大好きな大好きな愛犬が亡くなった。
13歳と8ヶ月だった。大型犬なのでかなりの高齢だししっかりと生ききったと思う。
色々あって手術を3回も経験していたし、最終的には膵臓がんになっていたのによくこんなにも最後まで元気だったなあと思う。
最後のがんが見つかった時に余命8ヶ月といわれたのだが、そこから1年半も生きた。最後の半年間は立つことができなかったが。
でも、体を起こすことは出来たし、食欲もあり、目も美しいままで、白髪も少なく、見た目は若々しいままだった。
ずっと「お前は今日まで可愛さだけで来たんだから可愛く無くなったら面倒見てもらえなくなるぞ」と語りかけてきた効果だと思う。文字にすると結構ひどいことを言っている笑
先の言葉を犬に語りかけると、「可愛さだけじゃないもんね、頭の良さと気だての良さもあるもんね」と母が語りかけるのがお決まりになっていた。
これは本心なのだが、目が見えなくなってきたり、歯槽膿漏でご飯が食べられなくなったりする犬も多い中で五感全てが最後まで知覚できていたうちの犬は幸せだったと本気で思う。
歩けなくなってしまったことはかわいそうだったけれど、割と僕らの家族はそのことをすぐに受け入れた。出来なくなってしまうことを悔やむのではなく、出来ることを考えようという、ある意味ではドライな思考の持ち主たちだと実感した。
母が動物病院で「食欲も旺盛だし、排泄もちゃんと出来ているし、主張したいことがあったら大きな声で吠えるし、とても元気だと思います!」と先生に伝えたら、「歩けなくなっちゃったことを引きずって、『なんでうちの子は歩けなくなってしまったんだろう』とか『かわいそう』といったリアクションをされる飼い主の方も多いのにすごいですね。『かわいそう』みたいな飼い主の眼差しを動物たちは強く感じてしまうから、ポジティブな言葉を心からかけてあげられることは素晴らしいです」と褒められたなんてエピソードもある。
でもそれは、我々が楽天的な人間だと言う訳ではなく、犬自体が現状を受け入れられる頭のいいやつ(というか諦めがはやいやつというか)だということによっている。歩けなくなる過渡期があり、手作りした犬用カートに乗せてマンションの敷地外まで連れていき、芝生の上に立たせるということをしていたのだが、無理矢理立たせても「僕、立てないんスよ。立つの大変なんで立ちたくないんすよ。僕、一切立つ気ないんで」みたいな顔をしてすぐに座り込んでしまい、そういうのを見るとこっちも「じゃあいいか」という気にすぐなって、「こいつ三度の飯よりお散歩が好きだったのに、随分あっさりしてるな」と思う一方「うちの家系らしいというかやっぱりうちの犬なんだな」と思ったのを覚えている。
そこから寝たきりの生活(とはいえ体を起こすことは出来る)が始まって、この時期に「わんちゃん元気?」と聞かれると決まって「歩けなくなっちゃったんですけどめちゃくちゃ元気です」と答えていた気がする。
寝たきりになってからは甘えん坊になって人がそばにいてくれることを求めていた。そして排泄を行うと大きな声で吠えてそれを知らせてくれた。このフェーズになってからは誰かしら家族がそばにいないといけなかった。更に言えば母は抱きかかえて持ち上げることが出来なかったから、基本的には僕か父がいることが要求された。僕は仕事を手放すことができなかったため、父が定年後の再就職(すでに決まっていたもの)を断って(さすがに「犬が病気で」とはいえなかったので「妻が病気で」ということにしたらしい)、面倒を見ることになった。
最後の数週間は血尿も出ていたし、大分痩せてしまってもいた。そして無駄吠えも増えた。きっと色々と痛い箇所もあったんだろう(吠えることに関しては親父は特に大変だったと思う。最後はリビングに面した両親の寝室で寝かせていたのだが、大体いつも僕が深夜に帰ってきて2時頃まで起きているのでそこまでは何かあれば僕が面倒を見、その後はもう両親に任せっきりで、僕は自分の部屋に入って眠りにつくと、疲れているので朝まで何も知らないのだが、大体親父は毎日4時から一時間ごとに起こされていたらしい。絶対寝不足だったろうと思う)。
