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断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

坂口安吾の白痴を読んだので
syrup16gの吐く血が聞きたくなったそんな夜。
薄い雨が降ってきた。
今なぜ白痴を再読したくなったのか自分ではなんとなくわかっている。

そういえば少し前に30歳になった。

ある建築界のイベントに参加させて頂いた。

 

たくさんの新たな出会いがあったことと、自分の活動を振り返ることができたというのが一番有り難かった。

 

これまで個人で設計してきた案件は改修ばかりで、建物が残ってきた背景を読み解くと必然性が感じられるものが多かったので、どれも非常に丁寧に既存建築を扱ってきたし、お施主さんの好みや居心地の良さをとても重視して、お施主さんの生活が建物に含まれて初めてその空間は完成するという気持ちでやってきた。

なので、竣工写真も可能な限り使われ出してから撮りたいと思っているし、それらの写真は意図的にスナップ写真のように(所謂建築写真の撮り方とは違ったふうに、状況描写と見えるように)撮っている。

既存建築を重視しているという点と(使われ出した時点を完成(永遠に完成は無いのだが…)と捉えているので)最後の仕上げを施主に放り投げているという点から、新築をつくる感覚とはまるで違っているし、あまり「建築している」感覚はなかった。「作品をつくっている」という感覚ももちろんなかった。

そして「建築で(作品で)判断して欲しい」という気持ちがあるので、これまで事務所名もつけていないし、HPもつくっていないし、今回のイベントにもあまり出すつもりはなかった。

 

しかし今回議論に参加し幅広い視点からの意見を聞いて、良くも悪くも自分は建築家的な考え方をしているのだなと感じ、以前に二人の友人に指摘されたことを思い出した。

二人とも、僕が設計した大半の案件を見てくれていて、一人は「ファッションでデザインしていないというか、とても長い時間使われることを想定してつくっているように感じられる所がインテリアデザイナーとは違って建築の人だなと思う。同時に、どれも一見全然違うデザインなんだけれど似ていると思う。内装ばかりやっている人って判断基準が見えないというか本当にその時によって全然違う人が多いけれど、君にはちゃんと判断の軸があるように思うよ」と言って下さって、そのときは「木造リノベからRCビル内の飲食店内装まであるし、施主も違うので、どれも全然違う判断をしていると思うけれど…と感じた。

もう一人は「『状況』を重視していると言っているけれど、それは完成後の状況で、施工やWSなどのプロセスやストーリーよりも断然アウトプットを重視しているじゃん。それって「完成後の生活感を受け入れるデザインをしてます」って話で「建築のデザイン」の話じゃないの?だから、それはそういう作品としてちゃんと発表した方が良いと思うよ」とおっしゃって下さった。

本当は自分の言葉で書ければ良いのだけれど、今回感じた「自分は建築家的考え方をしている」という理由を上手く言語化出来ないので、人の言葉を借りた。

イベントを経た今なら、お二人に言われたことがとてもすんなりと理解出来る。

 

こういうイベントに参加するといつも思うのだが、今回の貴重な経験をどのように還元出来るかで、今回参加したことの価値が決まるので、これからまた頑張っていこうと思う。

仕事に対してどう向き合っているのかを最近考えさせられることが多くて、一番の理由はちゃんと建築家として作品を発表している先輩方と呑んだりご飯にいかせてもらったりする機会が増えたからなのだけれど、あまりプライベートな建築家の諸先輩型とのやり取りを書くのは憚られるから、他の角度と言うか、別のことに絡めて自分のことを書こうと思う。

これまでも、偶然ラジオから流れてきた曲の歌詞によって自分のことが見えたり、たまたま立ち読みした雑誌に載っていた全然関係の無い分野の人のインタビューによって自分の欠点が思い知らされたりすることがあった。自分のことを考えているときは結局外から得る情報は(同一視されるときも相対化して客観的にというときもあるが)自分を照らす鏡のようなものなのでそれは当然だと思う。

