仕事に対してどう向き合っているのかを最近考えさせられることが多くて、一番の理由はちゃんと建築家として作品を発表している先輩方と呑んだりご飯にいかせてもらったりする機会が増えたからなのだけれど、あまりプライベートな建築家の諸先輩型とのやり取りを書くのは憚られるから、他の角度と言うか、別のことに絡めて自分のことを書こうと思う。
これまでも、偶然ラジオから流れてきた曲の歌詞によって自分のことが見えたり、たまたま立ち読みした雑誌に載っていた全然関係の無い分野の人のインタビューによって自分の欠点が思い知らされたりすることがあった。自分のことを考えているときは結局外から得る情報は(同一視されるときも相対化して客観的にというときもあるが)自分を照らす鏡のようなものなのでそれは当然だと思う。
今回は「さえりさん」というライターさんによって色々なことを考えさせられた。
もちろんお会いしたこともないし、芸能人ではないから動いている所も見たことがない(記事に差し込まれてくる画像は否応なく拝見したけれど)。
そもそもは「私以外私じゃないの?」という記事がfacebookのタイムラインに流れてきたことで知り、最初は読み流してしまったんだけれど、何故か引っ掛かったところがあって大分時間が経ってからもう一度読み直して、「ああ、すごいなあ」(この記事のどこがすごいと思ったかは後程)と思ってtwitterのアカウントが出ていたのでtwitterに飛んでみたら「編集者として働いていたときに記事を良くしようと思ってライターに色々提案して記事の内容を修正していって、そのことをライターは何も言わなかったけれど、最後にライターから『(ライターの名前を)クレジットから外して下さい』と言われた」というエピソードが書かれていて、もちろんそれは褒められたことじゃないけれど、でも「ああ、この人はちゃんと仕事と恋愛してるな」と思った。
それを読む直前に、友達と恋愛の話になって「俺はクライアントと毎回恋愛してるから今はプライベートで恋愛するのが面倒くさい」って言ったら「なにそれ」って笑われたんだけれど、でも考えてみたら本当に自信を持ってそういえるし、それが出来るのはクライアントに恵まれているからだとつくづく思ったことがあった(もちろん失恋することもあるが)。
クライアントと恋愛するっていうのはどういうことかというと、相手がどんな人であろうと(50代のおじさんの場合もあれば、うまれたばかりのお子さんもいる家族連れのときもある)相手の趣味や好きな音楽や作家や映画やライフスタイルや育ってきた環境を事細かに聞き出して、でもそういうことを知るだけじゃ足りなくて、長い時間をかけて遊びに行ったり呑みにいったりもして、最終的には相手の思考プロセスや判断の仕方も何となく分かるようになる(なろうとする)ことで、そこまでいかないと「相手が望んでいるもの/けれど相手が思いつかないもの」の提案は出来ない気がしている(もちろんそこまでに達する間に既に何度か提案してその反応も見ながら更に仲を深めていく訳だし、最初の頃の提案を良いと思ってもらえるからその先に進める訳で、そういう意味で同じベクトルの相手がクライアントになってくれているので本当にありがたい)。
だからこそ毎回必死に、その人のための仕事をしている間はずっとその人のことを考えている。
これまでクライアントが若い女性だったことは一度もないし、クライアントに対して(いわゆる)恋愛感情を持ったことは無いけれど、やっていることは恋愛と同じで、だから世間一般で良く言う「仕事が恋人です」という意味じゃなく、もっと直接的に「仕事で恋愛している」と思う。
それがいいのか悪いのか分からないけれど、今はそういうやり方しか出来ないなと思うし、相手の言いなりになるのではなく、相手を理解した上で相手の思いつかないものを出そうとしているので(悪い意味での)クライアントワークではないと思っている。内装や改修の仕事ばかりの今はこのやり方で間違っていないと思っている。
どうしようか迷ったけれど、今こういえるのは失恋した経験もあるからで、失恋したから成長して、もう二度と間違えないように(こういう言い方が正しいのか分からないけれど)相手にあわせて恋愛の仕方を変えられるようになったからで、だから少しだけ失恋したときのことも残しておく。
あのときは最初の提案で相手の想像を裏切るような提案をして、相手はそれをすごく喜んでくれた。その提案は表面は相手の想定と全然違うデザインになっていたけれど、深層にある真相は通底していて、そこを感じ取ってくれたのだと思って「これは大丈夫」と恋愛したのだけれど、何度か提案するうちに徐々に自分があまり重要視していない表層的な部分を「良い」って言ってくれるのだけれど、こちらが一番核だと思っている芯の部分が全然伝わっていないことに気付き始めて、そうなってからはどうしたらいいのか分からなくなって、共通していると思っていた芯の部分が実は全然違っているように感じられて、何を基準にデザインすればいいのかが分からなくなって、相手の良いというものを上手く統合できればそれでいいかという考え方(悪い意味でのクライアントワークのよう)になってしまった。そうしたら最終的には失恋してしまって。本当に辛い思い出だ。