それでも食事はとれていたし、鼻面にキスすると大きな舌でなめ返してくれた。
亡くなる一週間前にも仰向けの変な格好をさせて写真を撮った。「いつも同じ格好してると体が固まっちゃうからたまには違う格好させた方がいいんじゃないの?」って仰向けにしたら間抜けな格好になって面白かったから写真を撮った。「僕こんなかっこうさせられて写真まで撮られてるんですよ」って目で必死で母にアピールする可愛らしい姿がおさめられている。これが先週の日曜。
水曜日、深夜に帰宅したら「今日の夜、何も食べなかった」と母に伝えられるが、そのときはまだあまり何も思わなかった。
木曜日、深夜に帰宅したら「朝は少し食べたんだけれど、戻しちゃった。夜は食べなかった」と母。
金曜の朝、「早朝に排泄する際にけいれんしてひどく苦しんでたから病院に連れていく」と父。
父が別室で準備をしている間、俺が目の前にいるのにキュンキュン鳴いて、目で必死に父を追って「お前俺が目の前にいるでしょうが、可愛くないなあ、もう」と言って、カートまで抱いてカートに乗せたら、頭がうまくカートの縁にのらず、カートの外に飛び出して下に垂れてしまって、そのまま親父がカートを押そうとするから「いやいや、かわいそうでしょ」って頭の位置を直してあげて、そのまま同時に俺は仕事に行って。
思えばそれが、意志のある犬の瞳を見た最後になった。
すぐに電話が無かったから、病院に行ってその場でどうこうということは無かったんだなと少し安心したけれど、心配だったから電話をしたら親父が小さな声で「安楽死の話も出た」という。
仕事をしながら「痛い、苦しいというのがかわいそうだと言うのは分かるけれど、それだけで生き物の命を奪う理由にはならない。あいつが自分の口で『苦しいからそうしてくれ』というのならそうしてやるが、あいつは人間の言葉が喋れないから、こちらの推測で安楽死なんて到底選べない。痛い、苦しいはもちろん感じるだろうけれど、それ以上に家族みんなにこんなに愛されて幸せだと感じてるかもしれないし、そう少しでも感じているならその幸せを奪うことなんて絶対出来ない。いや、痛みや苦しみを超えるくらいの幸せを感じさせてやる」と決意を固めて家に帰った。
いつもより早く家に帰ると犬はいつも通りの存在感と温かみをもって布団の上に寝ていた。
けれど、瞳孔が開いているような感じで、近寄っていっても瞳が僕のことを追わずどこにも焦点があわないまま動かなかった。だから何度も「傷みを緩和させるための弱い麻酔かなにかを処置しているの」かを確認したのだが、薬のせいでこういう状態になっている訳ではなかった。
そして、一時間に一度程、排泄をする時にひどいけいれんをし、口から嫌な臭いのする泡を吹き、舌に刺激を与えてやらないとだらりと口から出たまま戻らなくなってしまい、血のかたまりの尿が出た。
でも、ぱっとした見た目は普通だった。最後の写真があのふざけた写真じゃかわいそうだから、写真を撮ろうと帰り道、心に決めていた。そうして撮った写真には穏やかないつも通りのかわいい犬の顔が写った。
この時点でかなり心は揺れた。
先生からは安楽死について「家族全員で話し合うこと」「一人でも同意しない人がいるなら処置しない」ことを言われたという。ただし、先生の見立てとしては「いくつか安楽死の舵を切ってもよいというチェック項目を自分の中で設けていて、残念ながらこの子はもう全ての項目を満たしている」とのことだったという。
僕は、帰ってくるまで考えていたことと、「けれど犬の意志が感じられないなら、そして排泄する際にこんなに苦しむのなら安楽死という選択もありかもしれない」「意志を受け取れないとなると、目に見えてわかる犬の感情は苦しみだけになってしまうから」と思っていることを話した。加えて「痛みをとるために意識が薄くなるようなそういう延命措置的な薬の処置は絶対に嫌だ、それだけは嫌だ」といった。どうしてもものを追わない瞳が信じられなかったし、痛み止めは投薬されているとのことだったのでそれが効きすぎているのだと思いたかった。ただ、同時にけいれんの状況や、口の嫌な臭いから死を意識していたし、特に臭いは「これが死の臭いなのか」と思っていた。