今回は「さえりさん」というライターさんによって色々なことを考えさせられた。
もちろんお会いしたこともないし、芸能人ではないから動いている所も見たことがない(記事に差し込まれてくる画像は否応なく拝見したけれど)。
そもそもは「私以外私じゃないの?」という記事がfacebookのタイムラインに流れてきたことで知り、最初は読み流してしまったんだけれど、何故か引っ掛かったところがあって大分時間が経ってからもう一度読み直して、「ああ、すごいなあ」(この記事のどこがすごいと思ったかは後程)と思ってtwitterのアカウントが出ていたのでtwitterに飛んでみたら「編集者として働いていたときに記事を良くしようと思ってライターに色々提案して記事の内容を修正していって、そのことをライターは何も言わなかったけれど、最後にライターから『(ライターの名前を)クレジットから外して下さい』と言われた」というエピソードが書かれていて、もちろんそれは褒められたことじゃないけれど、でも「ああ、この人はちゃんと仕事と恋愛してるな」と思った。

それを読む直前に、友達と恋愛の話になって「俺はクライアントと毎回恋愛してるから今はプライベートで恋愛するのが面倒くさい」って言ったら「なにそれ」って笑われたんだけれど、でも考えてみたら本当に自信を持ってそういえるし、それが出来るのはクライアントに恵まれているからだとつくづく思ったことがあった(もちろん失恋することもあるが)。
クライアントと恋愛するっていうのはどういうことかというと、相手がどんな人であろうと(50代のおじさんの場合もあれば、うまれたばかりのお子さんもいる家族連れのときもある)相手の趣味や好きな音楽や作家や映画やライフスタイルや育ってきた環境を事細かに聞き出して、でもそういうことを知るだけじゃ足りなくて、長い時間をかけて遊びに行ったり呑みにいったりもして、最終的には相手の思考プロセスや判断の仕方も何となく分かるようになる(なろうとする)ことで、そこまでいかないと「相手が望んでいるもの/けれど相手が思いつかないもの」の提案は出来ない気がしている(もちろんそこまでに達する間に既に何度か提案してその反応も見ながら更に仲を深めていく訳だし、最初の頃の提案を良いと思ってもらえるからその先に進める訳で、そういう意味で同じベクトルの相手がクライアントになってくれているので本当にありがたい)。
だからこそ毎回必死に、その人のための仕事をしている間はずっとその人のことを考えている。
これまでクライアントが若い女性だったことは一度もないし、クライアントに対して(いわゆる)恋愛感情を持ったことは無いけれど、やっていることは恋愛と同じで、だから世間一般で良く言う「仕事が恋人です」という意味じゃなく、もっと直接的に「仕事で恋愛している」と思う。
それがいいのか悪いのか分からないけれど、今はそういうやり方しか出来ないなと思うし、相手の言いなりになるのではなく、相手を理解した上で相手の思いつかないものを出そうとしているので(悪い意味での)クライアントワークではないと思っている。内装や改修の仕事ばかりの今はこのやり方で間違っていないと思っている。
どうしようか迷ったけれど、今こういえるのは失恋した経験もあるからで、失恋したから成長して、もう二度と間違えないように(こういう言い方が正しいのか分からないけれど)相手にあわせて恋愛の仕方を変えられるようになったからで、だから少しだけ失恋したときのことも残しておく。
あのときは最初の提案で相手の想像を裏切るような提案をして、相手はそれをすごく喜んでくれた。その提案は表面は相手の想定と全然違うデザインになっていたけれど、深層にある真相は通底していて、そこを感じ取ってくれたのだと思って「これは大丈夫」と恋愛したのだけれど、何度か提案するうちに徐々に自分があまり重要視していない表層的な部分を「良い」って言ってくれるのだけれど、こちらが一番核だと思っている芯の部分が全然伝わっていないことに気付き始めて、そうなってからはどうしたらいいのか分からなくなって、共通していると思っていた芯の部分が実は全然違っているように感じられて、何を基準にデザインすればいいのかが分からなくなって、相手の良いというものを上手く統合できればそれでいいかという考え方(悪い意味でのクライアントワークのよう)になってしまった。そうしたら最終的には失恋してしまって。本当に辛い思い出だ。