話を戻すと、実際さえりさんがどういう気持ちでライターと向き合っていたのかは知らない。若気の至りで出過ぎたまねをしたり、想いが強すぎてライターに敬意を払っていなかったのかもしれない。でも、twitterを読んだ時に僕は「この人はきっと、その記事を上げるまでの間ずっと記事のこととライターのことを考え続けていたんだろうな」と思って、勝手に嬉しくなって、たまにさえりさんのtwitterをチェックするようになった。
それで、あるとき「私はtwitterのフォロワーが増えたからライターになった訳じゃない。ライターの仕事をする上で必要だと思うからtwitterをいろいろやってる」みたいなこと(ほかにもいろいろ)を書かれていて、「そんなことわざわざ書かないといけないような捉えられ方をしてるんだ」と思って残念な気持ちになったのだけれど、
まず思ったのは「俺は『私以外私じゃないの?』というあの記事を読んでいなかったらさえりさんのことを気にも留めなかった(仮に「妄想が面白い」みたいなまとめで目に触れることがあったとしても)」ということで、多分「ちゃんとしたアウトプットが発信されているから、その発信者自身に興味を持った」という人もとても多いはずだよ、ということだった。
次に思ったことは「webメディアって嫌いだ」ということで、もしかしたらこれはwebメディア云々ということではなくて今の日本のメディアのブームなのかもしれないけれど、アウトプットより「人」に焦点をあてた記事がものすごく多い気がしていて、明確なアウトプットがある場合のみその背景にあるパーソナルな部分に興味が湧くけれど、アウトプットが何もない人がメディア(特にwebメディア)上で「自分語り」をしているのを見るとすごく恥ずかしくなってくるし、「形として残るアウトプットが無いとすぐ消費されて忘れ去られちゃうよ」と言いたくなってしまう。webメディアのライターの知り合いもいるけれど、大切な仲間たちのことを記事にしているのを見ると(もちろん世間に広めたいと思ってやっているのであろうことは分かるけれど)「大事な仲間を消費しないでくれ(食い物にしないでくれ)」と嫌な気分になってしまう。まあ、そこまで深い知り合いではないので何も言えないけれどね。
で、こういうことを考えると「じゃあ自分はどうなの」とすごく問われる。まず一つ言えることは僕はまだパーソナルな部分は一切出したくないということ。学生のときからコンペを取ったりしてある程度名前が有名になっている人はパーソナルな部分を押し出すメリットもあるのだろうけれど、僕はそうではないし、逆に世間には知られていないということを利用して、少なくとも建築的な思考プロセスで出来た作品が実現するまでは、大人しくしていようと思う。こうやってブログにも顔を出さずにひっそりとやっているのもそういう考え方を象徴しているね笑
そうすると、問題になるのは「じゃあ、アウトプットは発表しないの?」ということ。まだHPもないし、今までは限られた友達にだけfacebookで発表してきた。その理由は -今まで創ってきたアウトプットにも自信はあるけれど- 内装を考えるときは建築を考えるときと違った思考プロセスでデザインしていて、やはり建築家になりたいという思いがあるからで、そういう建築的な思考のものがアウトプットできた折にはもう少し外に向けて発表したいなと思っている(こうやって書いちゃえば後戻りできなくなるから、良いことだね笑)。これは先日お世話になっている先輩建築家に言われたことに対する答えだな。ちゃんと自分の作品として世間に発表することが責任を取ることだ、もっと色々なものを背負えるポテンシャルがあるんだから背負わないとダメだと言って下さった。ちなみに、次の仕事も改修だけれど、形式的なデザインをしているし、完成したらなんだか自ずと世に出て行く気がしているので、そのタイミングは結構近いんじゃないかな。
でも、やっぱり今は有名になりたいとか自分の名前を出したいという気持ちが全くなくて、むしろ今までの作品は全部異なった名前で発表したいくらいの気持ち(施主とその時限りのチーム名を考えてそのチーム名で発表したい笑)だし、誰が設計したかで見られる作品じゃなくて、毎回毎回「設計者知らない人だけれど、いいね」と言われる作品をつくりたいという気持ちが強い。一方で、作品には個性が出てしかるべきだと思うしデザインをアノニマスにする必要は無いと思っている。少なくとも個人でやっている仕事は僕一人でやっているので、どうあがいても僕でしかないから。一方で事務所の方はユニット名の事務所なので別の理論が必要だと思っているが(この辺りのアトリエ派⇔ユニット派の話はまた別でしないといけないかな笑)。
まあ、そんなことを考えさせられて、その辺りが大事なことだから(てか、色々書きすぎて疲れた笑から)もう終わりにしても良いのだけれど、折角さえりさんを持ち出したのに何もさえりさんについて書いていないから、少しだけ書く。
