 
事故から何年経とうとも
 
ご家族を失われたという事実は
 
何も変わりません。
 
 
また事故に遭われた方の中には
 
今も苦しみと闘っている方も
 
多くいらっしゃると思います。
 
 
 
きっと思い描いていた人生
 
とは全く異なる人生を余儀
 
なくされていることと思います。
 
 
 
皆、一人一人の命があり、
 
また一人一人の人生があります。
 
 
 
列車はそんな一人一人の命、
 
そしてまたその人とその人の
 
周りの人たちの人生を乗せて
 
走っています。
 
 
 
再発防止策がどれだけ練られ
 
ようとも、子供の命を失った
 
親の心が穏やかになることは
 
ないと思います。
 
 
 
JR西日本の方には、二度と
 
同じような事故を起こさな
 
い事はもちろん、あの事故で
 
被害に遭った方々の心に少し
 
でも寄り添いながら、
 
 
 
人一人の命、人一人の人生、
 
命を運ぶ仕事について、
 
今一度考える機会を持って
 
いただけたらと思います。
 
 
 
偉そうですみません。
 
私の文章が、何かしら
 
そんな事を考えるきっかけに
 
繋がればと思っています。』
 
 
 
こんなことを、私が
書くこと自体が
 
 
亡くなった方々のご遺族に
失礼にあたるのではないか
 
 
と悩みながらも
そのように書いたのは
 
 
誰かの苦しみを心から理解する
ことなど
 
到底不可能で
 
でも、その心に寄り添いたいと
思う気持ちは
 
きっと相手に届くと思ったから
 
 
 
 
25日、読売新聞の夕刊に
 
記者さんの記事が掲載された
 
 
その記事には、私のありのままの
姿が描かれていた
 
 
誰よりもよく知っている
自分のことが描かれている
はずなのに
 
文章を読んで涙が溢れた
 
 
記者さんの思いが
濃縮された文章
 
 
このたった一つの記事を
書き上げるまでに
 
彼がどれだけ悩み抜いてきたか
 
ほんの少しだけど
そばで感じていたから
 
 
 
記者さんが、私に取材をすると
決めてくださった時から
 
目の前のこの記事に導かれるように
 
 
今、必要な事が起き
 
今、必要な人が目の前に現れた
 
 
 
私が、事故現場に足を
運んだことも
 
 
その後ブログを書いたことも
 
 
そのブログがJR西日本で
働く人の目に止まったことも
 
 
そして加害企業の一員とか
被害者の1人とか
 
 
そんなことではなく
 
 
1人の人間と、1人の人間として
言葉を交わせたことも
 
 
自分の使命を再確認できたことも
 
 
全て
 
 
 
 
 
13年目の25日
 
 
今日も私は生かされている
 
 
1人ではない
 
 
みなの魂と共に
 
 
〈完〉
 
 
 
 
 
 

※記事の掲載は読売新聞の許可を得ています
 
 
事故から13年目の日①