話を戻すと、実際さえりさんがどういう気持ちでライターと向き合っていたのかは知らない。若気の至りで出過ぎたまねをしたり、想いが強すぎてライターに敬意を払っていなかったのかもしれない。でも、twitterを読んだ時に僕は「この人はきっと、その記事を上げるまでの間ずっと記事のこととライターのことを考え続けていたんだろうな」と思って、勝手に嬉しくなって、たまにさえりさんのtwitterをチェックするようになった。

それで、あるとき「私はtwitterのフォロワーが増えたからライターになった訳じゃない。ライターの仕事をする上で必要だと思うからtwitterをいろいろやってる」みたいなこと(ほかにもいろいろ)を書かれていて、「そんなことわざわざ書かないといけないような捉えられ方をしてるんだ」と思って残念な気持ちになったのだけれど、
まず思ったのは「俺は『私以外私じゃないの?』というあの記事を読んでいなかったらさえりさんのことを気にも留めなかった(仮に「妄想が面白い」みたいなまとめで目に触れることがあったとしても)」ということで、多分「ちゃんとしたアウトプットが発信されているから、その発信者自身に興味を持った」という人もとても多いはずだよ、ということだった。

次に思ったことは「webメディアって嫌いだ」ということで、もしかしたらこれはwebメディア云々ということではなくて今の日本のメディアのブームなのかもしれないけれど、アウトプットより「人」に焦点をあてた記事がものすごく多い気がしていて、明確なアウトプットがある場合のみその背景にあるパーソナルな部分に興味が湧くけれど、アウトプットが何もない人がメディア(特にwebメディア)上で「自分語り」をしているのを見るとすごく恥ずかしくなってくるし、「形として残るアウトプットが無いとすぐ消費されて忘れ去られちゃうよ」と言いたくなってしまう。webメディアのライターの知り合いもいるけれど、大切な仲間たちのことを記事にしているのを見ると(もちろん世間に広めたいと思ってやっているのであろうことは分かるけれど)「大事な仲間を消費しないでくれ(食い物にしないでくれ)」と嫌な気分になってしまう。まあ、そこまで深い知り合いではないので何も言えないけれどね。
で、こういうことを考えると「じゃあ自分はどうなの」とすごく問われる。まず一つ言えることは僕はまだパーソナルな部分は一切出したくないということ。学生のときからコンペを取ったりしてある程度名前が有名になっている人はパーソナルな部分を押し出すメリットもあるのだろうけれど、僕はそうではないし、逆に世間には知られていないということを利用して、少なくとも建築的な思考プロセスで出来た作品が実現するまでは、大人しくしていようと思う。こうやってブログにも顔を出さずにひっそりとやっているのもそういう考え方を象徴しているね笑
そうすると、問題になるのは「じゃあ、アウトプットは発表しないの?」ということ。まだHPもないし、今までは限られた友達にだけfacebookで発表してきた。その理由は -今まで創ってきたアウトプットにも自信はあるけれど- 内装を考えるときは建築を考えるときと違った思考プロセスでデザインしていて、やはり建築家になりたいという思いがあるからで、そういう建築的な思考のものがアウトプットできた折にはもう少し外に向けて発表したいなと思っている(こうやって書いちゃえば後戻りできなくなるから、良いことだね笑)。これは先日お世話になっている先輩建築家に言われたことに対する答えだな。ちゃんと自分の作品として世間に発表することが責任を取ることだ、もっと色々なものを背負えるポテンシャルがあるんだから背負わないとダメだと言って下さった。ちなみに、次の仕事も改修だけれど、形式的なデザインをしているし、完成したらなんだか自ずと世に出て行く気がしているので、そのタイミングは結構近いんじゃないかな。