書いても大丈夫かな。知り合いのことは書かない、有名人のことは当たり前に書いて良い、というルールを勝手に作っている。さえりさんは知り合いではないけれど、芸能活動をしている人でもないからこういう所にナイーブに書いていいのだろうかと思ってしまう。でも俺もさえりさんのことをweb上だけで知っているのだから、まあいいよね。自分との距離感という意味では芸能人と同じだもんな。
まず、「私以外私じゃないの?」という記事のどこがすごいと思ったかから書こうか。
「本当に、私以外私じゃないの?」という問いをたてることが出来る人はたくさんいると思うけれど、「もし、目の前のティッシュも私で、『このティッシュ私なんで大事にして下さい』という世の中になったらハッピーじゃない?」という発想を持っている人はあまりいないなと思って、その発想が面白いなというのが最初の印象。
すごく理性的に文章を考えていて、読みやすいようにでも本質がこぼれ落ちないように丁寧に言葉を選んでいるなというのがその次の印象。
ここまでの二つはただの印象。この次が「すごいな」と思った所(単純に2つ目の印象を受けた理由が自分なりに分かった気がしてしっくりきたというだけの話なんだけど)。
それは、「私以外私じゃないの?」という問いに対して「どう思う?(自分で考えることに意味があるよ)」というのが答えで、だから「この問いに対する答えは人それぞれ違うよ」というのが本質なのだけれど、それが間違った伝わり方や先生の批判を引きおこさないように、先生と対峙したさえりさん自身は明確な答えが出せたという書き方をしている所。
実際は分からないけれど、僕は「さえりさんはインタビューの現場ではここまで明確な答えは出せなかったのではないか(朧げには答えを掴んだと思うけれど)」と思っていて、-もちろん、実際に現場でここまではっきりした答えを出せていたらそれはとてもすごいと思うけれど– 推敲する際に、「先生がうまく導いてくれたので私自身は明確な答えが出せましたよ」というポースを取ることがベストだと判断したんじゃないかと推察したのだけれど、いずれにしても、とても理性的だし本気で考えられた記事だと思ったし文章の力をすごく信じている人なんじゃないかなと思って、素直に「すごいなあ」と思ったんだけれど、深読みしすぎかな笑。
やっぱり人のことを言語化するのは難しいな。気を使うし上手く書けない。
でも、もう少しだけ書く。なんかね色々自分の状況や仕事に対する考え方がシンクロしているように感じたので。
そんなに頻繁にtwitter見てる訳じゃないのに、たまに見ると何故だかすごく自分と向き合わされるようなことが書いてあるから、奮い立たされるんだけど辛くもある(だから最近は見てない笑)。
例えば、俺は今半分フリーで半分勤めてて、勤めている事務所は個人の仕事を尊重してくれるし優先させてくれて、同時に今まで俺が触れてこなかった建築の考え方や向き合い方を教えてくれる。だから学ぶことは多いし、そういう場所にいると個人の仕事の方はスタディの量が全然足りてないんじゃないかと不安になるし、今の会社を辞めたいとは全くもって思わない。でも、昔、別の事務所に勤めていたときは抑圧されていたし、最終的なデザイン決定がボスの個性によってなされていたので、すぐにでも独立したいといつも思っていた。ぼんやりとそんなことを考えさせられていたタイミングで、さえりさんがフリーになることを知ったり、他にもたくさんあるんだけれど、さすがにもう疲れたから最後にもう一つだけ書いて終わりにする。
(これは別の人への当てつけのようにもなってしまうな…)詳しくは知らないけれど、さえりさんは精神的にも肉体的にも辛かった時期があったみたいで、でもそういうことを無かったことにしていないし、嫌なことや苦しいことも含めて今まで生きてきた時間を全て引き連れてちゃんと生きているように思うし、俺も辛かったこともあるけれどそういうものを捨てずに(公にする気はさらさらないけれど)つつかれたら見せられる範囲でネタにしつつ、抱きかかえながら生きていくつもりだし、当たり前かもしれないけれど、それってすごく大事なんじゃないのとおもう。
一方で、さえりさんはそういう嫌なことがあっても(良い意味で)ナイーブ(繊細)なままのように感じられて、だからこそ、「良いことばかりが起これば良いのに」と願うし、「嫌な人に嫌なことをされて、そのナイーブさが損なわれませんように」と願ってしまう。
上手く言えないけれど、僕はさえりさんじゃないけれど、さえりさんはあまりにも僕なので。
そう感じてしまうので、今後何かの媒体でさえりさんを目にした時に変わってないと良いなと思う。
まとまっていない文章だね。考えさせられたことはこの何倍もあるけれど、まあ、取り敢えず書きたいこと書けたからすっきりした笑。
絶対届かないだろうけど、なんだかもう勝手に親戚のお兄ちゃんみたいな気分になってるから、
最後に一言さえりさんに書くとしたら
「スペイン楽しいと良いね。
海外いる間はtwitterをはじめsns全部やめちゃえよ。
そのほうが自由だよ。」
って言いたいね。