結局、今すぐに安楽死を積極的に選ぶことは出来ないということで一致して眠りについた。
土曜日、僕は昼から遠出の仕事だった。目が覚めると父が「あいつ(僕)を駅まで送っていってその帰りにもう無くなりそうだからペットトイレシートを買ってくるよ」という話を母にしていたので「いつも通りの朝だな」とトイレによろうとしたら、リビングから「ちょっとこい」と父に呼ばれた。
そんなことと思ってないから「トイレよってからでいい?」とトイレで用を足し、リビングに行くと母に泣きながら「死んじゃったみたいなの」と言われた。
心臓に耳を当てるまでもなく、瞳を見て悟った。昨夜は一点を見つめたままで動かなかったとはいえ、いつも通りの美しい瞳だった。でも、この時は一枚薄皮がかかっているような何ともいえない濁った瞳だった。
僕が目覚めてからリビングに行くまでの10分もない短い間に、誰にも最後の瞬間を悟らせること無く。
眠るように、家族がみんな揃っている時に。安楽死を選択させること無く、最小限の苦しみで。
最後までなんて利口なんだろうと思った。
そこから僕が抱きかかえて、親父が運転して病院にいき、亡くなっていることを確認してもらった。病院には感謝しか無いなと思った。別の病院で行った最初の手術のあと、ここに連れてこなかったら下手したらどれだけ早く亡くなっていたのだろうか。下手したら最後の1/3の人生(犬生)は無かったかもしれないなと思ったし、スタッフの方にもみんなに優しくしてもらっていた。
「安楽死とはいったもののきっとその道を選ばないだろうと思ったし、そうしたらお宅まで検診に伺わなきゃ行けないからポータブルの超音波系をレンタルする手はずを整えていた」と先生に教えられた。「ああ、本当にありがとうございます」と何度も思った。
帰りにスタッフの方達がお見送りしてくれたので「本当にありがとうございます」という気持ちを込めて犬の顔を彼女たちに見せながら、犬になったつもりで「バイバイ」と言ったら少し笑われた。笑うか、普通笑
綺麗に手入れしてもらって家に戻ってきて、翌日火葬となった。
僕は普通に仕事に行けた。意外と心は落ち着いていた。ちゃんとこちらが受け入れるためのステップをつくってくれていたんだなと思った。しっかりと生ききったから何も後悔は無いなと。
「こんなに可愛がられてる犬いないよ」と何度も語りかけていて、そういうたびに母は「まあ、それは分からないでしょ、世界にはいろんな家があるからもっとお金持ちでもっと愛されている犬もいるかもしれない」と言っていたが、まあ、それは確かにそうだと思うが、でも僕の気持ちとしては何ら偽りは無くて、それぐらい家族みんな犬のことを可愛がっていた。だから、そういう意味でも後悔は何も無い。
翌日は昨日と逆で、親父が犬を抱き、僕が運転して火葬場に行った。
犬は冷たく固くなっていたが、しっぽや耳といった筋肉の無い部分は変わらず、鼻先の濡れた感触も変わらなかった。魂が亡くなったときよりも、肉体が失われたときの方が喪失感はあるかもしれない。最後に体のあらゆる部分を触って、死体にキスするのどうなんだろうとは思ったがいつも通り鼻筋にかぶりついてお別れをした。
そして今日、写真を整理したり、犬がいた場所を整理したりした。
当たり前なんだけれど、写真を見ると、犬がどれだけ元気だったかが思い出された。最後の寝たきりのイメージが強くなっているから忘れていたけれど、ほんの半年前までは普通にお散歩してたんだよな、とか昨年は一緒に桜の下歩いてたんだよな、とか色々思い出したし、高校生の僕と生後数ヶ月の犬というお互いに幼いふたりが写ったフィルムの写真も出てきた。
13年と8ヶ月だもんな。時間が経つにつれ、この喪失は大きくなる気がする。
ただ、犬との関係という意味では、本当に僕は幸せだったなと思う。
ポルトガルにいる一年間と、働き出した最初の半年間以外はずっと犬と一緒だったから。
まあ、逆に言えばそれ以外はずっと実家暮らしという人としてはダメなやつということになるが。
少しずつ、僕も家族も犬のいない生活に慣れていかなければならないね。