でも、やっぱり今は有名になりたいとか自分の名前を出したいという気持ちが全くなくて、むしろ今までの作品は全部異なった名前で発表したいくらいの気持ち(施主とその時限りのチーム名を考えてそのチーム名で発表したい笑)だし、誰が設計したかで見られる作品じゃなくて、毎回毎回「設計者知らない人だけれど、いいね」と言われる作品をつくりたいという気持ちが強い。一方で、作品には個性が出てしかるべきだと思うしデザインをアノニマスにする必要は無いと思っている。少なくとも個人でやっている仕事は僕一人でやっているので、どうあがいても僕でしかないから。一方で事務所の方はユニット名の事務所なので別の理論が必要だと思っているが(この辺りのアトリエ派⇔ユニット派の話はまた別でしないといけないかな笑)。

まあ、そんなことを考えさせられて、その辺りが大事なことだから(てか、色々書きすぎて疲れた笑から)もう終わりにしても良いのだけれど、折角さえりさんを持ち出したのに何もさえりさんについて書いていないから、少しだけ書く。
書いても大丈夫かな。知り合いのことは書かない、有名人のことは当たり前に書いて良い、というルールを勝手に作っている。さえりさんは知り合いではないけれど、芸能活動をしている人でもないからこういう所にナイーブに書いていいのだろうかと思ってしまう。でも俺もさえりさんのことをweb上だけで知っているのだから、まあいいよね。自分との距離感という意味では芸能人と同じだもんな。

まず、「私以外私じゃないの?」という記事のどこがすごいと思ったかから書こうか。
「本当に、私以外私じゃないの?」という問いをたてることが出来る人はたくさんいると思うけれど、「もし、目の前のティッシュも私で、『このティッシュ私なんで大事にして下さい』という世の中になったらハッピーじゃない?」という発想を持っている人はあまりいないなと思って、その発想が面白いなというのが最初の印象。

すごく理性的に文章を考えていて、読みやすいようにでも本質がこぼれ落ちないように丁寧に言葉を選んでいるなというのがその次の印象。
ここまでの二つはただの印象。この次が「すごいな」と思った所(単純に2つ目の印象を受けた理由が自分なりに分かった気がしてしっくりきたというだけの話なんだけど)。

それは、「私以外私じゃないの?」という問いに対して「どう思う?(自分で考えることに意味があるよ)」というのが答えで、だから「この問いに対する答えは人それぞれ違うよ」というのが本質なのだけれど、それが間違った伝わり方や先生の批判を引きおこさないように、先生と対峙したさえりさん自身は明確な答えが出せたという書き方をしている所。
実際は分からないけれど、僕は「さえりさんはインタビューの現場ではここまで明確な答えは出せなかったのではないか(朧げには答えを掴んだと思うけれど)」と思っていて、-もちろん、実際に現場でここまではっきりした答えを出せていたらそれはとてもすごいと思うけれど– 推敲する際に、「先生がうまく導いてくれたので私自身は明確な答えが出せましたよ」というポースを取ることがベストだと判断したんじゃないかと推察したのだけれど、いずれにしても、とても理性的だし本気で考えられた記事だと思ったし文章の力をすごく信じている人なんじゃないかなと思って、素直に「すごいなあ」と思ったんだけれど、深読みしすぎかな笑。

やっぱり人のことを言語化するのは難しいな。気を使うし上手く書けない。
でも、もう少しだけ書く。なんかね色々自分の状況や仕事に対する考え方がシンクロしているように感じたので。
そんなに頻繁にtwitter見てる訳じゃないのに、たまに見ると何故だかすごく自分と向き合わされるようなことが書いてあるから、奮い立たされるんだけど辛くもある(だから最近は見てない笑)。
例えば、俺は今半分フリーで半分勤めてて、勤めている事務所は個人の仕事を尊重してくれるし優先させてくれて、同時に今まで俺が触れてこなかった建築の考え方や向き合い方を教えてくれる。だから学ぶことは多いし、そういう場所にいると個人の仕事の方はスタディの量が全然足りてないんじゃないかと不安になるし、今の会社を辞めたいとは全くもって思わない。でも、昔、別の事務所に勤めていたときは抑圧されていたし、最終的なデザイン決定がボスの個性によってなされていたので、すぐにでも独立したいといつも思っていた。ぼんやりとそんなことを考えさせられていたタイミングで、さえりさんがフリーになることを知ったり、他にもたくさんあるんだけれど、さすがにもう疲れたから最後にもう一つだけ書いて終わりにする。

(これは別の人への当てつけのようにもなってしまうな…)詳しくは知らないけれど、さえりさんは精神的にも肉体的にも辛かった時期があったみたいで、でもそういうことを無かったことにしていないし、嫌なことや苦しいことも含めて今まで生きてきた時間を全て引き連れてちゃんと生きているように思うし、俺も辛かったこともあるけれどそういうものを捨てずに(公にする気はさらさらないけれど)つつかれたら見せられる範囲でネタにしつつ、抱きかかえながら生きていくつもりだし、当たり前かもしれないけれど、それってすごく大事なんじゃないのとおもう。
一方で、さえりさんはそういう嫌なことがあっても(良い意味で)ナイーブ(繊細)なままのように感じられて、だからこそ、「良いことばかりが起これば良いのに」と願うし、「嫌な人に嫌なことをされて、そのナイーブさが損なわれませんように」と願ってしまう。
上手く言えないけれど、僕はさえりさんじゃないけれど、さえりさんはあまりにも僕なので。
そう感じてしまうので、今後何かの媒体でさえりさんを目にした時に変わってないと良いなと思う。

まとまっていない文章だね。考えさせられたことはこの何倍もあるけれど、まあ、取り敢えず書きたいこと書けたからすっきりした笑。

絶対届かないだろうけど、なんだかもう勝手に親戚のお兄ちゃんみたいな気分になってるから、
最後に一言さえりさんに書くとしたら
「スペイン楽しいと良いね。
海外いる間はtwitterをはじめsns全部やめちゃえよ。
そのほうが自由だよ。」
って言いたいね。
大好きな大好きな愛犬が亡くなった。

13歳と8ヶ月だった。大型犬なのでかなりの高齢だししっかりと生ききったと思う。
色々あって手術を3回も経験していたし、最終的には膵臓がんになっていたのによくこんなにも最後まで元気だったなあと思う。

最後のがんが見つかった時に余命8ヶ月といわれたのだが、そこから1年半も生きた。最後の半年間は立つことができなかったが。
でも、体を起こすことは出来たし、食欲もあり、目も美しいままで、白髪も少なく、見た目は若々しいままだった。
ずっと「お前は今日まで可愛さだけで来たんだから可愛く無くなったら面倒見てもらえなくなるぞ」と語りかけてきた効果だと思う。文字にすると結構ひどいことを言っている笑
先の言葉を犬に語りかけると、「可愛さだけじゃないもんね、頭の良さと気だての良さもあるもんね」と母が語りかけるのがお決まりになっていた。
これは本心なのだが、目が見えなくなってきたり、歯槽膿漏でご飯が食べられなくなったりする犬も多い中で五感全てが最後まで知覚できていたうちの犬は幸せだったと本気で思う。
歩けなくなってしまったことはかわいそうだったけれど、割と僕らの家族はそのことをすぐに受け入れた。出来なくなってしまうことを悔やむのではなく、出来ることを考えようという、ある意味ではドライな思考の持ち主たちだと実感した。
母が動物病院で「食欲も旺盛だし、排泄もちゃんと出来ているし、主張したいことがあったら大きな声で吠えるし、とても元気だと思います!」と先生に伝えたら、「歩けなくなっちゃったことを引きずって、『なんでうちの子は歩けなくなってしまったんだろう』とか『かわいそう』といったリアクションをされる飼い主の方も多いのにすごいですね。『かわいそう』みたいな飼い主の眼差しを動物たちは強く感じてしまうから、ポジティブな言葉を心からかけてあげられることは素晴らしいです」と褒められたなんてエピソードもある。
でもそれは、我々が楽天的な人間だと言う訳ではなく、犬自体が現状を受け入れられる頭のいいやつ(というか諦めがはやいやつというか)だということによっている。歩けなくなる過渡期があり、手作りした犬用カートに乗せてマンションの敷地外まで連れていき、芝生の上に立たせるということをしていたのだが、無理矢理立たせても「僕、立てないんスよ。立つの大変なんで立ちたくないんすよ。僕、一切立つ気ないんで」みたいな顔をしてすぐに座り込んでしまい、そういうのを見るとこっちも「じゃあいいか」という気にすぐなって、「こいつ三度の飯よりお散歩が好きだったのに、随分あっさりしてるな」と思う一方「うちの家系らしいというかやっぱりうちの犬なんだな」と思ったのを覚えている。

そこから寝たきりの生活(とはいえ体を起こすことは出来る)が始まって、この時期に「わんちゃん元気?」と聞かれると決まって「歩けなくなっちゃったんですけどめちゃくちゃ元気です」と答えていた気がする。
寝たきりになってからは甘えん坊になって人がそばにいてくれることを求めていた。そして排泄を行うと大きな声で吠えてそれを知らせてくれた。このフェーズになってからは誰かしら家族がそばにいないといけなかった。更に言えば母は抱きかかえて持ち上げることが出来なかったから、基本的には僕か父がいることが要求された。僕は仕事を手放すことができなかったため、父が定年後の再就職(すでに決まっていたもの)を断って(さすがに「犬が病気で」とはいえなかったので「妻が病気で」ということにしたらしい)、面倒を見ることになった。

最後の数週間は血尿も出ていたし、大分痩せてしまってもいた。そして無駄吠えも増えた。きっと色々と痛い箇所もあったんだろう(吠えることに関しては親父は特に大変だったと思う。最後はリビングに面した両親の寝室で寝かせていたのだが、大体いつも僕が深夜に帰ってきて2時頃まで起きているのでそこまでは何かあれば僕が面倒を見、その後はもう両親に任せっきりで、僕は自分の部屋に入って眠りにつくと、疲れているので朝まで何も知らないのだが、大体親父は毎日4時から一時間ごとに起こされていたらしい。絶対寝不足だったろうと思う)。
それでも食事はとれていたし、鼻面にキスすると大きな舌でなめ返してくれた。
亡くなる一週間前にも仰向けの変な格好をさせて写真を撮った。「いつも同じ格好してると体が固まっちゃうからたまには違う格好させた方がいいんじゃないの?」って仰向けにしたら間抜けな格好になって面白かったから写真を撮った。「僕こんなかっこうさせられて写真まで撮られてるんですよ」って目で必死で母にアピールする可愛らしい姿がおさめられている。これが先週の日曜。

水曜日、深夜に帰宅したら「今日の夜、何も食べなかった」と母に伝えられるが、そのときはまだあまり何も思わなかった。
木曜日、深夜に帰宅したら「朝は少し食べたんだけれど、戻しちゃった。夜は食べなかった」と母。
金曜の朝、「早朝に排泄する際にけいれんしてひどく苦しんでたから病院に連れていく」と父。
父が別室で準備をしている間、俺が目の前にいるのにキュンキュン鳴いて、目で必死に父を追って「お前俺が目の前にいるでしょうが、可愛くないなあ、もう」と言って、カートまで抱いてカートに乗せたら、頭がうまくカートの縁にのらず、カートの外に飛び出して下に垂れてしまって、そのまま親父がカートを押そうとするから「いやいや、かわいそうでしょ」って頭の位置を直してあげて、そのまま同時に俺は仕事に行って。
思えばそれが、意志のある犬の瞳を見た最後になった。


すぐに電話が無かったから、病院に行ってその場でどうこうということは無かったんだなと少し安心したけれど、心配だったから電話をしたら親父が小さな声で「安楽死の話も出た」という。
仕事をしながら「痛い、苦しいというのがかわいそうだと言うのは分かるけれど、それだけで生き物の命を奪う理由にはならない。あいつが自分の口で『苦しいからそうしてくれ』というのならそうしてやるが、あいつは人間の言葉が喋れないから、こちらの推測で安楽死なんて到底選べない。痛い、苦しいはもちろん感じるだろうけれど、それ以上に家族みんなにこんなに愛されて幸せだと感じてるかもしれないし、そう少しでも感じているならその幸せを奪うことなんて絶対出来ない。いや、痛みや苦しみを超えるくらいの幸せを感じさせてやる」と決意を固めて家に帰った。

いつもより早く家に帰ると犬はいつも通りの存在感と温かみをもって布団の上に寝ていた。
けれど、瞳孔が開いているような感じで、近寄っていっても瞳が僕のことを追わずどこにも焦点があわないまま動かなかった。だから何度も「傷みを緩和させるための弱い麻酔かなにかを処置しているの」かを確認したのだが、薬のせいでこういう状態になっている訳ではなかった。
そして、一時間に一度程、排泄をする時にひどいけいれんをし、口から嫌な臭いのする泡を吹き、舌に刺激を与えてやらないとだらりと口から出たまま戻らなくなってしまい、血のかたまりの尿が出た。
でも、ぱっとした見た目は普通だった。最後の写真があのふざけた写真じゃかわいそうだから、写真を撮ろうと帰り道、心に決めていた。そうして撮った写真には穏やかないつも通りのかわいい犬の顔が写った。

この時点でかなり心は揺れた。
先生からは安楽死について「家族全員で話し合うこと」「一人でも同意しない人がいるなら処置しない」ことを言われたという。ただし、先生の見立てとしては「いくつか安楽死の舵を切ってもよいというチェック項目を自分の中で設けていて、残念ながらこの子はもう全ての項目を満たしている」とのことだったという。
僕は、帰ってくるまで考えていたことと、「けれど犬の意志が感じられないなら、そして排泄する際にこんなに苦しむのなら安楽死という選択もありかもしれない」「意志を受け取れないとなると、目に見えてわかる犬の感情は苦しみだけになってしまうから」と思っていることを話した。加えて「痛みをとるために意識が薄くなるようなそういう延命措置的な薬の処置は絶対に嫌だ、それだけは嫌だ」といった。どうしてもものを追わない瞳が信じられなかったし、痛み止めは投薬されているとのことだったのでそれが効きすぎているのだと思いたかった。ただ、同時にけいれんの状況や、口の嫌な臭いから死を意識していたし、特に臭いは「これが死の臭いなのか」と思っていた。
結局、今すぐに安楽死を積極的に選ぶことは出来ないということで一致して眠りについた。

土曜日、僕は昼から遠出の仕事だった。目が覚めると父が「あいつ(僕)を駅まで送っていってその帰りにもう無くなりそうだからペットトイレシートを買ってくるよ」という話を母にしていたので「いつも通りの朝だな」とトイレによろうとしたら、リビングから「ちょっとこい」と父に呼ばれた。
そんなことと思ってないから「トイレよってからでいい?」とトイレで用を足し、リビングに行くと母に泣きながら「死んじゃったみたいなの」と言われた。
心臓に耳を当てるまでもなく、瞳を見て悟った。昨夜は一点を見つめたままで動かなかったとはいえ、いつも通りの美しい瞳だった。でも、この時は一枚薄皮がかかっているような何ともいえない濁った瞳だった。
僕が目覚めてからリビングに行くまでの10分もない短い間に、誰にも最後の瞬間を悟らせること無く。
眠るように、家族がみんな揃っている時に。安楽死を選択させること無く、最小限の苦しみで。
最後までなんて利口なんだろうと思った。

そこから僕が抱きかかえて、親父が運転して病院にいき、亡くなっていることを確認してもらった。病院には感謝しか無いなと思った。別の病院で行った最初の手術のあと、ここに連れてこなかったら下手したらどれだけ早く亡くなっていたのだろうか。下手したら最後の1/3の人生(犬生)は無かったかもしれないなと思ったし、スタッフの方にもみんなに優しくしてもらっていた。
「安楽死とはいったもののきっとその道を選ばないだろうと思ったし、そうしたらお宅まで検診に伺わなきゃ行けないからポータブルの超音波系をレンタルする手はずを整えていた」と先生に教えられた。「ああ、本当にありがとうございます」と何度も思った。
帰りにスタッフの方達がお見送りしてくれたので「本当にありがとうございます」という気持ちを込めて犬の顔を彼女たちに見せながら、犬になったつもりで「バイバイ」と言ったら少し笑われた。笑うか、普通笑
綺麗に手入れしてもらって家に戻ってきて、翌日火葬となった。

僕は普通に仕事に行けた。意外と心は落ち着いていた。ちゃんとこちらが受け入れるためのステップをつくってくれていたんだなと思った。しっかりと生ききったから何も後悔は無いなと。

「こんなに可愛がられてる犬いないよ」と何度も語りかけていて、そういうたびに母は「まあ、それは分からないでしょ、世界にはいろんな家があるからもっとお金持ちでもっと愛されている犬もいるかもしれない」と言っていたが、まあ、それは確かにそうだと思うが、でも僕の気持ちとしては何ら偽りは無くて、それぐらい家族みんな犬のことを可愛がっていた。だから、そういう意味でも後悔は何も無い。

翌日は昨日と逆で、親父が犬を抱き、僕が運転して火葬場に行った。
犬は冷たく固くなっていたが、しっぽや耳といった筋肉の無い部分は変わらず、鼻先の濡れた感触も変わらなかった。魂が亡くなったときよりも、肉体が失われたときの方が喪失感はあるかもしれない。最後に体のあらゆる部分を触って、死体にキスするのどうなんだろうとは思ったがいつも通り鼻筋にかぶりついてお別れをした。


そして今日、写真を整理したり、犬がいた場所を整理したりした。
当たり前なんだけれど、写真を見ると、犬がどれだけ元気だったかが思い出された。最後の寝たきりのイメージが強くなっているから忘れていたけれど、ほんの半年前までは普通にお散歩してたんだよな、とか昨年は一緒に桜の下歩いてたんだよな、とか色々思い出したし、高校生の僕と生後数ヶ月の犬というお互いに幼いふたりが写ったフィルムの写真も出てきた。

13年と8ヶ月だもんな。時間が経つにつれ、この喪失は大きくなる気がする。

ただ、犬との関係という意味では、本当に僕は幸せだったなと思う。
ポルトガルにいる一年間と、働き出した最初の半年間以外はずっと犬と一緒だったから。
まあ、逆に言えばそれ以外はずっと実家暮らしという人としてはダメなやつということになるが。


少しずつ、僕も家族も犬のいない生活に慣れていかなければならないね。

良くしようと思って提案している事に聞く耳をもたないのなら、俺がやらなくても良いよね。

どっか適当な設計施工する工務店にでも言いなりの図面描いてもらえばええやん。

あと、分かってない人には「君分かってないよ」って言ってあげた方がいいのかもな。
偉そうだけど、そのほうが後々揉めないしな。

でも、分かってない人の方がはっきり言われるの嫌がって、怒るから慎重に言わないといけないけど。

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